わがトキメキのP-MODEL♪ (original) (raw)
生井秀樹第2回写真展
"1970年代後半のP-MODEL&Techno"
~生井が40年並走した平沢進の原点〜
の会場に、、、
✨平沢you1✨氏 降臨❗️❗️❗️
【追記】会場のルール上、展示写真の至近距離での撮影が出来なかった事をご理解くださいませ🙇
#平沢you1 #平沢裕一 #yuichihirasawa
#生井秀樹 #hidekinamai #高円寺orientalforce
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みなさんは、P-MODELと松田聖子が1979年デビューの同期の桜であるという事をご存知でしたでしょうか😏☝️
1980年4月1日の歌手デビューから遡る事5ヶ月、1979年11月5日放送開始の"おだいじに"というTVドラマで、まずは俳優として芸能界デビューしていた松田聖子さん✨✨✨
何ら接点のない両者ではありますが、ある時期、平沢さんが自身のフェイバリットアーティストとして聖子さんの名前を堂々とメディアに挙げていた事がありました。確か1983年から84年にかけてでしたかね。
当時、ガチガチのP-MODELフリークだった私達からしたら、その突拍子もない告白に最初は何かのネタのつもりなのかな…などと困惑した気持ちになりましたが、その時期の様々な記事や関係者の証言によると、ウォークマンやら移動中のカーステやらで、平沢さん、ガッツリ聖子ちゃんを聴いてらしたそうなんです、ホントに。
中でも1981年リリースの"風立ちぬ"にゾッコンであったとか💗
そういえば、SCUBA収録のBOATのサビのコーラス部分が、セイコー、セイコーって聴こえて和む…っていうファンの声もありましたねぇ(笑)
平沢さんは、特に聖子さんの歌唱スタイルに惹かれ、強く影響を受けてたみたいなんですよね。 伸びがあり、母音をしゃくりあげるような歌い方…と表現される特徴的な、いわゆる聖子唱法。
歌詞修正版“アトムシベリア”にて実はその影響を実践していると、ご本人の口から語られた事もありましたっけ😉
つまりはこの時期、平沢さんはESP(超心理学…)と共に松田聖子にもハマっていて、5thアルバム"アナザーゲーム"制作に於いて、それらの有用エッセンスをも取り込み、問題作として見事に昇華させたという事なのでありましょう。
それが証拠に、1983年発刊のBoomというサブカル雑誌には、自らが編み出した松田聖子を使っての、ESP音楽生体実験の方法…名付けて、、、
"高原・聖子リゾート・松田フィードバック方式"…
なるものも披露されており、いかにこの時期、平沢さんにとって聖子さんが、癒しとリラックスの象徴として必要であったのかが窺えますよね😊
#松田聖子 #聖子唱法 #ESP #同期の桜
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【馬骨の輪 その⑦】
各業界に潜む、隠れP-MODEL/平沢進フリークを暴くシリーズの第7弾をお届けします😎
スポーツの中継には実況解説がつきものですが、解説者のトークが面白いと、番組が更に充実したものになりますよね〜🙌
私はCSでプロレス中継もよく観てるんですけど、中でも鈴木健さんと須山浩継さんの解説がホンマに大好きで、毎回必ず録画してリピート視聴するほどなんです👍
鈴木健さん… いや、ペンネームだと、鈴木 健.txtさん。いやいや、ここは親しみを込めて、健さんと呼ばせていただこうかと思います。
だってね、健さんも私たちとお仲間の、、、
"馬骨"なんですもの〜♪🅿️♪
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元週刊プロレス編集次長で、現在はフリーのライターとしてや、番組解説者、イベントMCなどで大活躍中の健さんが、P-MODELフリークであるという事はもう随分前からSNSを通じて知ってはいたんですが、つい先日、その辺りについてじっくりお話しを伺う機会に恵まれましたので、健さんのこれまでの輝かしき馬骨遍歴を、時系列に紹介させていただこうと思います🙇
〚亀有出身〛
何と健さんは平沢さんと同じ、葛飾区亀有のご出身! "たまたま"ながら、家と家とも極めて近い距離だったらしい😲
〚YMOでライブ初体験〛
中学生の時、テクノポップブームの頂点であったYMOにハマり、1980年12月の武道館4daysライブの初日を観覧。これが生まれて初めてのコンサート体験だったそうで、高校に進学してからはプラスチックスも聴くようになったとの事。
〚偶然のBITMAP〛
1992年9月3日の誕生日に奥さまがプレゼントとして買ってきたVHSの音楽ソフト📼… テクノ好きな健さんを喜ばせようとの一心で用意したそのビデオは、何と1日前にリリースされたばかりだった、P-MODELの"BITMAP"!
だ、だがしかし、、、
実は奥さま、このビデオがてっきりプラスチックスのモノだと思い込み、間違えて買ってしまっていたのです…😅
"P"しか合ってないやん🫱…と、そのときツッコミを入れたかどうかは伺ってないものの、元来のテクノ好きゆえ、P-MODELの名前くらいは知っていたし、職業柄、パワーホールの作者が平沢進だという事ももちろん把握してたという健さんが徐ろにそのビデオをデッキにかけてみたところ、解凍P-のライブシーンに映っていた、ことぶき光のシンセサイザーが頭上高く、タテにセットされているステージングにどハマリしてしまい、まずは楽曲とかよりも、ありえないステージ装置の見映えに心奪われ、"たまたま"なきっかけからではあったものの、マッハで解凍P-に堕ちていったとの事💗
それから初期P-の音源なども後追いで聴いて、全て生演奏の頃のパンキッシュなP-も自分の好みに合い、めでたく完堕ちとなった次第。
〚再びの密航〛
健さんのWikipediaによると、かつて第2次UWFのファンとして、旗揚げ第2戦を観るため鈍行列車に乗ってはるばる札幌市まで観戦にいった事があったらしく、当時はそういった何処へでも遠征する熱烈なUファンの事を"密航者"と呼んでいたんですが、Pファンに堕ちてからも、92年末の渋谷クアトロでのライブ"能率の予感"を初体験したのち、もう観に行けるだけ行ってやろうの精神で、翌93年春の"big body TOUR"大阪公演にも向かう準備をしていたところ、当日の週プロの仕事が延びて新幹線に1本乗り遅れ、急遽飛行機にとび乗って会場のメルパルクホールへの密航を無事成功させた事があったとか。
〚サイト管理人〛
P-MODELの当時の所属事務所、アイスリープロモーションが、パソコン通信PEOPLEに、ヒラサワサイバーバイパスというフォーラムを立ち上げた際に、"たまたま"知り合いを通じて、その管理人を任されていたとの事。熱心なP-MODELファンが集まる、今でいうオンラインサロンのような趣のもので、オンライントークには時折り当時のメンバー、小西さん、福間さんも入ってきてくれていたそうな。いい時代やったんやなぁ…😏
〚コピーバンド大会出場〛
前述のパソコン通信で知り合ったP-MANIAの人たちとバンドを組み、P-のコピバン大会にも出場したとの事。似非モデルという名の4人組で、健さんの担当はベース。その際、コピバン大会常連の実力派バンド、ツイフォニウムとも共演をしたらしい。
似非モデル LIVEリポートhttps://ameblo.jp/kensuzukitxt/entry-12467358754.html
〚P-MODELメンバーにインタビュー〛
1999年、改訂P-が札幌にベッシーホールでのライブのプロモーションに来た際に、週プロの取材にかこつけて現地に飛び、札幌のタウン誌に載せるインタビューを当時のメンバー、平沢、小西、福間の各氏に敢行!
その際の平沢さんの印象として、イメージ通りの人で、何を訊いてもすぐ答えが返ってくる頭の回転の良さに敬服したとの事。
そののち、発刊を知った全国のP-MANIAから入手したいとの連絡が殺到したらしい。
(さっぽろたうん情報1999年12月号に掲載)
現在、当時の記事が健さんのブログに転載されていて読む事が可能ですので、そのURLを貼っておきます。
https://ameblo.jp/kensuzukitxt/entry-12467358685.html
〚NHKの平沢特集番組に出演〛
2001年、平沢さんが太陽電池で溜めた電気でライブを行った"Hirasawa Energy Works - Solar Live LIVE SOLAR RAY"を筑波まで観に行かれた際に、NHKの特集番組のナビゲーターとして知り合いの加藤賢崇さんも来られていて、その場でライブの感想を求められ、自家発電をしながらライブを行う平沢さんを「本当の意味でのクラフトワーク(発電所の意)になった」と称すと、後日に番組エンディングでその時の映像が流され驚いたとの事。その模様は現在でもYouTubeやニコニコ動画を漁ると見られるそうです。またこの時、一緒に観に行かれていた元ユニオンプロレス代表のナオミ・スーザンさんもバッチシ映っているとか✨✨
〚インタラクティブ ライブをリポート〛
2022年3月開催の、現時点においては最新のインタラクティブ ライブとなる"ZCON"のリポートをオファーされ、仕事として初めてライブリポートを執筆。公演から2年以上経過しているにも拘らず、今もサイトの人気記事ランキングで1位になるほど長きに亘って閲覧されており、媒体関係者も平沢さんの支持率に改めて驚いたそうな。
ウレぴあ総研
平沢進が提示した"思考のためのライブ"
https://ure.pia.co.jp/articles/-/1385024
〚テクノな余興ライブ〛
キーボード演奏にも長けている健さんは、現在ご自身が関わるプロレスラーのトークイベント等の際にもシンセを持ち込み、イベント開始前に黙々と余興演奏を行って、馬骨仲間を増やすべく会場をテクノな空間へと誘なってらっしゃいます♪♪
私は初めてその姿を観た時、こう思いました…
『こ、この人、本気やぞ、、、、、、』
さらに、リングパレスという、かつて札幌にあったプロレスショップの元スタッフだったYMOフリークのマサ川島さんと、"TECHNO PALACE"なるユニットを組んで、P-MODEL、YMO、クラフトワーク、TM NETWORKなどのコピーやプロレスラーの入場曲をレパートリーに、新宿歌舞伎町にある地下闘技場にて入場無料の余興ライブを不定期に開催されています♪
さて、以上が健さんのP-MODELやテクノポップとの、羨ましくも欲ばりな関わりの遍歴だった訳ですが、まだこの他にも"たまたま"なエピソードが多数あり、例えばP-がよく昔にライブを行っていた京大西部講堂や目黒鹿鳴館にはプロレス関係の取材で行った事があったり、高校生の時に最初に買ったシンセがP-MODELも使っていたPolysixだったり、誕生日(歳は健さんが2つ下)が上領さんと同じだったり、週プロで働き出した年にP-が凍結してたり…etc.
「とにかく解凍P-が好きでした。出会ってから活動休止まで1年ほどしかなかったけど、その間に行けるだけ行きましたよ、ライブには。1993年6月21日の渋公にも行って大満足で会場を出たら、出口でチラシが配られてて、それを読むと例のアナグラムによるメンバーチェンジと活動休止の告知が…💧
何という形でこんなショッキングなことを発表するのかって思ってショックでショックで… 古いファンにとってメンバーチェンジは毎度のことだったらしいですけど、僕はそのメンバーで活動が続くとばかりに思っていたので…
その次の10月11日の野音のラストライブは、当時のステージ衣装で平沢さんが胸につけていた黄色い四角のバッヂ(Nsetn Oirao Ivookと入ったもの)をアクリル板で自作し、黒い服につけて観に行きました。
翌年末からの改訂P-も新メンバーが知りたくて一発目の大阪まで密航しました。でも解凍P-から入った自分としては、やっぱりあの時のメンバーがP-MODELそのものだし、どれか一枚アルバムを選べと言われたら"P-MODEL"。 曲だったら"SPEED TUBE"になるんですよね。
平沢さんのライブはもちろん毎回観に行ってますし、上領さんがやっているNeo Balladも応援しているんですが、今年の7月、秋山さんのソロライブを初めて観に行きましてね。秋山さんを生で観るのは解凍P-のラストライブ以来30年以上ぶりで、GO AMIGOとかも聴けて『秋山さん、音楽活動を続けてくれてありがとう』と言いたくなりました。思えば、P-MODELを聴くようになったのも偶然、亀有に住んでたのも偶然。でも全てが必然だったんでしょうね(笑)」
#鈴木健 #kensuzuki #TECHNOPALACE
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デビューした当時と比べ、1981年から83年までのP-MODELは、そのガラッと変わったサウンドと相まって、どうしても活動が地味になった…と思えてしまう印象だったんです。
雑誌のインタビュー記事ひとつとっても、受けているのはほぼ平沢さんのみ。もちろん雑誌社の責任もある訳なんですが…
そんな中、翌1984年に入ってから事態が一変したんです😲
とにかく今までにない展開に次ぐ展開が巻き起こり、最新の情報を掴むのにひと苦労するほどでした💧
では、その1年間に何が起きてたかをザッと以下にまとめてみます👇
2/12 IKARI ソノシート発売
(P-MODEL another act plan スタート)
2/25 ANOTHER GAME発売
(前年から3度の発売延期を経てようやく💧)
3/10 旬 ソノシート発売
(P-MODEL another act plan vol.2)
(平沢さん参加。ミチロウ氏からのオファー。以前からP-のライブをよく観に来ていたらしい)
6/1 ソノシートマガジン ING,O! No.5発売
(付録ソノシート曲に平沢さん参加)
6/3 横浜国立大学学祭でTHE STALINと最初で最後の共演
(STALINの前に登場したP-は、PUNKS達の帰れコールに対し、1曲目のSolid Airの演奏を途中で止め、さようならっ!と吐き捨てて楽屋へ引っ込んでいった…💢)
8/5 菊池さん脱退
(在籍、80.11/21〜84.8.5)
8/28 横川さん加入
(P-史上初のバイオリン&ベース奏者)
9/15 横浜シェルガーデンでのライブに中野照夫さんがベースで臨時参加
(横川さんが神戸で仕事があり都合がつかなかった為)
10/10 SCUBA発売
(ミチロウ氏がお返し参加。この作品からまたガラッとサウンドが変わる…)
12/1 五十嵐久勝/PUZZLE発売
(平沢さん&横川さん参加。七節男のカバー収録)
12/21&22 新宿ロフトでのライブに翌年から新加入の荒木さんがパーカッションでゲスト参加
12/23 田井中さん脱退
(在籍、79.1/1〜84.12/23)
以上、メンバーチェンジはともかく、何だか一気に活性化してきた感じで、特に各メンバーが関わったP-以外の音源を聴けたり入手できたりする機会が増えたのはスゴく有り難かった😂
さらに翌1985年からはオフィシャルのファンクラブ(モアレクラブ)まで出来ましたからね。当時のマネージャーやスタッフさんの功績も大きかったんじゃないでしょうか。
まあ、どれもこれも、全てなつかしい思い出です✨✨✨
さて、今年の10月10日でSCUBA発売から40周年を迎えました。ホントあっという間ですよねぇ…
当時購入された皆さま、カセットテープはカビてませんか?(笑)
いくらCD化してるからといっても、ブックレットは復刻されてませんからね、大事です😉👌
#SCUBA #40周年
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このブログを読んでくださっている皆さまは、平沢進やP-MODEL以外にどんな音楽がお好きでしょうか?
私は断然、昭和歌謡ですねぇ…😉
国内で、一番最初にテクノポップブームの兆しを感じたのは1979年の後半からであったと記憶しているんですが、それに並行して歌謡曲にテクノポップ風味のアレンジを施した、いわゆる"テクノ歌謡"が音楽シーンにポツポツと現れ始めたのもやはりこの頃からだったように思うんです。
翌1980年のランドセルリリース直前の平沢さんのインタビュー記事を改めて読むと、既にテクノポップブームの終焉を予言されていて、その理由としては、テクノポップというスタイルが商業音楽(歌謡曲等)に浪費され、いずれ風化していくであろうと、、、
次のポプリからガラッとサウンドが変わった事にも納得ですよね😏
それに対し、すっかりひとつの音楽スタイルとして定着していったテクノ歌謡はコンスタントに作られ続け、2000年代に入ってからも再評価が進んで、各社からディスクガイド本が出版されたり、オムニバスのCDシリーズがリリースされたりと、一時期ブームに火がついちゃってました🔥
いま現在も、中野ブロードウェイのレコードショップ・MECANOと、新宿のディスクユニオン昭和歌謡館とを行き来する事に無上の喜びを感じるような上級テクノ歌謡フリークが、きっと全国各地に多数潜んでいるに違いありません(笑)
さて、前述のテクノ歌謡ばかりを集めたオムニバスのCDシリーズの事なんですが、各レコード会社別の全8種類にてコンプリートが完了するものの、何やら大人の事情で発売が見送られたお蔵入り盤があと2つほどあったというウワサが、、😓
あの当時どこかでその情報を掴み、幻の収録曲を極秘メモしておいたモノが出てきたので、このブログにも極秘で書き残しておこうと思います😎
ではまずひとつ目は、日本コロムビア編の全16曲を👇
①ジューシィ・フルーツ「ジェニーはご機嫌ななめ」
②川上さんと長島さん「きたかチョーさん まってたドン」
③竹宏治「舞・舞・舞」
④細川たかし「星屑の街」
⑤高見知佳「くちびるヌード」
⑥河上幸恵+HP25「DO-KI♡DO-KI」
⑦河上幸恵+ツトム「ハートのねじ」
⑧フィルムス「GIRL」
⑨SHI-SHONEN「叛乱-ロマンス-」
⑩比企理恵「想像力少女」
⑪榊原郁恵「ROBOT」
⑫山下久美子「ナチュラル・ハイジャンパー」
⑬フィルムス「CRASH KIDS」
⑭村田有美「きげんなおして、もう」
⑮HERO「チャイナ・ガール」
⑯HARRY「ドリーム・シティ・ネオ・トキオ」(未来警察ウラシマンED)
そしてもうひとつは、日本ビクター編の6曲。
判明している曲数が少ないので企画段階で既にボツになってたのかも知れません…👇
①ツベルクリン「ちょっとマッピー男の子」(ビデオ・ゲーム・グラフィティ)
②クリス「春のめざめ」
③クリス「ミッドナイト・ロックンロール・パーティ」
④CP-02「no・no・baby」
⑤片岡鶴太郎「まるでコメディアン」
⑥ピンク・レディー「ラスト・プリテンダー」
ま、ざっとこんな感じなんです。
改めてこのメモを見てて、テクノ歌謡の代名詞的な榊原郁恵の"ROBOT"を収めた盤が発売されない事を当時ナゾに思っていたのを思い出しました。
もう25年近く前のメモだし、内容の信憑性も含め、これ以上の詳細は一切不明なんですが、この話題にニヤリとしてくださった方がもしおられたなら、ちょっとハッピーっす笑😳
それと、このCDシリーズの徳間ジャパン編には我らがShampooのTonightが何故だか収録されているんですよ〜。
ま、テクノ歌謡っていう定義も曖昧なものですからね、所詮は。貴重な音源のCD化なら大歓迎ってなもんですわ👌
そうそう、Shampooといえば、メンバーの折茂昌美さんが平沢さんと歌詞を共作し、かつて歌謡曲歌手だった島崎和歌子さんに提供した、"アフリカのクリスマス'っていう曲がありましたですよね。
実はあの曲の一番最初のリリース告知って、1990年9/23の日比谷野外音楽堂での平沢さん一派のスペシャルライブ、"ERROR FORCE"での場内アナウンスだったんですよー。
平沢進 meets 歌謡曲の新展開には会場にいた誰もが驚きの声をあげたものです、、😌
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【馬骨の輪 その⑥】
各業界に潜む、隠れP-MODEL/平沢進フリークを暴くシリーズの第6弾をお届けします😎
よく音楽雑誌なんかで、色んなミュージシャンによる、"私のお気に入りレコード10選"…というようなアンケート企画をやったりしますよねー。
かつて"宝島"っていうサブカル本の代名詞のような月刊誌が発刊されてましたが、確か1986年ごろだったかなぁ… ある号で、やはりお気に入りレコードのアンケート企画をやってた事があったんですが、その当時人気絶頂だったザ・ブルーハーツのドラマー、"梶原徹也"さんのチョイスも載せてありましてね、で、それを興味津々に目を通してみたところ、何と選ばれた中にP-MODELのSCUBAが入っていたんです!😲
我々がバンドやそのメンバーに対して抱いていた勝手なイメージからは、ブルーハーツとP-MODELがどうにも結びつかず、初めて読んだ時には疑問と意外でしかありませんでした。
いや、もちろん嬉しくもあったんですけどね😂
で、梶原さんご自身にこの件についてお話しを伺ってみた事があるんです。
「おお〜、P-MODELのSCUBAですかぁ〜! あの作品、ホント大好きなんですよー。特にフィッシュソングが一番好きかな。もちろん1stアルバムとかパンク色が強かった頃のもキライじゃないけど、とにかくスキューバが一番好き。P-MODELはライブも観に行った事ありますよ!」
P-MODELから田中さんが脱退したあと、失意の平沢さんがスピリチュアリティ?な方面に傾き、その後のアナザーゲームからSCUBAへと続く作品世界の中で、もしかしたらそういった"匂い"を無意識的に嗅ぎ取って共感をされたのかも知れませんねぇ…梶原さん。
ま、これも勝手なイメージですけど…
そうそう、さっきブルーハーツとP-MODELには全く結びつきを感じないって書きましたけど、実はひとつ大きな共通点があるんです☝️
P-MODELの1stアルバムとブルーハーツの2ndアルバムのプロデューサーって、実はどちらも元プラスチックスの故佐久間正英さんなんですよー!
ひょっとしたら梶原さん、レコーディングの時に大好きなP-MODELの事を、憧れの佐久間さんに色々尋ねたりしてたかも知れませんね😉
#梶原徹也 #SCUBA #FISH SONG
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Wikipediaによると、ニューウェーブっていう音楽ジャンルが世界で認識され始めたのは1976年からとのこと。
で、何ともうその年には、あのプラスチックスが我が国でも活動を開始してたみたいなんですよねー😲
今年は非常階段やVAMPIRE!が結成から45周年を迎える記念イヤーな訳なんですが、何だか色んなバンドの"結成された年"ってのが一体いつだったのか凄く気になりだしましてね。
それでググってみたり、本で調べたりしてまとめたのが下のリストになるんですわ〜。
新規結成は勿論、現行のバンド名を変更してリニューアルしたケースなんかも一緒くたにして順不同で列挙してあります。
P-MODEL関連は漏れなくピックアップ済っす👌
調べてみると、どうやら1975年から、これまで私が好きで聴いてきた様々なバンドが次々と現れ始めていたようですので、スタートはそこからにして、最後はキリの良い10年後の1985年までに区切ってリストアップをしてみました👇
1975 ムーンライダーズ
シスターM
バッハ・リヴォリューション
1976 プラスチックス
1977 ヒカシュー
突然段ボール
ザ・スタークラブ
DADA
1978 Yellow Magic Orchestra
フリクション
リザード
S-KEN
アーント・サリー
ULTRA BIDE
チャクラ
水玉消防団
メトロ
ピヴィレヌ
1979 P-MODEL
Shampoo
VAMPIRE!
ほぶらきん
INU
非常階段
DIE OWAN
ハルメンズ
NON BAND
ゼルダ
一風堂
コスミック・インベンション
FILMS
スーパーミルク
1980 ザ・スターリン
電動マリオネット
のいづんずり
チフス
EP-4
サンセッツ
イミテーション
TACO
プラチナマスク
チャンス・オペレーション
SPY
ジューシィ・フルーツ
JUKE/19
1981 ラフィンノーズ
少年ナイフ
アマリリス
アレルギー
GAUZE
ヴァージンVS
Wha-ha-ha
ロジックシステム
ゲルニカ
Shi-Shonen
非A
1982 4-D
有頂天
the原爆オナニーズ
ザ・ナース
TPO
みかんむくっ
1983 あぶらだこ
ハナタラシ
COBRA
キャー
赤痢
ローザ・ルクセンブルグ
MENU
ヤプーズ
夢幻会社
エルナディア
ROOM
MUSIC&WORDS
もはや、東京ロッカーズも関西NO WAVEもテクノ御三家も業界ニューウェーブ(笑)もみ〜んなまとめて愛おしゅうございます💗
リストを作ってて気付いたんですが、P-MODELと共にShampooも今年で45周年!
そして来年はバッハ・リヴォリューションが結成から何と半世紀を迎えることとなります!!!
振り返ればこの50年間というのは、我々音楽ファンにとってウキウキワクワクの止まらない、本当に幸せな時代を過ごさせてもらえてたんだなぁ…ってつくづく思いますねぇ…😂
#PMODEL #Shampoo #The Bach Revolution
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