大炊御門経音はどんな人? わかりやすく解説 Weblio辞書 (original) (raw)
![]() |
この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。 出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(2019年3月) |
---|
凡例大炊御門経音 | |
---|---|
時代 | 江戸時代中期 |
生誕 | 天和2年12月7日(1683年1月4日) |
死没 | 正徳4年4月13日(1714年5月26日) |
官位 | 正二位、権大納言 |
主君 | 霊元天皇→東山天皇→中御門天皇 |
氏族 | 大炊御門家 |
父母 | 父:内藤義竜、母:不詳養父:_大炊御門信名_ |
妻 | 正室:菊姫(上杉綱憲の養女) |
子 | **経秀**、鷲尾隆熙 |
テンプレートを表示 |
大炊御門 経音(おおいのみかど つねなり)は、江戸時代中期の公卿。左近衛中将・大炊御門信名の養子。官位は正二位・権大納言。大炊御門家22代当主。
経歴
天和2年(1683年)、大炊御門経光の子である内藤義竜の子として誕生。大炊御門信名の養子に入り、藤原北家師実流の清華家、大炊御門家の当主となった。貞享3年(1686年)に叙爵し、以降累進して元禄9年(1696年)に従三位となり公卿に列する。
元禄12年(1699年)には権中納言となり、元禄13年(1700年)には正三位に昇進。元禄14年(1701年)には踏歌節会外弁をつとめた。宝永3年(1706年)に従二位となり、宝永5年(1708年)には東山天皇中宮幸子女王の中宮権大夫に就任。宝永6年(1709年)には権大納言に任じられ、正徳4年(1714年)まで在職した。この間の正徳2年(1712年)には正二位に進んだ。
人物
鎌倉時代に装束着装の家であったことを意識し、装束書を精力的に蒐集したらしく、『雅亮装束抄』(『装束秘抄まさすけ』葉室本・宮内庁)や『良宗卿装束抄』(京都府立総合資料館)『源語装束抄』(宮内庁・斎宮歴史博物館)『物具抄』(斎宮歴史博物館)など、経音所持本から書写もしくは対校された資料は少なくない。
系譜
表話編歴大炊御門家22代当主 |
---|
経実 - 経宗 - 頼実 - 師経 - 家嗣 - 冬忠 - 信嗣 - 良宗 - 冬氏 - 冬信 - 宗実 - 冬宗 - 宗氏 - 信宗 - 信量 - 経名 - 経頼 - 頼国 - 経孝 - 経光 - 信名 - 経音 - 経秀 - 家孝 - 経久 - 経長 - 家信 - 幾麿 - 経輝 - 経昭 - |