衆院選と同時なのに影薄い「国民審査」 最高裁裁判官を「クビ」にできる、世界でも珍しい制度を生かすには(2024年10月14日『東京新聞』) (original) (raw)

衆院選が公示される15日、最高裁裁判官を「罷免させるか否か」を選ぶ国民審査も27日の投開票に向け、同時に始まる。今回から海外在住の有権者も投票が可能になる。政治改革や物価高対策を巡る熱戦が注目される衆院選と比べ、影が薄いのが実態だが、そもそもどのような意義がある制度なのか。国民審査における1票の重さを改めて考えた。(太田理英子)

◆海外在住者の国民審査投票は今回が初めて

「万が一、最高裁が問題のある判断をすれば歯止めをかける手段となる1票。やっと投票できるようになり、うれしい」。2006年からブラジルで暮らす会社経営、平野司さん(46)は今回、初めて海外から国民審査に投票する。

国民審査は、憲法に基づき、最高裁裁判官が職務にふさわしいか否かを有権者が投票する制度。任命後、最初の衆院選を迎えた裁判官が審査を受ける。辞めさせたい裁判官の欄に×印を記入し、空欄なら信任となる。×の数が有効投票の過半数となれば罷免される。1949年の第1回以降、罷免された人はいない。

2021年の前回まで、在外有権者には国民審査権がなかった。国政選挙では2007年に在外投票が全面的に可能になったが、国民審査も認められたのは2022年。きっかけは、「在外有権者に投票を認めない国民審査法は違憲」と、平野さんら5人が起こした訴訟だった。

◆「国政選挙と国民審査は両輪の関係」なのに国は軽視

「国民審査権は裁判官の任命が正しかったのかを国民が直接判断することで、司法制度を民主的にコントロールできる重要な権利。特定の人を排除するのは制度の欠陥で、民主主義にゆがみが生じる」。平野さんらの代理人を務めた吉田京子弁護士はそう語る。最高裁には、国民を代表する国会で作られた法律などが憲法に違反していないか判断する違憲審査権がある。そのため「国政選挙と国民審査は両輪の関係」という。

在外邦人の国民審査権を巡る訴訟を振り返る吉田京子弁護士=東京都千代田区で

在外邦人の国民審査権を巡る訴訟を振り返る吉田京子弁護士=東京都千代田区

訴訟で国側は、国民審査権を「リコールの性質。議会制民主主義で不可欠と言えない」と軽視。裁判官名を列記する投票用紙の印刷や送付には時間がかかり困難とした。一審、二審判決はいずれも違憲と認めたが、賠償責任などの判断が分かれた。双方が上告し、国民審査を「受ける側」の最高裁の判断に委ねられた。

最高裁違憲判断から半年、在外国民審査を認める法改正が

2022年4月、大法廷での弁論。吉田氏は15人の裁判官を見据えて訴えた。「ここにいる皆さんは国民の信任を得たと言えません。海外に暮らす人たちが国民審査で意思表示していないからです」。自ら制度をただす判断を求めた。

翌月の判決は違憲と認め、国会が立法措置を怠ったとして賠償を命じた。そして国民審査権の意義をこう説いた。「国民主権の原理に基づき、選挙権と同様の性質があり平等に保障される。制限は許されない」

半年後、在外国民審査を認める改正関連法が成立。在外投票に限り、印刷業務を簡素化するため、裁判官名に番号を付けた紙を投票所に備え付け、投票用紙にはその番号だけを列記し、上段に×を記す形式になった。

平野さんは、訴訟で制度が変わったからこそ、権利の重さを実感する。「最高裁の判断で生活に関わる法律やルールが変わる。その裁判官を罷免するか否かを決められることは国民にとって有意義」。吉田氏は、国民審査が選挙と同様に「家庭や職場で話題にすることで、周囲も深く考えるようになる」と語る。「そうした対話こそ民主主義の根幹。国民審査を通じ、その輪が広がってほしい」と期待する。

◆世界的に珍しい直接審査、参考にしたのはミズーリ州の制度

最高裁裁判官を国民が直接審査する制度は、世界的に珍しいという。では、なぜ日本で導入されたのか。

提案したのは、終戦直後、憲法草案を練っていた連合国軍総司令部GHQ)。制度に詳しい明治大の西川伸一教授(政治学)は、日本が軍国主義に陥った教訓から「司法部の独立を強化する一方、司法部の独走を抑える手段として、国民がコントロールする仕組みを考えた」と話す。米国では大統領が連邦最高裁裁判官を指名して上院が承認するが、ミズーリ州には州裁判官の再任を州民が審査する独自制度があり、参考にされたという。「国民は選挙で立法部の構成員を選び、間接的に行政部にも影響を及ぼす。国民審査制度によって司法部も統制する手段があるといえる。三権分立の観点で重要な制度だ」

最高裁裁判官の国民審査に在外投票ができないのは違憲との判決を下した最高裁大法廷=2022年5月

最高裁裁判官の国民審査に在外投票ができないのは違憲との判決を下した最高裁大法廷=2022年5月

だが、制度の形骸化が指摘されて久しい。直近5回の投票率は50%超だが、あくまで同時実施の衆院選の影響とみられる。多くの国民にとって対象裁判官はなじみがない。事前に顔写真や経歴を紹介する「国民審査公報」が各世帯に配布されるが、これだけで人物像を十分理解するのは難しい。それなのに白紙で出しても信任したことになる。

◆裁判官の「個別意見」、最高裁のウェブサイトに

重要な判断材料になり得るのが、最高裁裁判官が判決や決定で個人の意見を示す「個別意見」だ。手間は必要だが、最高裁のウェブサイトで判決を検索し、調べることもできる。個別意見には、多数が合意した結論に賛成した上で補う「補足意見」や結論に異議を唱える「反対意見」、多数意見と結論は同じだが、理由が異なる「意見」がある。

最高裁裁判官の泉徳治弁護士(85)は個別意見について「裁判官が良心に従い、自分の頭で考えた意見を明示するのは本来の務め」と話す。泉氏は2009年1月まで6年余りの任期中、36件の個別意見を書いた。そのうち25件が反対意見と異例の多さだ。

最高裁裁判官時代に多くの反対意見を書いた泉徳治氏=東京都港区で

最高裁裁判官時代に多くの反対意見を書いた泉徳治氏=東京都港区で

最大2.17倍の「1票の不平等」が生じた衆院選を合憲とした2007年大法廷判決では、選挙権平等の原則に反して違憲だとし、「選挙制度に欠陥があっても、国会に修復を期待することには無理がある。正常な民主政の過程を回復するのは司法の役割」と厳しい反対意見を示した。

たとえ少数の意見でも、のちに多数派になることもある。民法婚外子相続分差別の規定を巡る訴訟では、2003年と2004年に合憲とした二つの判決で、反対意見を出した泉氏。退官後の13年、最高裁大法廷は初めて違憲と判断し、法改正につながった。「少数の意見があることで、全体の議論や判決の質が高まる。反対意見はむだではない」

◆今回の対象は最高裁長官ら6人

今回の国民審査で対象になるのは今崎幸彦長官ら6人。神戸大の木下昌彦教授(憲法学)は、個別意見などを通じて「選挙で争点になりにくい憲法上の権利、特に少数者の保護について、裁判官の姿勢を判断できる」と話す。最高裁では数年以内に、同性婚を認めない現行制度の違憲性を判断すると見られる。過去に性的少数者の権利を扱う訴訟に関わった裁判官であれば、判決や意見から考え方を推察できるという。

前回の国民審査では、夫婦別姓を認めない法規定を合憲と判断した裁判官の罷免を呼びかける運動がインターネット上で広がり、対象裁判官の×の比率が高くなる傾向が見られた。

先の西川教授は、制度活性化には、最高裁裁判官の動画作成など広報手段の刷新や、投票手段を「×、○、棄権」の3択にして投票意識を高めるような改革が必要と説く。さらに夫婦別姓のように、特定の論点について有権者に判断材料が提供されることも有効とみる。「民意を意識した司法判断につながりうるだけに、国民の目を意識させることは重要。最高裁裁判官は決して孤高の存在ではない」

◆デスクメモ

ドラマ「虎に翼」で松山ケンイチ氏演ずる最高裁長官は「裁判官は孤高でなければならぬ」とエラそうだった。だが裁判官も人間。間違いも起こしうる。国民審査に際し、もっと判断材料が与えられていい。国民の側も司法の健全性を守る大切な権利だという意識を強くすべきだろう。(北)