内村航平とは - わかりやすく解説 Weblio辞書 (original) (raw)
内村 航平 ![]() |
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愛称 | キング |
国籍 | ![]() |
生年月日 | (1989-01-03) 1989年1月3日(36歳) |
故郷 | 長崎県諫早市 |
身長 | 162 cm[1] |
体重 | 55 kg |
種目 | 男子体操競技 |
代表 | 2006年 - 2021年 |
所属 | ジョイカルジャパン(2021年3月17日 - ) |
学歴 | みはる台小学校→諫早中学校→東洋高校→日本体育大学 |
コーチ | 佐藤寛朗 |
引退 | 2022年 |
獲得メダル 体操競技 オリンピック ![]() |
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内村 航平(うちむら こうへい、1989年(昭和64年)1月3日 - )は、日本の元体操競技選手。
オリンピック4大会(2008年北京、2012年ロンドン、2016年リオデジャネイロ、2020年東京)に出場し、個人総合2連覇を含む7つのメダル(金メダル3、銀メダル4)を獲得。また、世界体操競技選手権でも個人総合での世界最多の6連覇を含む19個のメダル(金メダル10、銀メダル5、銅メダル4)を獲得している。個人総合において、2008年北京五輪で10代の選手として史上初めて銀メダルを獲得したことを皮切りに、2009年世界体操競技選手権から2016年リオデジャネイロ五輪まで前人未到の世界大会8連覇を達成。国内外において2008年の全日本選手権から2017年のNHK杯まで約9年間に渡り個人総合で40連勝を記録したことから、「史上最高の体操選手」との呼び声も高い。 愛称は「キング」。「体操界のレジェンド」と称される。
人物
1989年(昭和64年)1月3日、福岡県北九州市に生まれ、1992年(平成4年)に母・周子の出身地長崎県諫早市に両親が「スポーツクラブ内村」を開設したのを機に、3歳で体操を始めた[2]。父・内村和久は日本体育大学体操競技部出身で柳川高等学校時代に高校総体の種目別で優勝しており、母・内村周子も元体操選手、妹の春日(はるひ)も元体操選手(日体大)という体操一家である[3][4]。
諫早市立諫早中学校卒業後は、両親の反対を押し切り上京し、塚原直也に憧れて朝日生命体操クラブに入門し[5]、東洋高等学校を経て日本体育大学体育学部体育学科に入学。2006年(平成18年)、高校3年の時に高校選抜と全日本ジュニアの個人総合の2冠を獲得するなど活躍し、高校生ながらナショナルチームに選出された。高校生の時あん馬の種目で2点をたたき出したことがある。大学では体操競技部に所属し、4年時には主将を務めた。2010年、テレビドラマ『タンブリング』第1話(TBSテレビ)にて鷲津学院の体操選手の生徒役でカメオ出演している。
日体大卒業後の2011年(平成23年)4月、山室光史とともにコナミスポーツ&ライフ(現コナミスポーツ)に入社し、所属先の体操競技部のある埼玉県草加市で6年間過ごす。
2015年、第2子となる女児が誕生。
2016年11月、コナミスポーツクラブを退社してプロ活動を開始。
2016年12月、アシックスジャパンとスポンサー契約を結ぶ。
2017年3月1日、長崎ちゃんぽん店などを展開するリンガーハットと所属契約を結ぶ[7]。
2017年1月、復興大臣からの委嘱で東日本大震災の被災地を支援する「復興応援大使」に就任する[8]。
2020年12月31日をもって、リンガーハットとの所属契約を終了した事が翌2021年1月に公表された[7][9]。
2021年3月17日、都内で会見し、自動車販売などを手掛ける「ジョイカル」と所属契約を結んだことを発表した。契約期間は24年3月16日までの3年間。
2022年1月11日、自身の公式サイトに於いてマネジメント事務所である「スポーツコンサルティングジャパン」名義で文書をリリースし、現役を引退することを発表。1月14日に、正式な引退記者会見を催し、引退試合を行うことを表明した[10]。体操で引退試合(演技会)を開くのは異例である[11]。現役引退後、日本体操協会体操男子の強化本部のアドバイザーコーチに就任[12]。
同年3月12日に引退試合となる「KOHEI UCHIMURA THE FINAL」を東京体育館で行い、現役を引退した[11]
2023年5月、日本体操協会強化コーチに就任[13]。同年6月、日本体操協会理事に就任[14]。
特徴
オリンピック、世界選手権の種目別で複数回優勝経験のあるような専門的な種目はないが、全ての種目を高レベルにこなすオールラウンダーである。得意種目は2018年現在で鉄棒(体操NIPPONオフィシャルファンサイトより)。世界選手権の種目別ではゆかの他、鉄棒と平行棒で優勝経験がある。
着地と空中姿勢には定評があり、体操競技の採点要素の一つであるEスコア(技の正確さ)が全種目を通じて非常に高い。2011年の世界選手権でロンジン・エレガンス賞を受賞。(日本勢の受賞は2007年の冨田洋之・2010年の田中理恵に続いて3人目。)2013年及び2014年でも受賞しており、2022年現在、3回連続で受賞した体操選手は男女通じて内村のみである。
幼い頃から両親の営むスポーツクラブ内村でタンブリング・トランポリンに親しみ、中でも当時、愛読していた漫画『ガンバ!Fly high』の影響で鉄棒とゆかにのめり込み、既に小学校高学年の時には(トランポリン上で)ひねり技を身につける[15] など、高度な空中感覚に加え安定した着地感覚を身につけた[16]。日本代表となった後も、新たな技に取り組む際はトランポリンを使って技の感覚を覚え体の動きをチェックしている[15]。
かつては極端な偏食家であり、野菜を連想させる緑色も大嫌いというほどの野菜嫌いで食事はほぼ米と肉のみだった。好物はバナナとチョコレート類。特に気に入っていたのは有楽製菓の「ブラックサンダー」で、北京オリンピックには40個持ち込み、「勝負食」として競技前に食べていたことなどが報道された[17]。また、喫煙者である。コナミスポーツ&ライフへの入社後に同社の指導により食生活の改善に取り組み、野菜を食べるようになりチョコレートも断っているが、野菜は完全な克服には至っていない[注釈 1]。また、食事は20歳から1日一食のみ。
愛読書は『ガンバ!Fly high』で[注釈 2]、好きな体操選手は主人公の藤巻駿。好きな歴史上の人物は織田信長・坂本龍馬[注釈 3]、好きな城は姫路城。好きな音楽アーティストはAK-69。運転中や移動中、試合前などに中毒になるほどずっと聞いていると本人が明かしている。
2016年リオデジャネイロオリンピックで個人総合の最終種目「鉄棒」の演技中、人生初のぎっくり腰になった。また試合中、他の選手は得点を見るが本人は全く見ないとバラエティ番組『スポーツ天国と地獄』(TBSテレビ)で明かしている。
経歴
2007年(平成19年)ユニバーシアードの団体と種目別ゆかで優勝。2008年(平成20年)、初めてのオリンピック代表選考である二次予選では、二日間ともに冨田洋之を抑えてトップに立ち予選通過。最終予選のNHK杯体操選手権では優勝こそ冨田に譲ったが2位に入り、北京オリンピックの出場権を獲得した。
オリンピック本大会では、団体戦メンバーとして19歳で最年少ながら安定した堂々とした演技を披露、男子体操団体で日本の銀メダル獲得に貢献すると、その2日後の男子体操個人総合決勝では、苦手とするあん馬で2度の落下がありながらも他種目で23人を抜き、最終的には2位となって銀メダルを獲得した。日本人選手の個人総合でのメダル獲得は北京五輪代表監督の具志堅幸司がロサンゼルスオリンピックにおいて金メダルを獲得して以来24年ぶりであると同時に、10代での獲得は史上初である。
2008年(平成20年)、全日本選手権で個人総合優勝を果たす。それまで男子体操を牽引していた冨田洋之が同年末をもって引退し、名実ともに日本の新たなエースとなった。2009年世界体操競技選手権(ロンドン)の個人総合決勝ではゆか、跳馬、吊り輪、鉄棒の4種目で1位の得点を記録し、トータル91.500で2位に2.251点の大差をつけて初優勝を達成[注釈 4]。20歳での獲得は日本勢史上最年少であった。2010年世界選手権(ロッテルダム)でも全種目で15点以上のトータル92.331点で2位に2.283点差をつける圧勝で、日本人初の個人総合2連覇を達成した。また同年12月の全日本選手権種目別跳馬で、新技「伸身ユルチェンコ3回ひねり」を成功させている[18]。
2011年世界体操競技選手権(東京)は、社会人となってから初めての国際大会でもあったが、個人総合で全種目で3位以内の得点を記録し、国際大会自己ベストの93.641点をマーク。2位のP・ボイに3.101点の大差をつける圧勝で、世界選手権史上初の個人総合3連覇[注釈 5] を達成した。種目別には跳馬以外の5種目に出場。ゆかではG難度のリ・ジョンソンを成功させて金メダルを獲得。内村のひねりが速く、審判がこれを見落としていたため、日本チームの指摘により得点が訂正された。ゆかの種目別金メダルは1974年(ヴァルナ)の笠松茂以来34年ぶりの快挙。鉄棒でも銅メダルを獲得した。今大会での個人総合3連覇によりロンドンオリンピック代表選手に内定した。
オリンピック凱旋パレード(2012年8月19日撮影)
2012年のロンドンオリンピックは、各国のメディアから個人総合「金メダル確実」と評され臨んだが、予選で鞍馬と鉄棒で落下するミスをしてしまう。男子団体では5種目で安定した演技を見せるも、最終種目鞍馬のフィニッシュで倒立から着地に移行する際に態勢を崩したため倒立の得点が認められず、一時は4位になったが日本選手団の正式な抗議により得点が見直され2大会連続の銀メダルを獲得した。しかし、インタビューでは「4位でも、2位でも、僕は、あまり、変わらなかった、と思う」と話し、笑顔はなかった。過去に例を見ない不調に個人総合金メダルへの心配する声も上がったが、団体でミスをした鞍馬を15.066点で乗り切ると3種目目の跳馬で完璧な着地を見せ16.266点の高得点で首位に立ち、全6種目を全て15点台以上でまとめるなど安定した演技を取り戻して最終得点は2位に1.658点の大差をつける92.690点をマークして金メダル。2大会連続のメダル獲得は前述の具志堅幸司以来28年ぶり。これまで長崎県は九州で唯一個人、団体種目を通じて金メダリストが出ておらず、内村は長崎県出身者として初めての金メダリストとなった[19]。種目別決勝のゆかでは、一人目の演技者として登場し、15.800点で銀メダルを獲得した。埼玉県から彩の国功労賞を受賞。
2013年世界体操競技選手権(アントワープ)の個人総合では、予選で91.924点を記録して2位に2.394点差をつけてトップ通過。決勝でもただ一人全種目で15点台かつ3位以内を記録する安定した演技でトータル91.990点をマークし、2位の加藤凌平に1.958点差をつけて個人総合4連覇を達成。種目別では平行棒で金メダル、ゆかと鉄棒で銅メダルを獲得した。
2014年世界体操競技選手権(南寧)の団体総合決勝では5種目を終えた段階で日本がトップに立ち、その後日本が最終種目の鉄棒を先に終えて2位の中国の結果を待つという状況だったが、中国が鉄棒で高得点をマークして日本を逆転したため、自身初の世界選手権団体優勝はならなかった。個人総合ではただひとり全種目で15点以上の演技(ゆか、跳馬で1位)を見せて91.965点を記録し、2位のマックス・ウィットロックに1.492点差をつけて連勝記録を5に伸ばした。この個人総合での金メダル獲得で世界選手権での通算獲得金メダル数が7個目となり、監物永三と中山彰規が持っていた日本人選手最多記録に並んだ[20]。また銀と銅をあわせたメダル獲得数でも15個目となり、監物永三と並んで日本人最多タイとなった[21]。この後、種目別鉄棒で銀メダルを獲得し、世界選手権の獲得メダル数は日本人歴代最多を更新する16個となった[22]。
2015年世界体操競技選手権(グラスゴー)では、10月26日に出場した予選4種目目のゆかで競技開始前に前演技者の採点で10分以上待たされ、競技中にも前方宙返りで頭部を強打するアクシデントがあったが[23]、個人6種目計でトップの90.654点をマーク。団体総合でも日本は358.884点で中国を抑えトップ通過。28日の団体総合決勝では鉄棒のカッシーナで落下するなど内容は完璧ではなかったが、6種目計で91.531点をマークし、世界選手権の団体総合では37年ぶり(オリンピックも含めた世界規模の大会では2004年アテネオリンピック以来)となる日本の金メダル獲得に貢献した。世界選手権での通算金メダル獲得数は8個となり日本人選手歴代単独1位となった。30日に行われた個人総合では、ゆかと跳馬で1位の得点をマークするなど、全6種目で5位以内に入る安定した演技で92.332点をマークし、2位のマンリケ・ラルドゥエト(キューバ)に1.634点の大差をつけて連覇を6に伸ばした[24]。11月1日にも種目別鉄棒で自身初の金メダルを獲得。この大会で3個の金メダルを獲得し、自身が持つ世界選手権での日本人選手最多メダル獲得数記録を金10、銀5、銅4の計19個に伸ばした[25]。また、オリンピックで獲得したメダル5個と併せた世界大会でのメダル獲得数も24個となり、監物永三と並び日本人選手歴代最多タイとなった[26]。
2016年リオデジャネイロオリンピックでは、予選の鉄棒で落下のミスにより種目別決勝を逃し個人総合では2位で決勝に進出。団体では全6種目に出場し、全てにおいて安定した演技を披露し、体操日本としてはアテネ大会以来12年ぶり自身にとっても悲願であったオリンピックでの団体金メダルを獲得[27]。個人総合では4種目を終えた時点で、ウクライナのオレグ・ベルニャエフと0.401差の2位につける。5種目目の平行棒で0.901差に広がり逆転が厳しい状況になったが、最終種目の鉄棒では演技中にぎっくり腰を発症しながらも15.800の高得点をたたき出し[28]、合計点92.365でベルニャエフを0.099差でかわし逆転で個人総合2連覇と団体との2冠を達成[29][30]。オリンピックの個人総合連覇は歴代4人目、日本人では加藤沢男以来44年ぶりの快挙となった。
2017年世界体操競技選手権(モントリオール)では、2種目目の跳馬の着地で負傷し途中棄権した。この棄権により2009年から続いた世界選手権個人総合での連勝記録は6で途絶えた。また、その他の国内外の大会を含めても2008年全日本学生選手権以来9年ぶりの敗北となり、個人総合の連勝記録は40でストップすることになった[31]。
2018年は9月に練習で負傷したことから個人総合を断念。世界選手権の団体では4種目で演技し銅メダル、種目別鉄棒で銀メダルを獲得した。
2019年は日本選手権で予選落ちし、12年ぶりに日本代表の座を逃した。
2020年からは鉄棒に専念することを表明。全日本体操種目別選手権の予選で、2019年世界選手権優勝者の得点(14・900点)を圧倒する15.333点を記録[32]。決勝ではそれを上回る15.700点を記録して優勝した。
2021年7月24日、東京オリンピックに個人種目別鉄棒で出場したが、離れ技の後の中盤のひねり技で鉄棒から落下し、予選落ちとなった[33]。 得点は13・866点にとどまり、決勝に進む上位8人に入れず敗退。 リオ五輪後は肩のけがなどに悩まされ、今回は種目別の鉄棒に絞って出場した[34]。
2021年10月、コロナ禍の中、生まれ故郷である北九州市で世界体操選手権が開催された。体操種目別鉄棒に出場し、6位とメダルは逃したものの、無観客での東京五輪後初の有観客での国際大会開催を英断した故郷・北九州市に感謝するため、Tシャツに「ありがとう北九州」と書いて客席に投げ入れるなど、観客と喜びを共有した[35] [36] [37]。
主な競技成績
国内大会
- 2003年 全国中学:個人42位
- 2003年 全国ジュニア2部出場
- 2005年 高校選抜:個人15位
- 2005年 インターハイ:個人14位
- 2005年 全日本ジュニア:個人3位
- 2005年 全日本選手権出場
- 2006年 高校選抜:個人優勝
- 2006年 インターハイ:個人2位
- 2006年 全日本ジュニア 一部選手権、個人総合優勝
- 2006年 全日本選手権:個人8位
- 2007年 全日本学生:個人優勝
年 | 大会名 | 団体 | 個人 | ![]() |
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2007年10月 | 全日本選手権(第61回) | 個人7位 | ゆか1/優勝 | ||||||
2008年05月05-06日- | NHK杯(第47回)(北京五輪最終選考) | 個人2/総合2位 | |||||||
2008年11月01日 | 全日本選手権(第62回) | 個人1/総合優勝(全日本選手権/1/連覇開始) | ゆか2位 | あん馬2位 | |||||
2009年04月 | 全日本選手権(第63回)個人 | 個人1/総合優勝(全日本選手権/2連覇) | |||||||
2009年06月 | NHK杯(第48回) | 個人1/総合優勝(NHK杯/1/連覇開始) | |||||||
2009年11月 | 全日本選手権(第63回)種目別 | ゆか1/優勝(全日本選手権/1/連覇開始) | つり輪2位 | 平行棒1/優勝 | 鉄棒2位 | ||||
2010年05月 | 全日本選手権(第64回)個人 | 個人1/総合優勝(全日本選手権/3連覇) | |||||||
2010年06月 | NHK杯(第49回) | 個人1/総合優勝(NHK杯/2連覇) | |||||||
2010年12月03-05日 | 全日本選手権(第64回)種目別 | ゆか1/優勝(全日本選手権/2連覇) | 平行棒7位 | 鉄棒1/優勝 | 跳馬1/優勝 | ||||
2011年04月 | 全日本選手権(第65回)個人 | 個人1/総合優勝(全日本選手権/4連覇) | |||||||
2011年06月 | NHK杯(第50回) | 個人1/総合優勝(NHK杯/3連覇) | |||||||
2011年11月04-06日 | 全日本選手権(第65回)種目別 | ゆか1/優勝(全日本選手権/3連覇) | 鉄棒優勝 | あん馬優勝 | |||||
2012年04月 | 全日本選手権(第66回)個人 | 個人1/総合優勝(全日本選手権/5連覇) | |||||||
2013年05月 | 全日本選手権(第67回)個人 | 個人1/総合優勝(全日本選手権/6連覇) | |||||||
2013年06月 | NHK杯(第52回) | 個人1/総合優勝(NHK杯/5連覇) | |||||||
2014年04月 | 全日本選手権(第68回)個人 | 個人1/総合優勝(全日本選手権/7連覇) | |||||||
2014年05月 | NHK杯(第53回) | 個人1/総合優勝(NHK杯/6連覇) | |||||||
2015年04月 | 全日本選手権(第69回)個人 | 個人1/総合優勝(全日本選手権/8連覇) | |||||||
2015年05月 | NHK杯(第54回) | 個人1/総合優勝(NHK杯/7連覇) | |||||||
2016年04月 | 全日本選手権(第70回)個人 | 個人1/総合優勝(全日本選手権/9連覇) | |||||||
2016年05月 | NHK杯(第55回) | 個人1/総合優勝(NHK杯/8連覇) | |||||||
2017年04月 | 全日本選手権(第71回)個人 | 個人1/総合優勝(全日本選手権/10連覇) | |||||||
2017年05月 | NHK杯(第56回) | 個人1/総合優勝(NHK杯/9連覇) | |||||||
2017年06月 | 全日本選手権(第71回)種目別 | 鉄棒1/優勝 | |||||||
2018年04月 | 全日本選手権(第72回)個人 | 個人1/3位 | |||||||
2018年05月 | NHK杯(第57回) | 個人1/総合優勝(NHK杯/10連覇) |
国際大会
年 | 大会名 | 団体 | 個人 | ![]() |
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2006年04月 | 環太平洋選手権 | 団体1位 | ゆか優勝 | つり輪4位 | 平行棒2位 | ||||
2006年12月 | ボローニンカップ | 団体優勝 | 個人4位 | ゆか3位 | つり輪6位 | 平行棒7位 | 鉄棒3位 | ||
2007年05月 | フランス国際 | 跳馬3位 | |||||||
2007年08月 | ユニバーシアード | 団体優勝 | ゆか優勝 | 跳馬3位 | |||||
2007年11月 | 北京国際招待 | 団体2位 | ゆか7位 | ||||||
2008年05月15-16日 | 天津国際 | ゆか優勝 | |||||||
2008年08月 | /五輪2008/北京オリンピック | 団体2/総合2位 | 個人2/総合2位 | ゆか5位 | |||||
2008年11月15-16日 | 豊田国際 | ゆか2位 | |||||||
2008年12月 | ワールドカップ決勝(第14回) | ゆか2位 | |||||||
2009年03月 | コトブス国際 | ゆか優勝 | |||||||
2009年07月 | 体操JAPAN CUP 2009 | 団体1/優勝 | 個人1/優勝 | ||||||
2009年10月 | 世界選手権(2009) | 個人1/総合優勝(世界選手権/1/連覇開始) | ゆか4位 | 鉄棒6位 | |||||
2009年12月 | 豊田国際 | ゆか1/優勝 | 鉄棒2位 | あん馬7位 | |||||
2010年04月 | フランス国際 | つり輪2位 | 鉄棒1/優勝 | ||||||
2010年07月 | 体操JAPAN CUP 2010 | 団体1/優勝 | 個人1/優勝 | ||||||
2010年10月 | 世界選手権(2010) | 団体2/総合2位 | 個人1/総合優勝(世界選手権/2連覇) | ゆか2位 | 平行棒3位 | ||||
2010年12月 | 豊田国際 | ゆか1/優勝 | 鉄棒2位 | 跳馬6位 | |||||
2011年07月 | 体操JAPAN CUP 2011 | 団体1/優勝 | 個人1/優勝 | ||||||
2011年10月 | 世界選手権(2011) | 団体2/総合2位 | 個人1/総合優勝(世界選手権/3連覇) | ゆか優勝 | つり輪6位 | 平行棒4位 | 鉄棒3位 | あん馬5位 | |
2011年11月27日 | ワールドカップ東京 | 個人総合優勝 | |||||||
2011年12月 | 豊田国際 | ゆか優勝 | 鉄棒優勝 | ||||||
2012年07月 | /五輪2012/ロンドンオリンピック | 団体2/総合2位 | 個人1/総合優勝 | ゆか2位 | |||||
2013年10月 | 世界選手権(2013) | 個人1/総合優勝(世界選手権/4連覇) | ゆか3位 | 平行棒優勝 | 鉄棒3位 | ||||
2013年12月 | 豊田国際 | ゆか2位 | 平行棒優勝 | 鉄棒優勝 | |||||
2014年10月 | 世界選手権(2014) | 団体2/総合2位 | 個人1/総合優勝(世界選手権/5連覇) | 鉄棒2位 | |||||
2015年10月 | 世界選手権(2015) | 団体1/総合優勝 | 個人1/総合優勝(世界選手権/6連覇) | 鉄棒優勝 | |||||
2016年08月 | /五輪2016/リオデジャネイロオリンピック | 団体1/総合優勝 | 個人1/総合優勝(連覇) | ゆか5位 |
受賞
- 2008年9月7日:諫早市民栄誉賞(第一号)受賞。
- 2009年:日本スポーツ賞グランプリ・朝日スポーツ賞・ビッグスポーツ賞・毎日スポーツ人賞感動賞受賞・JOCスポーツ賞優秀賞。
- 2010年:JOCスポーツ賞優秀賞
- 2011年:日本スポーツ賞特別賞・ビッグスポーツ賞受賞・JOCスポーツ賞最優秀賞
- 2011年11月:長崎県民栄誉賞受賞。
- 2012年:日本スポーツ賞特別賞・ビッグスポーツ賞・ナンバーMVP賞受賞・JOCスポーツ賞最優秀賞・彩の国スポーツ功労賞
- 2012年11月:紫綬褒章受章[38]。
- 2013年:日本スポーツ賞グランプリ受賞・JOCスポーツ賞特別栄誉賞
- 2016年9月:草加市民栄誉大賞(第一号)受賞
- 2016年11月:紫綬褒章(飾版)受章[39]。
- 2016年:彩の国スポーツ功労賞[40]
CM出演
- トヨタ自動車・ReBORN「20年後のドラえもん」(2012年7月) - 出木杉英才30歳役
- テーブルマーク「冷凍うどん」
- toto Stand by Me編 (2014年)[41]
- 三菱地所 「さあ、世界を驚かせよう。」[42](2014年8月 - )
- コナミスポーツクラブ(2016年) ※ WEB CM [43]
- 明光義塾(2018年)[44]
著書
- 語録・写真集
- 栄光のその先へ 内村航平語録―8年無敗の軌跡(ぴあ、2017年1月25日発売)
- 漫画監修
- THE SHOWMAN(作画:菊田洋之、小学館、週刊少年サンデーS連載、2018年2月号 - )
エピソード
昭和64年生まれの1人。母は当時を振り返って、「予定日は昭和63年の12月31日でした。出産したとき、まさか天皇陛下がお亡くなりになるなんて思わなかった。次の元号に航平の『平』の文字がついたのは偶然なんですよ」と語っている[45]。
2013年3月、出身地の諫早市に完成した諫早市中央体育館は内村の偉業を称え、その愛称を「内村記念アリーナ」とした[46]。館内にはパネル展示コーナーが設置されている。
脚注
注釈
- ^ 実際、コナミ退社後の所属先となったリンガーハットでも、「長崎ちゃんぽんに乗ってる野菜は何とか食べられる」程度だという。
- ^ 演技目標として掲げている「楽しい体操」もこの作品から取られている。
- ^ 坂本に関しては内村と同じ誕生日だからという理由だが、この場合は新暦の1月3日のことで旧暦での坂本の誕生日は11月15日である。
- ^ 1970年の監物永三・1974年の笠松茂・2005年の冨田洋之に続き4人目。五輪金も含めると7人目。
- ^ 過去に二連覇は、ペテル・シュミ(1922年・26年)と楊威(2006年・07年)の二人。なお、楊威は北京五輪も含め三連勝している。
出典
- ^ “金メダリストの略歴=内村航平(体操男子個人総合)〔五輪・体操〕”. 時事ドットコム. (2016年8月11日). http://www.jiji.com/jc/article?k=2016081100107&g=spo 2016年8月11日閲覧。
- ^ 内村の母、周子さん 銀メダルに万感の思い「子離れは一生できない」 - MSB産経ニュース2012年7月31日
- ^ 内村周子プロフィール! - Tsunebo.com(2014年12月15日)
- ^ 絆~家族で挑む国体~・上 - 長崎新聞2014年9月30日
- ^ 『AERA』2008年9月1日号「父が育てたメダル息子」
- ^ “体操・内村が結婚 ロンドン五輪金メダリスト”. スポニチ (2012年11月26日). 2012年11月26日閲覧。
- ^ a b “プロ体操選手・内村航平選手との所属契約についてのお知らせ”. 株式会社リンガーハット (2021年1月12日). 2021年1月12日閲覧。
- ^ “内村航平選手、復興応援大使に 「演技で感動を与える」”. 朝日新聞 (2017年1月12日). 2017年11月28日閲覧。
- ^ “【体操】コロナ禍がキング内村を直撃! 所属先が業績悪化で契約終了”. 東スポWeb (2021年1月12日). 2021年1月12日閲覧。
- ^ 『プロ体操選手 内村航平 現役引退のお知らせ』(PDF)(プレスリリース)内村航平オフィシャルサイト、2022年1月11日。http://uchimura-kohei.com/release20220111.pdf。2022年1月11日閲覧。
- ^ a b デイリースポーツ (2022年3月12日). “内村航平 体操界異例の引退興行「終わった瞬間から全身が痛い」 キングの血伝承へ | デイリースポーツ”. デイリースポーツ. 2022年3月13日閲覧。
- ^ 内村航平、白井健三氏らと体操男子強化本部アドバイザーコーチ就任スポーツ報知 2022年1月15日
- ^ 【体操】内村航平さん、日本協会アドバイザーから強化コーチへ「より現場に付き添う形」スポニチ 2023年5月9日
- ^ 日本体操協会 内村航平氏を新理事に選出 3月の理事会で正式決定、6月に就任へスポニチ 2023年1月10日
- ^ a b NHK総合 2008年8月4日放送「”栄光の架け橋”ふたたび ~密着 体操男子団体~」[1]
- ^ 2008年8月12日 読売新聞「五輪体操団体 強心臓19歳…内村「銀」着地 コンテナ体育館育ち」
- ^ NEWSポストセブン|体操・内村航平のブラックサンダー断ちに発売元「残念です」
- ^ 2010年12月6日 朝日新聞「内村が3冠達成 体操の全日本団体・種目別選手権」
ただしこの技は2013年世界体操競技選手権にて白井健三と金煕勲(韓国)が披露・成功させ、「シライ/キム・ヒフン」となった。 - ^ 内村の地元・長崎、うれしい悩み…県民栄誉賞以上の賞は?
- ^ “内村、世界体操V5 日本選手最多の金7個目”. 日本経済新聞 (2014年10月10日). 2014年10月10日閲覧。
- ^ “内村航平、大本命が実力通りの金。日本歴代最多に並ぶ15個目のメダル”. Number (2014年10月10日). 2014年10月10日閲覧。
- ^ “内村が銀メダル、最多16個目 世界体操、加藤は平行棒で銅”. 日本経済新聞 (2014年10月12日). 2014年10月15日閲覧。
- ^ 日本暫定首位!内村 脳震とう寸前も意地の演技で暫定トップ スポーツニッポン2015年10月26日
- ^ 内村航平、世界体操で史上初の個人総合6連覇! AFPBP2015年10月31日
- ^ 内村が鉄棒で「金」、16歳宮川は惜しくも4位 世界体操 日本経済新聞2015年11月2日
- ^ 内村航平、鉄棒でも金 団体、個人総合に続き 世界体操 2015年11月2日
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- ^ “体操競技、日本男子の5つの名場面とは”. 【SPAIA】スパイア (2016年10月11日). 2020年11月14日閲覧。
- ^ “内村 鉄棒で奇跡の逆転!史上4人目の2連覇で団体との2冠達成” (2016年8月11日). 2016年8月16日閲覧。
- ^ “内村航平、演技中にぎっくり腰を発症! 種目別床の出場は微妙に…” (2016年8月11日). 2016年12月29日閲覧。
- ^ “内村航平 9年ぶりV逸、連勝記録「40」で止まる”. 日刊スポーツ. (2017年10月3日). https://www.nikkansports.com/sports/news/201710030000280.html 2017年11月13日閲覧。
- ^ 内村鉄棒15・533点は世界最高得点に値する演技日刊スポーツ2020年12月12日
- ^ 内村航平、鉄棒落下でまさかの予選落ち 3大会連続金ならずスポニチアネックス2021年7月24日
- ^ “内村航平が演技中落下 体操種目別鉄棒、13.866点どまり”. 毎日新聞 (2021年7月24日). 2021年7月24日閲覧。
- ^ “内村航平「ありがとう北九州」鉄棒6位 奪還ならずも思い出の地でファンに感謝伝えた”. The Hochi Shimbun. (2021年10月25日). 2021年10月25日閲覧。
- ^ “内村航平、生まれ故郷での世界体操「この上ない幸せ」”. The Nishinippon Shimbun. (2020年11月8日). 2021年10月25日閲覧。
- ^ “万感の内村、ありがとう北九州 世界体操が閉幕 日本勢メダルラッシュ”. The Nishinippon Shimbun. (2021年10月25日). 2021年10月25日閲覧。
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- ^ トップアスリートが未来のアスリートへ贈る「Stand by Me」
- ^ “三菱地所|さあ、世界を驚かせよう。体操ニッポンを応援しています。” (2014年8月29日). 2015年11月14日閲覧。
- ^ “内村航平&加藤凌平、リオ五輪の前にオフィスで“演技”を披露”. ORICON STYLE. (2016年6月17日). https://www.oricon.co.jp/news/2073537/full/ 2016年6月17日閲覧。
- ^ “明光義塾のヘッドコーチに内村公平選手が就任 新CMで“新技”を披露”. 月刊私塾界 (2018年1月23日). 2018年2月11日閲覧。
- ^ 亀田大毅、内村航平、元AKBの梅田彩佳も “昭和64年生まれ”の不都合な真実 週刊朝日 2019年1月1日配信 2021年7月24日閲覧。
- ^ 毎日jp. “諫早市中央体育館:落成祝う 愛称は「内村記念アリーナ」 /長崎”. 2013年3月19日閲覧。
外部リンク
ウィキニュースに関連記事があります。
内村航平 (@kohei198913) - X(旧Twitter)
内村航平 - Olympedia(英語)
表話編歴![]() ![]() |
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1900: ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() |
表話編歴世界体操競技選手権金メダリスト 男子個人総合 | |
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1900年代 | 1903 Joseph Martinez 1905 Marcel Lalu 1907 Josef Čada 1909 Marco Torrès |
1910年代 | 1911 Ferdinand Steiner 1913 Marco Torrès |
1920年代 | 1922 František Pecháček / Peter Sumi 1926 Peter Sumi |
1930年代 | 1930 Josip Primožič 1934 オイゲン・マック 1938 Jan Gajdoš |
1950年代 | 1950 ウォルター・レーマン 1954 ビクトル・チュカリン 1958 ボリス・シャハリン |
1960年代 | 1962 ユーリ・チトフ 1966 ミハイル・ボローニン |
1970年代 | 1970 監物永三 1974 笠松茂 1978 ニコライ・アンドリアノフ 1979 アレクサンドル・ディチャーチン |
1980年代 | 1981 ユリ・コロレフ 1983 ドミトリー・ビロゼロチェフ 1985 ユリ・コロレフ 1987 ドミトリー・ビロゼロチェフ 1989 イゴール・コロブチンスキー |
1990年代 | 1991 グリゴリー・ミシューチン 1993 ビタリー・シェルボ 1994 イワン・イワンコフ 1995 李小双 1997 イワン・イワンコフ 1999 ニコライ・クルコフ |
2000年代 | 2001 馮敬 2003 ポール・ハム 2005 冨田洋之 2006 楊威 2007 楊威 2009 内村航平 |
2010年代 | 2010 内村航平 2011 内村航平 2013 内村航平 2014 内村航平 2015 内村航平 2017 肖若騰 2018 アルトゥール・ダラロヤン 2019 ニキータ・ナゴルニ |
表話編歴全日本体操競技個人総合選手権大会男子優勝者 | |
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1940年代 | 1947 竹本正男 1948 竹本正男 1949 竹本正男 |
1950年代 | 1950 竹本正男 1951 竹本正男 1952 小野喬 1953 小野喬 1954 竹本正男 1955 竹本正男 1956 小野喬 1957 小野喬 1958 小野喬 1959 小野喬 |
1960年代 | 1960 小野喬 1961 相原信行 1962 遠藤幸雄 1963 遠藤幸雄 1964 遠藤幸雄 1965 遠藤幸雄 1966 加藤武司 1967 中山彰規 1968 中山彰規 1969 加藤沢男 |
1970年代 | 1970 中山彰規 1971 中山彰規 1972 監物永三 1973 塚原光男 1974 監物永三 1975 塚原光男/梶山広司 1976 監物永三 1977 笠松茂 1978 三上肇 1979 錦井利臣 |
1980年代 | 1980 具志堅幸司 1981 具志堅幸司 1982 具志堅幸司 1983 山脇恭二 1984 具志堅幸司 1985 山脇恭二 1986 水島宏一 1987 水島宏一 1988 佐藤寿治 1989 佐藤寿治 |
1990年代 | 1990 西川大輔 1991 西川大輔 1992 相原豊 1993 畠田好章 1994 田中光 1995 畠田好章 1996 塚原直也 1997 塚原直也 1998 塚原直也 1999 塚原直也 |
2000年代 | 2000 塚原直也 2001 冨田洋之 2002 冨田洋之 2003 米田功 2004 冨田洋之 2005 冨田洋之 2006 冨田洋之 2007 冨田洋之 2008 内村航平 2009 内村航平 |
2010年代 | 2010 内村航平 2011 内村航平 2012 内村航平 2013 内村航平 2014 内村航平 2015 内村航平 2016 内村航平 2017 内村航平 2018 谷川翔 2019 谷川翔 |
2020年代 | 2020 萱和磨 2021 橋本大輝 2022 橋本大輝 2023 橋本大輝 2024 橋本大輝 |
表話編歴JOCスポーツ賞特別栄誉賞 | ||
---|---|---|
1990年代 | 91: 該当者なし • 92: 荻原健司 • 93: 河野孝典、荻原健司 • 94: 荻原健司 • 95: 該当者なし • 96: 該当者なし • 97: 船木和喜、清水宏保 • 98: 該当者なし • 99: 該当者なし | ![]() |
2000年代 | 00: 野村忠宏、田村亮子 • 01: 該当者なし • 02: 該当者なし • 03: 該当者なし • 04: 柴田亜衣、体操男子団体日本代表 • 05: 該当者なし • 06: 該当者なし • 07: 該当者なし • 08: 北島康介 • 09: 該当者なし | |
2010年代 | 10: 該当者なし • 11: 該当者なし • 12: 吉田沙保里 • 13: 内村航平 • 14: 伊調馨 • 15: 髙梨沙羅 • 16: 内村航平 • 17: 羽生結弦、髙木美帆 • 18: 小林陵侑 • 19: 桃田賢斗 | |
2020年代 | 20: 中止 • 21: 平野歩夢、大橋悠依 • 22: 宇野昌磨、坂本花織 • 23: 坂本花織、江村美咲 |
表話編歴JOCスポーツ賞最優秀賞 | ||
---|---|---|
1990年代 | 91: 荻原健司、河野孝典、三ヶ田礼一 • 92: 古賀稔彦 • 93: 浅利純子 • 94: 阿部雅司、河野孝典、荻原健司、荻原次晴 • 95: 田村亮子 • 96: 恵本裕子 • 97: 該当者なし • 98: 船木和喜、宮平秀治、原田雅彦 • 99: 篠原信一 | ![]() |
2000年代 | 00: 高橋尚子 • 01: 立花美哉、武田美保 • 02: 北島康介 • 03: 鹿島丈博 • 04: 野口みずき • 05: 荒川静香 • 06: 安藤美姫 • 07: 浅田真央 • 08: 北京五輪ソフトボール日本代表(斎藤春香、染谷美佳、江本奈穂上野由岐子、坂井寛子、峰幸代、乾絵美、西山麗、三科真澄、藤本索子廣瀬芽、伊藤幸子、佐藤理恵、狩野亜由美、山田恵里、馬渕智子) • 09: 浅田真央 | |
2010年代 | 10: 吉田沙保里 • 11: 内村航平 • 12: 内村航平 • 13: 羽生結弦 • 14: 内村航平 • 15: 世界体操選手権男子日本代表(内村航平、田中佑典、加藤凌平、白井健三萱和磨、長谷川智将、早坂尚人) • 16: 伊調馨 • 17: 小平奈緒 • 18: 大坂なおみ • 19: 渋野日向子 | |
2020年代 | 20: 中止 • 21: 高木美帆 • 22: 橋本大輝 • 23: 北口榛花 |
表話編歴日本スポーツ賞 グランプリ | |
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1950年代 | 51 古橋廣之進 52 石井庄八 53 山田敬蔵 54 長沢二郎 55 古川勝 56 笹原正三 57 第24回世界卓球選手権日本代表選手団 58 曾根康治 59 山中毅 |
1960年代 | 60 ローマ五輪日本男子体操チーム 61 大日本紡績貝塚女子バレーボールチーム 62 三宅義信 63 田中聡子 64 遠藤幸雄 65 重松森雄 66 深津尚子 67 鈴木惠一 68 君原健二 69 第6回世界柔道選手権大会日本代表選手団 |
1970年代 | 70 西側よしみ、第17回世界体操競技選手権日本代表チーム 71 中山紀子、湯木博恵 72 田口信教、ミュンヘン五輪体操日本男子選手団 73 第8回世界柔道選手権大会日本代表選手団 74 バレーボール全日本女子チーム 75 エベレスト女子登山隊 76 モントリオール五輪バレーボール日本女子チーム 77 河野満 78 山下泰裕 79 藤猪省三 |
1980年代 | 80 瀬古利彦 81 釜本邦茂 82 室伏重信 83 黒岩彰 84 山下泰裕 85 正木嘉美 86 中山竹通 87 小川直也 88 鈴木大地 89 伊藤みどり |
1990年代 | 90 橋本聖子 91 谷口浩美 92 岩崎恭子 93 浅利純子 94 リレハンメル五輪日本代表複合チーム 95 田村亮子 96 恵本裕子 97 鈴木博美 98 清水宏保 99 篠原信一 |
2000年代 | 00 高橋尚子 01 田村亮子 02–03 北島康介 04 野村忠宏 05 冨田洋之 06 荒川静香 07 吉田沙保里 08 北島康介 09 内村航平 |
2010年代 | 10 吉田沙保里 11 FIFA女子ワールドカップ日本女子代表 12 ロンドン五輪レスリング男女日本代表選手団 13 内村航平 14 羽生結弦 15–16 伊調馨 17 桐生祥秀 18 羽生結弦 19 ラグビー日本代表 |
2020年代 | 20–21 大野将平 22 髙木美帆 |
表話編歴日本ジュエリーベストドレッサー賞 | |
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10代 | 1999:ともさかりえ 2000:加藤あい 01:深田恭子 02:上原多香子 03:上戸彩 04:後藤真希 05:松浦亜弥 06:BoA 07:長澤まさみ 08:堀北真希 09:成海璃子 10:福田沙紀 11:前田敦子 12:武井咲 13:川島海荷 14:川口春奈 15:橋本環奈 16:小松菜奈 17:中条あやみ 18:岡田結実 19:浜辺美波 20:Kōki, 21:森七菜 22:芦田愛菜 23:ラウール |
20代 | 1990:紺野美沙子 91:安田成美 92:今井美樹 93:牧瀬里穂 94:松雪泰子 95:石田ゆり子 96:飯島直子 97:梅宮アンナ 98:鶴田真由 99:松嶋菜々子 2000:安室奈美恵 01:本上まなみ 02:米倉涼子 03:菊川怜 04:伊東美咲 05:長谷川京子 06:小雪 07:倖田來未 08:加藤ローサ 09:広末涼子 10:ベッキー 11:黒木メイサ 12:大島優子 13:剛力彩芽 14:吉高由里子 15:桐谷美玲 16:井上真央 17:西内まりや 18:菜々緒 19:吉岡里帆 20:有村架純 21:新木優子 22:広瀬アリス 23:永野芽郁 |
30代 | 1990:池上季実子 91:古手川祐子 92:島田陽子 93:名取裕子 94:樋口可南子 95:黒木瞳 96:石川さゆり 97:かたせ梨乃 98:川島なお美 99:高島礼子 2000:財前直見 01:中村江里子 02:川原亜矢子 03:小島奈津子 04:水野真紀 05:天海祐希 06:深津絵里 07:篠原涼子 08:中谷美紀 09:滝川クリステル 10:観月ありさ 11:木村佳乃 12:米倉涼子* 13:松嶋菜々子* 14:吉瀬美智子 15:深田恭子* 16:松下奈緒 17:柴咲コウ 18:上戸彩* 19:橋本マナミ 20:木村文乃 21:戸田恵梨香 22:佐々木希 23:田中みな実 |
40代 | 1990:村山勝美 91:沢田研二 92:阿川泰子 93:篠ひろ子 94:小池百合子 95:和田アキ子 96:田丸美寿々 97:小林幸子 98:小柳ルミ子 99: 天童よしみ 2000:安藤優子 01:林真理子 02:萬田久子 03:浅田美代子 04:黒木瞳* 05:大竹しのぶ 06:大地真央 07:YOU 08:江角マキコ 09:真矢みき 10:大塚寧々 11:草刈民代 12:檀れい 13:永作博美 14:鈴木保奈美 15:宮沢りえ 16:吉田羊 17:石田ゆり子* 18:遼河はるひ 19:常盤貴子 20:藤原紀香 21:小池栄子 22:アンミカ 23:松嶋菜々子 |
50代 | 1990:芳村真理 91:岩下志麻 92:若尾文子 93:佐久間良子 94:野際陽子 95:三田佳子 96:浅丘ルリ子 97:中村玉緒 98:島倉千代子 99:五月みどり 2000:瀬川瑛子 01:木の実ナナ 02:由美かおる 03:松坂慶子 04:桃井かおり 05:秋吉久美子 06:小池百合子* 07:阿川佐和子 08:風吹ジュン 09:夏木マリ 10:戸田恵子 11:高畑淳子 12:余貴美子 13:高橋惠子 14:浅野温子 15:片平なぎさ 16:沢口靖子 17:賀来千香子 18:浅野ゆう子 19:紫吹淳 20:松下由樹 21:斉藤由貴 22:真矢ミキ 23:永作博美 |
60代以上 | 1997:森英恵 98:朝丘雪路 99:雪村いづみ 2000:市原悦子 01:デヴィ・スカルノ 02:白川由美 03:黒柳徹子 04:十朱幸代 05:野際陽子* 06:八千草薫 07:岩下志麻* 08:阿木燿子 09:森山良子 10:髙橋真梨子 11:八代亜紀 12:浅丘ルリ子* 13:由紀さおり 14:竹下景子 15:伊藤蘭 16:和田アキ子* 17:桃井かおり* 18:大竹しのぶ* 19:森昌子 20:原田美枝子 21:田中美佐子 22:宮崎美子 23:大地真央 |
男性 | 1992:岡田眞澄 93:山城新伍 94:カールスモーキー石井 95:鹿賀丈史 98:小林旭 99:佐々木主浩 2000:高橋由伸 01:西城秀樹 02:新庄剛志 03:氷川きよし 04:坂口憲二 05:中村獅童 06:清原和博 07:速水もこみち 08:谷原章介 09:松山ケンイチ 10:佐藤隆太 11:伊藤英明 12:佐藤浩市 13:東山紀之 14:市原隼人 15:哀川翔 16:DAIGO 17:三浦春馬 18:福士蒼汰 19:舘ひろし 20:田中圭 21:横浜流星 22:北村匠海 |
特別賞 | 92: ジュリー・ドレフュス 93: ヒロコ・グレース 2001: 高橋尚子 08: 松坂大輔 10: イ・ビョンホン、鳩山幸 11: ウォンビン、蓮舫 12: 少女時代、本田圭佑 13: KARA、内村航平 14: 松本潤 15: 髙橋大輔、May J. 16: ももいろクローバーZ、市川海老蔵 17: 福原愛 18: 浅丘ルリ子、村田諒太 19: コシノジュンコ、加山雄三 20: 浅田真央、高橋英樹 21: 内田篤人 22: 水谷隼 |
*は複数回の受賞。男性は1992年から、60代以上は97年から、10代は99年から対象 |
表話編歴Number MVP賞 | |
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1980年代 | 1982 広岡達朗 1983 青木功 1984 山下泰裕 1985 吉田義男 1986 清原和博 1987 岡本綾子 1988 千代の富士貢 1989 ラグビー日本代表 |
1990年代 | 1990 野茂英雄 1991 中嶋悟 1992 亀山努 1993 三浦知良 1994 長嶋茂雄 1995 イチロー 1996 伊達公子 1997 中田英寿 1998 清水宏保 1999 松坂大輔 |
2000年代 | 2000 高橋尚子 2001 イチロー 2002 稲本潤一 2003 松井秀喜 2004 北島康介 2005 武豊 2006 WBC野球日本代表 2007 中村俊輔 2008 上野由岐子 2009 原辰徳 |
2010年代 | 2010 本田圭佑 2011 澤穂希 2012 内村航平 2013 上原浩治 2014 羽生結弦 2015 ラグビー日本代表 2016 大谷翔平 2017 桐生祥秀 2018 大坂なおみ 2019 ラグビー日本代表 |
2020年代 | 2020 藤井聡太 2021 大谷翔平 2022 井上尚弥 2023 栗山英樹・WBC日本代表 |
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