読み方:いづつかずゆき[1952〜 ]映画監督のこと。Weblio国語辞典では「井筒和幸」の意味や使い方、用例、類似表現などを解説しています。">

井筒和幸とは何? わかりやすく解説 Weblio辞書 (original) (raw)

元サッカー選手の「井筒和之」とは別人です。
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いづつ かずゆき井筒 和幸
本名 同じ[_要出典_]
生年月日 (1952-12-13) 1952年12月13日(72歳)
出生地 日本 奈良県
血液型 A型
職業 映画監督映画評論家
ジャンル 一般映画ピンク映画
活動期間 1975年 -
事務所 井筒プロダクション
公式サイト 井筒和幸監督 OFFICIAL WEB SITE
主な作品
映画ガキ帝国』/『岸和田少年愚連隊』『ゲロッパ!』/『パッチギ!』『ヒーローショー
受賞日本アカデミー賞 優秀監督賞2006年パッチギ!優秀脚本賞2016年『パッチギ!』その他の賞 日本映画監督協会新人賞1981年ガキ帝国』**高崎映画祭** 最優秀監督賞2006年パッチギ!2011年ヒーローショー2012年黄金を抱いて翔べ
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井筒 和幸(いづつ かずゆき、1952年12月13日 - )は、日本映画監督映画評論家

奈良県出身[1]井筒プロダクション 所属。代表作に『二代目はクリスチャン』『犬死にせしもの』『のど自慢』『パッチギ!』など[1]、幅広いジャンルの作品で人気を集める[1]。テレビ、ラジオのコメンテーターとしても活動する。

映画監督のみならず映画評論家しても活動しており、それ故にテレビ出演も多く評論の場においても映画監督としての過去の活動経験と立場を生かし、ジャンルや製作国を問わず映画監督や製作者、スタッフ、キャストの視点にも立った厳し目の映画批評を時折することもで知られている[1]

来歴

映画監督として

アメリカン・ニューシネマに傾倒し、奈良県立奈良高等学校[2] 時代から8ミリと16ミリ映画の製作を行っており、1975年に友人と映画制作グループ「新映倶楽部」を設立する。

1975年にピンク映画『行く行くマイトガイ 性春の悶々』を初監督(「ゆけゆけマイトガイ性春の悶々」に後に改題。「井筒和生」名義)。なかでも「ゆけゆけマイトガイ性春の悶々」は当時特にヒットしなかったがフィルムの原本が東京国立近代美術館のフィルムセンターに収蔵されており、井筒本人が有名になった後にソフト化されている。上京後もピンク映画を撮り続け、そのうちのひとつである『色情女狩り』から「井筒和幸」名義となる。並行して関西の情報誌「プレイガイドジャーナル」にコラムを執筆。

1981年、初の一般映画『ガキ帝国』(「プレイガイドジャーナル」がプロデュースしたATG映画)がヒットし、日本映画監督協会新人奨励賞を受賞。その後『赤い復讐 暴姦』を最後にピンク映画から遠ざかる。

『ガキ帝国』のヒットを受け、同1981年のうちに続編『ガキ帝国 悪たれ戦争』を制作。公開終了後にモスバーガー側から映画のモスバーガー店舗や店員の描写が、同社のイメージを著しく損ねていると抗議。以後、一度だけの例外を除いて劇場で上映をされることはなく、テレビ放送、ソフト化も行われていない[3]。作中で「この店のハンバーガーは猫の肉や」と馬鹿にするシーンがあるため、モスバーガー側が抗議したと巷間では言われた。ただし実際の映画にはそのセリフはない[4]

1983年には、あだち充原作の漫画『みゆき』の監督を打診され引き受けるが「電車内で初めて読んだ原作の内容の無さに呆れて本を放置した」と述べている。仕事を続けるものの撮影前のカット割をしているうちに鬱状態となる。精神科医から「仕事のストレスでの離人症のため、最低2ヶ月の療養が必要」と診断されるが、撮影は3日延期したのみで開始。抗鬱剤を大量に飲みながら監督をつとめ作品を完成させた。その後病気は嘘のように治ったという[5]

1991年9月、大作『東方見聞録』の撮影中にエキストラの俳優を死亡させる事故を起こす(詳細は下記<#映画撮影中の死亡事故>を参照)。

1996年公開『岸和田少年愚連隊 BOYS BE AMBITIOUS』では、関西出身の監督らしく大阪の土着的な風景をフィルムに定着することに成功し、ブルーリボン賞作品賞を受賞した。その後1999年『のど自慢』や2003年『ゲロッパ!』などを制作。

2005年『パッチギ!』はザ・フォーク・クルセダーズの「イムジン河」をテーマに、在日朝鮮人と日本人の高校生どうしの抗争と恋愛を描いたもの。2度目のブルーリボン賞作品賞のほか、多くの映画賞を受賞した。

2008年『TO THE FUTURE』は、朝日放送新社屋完成記念 Theショートフィルムズと題して、7月12日から21日まで新社屋の新・ABCホールにてオムニバス形式で上映された短編映画。近年こどもを取り巻く環境下においてクローズアップされているモンスターペアレントをテーマに、現代社会に蔓延する問題を描いた作品。タイトルはターミナルで偶然見かけた自衛隊のポスターからヒントを得たという。

2010年『ヒーローショー』では、第25回高崎映画祭最優秀監督賞を受賞(『ゲゲゲの女房鈴木卓爾監督と同時受賞)[6]

2012年『黄金を抱いて翔べ』を監督。原作は高村薫のデビュー作であるサスペンス小説。舞台となった大阪の各所でロケを行った[7]

2012年『黄金を抱いて翔べ』では、第27回高崎映画祭最優秀監督賞を受賞(『夢売るふたり』西川美和監督と同時受賞)

映画撮影中の死亡事故

1991年9月22日、井筒が監督を務める映画『東方見聞録』の撮影中に、エキストラとして出演していた当時21歳の俳優・林健太郎[8]がロケ現場である静岡県駿東郡小山町上野で溺死する事故が発生した。この現場には滝つぼに落ちるシーンの撮影のため、川の流れを利用した水深2メートルの大がかりなセットが組まれていた。林は総重量約8kgの鎧を着用し「若武者が殺され死体となって滝つぼに浮く」というシーンのリハーサル中、増水していた流れにのまれ水中に沈み意識不明の重体となり病院へ運ばれたが翌日死亡した。滝つぼにはダイバーが1人待機していたが水の濁りがひどく気付くのが遅れ、助け上げるまでに3分から5分ほどかかったという[9]。同年11月、遺族が業務上過失致死罪告訴。演技上の安全を確保する義務を怠ったとして井筒と助監督が書類送検された[10]

事故後も撮影は続行されたが、事故が報じられて社会問題となり1992年5月18日に予定されていた公開は中止された[11]。この影響が大きく製作会社であるディレクターズ・カンパニーは1992年に倒産。事故死したエキストラの遺族が起こした裁判で井筒側は敗訴、遺族への補償金3000万円以上は井筒が支払うこととした[11][12]

井筒は1993年に仙頭武則の依頼により『突然炎のごとく』で監督業に復帰[11]。『東方見聞録』は1993年8月1日にビデオ発売された。

映画評論家として

1990年代半ばから映画評論家およびタレントとしての活動も増え、テレビラジオバラエティ番組や情報番組への出演、執筆活動のほか映画評論や政治論評、自身の歴史観の、主張等を行うようになった。

人物

敬愛する映画人や作品

アメリカ

ヨーロッパ

日本

批判している映画人や作品

政治・歴史的主張

受賞歴

作品

映画(作品)

主な監督作品

井筒和生 名義

井筒和幸 名義

監督以外での参加作品

テレビドラマ

舞台

舞台演出

映画監督のほか、自らの映画作品を原作とした舞台の演出も手がけている。

出演

現在出演中の番組

テレビ

ラジオ

配信番組

CM

過去の出演番組

テレビ

インターネット配信

ラジオ

CM

映画(出演)

著書

単著

共著

連載

2024年9月まで、アサヒ芸能に「井筒監督の毒舌ストレート時評 アホか、お前ら!」を連載していた。その後2024年10月より週刊大衆で、ほぼ同趣旨の内容である「どないやねん、こらっ」の連載を開始した。

脚注

  1. ^ a b c d デジタル大辞泉「井筒和幸」
  2. ^ スペシャルインタビュー 映画監督:井筒和幸 プロフィール参照 B-Plus 2012年10月号
  3. ^ 上映したらアカン映画なんかないんじゃ!
  4. ^ 月刊シナリオ 2019年4月号
  5. ^ 中島らも鮫肌文殊『ひそひそくすくす大爆笑』(メディアファクトリー)に収録の井筒監督との対談より
  6. ^ 授賞式は2011年3月27日に予定されていたが、東日本大震災の発生に伴い開催されなかった
  7. ^ 公益財団法人大阪観光局 ロケ地を巡る、大阪まち歩き『黄金を抱いて翔べ』コース
  8. ^林 健太郎」『日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治〜平成」(2010年刊)』。https://kotobank.jp/word/%E6%9E%97%20%E5%81%A5%E5%A4%AA%E9%83%8Eコトバンクより2022年10月30日閲覧。
  9. ^ スポーツニッポン 1991年9月23日
  10. ^ 朝日新聞 1992年3月5日
  11. ^ a b c 朝日新聞 2004年9月11日
  12. ^ アエラ 2002年7月1日
  13. ^ アメリカの活動写真が先生だった 小学館、1998.12、「本当は「サンドペブル」 『砲艦サンパブロ』」
  14. ^ 映画は喧嘩じゃ! vol.4 自分でやる
  15. ^ 映画は喧嘩じゃ! vol.15 変わらない
  16. ^ <「やりやがったな、この野郎!」井筒監督がイーストウッド「グラン・トリノ」を絶賛 <https://www.crank-in.net/news/11639/1
  17. ^ CS 映画専門チャンネル「ムービープラス」にて「YKK AP ムービープラス・プレミア」井筒和幸監督がクリント・イーストウッドを語る! http://www3.cinematopics.com/archives/49435
  18. ^ https://www.creators-station.jp/column/177835 スティーブ・マックィーンがカッコいい銀行強盗に扮し、夫婦でメキシコに逃げ延びるニューシネマ、『ゲッタウェイ』(73年)でペキンパー監督流の暴力と愛に、世間の憂さを忘れた。
  19. ^ 「<映画駄話 〜ザ・プレミアム〜> 井筒和幸 監督の<犯罪映画>大好き!」
  20. ^ 映画は喧嘩じゃ! vol.2 とことんやる
  21. ^ 映画は喧嘩じゃ! vol.5 飛翔
  22. ^ 映画は喧嘩じゃ! vol.16 丁々発止
  23. ^ 『ノーカントリー』日本版公式サイトのコメントより https://www.nocountry.jp/
  24. ^ https://www.creators-station.jp/column/177835 『ゴッドファーザー』に打ちのめされ、邦画はもう終わりだと思い、『仁義なき戦い』に煽られて、邦画はオレら若い者がその古臭い映画をぶっ壊し、新しく作り変えてやるんだと奮起したのだ。
  25. ^ 井筒和幸が日本映画界に警鐘「腰骨のない邦画界にケンカ売らないと」
  26. ^ 「アメリカの活動写真が先生だった 小学館, 1998.12。」「イタリアン・アメリカン 『ゴッドファーザーpartII』」
  27. ^ 自著「サルに教える映画の話(バジリコ、2005.10)」の主に『ゴッドファーザー』の他にウディ・アレン作品にヴィットリオ・ストラーロに『映画に愛をこめて アメリカの夜』等を絶賛した98p-108p「世界が驚いた革命的な映像」
  28. ^ https://www.creators-station.jp/column/177835 『夕陽の群盗』は「撮影が『ゴッドファーザー』の名手、ゴードン・ウィリスだったので、リアルな光と影の画面作りを学んだ。」
  29. ^ http://www.ks-cinema.com/information/4909/
  30. ^ http://www.ks-cinema.com/information/4909/
  31. ^ 週刊現代2017年9/30号の134p井筒コラム「今週の映画監督」
  32. ^ https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/geino/260398
  33. ^ 「仁義なき戦い」をつくった男たち https://www.nhk.or.jp/etv21c/update/2003/0503.html 映画評論家の山根貞男と共にNHKの特集番組に出演。ナレーションは深作映画の常連だった蟹江敬三が担当。
  34. ^ 「仁義なき戦い」をつくった男たち: 深作欣二と笠原和夫 単行本 – 2005/1/1 山根 貞男 (著), 米原尚志 (著) 出版社 : NHK出版 (2005/1/1) ISBN 978-4140808542
  35. ^ 深作欣二『映画監督 深作欣二』ワイズ出版、2003年7月12日。ISBN 489830155X
  36. ^ クリエーターズステーションの連載コラム「井筒和幸の Get It Up !」Vol.56「勉強になる映画は、間違いなく、ボクの人生に役立っている・・・・。」 https://www.creators-station.jp/column/177835
  37. ^ べタな娯楽モノしか作らない邦画界の横っ面を張り飛ばしてやりたいとボクの血も騒いでいた。「海賊でもやって一旗揚げて、…どうせおまえもわしも一遍も二遍も死に損ねた身体じゃ」という原作の一節はボクの気分を代弁していた。 https://www.creators-station.jp/column/137791 コラム 井筒和幸の Get It Up ! Vol.40 「京都の大映撮影所は今、その跡影もない。『新・悪名』で台詞を喋りながらカレーライスを10カットの間に完食してしまう勝新太郎や、相棒の田宮二郎の名コンビを生み、『眠り狂四郎』の市川雷蔵を生み、女優・若尾文子を生み、撮影中の溝口健二巨匠が助監督に尿瓶を持ってこさせた東洋一のスタジオも、遠い昔の幻だ。」
  38. ^ コラム 井筒和幸の Get It Up ! Vol.47 https://www.creators-station.jp/column/154657 快楽ホルモンなどが脳に分泌されて、苦を忘れられるユーモアたっぷりの映画を探し歩いたのもその頃だ。 「着流しの八尾の朝吉・勝新太郎、その弟分でスカジャンが似合う清次・田宮二郎より、ボクは朝吉の兄役・金田龍之介さんや、大阪のやくざの組長・西村晃さん、芦屋小雁や鳳啓介、京唄子の夫婦漫才コンビの出演が嬉しくてたまらなかった。全員に笑った。笑わせているのは依田義賢の脚本だった。」「森光子茶川一郎や、ベテラン浪花千栄子ミヤコ蝶々、名悪役の遠藤太津朗(旧・辰雄)や南道郎、関西喜劇人を脇役に配した絶妙なキャスティングで、ボクは20歳の頃にもう一度、田宮二郎が大映を去ってコンビの清次が消えるまでの14作を劇場とテレビ放映ですべて見直し、一から映画的な台詞の間と、その笑いを学んだ。何より大事なことで愉しいことだった。」
  39. ^ 週刊現代 2016年3月26・4月2日合併号 「井筒和幸の今週の映画監督」
  40. ^ テレビ朝日 12月23日 こちトラ自腹じゃ!SP[_リンク切れ_]
  41. ^ 2006年2月17日夕刊ゲンダイ
  42. ^ 2006年3月16日東京スポーツ
  43. ^ 映画「永遠の0」を痛烈批判した井筒監督 「見た後で自分の記憶から消したくなった」 J-CASTニュース 2014年1月21日
  44. ^ アサヒ芸能 マツコ×井筒監督 ニッポンをしばき倒し“アホか、お前らDX”(4)「“スターウォーズ”のせいで他の映画が割り食ってる?」
  45. ^ a b井筒監督×マツコ・デラックス「ドアホちゃうか、ニッポン!」スペシャル対談(2)アニメは“日本人の顔”が1つもない”. アサ芸プラス. アサヒ芸能 (2017年1月7日). 2017年1月7日閲覧。
  46. ^性的シーンの撮影で俳優をケア。#MeToo後、高まる「インティマシー・コーディネーター」の需要 日本では?”. telling,(テリング) (2021年5月23日). 2021年9月13日閲覧。
  47. ^ 「井筒和幸だ シバキ!ハンダづけ!!」 東京スポーツ 2006年1月5日
  48. ^ 「井筒和幸だ シバキ!ハンダづけ!!」 東京スポーツ 2006年11月2日
  49. ^ 井筒和幸『民族の壁どついたる!』 [_要ページ番号_]
  50. ^ 「首都圏スペシャル プロジェクト2030 つながれない若者たち -希望ある未来へ-」 - 【NHK総合】2012年10月26日
  51. ^ 中日新聞 2015年10月29日付
  52. ^ 週刊新潮 2007年3月29日号
  53. ^ (#)は◯の中に#
  54. ^ 短期間だがこの名前で活動したがほどなく本名に戻した。
  55. ^ エイベックス・エンタテインメント/nktエンターテイメント/ハピネット/衛星劇場/メモリーテック/電通/Yahoo! JAPAN グループ/ぴあ

外部リンク