万葉集の世界に飛び込もう(その2635)―書籍掲載歌を中軸に(Ⅱ)― (original) (raw)
●歌は、「采女の袖吹き返す明日香風都を遠みいたづらに吹く(志貴皇子 1-51)」である。
【飛鳥古都】
「志貴皇子(巻一‐五一)(歌は省略)・・・左の写真は、飛鳥川のほとりの甘樫丘(あまがしのおか)の山頂(一四七メートル)に立って、東方を展望したところで、まさに飛鳥の中心部にあたる。」(「万葉の旅 上 大和」 犬養 孝 著 平凡社ライブラリーより)と書き始められており、飛鳥浄御原宮、飛鳥小学校、飛鳥寺の安居院、鳥形山、雷(いかずち)丘、飛鳥坐神社、大原、音羽山、多武峰、八釣(やつり)山等について写真を中心に説明が記されている。
地名など、下記の「犬養孝揮毫万葉歌碑マップ(明日香村) (犬養万葉記念館発行)」を参考にしていただければと思います。
「犬養孝揮毫万葉歌碑マップ(明日香村)」(犬養万葉記念館発行)より引用させていただきました。
五一歌をみてみよう。
■巻一 五一歌■
題詞は、「従明日香宮遷居藤原宮之後志貴皇子御作歌」<明日香(あすか)の宮(みや)より藤原の宮に遷(うつ)りし後に、志貴皇子(しきのみこ)の作らす歌>である。
(注)遷りし後:持統八年十二月、遷都の直後であろう。(伊藤脚注)
◆婇女乃 袖吹反 明日香風 京都乎遠見 無用尓布久
(志貴皇子 巻一 五一)
≪書き下し≫采女(うねめ)の袖吹きかへす明日香風(あすかかぜ)都を遠(とほ)みうたづらに吹く
(訳)采女の袖をあでやかに吹きかえす明日香風、その風も、都が遠のいて今はただ空(むな)しく吹いている。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)
(注)うねめ【采女】:古代以来、天皇のそば近く仕えて食事の世話などの雑事に携わった、後宮(こうきゆう)の女官。諸国の郡(こおり)の次官以上の娘のうちから、容姿の美しい者が選ばれた。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)
(注)袖吹きかへす:今吹く無聊の風に、采女の袖を翻した過去の風を想い見た表現。(伊藤脚注)
この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その155改)」で明日香村甘樫丘中腹万葉歌碑とともに紹介している。
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奈良県高市郡明日香村甘樫丘中腹万葉歌碑(志貴皇子 1-51) 20190705撮影
志貴皇子の歌といえば、巻八の巻頭歌一四一八歌である。こちらもみてみよう。
葉集巻八の巻頭歌である。
■巻八 一四一八歌■
題詞は、「志貴皇子懽御歌一首」<志貴皇子(しきのみこ)の懽(よろこび)の御歌一首>である。
◆石激 垂見之上野 左和良妣乃 毛要出春尓 成来鴨
(志貴皇子 巻八 一四一八)
≪書き下し≫石走(いはばし)る垂水(たるみ)の上(うえ)のさわらびの萌(も)え出(い)づる春になりにけるかも
(訳)岩にぶつかって水しぶきをあげる滝のほとりのさわらびが、むくむくと芽を出す春になった、ああ(「万葉集 二」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)
この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その28改)」で、田原西陵前万葉歌碑とともに紹介している。
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奈良市矢田原町 田原西陵前万葉歌碑(志貴皇子 8-1418) 20100320撮影
田原西陵 20100320撮影
光仁天皇の田原東陵については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1091)」で紹介している。
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光仁天皇田原東陵 20210427撮影
志貴皇子の六首については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1216)で紹介している。
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(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「万葉の旅 上 大和」 犬養 孝 著 (平凡社ライブラリー)
★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」
★「犬養孝揮毫万葉歌碑マップ(明日香村)」 (犬養万葉記念館発行)