有心の百錬、鋼を成す! (original) (raw)

新聞に教育先進国であるフィンランドでデジタル教科書から紙に戻す

動きがあるという記事を見ました。

フィンランドは世界有数の福祉国家であり、教育への情熱も半端なりません。

どの国よりも早くデジタルコンテンツの導入を決め、現在では小、中等学校の

授業で15%。高等学校では85%の導入が進んでいます。

それに倣うかのように日本でもタブレットが提供され、子供たちの授業でも

導入が進んでいます。

私たちの子供の頃は、教科書で写真を見るか、OHP(知らない人は調べてください)

で映したのを見るくらいしかありませんでした。

それに比べると今の子たちは、鮮明な画像や動画で見ることができ、

頭に残りやすく革新的な教材のはずです。

なぜ今それに逆行する動きが進んでいるのでしょう?

一番の理由は視力の低下です。

日本でもスマホの影響なのか、高校生の視力低下が問題になっています。

ただでさえ、スマホを見る時間が長いのに、授業でも使ったら一日中

画面を見ていることになります。

我が子を見ても、一日中スマホを触ったり、勉強にタブレットを使う生活を

しています。結果的に視力低下がみられ、今度眼科を受診することになりました。

全てタブレットで済んでしまうため、外に出る機会が減り、体力低下の

ひとつの要因になっているようです。ひと昔前のデータと比較すると体力低下

が顕著になってきています。

まだデジタルコンテンツが導入されたばかりのため、学業が向上するのかと

いったデータが出ていませんが、明らかにデメリットの方が露呈してきました。

実際鉛筆を持って書いたほうが記憶に残るという研究もあります。

今後、これ以上はデジタルの普及が進まない可能性もあるのではないでしょうか。

勉強よりも子供たちの健康が大事です。

特に目が替えがききません。視力を失ったら、その後不自由しながら生活せざるを

得ません。便利を追求するあまり、子供を立派に育てるという本質を失っては

いけないと思うのです。

我が子にもそれを懇々と説いていますが、馬の耳に念仏です。

誰か助けてください。

「部屋にゴミが散らかっていて整頓できない」

「ずっと家の中にいるのが苦痛で出掛けてしまう」

「人間関係のストレスで疲弊している」

このような問題は誰しも抱えていることでしょう。

実はこれらの問題は人類が定住したことに起因しているのです。

人類が誕生して約400万年経ちました。

そして定住を始めたのが約1万年前です。

つまり、長い人類の歴史の中で定住はごく最近の出来事なのです。

我々には移動することに最適化した遺伝子が組み込まれているのです。

移動しながら生活することを遊動生活と言いますが、遊動生活が定住生活より

劣っているわけではありません。我々はつい移動生活を原始的な人間だと思い

こんでいますが、逆に移住しながら生活することは地球環境、生物的に

理にかなっています。

定住してしまうと、その周囲の食料や木材などの資源を取り尽くしてしまいます。

その点、遊動は取り尽くしても、他に移動している間にその場所の資源は回復して

いきます。生活している以上、ゴミは出るし、死人も出ます。定住ではその累積が

あるためゴミ問題や墓地問題などが出てくるのです。またゴミの分別や片付けが

できない人はこの遺伝子の影響が強いのかもしれません。遊動であれば

整頓できなくても、少ししたら移動します。その当時は片付ける習慣すら

なかったことでしょう。

人間関係においても定住している以上、毎日同じ人と顔を合わせます。

関係が悪化してしまえば、毎日気まずい思いをしながら生きなければいけません。

そのため多くの人はストレスを抱え込み、体調を崩してしまうのです。

家でじっとしていられない、旅行好きの人も遊動遺伝子が強い人かもしれません。

定住によって人類は爆発的に増殖し、世界の隅々まで行き渡りました。

もはやかつての遊動生活は無理になり、遺伝子とのギャップに苦しむ世界だけが

残されました。ゴミ問題や人間関係の問題は変わることなく続いていくでしょう。

それに一喜一憂するのは運命に逆らうことです。

時に遺伝子を満足させるために、目新しい景色を見せてあげましょう。

結局は人類は旅を止められないのです。

トランプ大統領の関税政策は世界経済に混乱をもたらし、企業は困惑しています。

世界中の人がなぜこんな政策をおこなうのか謎だと思っていることでしょう。

アメリカが危惧していることは次のパンデミックです。

コロナウイルスによるパンデミックアメリカの立ち位置を危うくしました。

コロナ渦前はアメリカは最強で、世界を思い通りに動かしてきました。

アメリカにできないことはないとアメリカの全国民が思っていたことでしょう。

しかし、2020年に突如発生した謎のウイルスによって、

その神話は脆く崩れ去ったのです。

世界最大の経済大国であり、世界トップのIT企業や製薬会社を有し、

世界最強の軍隊をもっていても、病院ひとつ救えなかったのです。

マスクや防護服など感染対策に必要なものはすべて中国一か国で生産されて

いたため、膨大な費用を要して輸入せざるを得ませんでした。需要過多で

中国がダウンした途端、病院への支援すらできなかったのです。

国内産業の空洞化が露呈した瞬間でもありました。

コロナウイルスは下火になってきて、季節性インフルエンザのような

存在になることを願っている人もいると思いますが、変異によってまた毒性を

強くし猛威を振るう可能性さえあるのです。

コロナだけでなくペストやスペイン風邪も忘れていけません。

1900年以降、18年、57年、68年、2009年、

20年とパンデミックが発生しており、その頻度を考えると2100年までに

あと、2~3回くらいは起こる可能性があります。

次にパンデミックが起こったときに、アメリカが自国で対応できて、

世界の覇権国であり続けるために、産業の国内回帰が必要なのです。

荒々しい方法かもしれませんが、関税を高くすることによって

世界に散らばっていた生産を国内に呼び戻し、ぽっかりあいた空洞を埋めようと

しています。そして世界のサプライチェーンを同盟国で作り直し、安定化を図ること

こそ、アメリカの政策なのです。

しばらくは混乱が続くかもしれませんが、国内生産が一定ラインに達したことを

確認すれば関税は撤廃され、再び世界は今以上に発展していくことでしょう。

今は全人類が耐えるときかもしれません。

若者の9割以上がSNSを利用しているという統計がある。

新しい学校でも合コンでも、まず相手のSNSをチェックして素性を知る。

そしてSNSからの付き合いをする。40代のおじさんには到底理解できない

時代である。

確かにTikTokYouTubeInstagramでは自分の周囲にはない刺激で溢れている。

高級料理、映えスポット、美しいインフルエンサー、おもしろ映像。

どれを見ても飽きがこない。

それもそのはずである。

SNSでは一秒でも長く見ていてもらった方が、利益に繋がるからだ。

彼らはプロである。その術中に見事にはまってしまっているため、沼へと引きずり

こまれているのだ。

SNSは自分の興味あることや好きなことしか見ないし、流れてこないだろう。

そのため自分を常に肯定してくれて気分がよくなる。自分が好きなものは

みんなも好きで、間違いないと安心する。

大雑把に言えばSNSとは人をだめにするほど甘やかすのだ。

考えてみてほしい。

だめなところをだめと言われずに成長すれば、否定されることに恐怖を覚え

実際の人間社会では生きていけないだろう。少し怒られれば仕事を辞める人が

いるのも、その影響かもしれない。

また嫌いなものを避けて好きなお菓子ばかり食べていたら、健康を害してやがて

早めに死へと向かってしまう。

SNSが今の時代に必須なのは理解できるが、使い方を間違っている人が

大勢いるのが嘆かわしい。ときに厳しくするのが大人の役目なのかもしれない。

絶対に正しい人間など存在しない。

自分の行動を否定されながら、修正を繰り返し立派な人間へと成長していくのである。

人生は大変なのが普通なのだ。

決して甘いばかりでない。

自分の人生からは逃げることはできない。立ち向かう勇気を養おう。

ひと昔前に比べて現代人は冒険しなくなっている気がする。

皆さんは期待値をご存じだろうか?

簡単に言えば、乱数によって報酬が決定す場合において、それぞれの報酬と確立の

値のことである。

たとえば、1000円払ってサイコロを一回振る。

1が出たら3000円もらえ、3か5なら1200円、偶数は0円。

奇数が出れば得をするので二分の一の確率で儲かるゲームのように

思える。

しかし、期待値を計算すると3000円×1/6=500円、

1200円×2/6=400円。初めに1000円払っているため、

500円+400円+0円-1000円=-100円である。

つまり期待値マイナス100円のゲームであり、やればやるほどお金は

減っていくゲームである。

現代ではこの期待値のプラス、マイナスばかりに着目してしまい結果には

コミットしていない。この理由としてインターネットによる情報の氾濫が

あげられる。

まだスマホが誕生する前は新しいカフェやレストランができれば

実際に行って食事や雰囲気を楽しんだものだ。しかし、今は必ずスマホ

ホームページや口コミを確かめて、自分の理想に合わなければ止めてしまう。

高校受験にしても昔なら頑張って少し上を受験するのが当たり前だったのが、

今では受験の情報に溢れ、偏差値や内申点がボーダーに届かなければ

学校や塾から確実に行けるところを提案される。

情報過多の時代ゆえ、情報のみで判断してしまい、そこには自分の考えや

感覚といった私情が反映されない生き方になってしまっている。

これでは偏見の塊になってしまい柔軟性のない人間になってしまう。

冒険心こそが、新しい自分を発見して成長するきっかけになる。

新しい場所を開拓し、いつもは頼まないようなメニューにも挑戦してみる。

新しいことは新鮮な感覚を取り戻してくれて、生きている感覚を与えてくれる。

いつも同じではつまらない。

不安定な現代という荒波に船を出そう。

冒険の始まりだ。

コロンブスアメリカ大陸を発見したように、信念があれば成し遂げることができる。

二時間を超える映画を五分くらいにまとめた動画がYouTubeなどに上げられている。

映画は原作となる小説や漫画を二時間にまとめたものであるため、

かなり削られていて残念だなと思う映画も多い。結局ストーリーを理解するのが

難しかったり、迫力ある映像だけで勝負しているだけの作品もある。

ここで言いたいのは映画の批判ではなく、ただでさえ二時間に凝縮されて

理解に苦しむ映画をさらに五分にまとめて、何が理解できて、何を楽しむのか?

ということである。

最近の若者はタイパを非常に気にする。

いかに効率よく生きることがステータスになり、内容は伴わない。

そこにはFOMOという心理が働く。FOMOとはFear of missing outの略で

すなわち流行への後れを恐れることである。

自分だけ知らないことは、周囲からの孤立を意味する。旧石器であれば孤立は

死を意味し、現代の我々の遺伝子の奥底には、この恐怖の記憶が眠っている。

そのため広く浅く世間を知ることが、日課となりスマホの奴隷となるのである。

確かに概要を知りたい程度あれば五分にまとめた動画は非常に便利で

活用すべきである。しかし、映画は消化コンテンツではなく、喜怒哀楽と

言った感情を刺激し感動をもたらす芸術である。監督は作品をまとめ、

役者は生きざまを表現し、多くの人たちがそれを盛り上げようと激務をこなしている。

映画をまとめることは、この人たちの生き方を否定し、蔑ろにする行為である。

やはり映画は心を落ち着かせて、ゆったりと観るに限る。

現代の人は心に余裕がないのかもしれない。

スマホを置き、他人を気にせず、自分のこころの赴くままに生きてみよう。

そこに本当の自分がいるはずだから。

Googleには「ゴールのうちの50%は、50%の確率で失敗しなければならない」

という掟があります。

私たちが眠っている力を目覚めさせるには、快適ではないけれど

ワクワクするものについて、常に取り組むことが必須です。快適ではないという

ことは、あなたが自分に対して失敗することを許可する必要がある。

これは世界最高峰のGoogleだからこそのルールでしょう。

普通の組織は手の届く範囲で目標を立てるため、斬新なアイディアが生まれない

のかもしれません。

ここで大事なのは失敗を許容するということです。

西洋文化では当たり前の考え方ですが、日本ではあまり定着せず、未だに

失敗が許されない社会という印象を受けます。

受験や就職に失敗すれば、人生が終わるかのように落ち込み、自ら命を絶つ人さえ

います。

なぜ西洋では失敗が許されるのでしょうか?

それは失敗が成功の礎になるからです。

失敗しなければ、わからないこともあるし、その失敗から改善点を改良し

新しいイノベーションが誕生する。

株式もそうですが、上がり続けることはありません。暴落や調整があるからこそ、

今以上に株価が上がるのです。

そのため失敗にこそ価値があり、自分を飛躍させるために必要な工程なのだと

みんなが認識しています。そのため自分にも周りの人にも失敗に寛容であり、

失敗から学ぶ文化が定着したのです。

しかし、実際には失敗は怖いものだし、日本人でなくても逃げ出したくなる

状況です。Googleの人たちも放っておけば、そうなるかもしれません。

そのため厳格なルールを作ることによって、みんなに失敗を促進して

企業として前に進もうと決意したのです。

失敗は怖いものではありません。

失敗したあと、なにもしないのが一番怖いことです。

「なぜ失敗したのか?」「どうすれば成功するのか?」を常に自分に問いかけ

試行錯誤することです。

世界の大企業にはその立ち位置にいる理由があります。

Googleは検索するだけでなく、学ぶことも多い企業なのです。