ゲルマニア・スペリオルとは - わかりやすく解説 Weblio辞書 (original) (raw)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/08/31 12:58 UTC 版)

ゲルマニア・スペリオル属州の位置

ゲルマニア・スペリオルラテン語: Germania Superior)は、ローマ帝国属州の一つである。日本語では上ゲルマニア高地ゲルマニア近ゲルマニアなどと訳される。東側にラエティア、西側にガリア・ルグドゥネンシス、北西にガリア・ベルギカおよびゲルマニア・インフェリオル(下ゲルマニア、低地ゲルマニア、遠ゲルマニア)、南はアルペス・ポエニナエの各属州およびイタリア本土と面していた。

ゲルマニア・スペリオルの領域は、現在のスイス西部、フランスジュラ山脈アルザス地域、およびドイツ南西部にあたる。州都はモグンティアクム(Moguntiacum、現マインツ)に置かれた。ライン川の中流域で、北の国境にはリメスが築かれた。

目次

属州の歴史

ローマによる属州化

紀元前1世紀ガイウス・ユリウス・カエサルによって書かれたガリア戦記には、この地域についても多く書かれているが、そこに「ゲルマニア・スペリオル」または「ゲルマニア・インフェリオル」という言葉は使われていない。ゲルマニア・スペリオルを支配していたのは、元はケルト人で、そこにアリオウィストゥス率いるゲルマン民族がベザンティイオ(現ブザンソン)を攻略してライン川の北岸に駐留していたが、 紀元前58年ウォセグスの戦いでカエサル率いるローマ軍に敗れた。

ゲルマニア・スペリオルがローマの属州にされたのは、共和政の最後の数年間の頃である。タキトゥスの書いた『年代記』(3.41, 4.73, 13.53)には、 ゲルマニア・スペリオル属州のことが書かれている。

ローマ帝国による支配

ゲルマニア・スペリオルの北部。国境には長城(リーメス)がある。

初代ローマ皇帝アウグストゥスは全ゲルマニア地方をゲルマニア・マグナの名でひとつの属州にまとめよう目論んでいた。しかし、トイトブルク森の戦いアルミニウス率いるゲルマン諸部族に敗北したことでこの計画は挫折し、ライン川をリメス(国境線)とすることにした。その後も国境をめぐって争いが続いたので、国境を守るゲルマニア・スペリオル属州は強化され、駐留するローマ軍は遠地で厳しい環境にさらされた。紀元前12年までには、ザクセンやマインツに軍事拠点が築かれ、大ドルススはそこで軍団を統括した。これらの拠点を中心に、徐々にいくつもの砦が構築されていった。

69年から70年までのローマ内戦では属州総督のアウルス・ウィテッリウスが皇帝に即位したが、バタウィ族のガイウス・ユリウス・キウィリスらのゲルマン人がライン川およびドナウ川国境のローマ軍の砦を攻撃・破壊し、さらに、ライン川方面とドナウ川方面の軍団の間で内戦も勃発した。この内戦は短期間で収束し、結果的にこれらの国境線の体制は強化され、アウクスブルクマインツとを結ぶローマ街道も築かれることになった。

83年から85年にかけて、ドミティアヌス帝はフランクフルトの北に住むカッティ族(Chatti)に対して遠征した。現在も残る長城(リメス・ゲルマニクス、Limes Germanicus)が最初に築かれたのがこの時である。その周囲は見通し良く切り払われ、実戦向けの防護柵が連なり、道が通る場所には木製の物見台や砦が築かれた。90年には長城の長さは最長に達した。ローマ街道はオーデンヴァルトを通って伸び、それより細かな街道のネットワークで各砦が連結されていた。

ゲルマニア・スペリオル属州は、90年皇帝属州として再編され、このときにガリア・ルグドゥネンシス属州の領域だった広い地域を加えた。ゲルマニア・スペリオルの総督としては後に皇帝となったトラヤヌスが最も有名で、彼は96年から98年まで属州総督を務めた。ヘルウェティイ族の支配領域もこの属州の一部となった。

属州の終わり

3世紀に入るとローマ帝国は徐々に支配力を失い、軍人皇帝時代にはガリア帝国がゲルマニア・スペリオルを含む一帯を支配した。ガリア帝国崩壊後はローマの領土へ戻ったが、北部の属州の支配力を失った。ゲルマニア・スペリオルの南部(現スイス)はマクシマ・セクアノルム属州(Maxima Sequanorum)に編入されたが、5世紀初頭にブルグント族に征服された。

主な都市

関連項目

外部リンク

前期ローマ帝国の属州(3世紀以前)
本土 イタリア
元老院属州 アカエア アシア アフリカ ガリア・ナルボネンシス キュプルス クレタ・キュレナイカ(英語版シキリア ヒスパニア・バエティカ ビテュニア ポントゥス(英語版ヌミディア マケドニア
皇帝属州 アラビア・ペトラエア アルペスコッティアエポエニナエマリティマエ) カッパドキア(英語版) ガラティア(英語版ガリアアクィタニアベルギカルグドゥネンシスキリキア ゲルマニアスペリオルインフェリオル) コルシカ・サルディニア(英語版シリア ダキア ダルマティア トラキア ノリクム パンノニア(スペリオル(英語版)・インフェリオル(英語版)) ヒスパニア・タッラコネンシス ブリタンニア マウレタニア(カエサリエンシス(英語版)・ティンギタナモエシア ユダヤ ラエティア リュキア・パンピュリア(英語版ルシタニア
皇帝私領 アエギュプトゥス
東方属州(115年 - 117年) アッシュリア アルメニア メソポタミア
117年以前に存在した属州 ガリア・キサルピナ イッリュリクム コンマゲネ
上記は、ローマ帝国の領土が最大となった117年の属州。「東方属州」はトラヤヌス帝期にのみ存在した属州。
後期ローマ帝国の属州(4 - 7世紀)
歴史的背景 293年、ディオクレティアヌスによって属州の統治体制が再編され、新たに管区が制定された。は337年のコンスタンティヌス1世の死後、確立された。
帝国西方(395年 - 476年)
ガリア道 ガリア管区 アルペス・ポエニナエ 第1ベルギカ 第2ベルギカ 第1ゲルマニア 第2ゲルマニア 第1ルグドゥネンシス 第2ルグドゥネンシス 第3ルグドゥネンシス 第4ルグドゥネンシス マクシマ・セクァノルム ウィエンヌ管区 アルペス・マリティマエ 第1アクィタニア 第2アクィタニア 第1ナルボネンシス 第2ナルボネンシス ノウェンポプラニア ウィエンネンシス ヒスパニア管区 バエティカ バレアリカ カルタギネンシス ガラエキア ルシタニア マウレタニア・ティンギタナ タラコネンシス ブリタンニア管区 第1ブリタンニア 第2ブリタンニア フラウィア・カエサリエンシス マクシマ・カエサリエンシス ウァレンティア369
イタリア道 イタリア郊外区 アプリアおよびカラブリア ブルティアおよびルカニア カンパニア コルシカ ピケヌム・スブリビカリウム サムニウム サルディニア シキリア トゥスキアおよびウンブリア ウァレリア イタリア穀物区 アルペス・コッティアエ フラミニアおよびピケヌム・アンノナリウム リグリアおよびアエミリア 第1ラエティア 第2ラエティア ウェネティアおよびイストリア アフリカ管区 アフリカ・プロコンスラリス(ゼウギタナ) ビュザケナ マウレタニア・カエサリエンシス マウレタニア・シティフェンシス ヌミディア・キルテンシス ヌミディア・ミリティアナ トリポリタニア パンノニア管区 ダルマティア ノリクム・メディテラネウム ノリクム・リペンセ 第1パンノニア 第2パンノニア サウィア ウァレリア・リペンシス
帝国東方(395年 - 640年頃)
イリュリクム道 ダキア管区 ダキア・メディテラネア ダキア・リペンシス ダルダニア 第1モエシア プラエウァリタナ マケドニア管区 アカエア クレタ 新エピルス 旧エピルス 第1マケドニア 第2マケドニア・サルタリス テッサリア
オリエンス道 トラキア管区 エウロパ ハエミモントゥス 第2モエシア ロドペ スキュティア トラキア アシア管区 アシア カリア ヘレスポントゥス インスラエ リュカオニア370 リュキア リュディア パンピュリア ピシディア プリュギア・パカティアナ プリュギア・サルタリア ポントゥス管区 第1アルメニア 第2アルメニア 大アルメニア サトラピエス 第3アルメニア536 第4アルメニア536 ビテュニア 第1カッパドキア 第2カッパドキア 第1ガラティア 第2ガラティア・サルタリス ヘレノポントゥス ホノリアス パフラゴニア ポントゥス・ポレモニアクス オリエンス管区 アラビア 第1キリキア 第2キリキア キュプルス エウフラテンシス イサウリア メソポタミア オスロエネ 第1パラエスティナ 第2パラエスティナ 第3パラエスティナ・サルタリス ポエニケ ポエニケ・リバネンシス 第1シリア 第2シリア・サルタリス テオドリアス528 アエギュプトゥス管区 第1アエギュプトゥス 第2アエギュプトゥス アルカディア 第1アウグスタムニカ 第2アウグスタムニカ 上リビュア 下リビュア 上テバイス 下テバイス
その他 タウリカ クァエストゥラ・エクセルキトゥス536 スパニアエ552