読み方:ふぃりっぷ[1874〜1909]フランスの小説家のこと。Weblio国語辞典では「シャルル=ルイ・フィリップ」の意味や使い方、用例、類似表現などを解説しています。">

シャルル=ルイ・フィリップとは何? わかりやすく解説 Weblio辞書 (original) (raw)

シャルル=ルイ・フィリップCharles-Louis Philippe
シャルル=ルイ・フィリップ(壁に影響を受けたドストエフスキーの絵)
誕生 (1874-08-04) 1874年8月4日 フランス、セリー(フランス語版)(アリエ県オーヴェルニュ=ローヌ=アルプ地域圏
死没 (1909-12-21) 1909年12月21日(35歳没) フランスパリ
墓地 セリー墓地
職業 作家
言語 フランス語
ジャンル 小説
代表作 『ビュビュ・ド・モンパルナス』『小さき町にて』
デビュー作 『四つの恋物語』
影響を受けたもの ドストエフスキートルストイ
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シャルル=ルイ・フィリップCharles-Louis Philippe, 1874年8月4日 - 1909年12月21日)は、フランス作家

生涯

フランス中部アリエ県のセリー(フランス語版)に木靴屋の息子として生まれる[1]。1891年に科学系バカロレアを取得し、パリに出てグランゼコール受験準備に努めていたが(志望校は理系最難関校のエコール・ポリテクニークエコール・サントラル・パリ[1]、病弱であったことも災いして不合格を繰り返し、学業を断念した[2]。その後、パリ第4区の区役所に勤めた。当時社会芸術運動を提唱していた『ランクロ』誌の同人となり、ディケンズドストエフスキートルストイなどの影響のもとに、多くの作品を発表する。始めは高踏主義的な作風に惹かれるが、やがて貧しい庶民の生活を瑞々しい感覚で描くようになった。その作風は写実的ではあるが、民衆への温かい理解が行き渡っており、当時の自然主義作家の作風とは対極をなしている。独特の神韻縹渺な世界はジッドジロドゥなどにも高く評価され、日本でも堀口大學淀野隆三らによって翻訳・紹介された。太宰治は、「かれ(フィリップ)こそ、厳粛なる半面の大文豪。世をのがれ、ひっそり暮した風流隠士のたぐいではなかった。三十四歳(原文ママ)で死したるかれには、大作家五十歳六十歳のあの傍若無人のマンネリズムの堆積が、無かったので、人は、かれの、ユーゴーバルザックにも劣らぬ巨匠たる貫禄を見失い、或る勇猛果敢の日本の男は、かれをカナリヤとさえ呼んでいた」[3]と評している。

髄膜炎腸チフスを併発し、35歳の若さで死去[4]。故郷セリーの墓地に埋葬された。墓石のシャルル=ルイ・フィリップ像はアントワーヌ・ブールデル作である[5]

代表作に『ビュビュ・ド・モンパルナス』(1901年)、没後出版された短編集『小さな町で』(1910年)などがある。1971年に『ビュビュ・ド・モンパルナス』はマウロ・ボロニーニ監督により映画化され、邦題は『愛すれど哀しく』で、同年に訳書も字幕監修した山崎剛太郎訳で刊行された。

著書

複数の短編を含む邦訳書

全集

脚注

  1. ^ a bPHILIPPE Charles-Louis” (フランス語). maitron.fr. Maitron. 2020年3月9日閲覧。
  2. ^シャルル・ルイ フィリップ”. コトバンク. 2020年3月9日閲覧。
  3. ^ 太宰治フィリップの骨格に就いて」『碧眼托鉢 ―馬をさへ眺むる雪の朝かな―』青空文庫https://www.aozora.gr.jp/cards/000035/files/1588_18117.html
  4. ^La Mort de Charles-Louis Philippe” (フランス語). Léautaud (2019年6月30日). 2020年3月9日閲覧。
  5. ^Tombeau de Charles-Louis-Philippe – Cérilly” (フランス語). e-monumen.net. 2020年3月9日閲覧。

参考資料

関連項目

外部リンク

フランス語版ウィキソースに本記事に関連した原文があります。