読み方:そうかし草加 のこと。Weblio国語辞典では「草加市」の意味や使い方、用例、類似表現などを解説しています。">

草加市(ソウカシ)とは何? わかりやすく解説 Weblio辞書 (original) (raw)

そうかし 草加市
草加松原
草加市旗 草加市章
日本
地方 関東地方
都道府県 埼玉県
市町村コード 11221-6
法人番号 6000020112216
面積 27.46km2
総人口 249,991[編集]推計人口、2025年2月1日)
人口密度 9,104人/km2
隣接自治体 川口市越谷市三郷市八潮市吉川市東京都足立区
市の木 マツ
市の花 キク
他のシンボル 市歌:想い出はいつも
草加市役所
市長 [編集]山川百合子
所在地 340-8550埼玉県草加市高砂一丁目1番1号北緯35度49分31秒 東経139度48分19秒 / 北緯35.82539度 東経139.80533度 / 35.82539; 139.80533座標: 北緯35度49分31秒 東経139度48分19秒 / 北緯35.82539度 東経139.80533度 / 35.82539; 139.80533
外部リンク 公式ウェブサイト 草加市役所(右が本庁舎・左が西棟) 本庁舎10F議場
■ ― 政令指定都市 / ■ ― 市 / ■ ― 町 / ■ ― 村
地理院地図 Google Bing GeoHack MapFan Mapion Yahoo! NAVITIME ゼンリン
特記事項 市外局番:048-9(市内全域・草加MA)
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草加市(そうかし)は、埼玉県の東部に位置する施行時特例市に指定されている。

人口は約25万人。さいたま市川口市川越市所沢市越谷市に次いで県内6位の人口を有する。旧北足立郡。1958年(昭和33年)市制施行。

概要

草加松原草加せんべいで知られる。江戸時代日光街道で江戸から2つ目の宿場町である草加宿として栄え、その周辺部は水田地帯で稲作が盛んであった。

戦後当初は5万人にも満たなかったが、高度経済成長期における1963年に当時東洋一のマンモス団地と言われた松原団地の造成や、東武伊勢崎線(東武スカイツリーライン)と営団地下鉄(現東京メトロ日比谷線の相互直通運転開始により人口が爆発的に増大し、急激な都市化が進行した。

また、東武伊勢崎線は2003年3月19日からは半蔵門線東急田園都市線との相互直通運転も開始され、都心への利便性が更に向上している。

都営日暮里・舎人ライナーの開通に伴い、遊馬町、柳島町などの市西部の最寄り駅は、見沼代親水公園駅(足立区)である。

毛長川を隔てて南側を東京都足立区と接しており、東京に通勤・通学する、いわゆる「埼玉都民」が多く、市内の広範に住宅地が広がる。

自動車での移動も、以前からあった南北を結ぶ国道4号に加えて、東京外環自動車道やその高架下を利用した国道298号も開通し、東西の移動が格段に向上した。

中心市街地草加駅周辺)は、都心まで約15km、南部の谷塚では約10kmという立地にありながら宿場町の面影を残す住宅地である。交通不便な市北東部以外は宅地化が進み、今後大規模な開発を行う余地が無いため、松原団地の建て替え事業(コンフォール松原)や草加宿を中心とした都市計画「今様草加宿」が進められている。2000年彩の国中核都市に指定、2004年特例市に移行した。

市勢

2021年(令和3年)1月1日現在) 出典:草加市の人口

地理

矢立橋

札場河岸跡

望楼

歴史

旧草加市役所本庁舎

草加市千疋地区(写真奥は越谷市レイクタウン6丁目の住宅街)

市役所新庁舎

人口

草加市と全国の年齢別人口分布(2005年) 草加市の年齢・男女別人口分布(2005年)
■紫色 ― 草加市■緑色 ― 日本全国 ■青色 ― 男性■赤色 ― 女性
草加市(に相当する地域)の人口の推移 1970年(昭和45年) 123,269人 1975年(昭和50年) 167,177人 1980年(昭和55年) 186,618人 1985年(昭和60年) 194,205人 1990年(平成2年) 206,132人 1995年(平成7年) 217,930人 2000年(平成12年) 225,018人 2005年(平成17年) 236,316人 2010年(平成22年) 244,062人 2015年(平成27年) 247,034人 2020年(令和2年) 248,304人
総務省統計局 国勢調査より

行政

市長

歴代市長

氏名 就任日 退任日 備考
初 - 3代 牛山信吉 1958年11月1日 1967年2月17日
4代 池田岩松 1967年2月18日 1971年2月17日
5代 黒沢春雄 1971年2月18日 1973年8月22日 事故にて任期中に逝去
6代 鈴木繁 1973年10月14日 1977年10月13日
7 - 10代 今井宏 1977年10月14日 1993年6月24日 衆院選出馬のため辞職
11 - 12代 小澤博 1993年8月9日 2001年8月7日
13 - 15代 木下博信 2001年8月8日 2010年10月27日 再度の不信任決議可決により失職
16 - 17代 田中和明 2010年12月13日 2018年10月28日[7] 満期日を繰上げして退任
18代 浅井昌志 2018年10月29日 2022年10月28日
19代 山川百合子 2022年10月29日

主な公共施設

草加市立病院

草加市立中央図書館

国の出先機関

県の出先機関

草加保健所・草加児童相談所

その他機関

広域行政

一部事務組合

協議会

議会

草加市議会

埼玉県議会

候補者名 当落 年齢 党派名 新旧別 得票数 備考
木下博信 58 自由民主党 23,683票
蒲生徳明 62 公明党 15,844票
中村美香 36 日本維新の会 13,650票 2024年3月15日付で当選無効が確定[8]
小森克己 48 立憲民主党 10,909票 2024年3月19日、埼玉県選管は小森の当選を決定[9]

衆議院

当落 候補者名 年齢 所属党派 新旧別 得票数 重複
黄川田仁志 51 自由民主党 125,500票
山川百合子 52 立憲民主党 100,963票
河合悠祐 40 NHKと裁判してる党弁護士法72条違反で 7,534票

経済

草加せんべい発祥の地の碑

産業

総じて、第3次産業が中心である。しかしながら、工業団地(草加・八潮工業団地)では製紙工場もあり、第2次産業もある。

日本を代表する米菓であるせんべいが名産である。「草加煎餅」として全国に知られる地域ブランド地域団体商標)でもある。1932年昭和7年)に組合が組織されると組織的なPRが展開された。第二次世界大戦中は原料米の統制により一時衰退したが、戦後間もなく復興した。1970年(昭和45年)ごろ最高の売上げと全国的な知名度が普及し、市域に約120店舗を数えた。その後、他地区から類似品の大量生産品が普及するようになり、売上げが減少している。

しかしながら、現在でも旧草加宿を中心に市域で約60店舗がある。手作り感の強い、醤油味がベースの丸い素朴な米菓である。東京都と隣接するため「東京みやげ」と扱われることも多く、同様なものとして、千葉県浦安市にある東京ディズニーランドのみやげ物がある。

幕末から(さらし)業や浴衣(ゆかた)染めが市域南部を中心に栄えていた。浴衣染めは、かつては長板中型が行われていたが、大正期に導入された注染が主流となった。1960年頃には出荷額も最高に達したが、その後水質汚染などから規模を小さくしている。

1935年(昭和10年)ごろから、三河島付近から皮革業者が広い土地と豊富な水資源を求めて市域中央部に進出し、それとともに同業者が集積してきた。第二次世界大戦中は一時衰退したが、朝鮮戦争を契機になめし業を中心に発展した。1970年(昭和45年)ごろから水質・悪臭汚染でなめし業は縮小したが、製靴や鞄製造など皮革加工業が市域に広く点在する。

草加せんべい

1958年(昭和33年)の市制施行ごろから、市域に工場進出が目立つようになった。1963年(昭和38年)から埼玉県が造成した草加工業団地の完成と、引き続き造成が行われた1967年(昭和42年)の草加八潮工業団地の完成により、60社余りの企業が進出した。また、中小企業が市域に広く点在している点も特長といえる。

かつては全市的に稲作が盛んであったが、宅地化の波に押されて、市域北東部の柿木町・青柳付近を除き、急激に耕地面積を小さくしている。

市域北部を中心にハスクワイも収穫され、またキクを中心に花の栽培が行われるが、第1次産業は当市においてはかなり少数で、専業農家はごく少数になる。

主な商業施設

草加地区

アコス (AKOS) ・店内はイトーヨーカドーやマルイ

松原・新田地区

谷塚地区

市西部(舎人ライナー利用地区)

本社を置く企業

事業所を置く企業

草加市で創業した企業

金融機関

名産品

文化

姉妹都市・提携都市

地域

行政地名

旧草加町

神明(しんめい)一・二丁目 住吉(すみよし)一・二丁目 高砂(たかさご)一・二丁目 中央(ちゅうおう)一・二丁目 吉町(よしちょう)一 - 五丁目 手代町(てしろちょう)一 - 三丁目 草加(そうか)一 - 五丁目 栄町(さかえちょう)一 - 三丁目 学園町(がくえんちょう) 松原(まつばら)一 - 五丁目 松江(まつえ)一 - 六丁目 西町(にしちょう) 氷川町 (ひかわちょう)

1955年の2町1村合併以前の旧草加町には11の大字があったが、1958年の市制施行時に大字は全廃されて「町」となり、地名も大幅に変更している(本記事の「歴史」の項参照)。

上記の現行行政地名のうち、西町、氷川町は住居表示未実施地区で、他は住居表示実施済みである。

市制施行時の「栄町」(丁目設定なし)には、現在の栄町一 - 三丁目のほか、松原一 - 五丁目の大部分、草加一 - 五丁目の一部、学園町が含まれていた。

市制施行時には東町(あずまちょう)という町名があったが、1966年に廃止されている(現・中央及び住吉のうち)。

旧谷塚町(やつかまち)

谷塚町(やつかちょう) 谷塚上町(やつかかみちょう) 谷塚(やつか)一 - 二丁目 谷塚仲町(やつかなかちょう) 瀬崎(せざき)一 - 七丁目(旧・瀬崎町の全域) 両新田東町(りょうしんでんひがしちょう) 両新田西町(りょうしんでんにしちょう) 柳島町(やなぎしまちょう) 新里町(にっさとちょう) 遊馬町(あすまちょう)

1955年の2町1村合併以前の旧谷塚町には9の大字があったが、1958年の市制施行時に大字は全廃されて「町」となり、地名も一部変更している(詳細は「谷塚町」の項参照)。当地区は住居表示未実施の町が多い。両新田東町と両新田西町の境界は複雑で、多くの飛地がある。なお、2011年7月18日をもって、上記の谷塚町の一部と谷塚上町の一部で住居表示を実施し、「谷塚一丁目・谷塚二丁目」に町名が変わった。また同時に瀬崎町の全域が「瀬崎(一 - 七丁目)」として住居表示を実施した。

旧新田村

旭町(あさひちょう)一 - 六丁目 金明町(きんめいちょう) 新善町(しんぜんちょう) 清門(せいもん)一 - 三丁目 長栄(ちょうえい)一 - 四丁目 新栄(しんえい)一 - 四丁目 弁天(べんてん)一 - 六丁目 中根(なかね)一 - 三丁目 八幡町(やはたちょう)

1955年の2町1村合併以前の旧新田村には9の大字があったが、1958年の市制施行時に大字は全廃されて「町」となり、地名も大幅に変更している(詳細は「新田村」の項参照)。上記のうち、旭町一 - 六丁目、弁天一 - 六丁目、中根一 - 三丁目は住居表示実施済み。他は未実施であるが、2014年11月22日に、新栄町、長栄町、清門町の全域で町名変更が実施され、それぞれ新栄一 - 四丁目、長栄一 - 四丁目、清門一 - 三丁目となった。

旧川口市安行から編入

北谷町と苗塚町は住居表示未実施。北谷町は、北谷一 - 三丁目の住居表示実施後の残余。

旧八条村から編入

住居表示実施済み地区。

旧川柳村

柿木町と青柳町は住居表示未実施。青柳町は、青柳一 - 八丁目の住居表示実施後の残余。

住宅団地

教育

小学校

草加市立草加小学校 草加市立高砂小学校 草加市立新田小学校 草加市立谷塚小学校 草加市立栄小学校 草加市立川柳小学校 草加市立瀬崎小学校 草加市立西町小学校 草加市立松原小学校 草加市立新里小学校 草加市立花栗南小学校 草加市立八幡小学校 草加市立新栄小学校 草加市立清門小学校 草加市立稲荷小学校 草加市立氷川小学校 草加市立八幡北小学校 草加市立長栄小学校 草加市立青柳小学校 草加市立小山小学校 草加市立両新田小学校

中学校

草加市立草加中学校 草加市立栄中学校 草加市立谷塚中学校 草加市立川柳中学校 草加市立新栄中学校 草加市立瀬崎中学校 草加市立花栗中学校 草加市立両新田中学校 草加市立新田中学校 草加市立青柳中学校 草加市立松江中学校

高等学校

特別支援学校

大学

図書館

文化施設

地域情報

消防

警察

郵政

郵便番号は市内全域が「340-00xx」である。

健康

旧松原団地跡地の大規模再開発~WELL BIND(ウェルバインド)

草加市、獨協大学、UR 都市機構、東武鉄道(株)、トヨタホーム(株)の5者は、獨協大学前広域における産官学連携によるまちづくりについての協定を2024年5月9日、締結した。 まちづくりのために必要な協議組織の構築および明確な将来像の策定を進める。また、各者が所有する施設の活用、多世代の共生およびコミュニティ活動の推進、教育や研究活動、まちづくり推進拠点の開設などを推し進めていくものである。[11]

旧松原団地は1964年に完成し、その総面積約54haに及んだ。完成から約半世紀が経過した2003年より草加市、獨協大学、UR都市機構の3者が協定に基づく連携により、団地の再生など構造・設備を中心に住環境改善に取り組んできた。これは老朽化や住民の高齢化といった問題に対処するためで、公園や防災拠点の構築、教育の提供などを推進してきている。 2024年5月9日の新たな協定に基づき東武鉄道とトヨタホームを加えた5者により、多世代の繋がり、学び、誰もが活き活きと暮らせる未来を育む「WELL BIND(ウェルバインド)」をコンセプトに連携が実現したのである。 トヨタホームは東武鉄道と連携し、街区整備による373区画の大規模な戸建住宅地を開発。それに伴ってクラブハウスを整備するなど、地域住民の防災拠点とコミュニティ形成機会創出を図る。また、戸建住宅地内に憩いの場となるテーマの異なった3つのポケットパークを整備していくことになる。[12]

旧松原団地跡地の大規模再開発

交通

鉄道

草加駅東口

市域のほぼ中央を東武スカイツリーラインが南北に通る。JTBパブリッシング交通新聞社時刻表における市の代表駅は、市役所の最寄駅である草加駅となっている。市内で最も乗降人員が多い駅も草加駅であり、急行停車駅となっている。

市の南西部は日暮里・舎人ライナー見沼代親水公園駅東京都足立区)が、市の北東部はJR武蔵野線越谷レイクタウン駅越谷市)が、市の北西部は埼玉高速鉄道線戸塚安行駅川口市)が最寄駅となる地域もある。

かつて通っていた鉄道

バス

パリポリくんバスの車両
(東武バスセントラル)

かつて市内の路線バスは東武バスが一手に引き受けていたが、東武バスの事業縮小に伴い2000年10月から市内北部を走行する一部の路線が朝日自動車に移管された。一方で、1990年9月から運行されている深夜急行バスは東武バスセントラルへの分社後も残存している。国際興業バスが運行する4路線のうち、3路線は東武バスセントラルとの共同運行である。

高速バスはかつて東北急行バススイート号レインボー号が草加駅前に停車していた。

タクシー

タクシーの営業区域は県南東部交通圏で、春日部市越谷市久喜市八潮市などと同じエリアとなっている。

道路

高速道路

一般国道

県道

景観スポット

そうか公園の桜

草加(市)の地名・名称を使っている作品

著名な出身者

政治・行政・経済

文化・学術・芸術・宗教

メディア

スポーツ選手

芸能

ゆかりある人物

脚注

  1. ^ 草加市「洪水どうなる?で知ってほしいこと」
  2. ^ 埼玉県埋蔵文化財調査事業団
  3. ^ 下川耿史『環境史年表 明治・大正編(1868-1926)』p.390 河出書房新社 2003年11月30日刊 全国書誌番号:20522067
  4. ^ 革新系やや伸びる 違反議員も当選『朝日新聞』1970年(昭和45年)11月16日夕刊 3版 10面
  5. ^広報そうか No.1317 (令和5年4月20日号)”. 草加市. 2023年5月12日閲覧。
  6. ^下水道の使用制限のお願い”. 草加市 (2025年1月31日). 2025年1月31日閲覧。
  7. ^ “【埼玉】「公約、誠実に実現」 草加市長選・初当選の浅井さん抱負”. 東京新聞. (2018年10月30日). http://www.tokyo-np.co.jp/article/saitama/list/201810/CK2018103002000137.html 2018年11月8日閲覧。
  8. ^中村美香県議 当選無効確定/埼玉県”. 共同通信 (2024年3月18日). 2024年3月19日閲覧。
  9. ^ 飯塚大輝 (2024年3月20日). “維新・中村氏 埼玉県議選の当選無効確定 次点の立民・小森氏が当選 「経済分野の知見生かす」”. 東京新聞. 2024年3月20日閲覧。
  10. ^都市と山村の姉妹都市交流”. 草加市. 2016年5月29日閲覧。
  11. ^ 産官学5者による連携協定締結
  12. ^ [https://www.watch.impress.co.jp/docs/news/1590018.html Impress Watch]
  13. ^広報そうか15年4月20日号”. 草加市. 2015年4月21日閲覧。

外部リンク

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越谷市 吉川市三郷市
川口市 八潮市
草加市
東京都足立区
草加市の町名
高砂 住吉 神明 吉町 氷川町 西町 草加 栄町 松原 松江 中央 手代町 瀬崎 谷塚町 谷塚 谷塚仲町 谷塚上町 両新田東町 両新田西町 新里町 柳島町 遊馬町 八幡町 弁天 中根 旭町 金明町 長栄 新栄 清門 新善町 青柳町 青柳 柿木町 稲荷 学園町 花栗 苗塚町 小山 北谷町 北谷 原町
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