香椎線と勝田線―福岡市内に残る廃線跡―【福岡県内JRローカル線の旅⑧】 (original) (raw)

後日、香椎線篠栗線筑豊本線を回りました。まずは香椎線に乗って石炭路線の廃線跡を歩きます。

(旧志免鉱業所竪坑櫓)

香椎線と勝田線

まずは香椎駅から香椎線に乗り換えるところからスタートします。香椎線西戸崎駅―宇美駅間を結ぶ路線で、JRの路線の中で唯一、両端とも他の路線との接続がありません。また、西戸崎駅も宇美駅も小さな駅で、とても大きな需要があるとは思えません。例によってこの路線も、もともとは石炭輸送のために建設されました。

(朝の香椎駅)

現在では博多市近郊を走っているということもあって通勤路線の性格も持つ路線になっています。朝ラッシュ時に西戸崎駅―宇美駅間の直通列車があるほかは、西戸崎駅―香椎駅間と香椎駅―宇美駅間の折り返し運転になっています。香椎線は全線にわたって単線非電化ですが、充電式電車のBEC819系「DENCHA」を充電するために、香椎駅構内のみ電化されています。

(4両編成のDENCHA)

香椎駅から20分ほど乗って、酒殿(さかど)駅に移動します。香椎線鹿児島本線と並走する香椎駅近く以外は、とてものどかな雰囲気です。「DENCHA」に乗っていると走行音が電車なのであまり意識しませんが、外から眺めると、上に架線が通っていないこともあってローカル線の雰囲気が濃厚です。

(酒殿駅は架線がないのですっきりした印象)

酒殿駅周辺も農地や農地から転用されたばかりのような宅地が広がっています。酒殿からしばらく歩くと、鉄道の廃線跡が現れます。これは国鉄志免駅の跡で、現在は志免鉄道記念公園として整備されています。

(酒殿駅から少し歩くとすっかり長閑な雰囲気)

国鉄志免駅は、国鉄勝田線の駅でしたが、勝田線は第1次特定地方交通線に指定され、1985年に廃止されました。要するに、赤字ローカル線として真っ先に廃止されたわけです。勝田線もまた、石炭輸送のために建設された路線です。福岡県内には、石炭輸送のための鉄道が網の目のように走っていたわけですね。

(かつてここにも駅があった…)

当時の勝田線は、1960年代に石炭輸送が終了してから急速に衰退し、旅客列車は1日6往復程度と沿線住民が利用しようのないダイヤでした。一方で、勝田線は福岡市近郊に位置しており、現在の香椎線のように、ダイヤ次第で十分に通勤路線としての機能を果たすことができたと考えられます。実際に、国鉄末期に同じような状況だった香椎線甘木線は、前者はJR九州として存続、後者は第三セクター甘木鉄道に移管という違いはありますが、いずれも増発して沿線に利用される路線になっています。

(かつての駅は現在公園になっています)

福岡都市圏は、首都圏や関西圏を抱えていた国鉄から見れば需要の小さなエリアかもしれませんが、鉄道による都市圏輸送が十分に成立するエリアです。もっと早期に地域密着型の経営に転換していれば、勝田線の運命も変わっていたかもしれません。

(志免鉄道記念公園から何やら背の高い建物が見えます)

志免鉄道記念公園からは、旧志免鉱業所の竪坑櫓の跡が見えます。旧志免駅も、志免鉱業所で採掘した石炭の積み出しのための貨物駅として開業しました。旧志免鉱業所竪坑櫓は高さがあるので遠くからもよく見え、地域のモニュメントのようになっています。この辺りは糟屋炭田として日本の近代化を支えた歴史があり、この竪坑櫓も福岡県指定史跡になっています。

(日本の近代化を支えた遺構)