万葉歌碑を訪ねて(その155)―奈良県高市郡明日香村 甘樫丘中腹―巻一 五一 (original) (raw)
●歌は、「采女の袖吹き返す明日香風都を遠みいたづらに吹く」である。
明日香村甘樫丘中腹万葉歌碑(志貴皇子)中腹からの遠望
明日香村万葉歌碑めぐり2回目である。2回目となるとそれなりに土地勘が生まれて来る。「犬養孝揮毫万葉歌碑マップ(明日香村)」を見ながら計画を練る。トップバッターは、甘樫丘中腹の志貴皇子の歌碑である。マップにある飛鳥川川沿い3箇所の歌碑を探すべく、あすか楽市に車を止めて、甘樫橋から丘中腹の歌碑をめぐり雷橋まで歩き、甘樫橋まで戻る計画である。
「甘樫丘展望台」を目印にすすむ。丘入口付近に茶店のようなたたずまいの店があった。しばらく行くと「マムシ注意」の看板が。驚かされる。地形や植物の状態からみて、マムシがいてもおかしくない環境である。
「マムシに注意!」の看板
結構上りのカーブが続く。歌碑めぐりも体力勝負である。
甘樫丘中腹までのきつい坂道
●歌をみていこう。
◆婇女乃 袖吹反 明日香風 京都乎遠見 無用尓布久
(志貴皇子 巻一 五一)
≪書き下し≫采女(うねめ)の袖吹きかへす明日香風(あすかかぜ)都を遠(とほ)みうたづらに吹く
(訳)采女の袖をあでやかに吹きかえす明日香風、その風も、都が遠のいて今はただ空(むな)しく吹いている。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)
(注)うねめ【采女】:古代以来、天皇のそば近く仕えて食事の世話などの雑事に携わった、後宮(こうきゆう)の女官。諸国の郡(こおり)の次官以上の娘のうちから、容姿の美しい者が選ばれた
志貴皇子は、天智天皇の皇子。天智天皇と采女「越道君伊羅都売」との間の子という。「越道君伊羅都売」は「こしのみちのきみのいらつめ」と読めば、北陸の豪族の娘となるが、「おちのみちのきみのいらつめ」と読めば、四国伊予の国越智(おち)郡の豪族の娘となるが未詳だそうである。
題詞は、「従明日香宮遷居藤原宮之後志貴皇子御作歌」<明日香(あすか)の宮(みや)より藤原の宮に遷(うつ)りし後に、志貴皇子(しきのみこ)の作らす歌>である。
五一三歌以外はこれまでのブログで紹介しているのでそちらを参考にしていただければと思います。ここでは五一三歌の紹介にとどめます。
◆大原之 此市柴乃 何時鹿跡 吾念妹尓 今夜相有香裳
(志貴皇子 巻四 五一三)
≪書き下し≫大原のこのいち柴のいつしかと我(あ)が思ふ妹(いも)に今夜(こよひ)逢えるかも
(訳)大原のこの茂りに茂ったいち柴ではないが、いつ逢えるか何とか早くと思いつづけていたあなたに、今夜という今夜はとうとう逢うことができました。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)
(注)「いち柴(しば)」「いつしか」は類音
以下、書き下しとブログナンバーを書いておきます。
◆葦辺(あしべ)行く鴨(かも)の羽交(はが)ひに霜(しも)降(ふ)りて寒き夕(ゆふへ)は大和(やまと)し思ほゆ(巻一 六四)
これについてはブログ拙稿(万葉歌碑を訪ねて―その28―)で紹介している。
◆むささびは木末(こぬれ)求(もと)むとあしひきの山のさつ男(を)にあひにけるかも(巻三 二六七)
この歌碑は、奈良市田原春日野町奈良県ヘリポート東にある。これについてはブログ拙稿(万葉歌碑を訪ねて―その29―)で紹介している。
◆石走(いはばし)る垂水(たるみ)の上(うへ)のさわらびの萌(も)え出(い)づる春になりにけるかも(巻八 一四一八)
この歌碑は、奈良市矢田原町田原西陵前にある。これについてはブログ拙稿(万葉歌碑を訪ねて―その28―)で紹介している。
◆神(かむ)なびの石瀬(いはせ)の杜(もり)の時鳥(ほととぎす)毛無(けなし)の岡にいつか来鳴かむ(巻八 一四六六)
これについてはブログ拙稿(万葉歌碑を訪ねて―その29―)で紹介している。
(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「万葉の人びと」 犬養 孝 著 (新潮文庫)
★「犬養孝揮毫万葉歌碑マップ(明日香村)」
★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」
●本日のザ・モーニングセット&フルーツフルデザート
サンドイッチは、サンチュとトマトそして焼き豚である。三角形と長方形に切り分けた。デザートは、グレープフルーツ(ルビー)の久々の登場である。結構大きなグレープフルーツである。まん中に2房並べる。存在感抜群である。中央にバナナのスライスを置きトンプソンとクリムゾンシードレスの切合わせを据える。周りにもバナナとトンプソンとクリムゾンシードレスで加飾した。
8月4日のフルーツフルデザート
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