もう理由なんかなくていいの (original) (raw)

母からはたまに姉との3人のグループにLINEが来ますが、私や姉は立ち入った話は母としたくないので、天気やテレビ番組など当たり障りのない話を気が向いた時だけ返しています。

時々、母だけが隙あらば自分語りをしています。そのうち終わるし、返信の強要はないし私に何の実害もないから、語る分には別にどうぞご自由になんです。

ただ、あの母のことです。やはり言わなくてもいいひと言ふた言が多いんですよね。

自分語りをする時、最近の母はやたらと前向きに未来のことを!みたいな感じなんです。それも別にご勝手になんですけど、うっとうしいのが、そのポジティブ語りに勝手に他人も巻き込んでくるんです。

またそのネタが毎回同じ。

「たりは夢の1人暮らしで幸せ」「お姉ちゃんはきちんとしたお家に嫁いで、お金の苦労もなく幸せ」。だから色々あったけど、みんな幸せに丸くおさまったよね!みたいに言いたいんだと思います。

確かに私も姉も大きなトラブルもなく、概ね良好の人生だと他人からは見えるのだと思います。

でも、その陰で私はこんなブログに怒りや悲しみ、辛さを書いても書ききれないくらい、やはりまだ癒えない傷がある訳です。

その傷と何とか折り合いをつけて、そこそこうまくやっているように見せているだけです。

それなのに「みんな何だかんだ幸せ♪」と、私の傷の原因を一番作った母が巻き込もうとしてくるのが、本当に腹が立って。

これまでも『母さんのこれにて一件落着♪みんな幸せ♪みたいなノリに勝手に私も入れないでね』『私が一件落着かどうか、今幸せかどうかは私が決めることやから』とも、何度も言っています。

すると、そう言う私に向かって母は「今幸せなのに、わざわざ辛い過去を思い出して幸せを認めないことに意固地になっているのではないか」といった趣旨の言葉を吐きます。

このブログは大人げないし、過去をこれでもかとほじくり返して、みっともないのも百も承知で運営をしています。私の性格上、絡まった糸は一つひとつ、気の済むまでほどいて行く方が回復への近道なんだと分かったから、自分に合った方法(=過去をこれでもかとほじくり返すこと)で自分と向き合っている訳です。

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もちろんそれを母が理解できるとは思っていないし、知ってもいりません。だから私は母に自分から過去の話はしないし、それ故天気やテレビ番組の内容のうっすいネタで距離を取っているのに、回復中の私の心に土足で入って来ては「はいはいもうみんな幸せ!回復したね!」と無理やり肩組んでくるみたいなね…そういうデリカシーのなさ、大嫌いです。

母の頭の中では、ポジティブとか前向きな今の自分が「正」なんでしょうね。

では、私はネガティブか?と言えばそうではありません。過去をこれでもかとほじくり返すという一見ネガティブなことが、私にとってはポジティブなことなのです。

その違いが、あの母の頭の出来では理解できないのでしょう。いつまでもうじうじと、後ろばかり見て、しつこい!としか捉えられないのです。

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だから、何度『言うのやめて』と言ってもやめない。

自分がいつだって正しい。今で言うと「目に見えて前向きでポジティブなこと言うお母さん」が大正解。

たとえ前向きなニュアンスの言動であっても、人を傷つけるかもしれないという想像すらできないのです。

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母の異常なまでの二極化思考が生む、人としての大きな欠陥だと思います。

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スターありがとうございます。

前の記事で、適切な励ましの言葉掛けをされなかった自分の性分に関する弊害を書きましたが

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またそれと似た気持ちになったことがありました。

少し前に、あるタレントが体調を崩し一時休養するニュースが流れました。

SNSではたくさんのメッセージが溢れ、あたたかいなと思って見ていました。

ただその中に、渋谷かどこかの大型ビジョンでタレント宛ての激励メッセージを流したとか、健康にご利益のある神社に参って絵馬を書いてきたとか…そういう投稿もいくつかありました。もちろん、動画や写真付きで。

心配しているのも、本当に好きじゃないとここまでしないのも百も承知ですが、そういう一部投稿が、タレントへの重荷にならないかな?と感じたことも事実で。

もちろん、私がだいぶ穿った捉え方をしている自覚はあります。

でも「励まされる」類の声掛けを、基本的にはされないか、されたとしても「もっと頑張らんかい」「何でアンタはできへんのや」が母の言葉の中には隠れており、責められているような感覚にしかならない、そんな中育ってきた私には、こういう部分がどうしてもあるのです。

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早くよくなってねという類のワードも時と場合によってはきつい時もあります。

私がそういう性分なだけですが、体調を崩すと体調を崩している(=回復できていない)今はダメなんだ…と自分を責めがちです。

回復とか、以前の状態に戻ることを「正」として他者からも言われることは、時に残酷です。

休養するタレントの、育った環境も今の心身の状態も私にはわかりません。

人からの声掛けも重荷と思わず捉えられる精神状態であるとか、単なるケガや身体的な不調で、完治が目に見えて分かるものなら私の心配は取り越し苦労でしょう。

ただ、もしメンタル面での不調なら、激励がプレッシャーになる場合もあるかもしれない。それであればせめて、大型ビジョンだとか絵馬だとかは、やるなとは言いませんが、写真掲載までしなくとも、自己満足にとどめておこうとか、そういう気持ちにはならなかったのかなぁと。

もしそのタレントの心がものすごく弱っていたら、「こんなにやってくれるファンがいるのに…(自分は何てだめな人間)」と自分を責める原因になりかねない。そう思ったのです。

でもきっと、大半の人は「わぁ!自分のためにこんなにしてくれている!」と、額面通りに受け取れるんだろうな…。

あと、これは少し話が逸れますが、SNSに上げることで、己の承認欲求を満たしている人も一定数いるのではないのか?とも感じました。「タレントへの愛が、自分をここまでさせるの!」を知らしめて自身のアイデンティティを確立しようとしているなら「推しの体調不良を承認欲求を満たすネタにするな」です。

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大型ビジョンなんて、一般的にはお誕生日とかおめでたいことを載せるのにふさわしいものじゃないのかな。はっきり言って、私がタレントの立場なら、あのような激励方法イヤだな~…体調不良はイベントじゃないぞ…(個人的な意見です)

激励自体を否定する気は毛頭ないですよ。「やり方」と「目的」の話です。

純粋に良くなってほしくてやったなら、ビジョンも絵馬も個人的にやって、SNSに載せなくてもいいんじゃない?と個人的には思うんですが。

タレントの心が「早く治さなきゃ」というプレッシャーで潰されてないことを切に願います。

スターありがとうございます。

結構前の話ですが、友達にある相談をされました。

相談してきた友達は、知ってる人の中では特に裕福であたたかい家庭に育ったと思っていて、この人の朗らかな生き方、参考にしようといつも感じている子です。

その友達が相当沈んでいる様子で、話を聞くとなかなかヘビーな内容でした。

その友達には仲良しの同僚がいるのですが、その同僚のパートナーが自○したらしいのです。

同僚にどう接したらいいか…心配で…という相談でした。

私は近しい人が自○した経験はありません。

おまけに家では励まされるとか心配されるということが本当に少なかった上に、落ち込んだりくよくよしていたら母に怒られたので、この相談を持ち掛けられた時、適切な声掛けができる自信がありませんでした。

実際、若い頃友人を事故でなくした彼氏に変な声掛けをして怒らせたこともあります。

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友達の同僚のパートナーは自宅で1人になった、ほんの少しの間に亡くなっていたそうです。

聞けば聞くほど、想像を絶する内容でしたが、ひとつどうしても気になったことがあります。その同僚の様子を聞いても、友達の意見を聞いてても「あの時こうしていれば(自○を)きっと止めれていた」という、物理的な後悔ばかりにフォーカスしている感じがしたのです。

「あの時一緒にいたら」誰もが思うことでしょう。でも、そこでたった1回、先延ばしにできたからと言って、本当の意味で「救えた」とは、言えないよね…と私は思っていました。

パートナーの顔色とか言動とか、そういう変化に気が付けなかったことへの後悔が、あまりにも無くない?って感じたんです。こんなにヘビーな相談を受けている割に、気にするところそこばっかり?と拍子抜けした感じ。

家にさえ居たら、早く帰ってさえいたら=救えてたみたいに言うのは、烏滸がましいのではないか…?

こんなことを思うのは、私がひねくれているから?

健全に育ち自己肯定感の高い人はそう思うのかな…「助けてあげられたのに」って。

自分には人を救える力があると思うからそんなセリフが出るのかな。

そんなことばかりが頭をぐるぐる。

日の当たる部分しか知らない人は、その裏の日陰の部分のことなど想像もつかないのだろうな、と芸能人が自○した時に感じた時と同じ気持ちになりました。

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逆に、話を聞いていると亡くなった側の人間の気持ちが痛いほどわかったけど(あ、パートナーは同僚のその一言にグサッと来たんちゃうかなとか、そういう言い方まずかったんちゃうかなとか)それを口にする権利は私にはないし(ただの憶測なので)苦労して育ってきたから気持ち分かるんだよねと、不幸自慢をするように捉えられても嫌だし…と思い発言は控えましたが。

友達には私の育ちのことも正直に話しているから、前もって『適切なことが言える自信がない』とはことわっておいたし、話を聞いてもらったということで彼女の心も幾分か軽くなったかな…と言い聞かせながら帰りましたが、未だにモヤモヤしていることです。

スターありがとうございます!!