枯蟷螂 632 長谷川等伯 (original) (raw)
朝、雨が降っていたのでランは休みました。嫁さんは会社と島で一緒だった友と、日展を見に行きました。
632 長谷川等伯(トウハク;1539〜1610)
安土桃山から江戸時代の絵師。能登国・七尾の生まれで、20代の頃から日蓮宗関係の仏画や肖像画を描いていたが1571年頃に上洛した。最初は当時の主流だった狩野派の狩野松栄の門で学ぶもののすぐに辞め、千利休や日通らと交流を結んだ。千利休や豊臣秀吉らに重用され、狩野派を脅かすほどの絵師となり、長谷川派も狩野派と対抗する存在となり独自の画風を確立した。1591年に利休が切腹し、1593年に跡継ぎと見込んでいた久蔵に先立たれるという不幸を乗り越えて描かれた代表作『松林図屏風』は日本水墨画の最高傑作として名高い。晩年には自らを「雪舟五代」と称している。代表作は他に『祥雲寺障壁画』、『竹林猿猴図屏風』などがあり、画論に日通が筆録した『等伯画説』がある。
「松林図に枯蟷螂はいないか 長谷川等伯 に 端遊」
枯蟷螂(カレトウロウ)が11月の季語です。初冬草木が枯れると、蟷螂も枯葉色になります。枯枝にじっと止まっている姿はわびしく、幽玄な松林図にピッタリと思うのですが・・・晩年、ある人が「じかに虎を見た人ほど上手に虎を描く者はいない」と述べると、等伯は「実際に見た見ないは絵の上手下手とは関係ない」と反論したそうです。
習字は、「松林図」はスッキリと、「に枯蟷螂」は弱く、「はいないか」はサラリと、というつもりで書きました。