万葉集の世界に飛び込もう(その2670)―書籍掲載歌を中軸に(Ⅱ)― (original) (raw)

●歌は、「滝の上の三船の山に居る雲の常にあらむと我が思はなくに(弓削皇子 3-242)」である。

【三船の山】

弓削皇子(巻三‐二四二) 宮滝の岩場の、かつて激湍をなしていたところの、南側、上方にある山が、『三船(みふね)の山』である。船形をしているので御船(みふね)山(四八七メートル)とよばれ、また船岡山ともいわれる。西側は喜佐(きさ)谷をはさんで象山(きさやま)と対しており、宮地からは東南に高く仰がれる山である。それだけに吉野宮に来た人たちには川をへだてて朝夕に親しまれていた山だ。作者の弓削皇子は天武の皇子で母は大江皇女(天智の皇女)、長(なが)皇子の弟にあたり、病弱の人であったらしい。作歌年代はいつのことともわからない。・・・『その雲のようにいつまでも変わることなく生きているものとは思わないことだ』と、御船山の大自然の実景を見あげつつ、見あげるほどにわが人生の無常の思いのしみじみわき起る感慨を四・五句にうち出している。・・・川べりにいると、大きな山容がのしかかってくるようで、大自然の威圧さえ感ずる。

弓削皇子が持統朝の行幸に従ったある夏の日、都にいる額田(ぬかだ)王に贈った歌に、(巻二‐一一一)(歌は省略)がある。おりからの鳥の声に託して父君天武の在世の日をよみがえらせ、さまざまの運命の波を泳ぎぬいて今は老年に近い思い出に生きる人、額田王にあたたかい同情をよせている歌だ。」(「万葉の旅 上 大和」 犬養 孝 著 平凡社ライブラリーより)

巻三 二四二歌をみていこう。

■巻三 二四二歌■

題詞は、「弓削皇子遊吉野時御歌一首」<弓削皇子、吉野に遊(いでま)す時の御歌一首>である。

(注)吉野:奈良県吉野郡吉野町の宮滝付近。(伊藤脚注)

◆瀧上之 三船乃山尓 居雲乃 常将有等 和我不念久尓

弓削皇子 巻三 二四二)

≪書き下し≫滝の上の三船(みふね)の山に居(ゐ)る雲の常にあらむと我(わ)が思(おも)はなくに

(訳)吉野川の激流の上の三船の山にいつもかかっている雲のように、いつまでも生きられるようなどとは、私は思ってもいないのだが。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)

(注)上三句は実景の序。「常にあらむ」を起す。(伊藤脚注)

(注)三船山(みふねやま):奈良県:吉野郡吉野町菜摘村三船山 [現在地名]吉野町大字菜摘 吉野川を隔てて宮滝みやたきの東南にある山。標高四八七メートル。西側は喜佐谷きさだにを挟んで象(きさ)山と対する。船形の山。「大和志」は「御船山」として出し、「在菜摘村東南望之如船坂甚険」と記す。(コトバンク 平凡社「日本歴史地名大系」)

(注)ゐる 【居る】自動詞:①座る。腰をおろす。座っている。②動かないでいる。じっとしている。とまる。③とどまる。滞在する。居つく。④ある地位に就く。就任する。⑤おさまる。静まる。静かになる。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)ここでは③の意

この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1041)」で、額田王との贈答歌(一一一~一一三歌)とともに紹介している。

tom101010.hatenablog.com

前稿で、宮滝遺跡周辺の地図を作成している時に、下記の「万葉集歌碑・弓削皇子」の文字が飛び込んできた。2020年9月24日に吉野町HPの「万葉集の世界」を中心に計画を立て歌碑巡りを行ったのであるが、この「万葉集歌碑・弓削皇子」はノーチェックであり計画に組み込んではいなかった。

一つまた課題が浮かび上がってきた。機会をみて再度挑戦したいものである。

グーグルマップより引用させていただきました。

グーグルマップより引用させていただきました。

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉の旅 上 大和」 犬養 孝 著 (平凡社ライブラリー

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「コトバンク 平凡社 日本歴史地名大系」

★「吉野町HP」