1984年のル・マン24時間レースとは - わかりやすく解説 Weblio辞書 (original) (raw)

1984年のル・マン24時間レース24 Heures du Mans 1984 )は、52回目のル・マン24時間レースであり、1984年6月16日[1]から6月17日にかけてフランスのサルト・サーキットで行われた。

ポスターの図柄にはランチア・LC2が使われた[2]

概要

この年、ポルシェのワークスは欠場した。理由としては

と色々な説がある。ワークス参加はランチアのみとなり寂しいレースとなったが、それでも参加台数54台を数えた[2]

グループCはグループC1に、グループCジュニアはグループC2に改名された。

グループC1

唯一のワークス参加となったランチアは汚名返上を狙い、ダウンフォースを大きくするためボディ下部を改良[1]するとともにフェラーリV型8気筒エンジンも出力と燃費の両面から改良[1]されたランチア・LC2/84を3台[1]持ち込み、ポルシェ・956を使用するプライベーターチームとの対決が注目された。

ポルシェ・956の出場は16台を数えた[1]。この時点でカスタマースペックもボッシュ製モトロニックMP1.2を装備する935/82型エンジンを装備するポルシェ・956Bになっていた[4]が、現場での細かいセッティングができないモトロニックMP1.2に不満を感じたチームもあり、例えばヨースト・レーシングは独自のルートでMP1.2をセッティングしかなりの燃費改善に成功[4]、またシリンダー構造がモジュラーになっていることに注目し特注ピストンを使用して3.0リットルエンジンを製作するなど本体側の改良も進め[4][注釈 1]、新規購入したシャシ番号956-117に積み、7号車として出場させた[4]

アストンマーティンはヴァイカウント・ダウン[5]からニムロッド・C2Bの31号車、32号車が出走した[5]。31号車は585馬力、32号車は560馬力であったという[5]

フランス人はWMセカテバプジョーに期待した[1]シャシ、ボディとも1983年モデルを改良し、エンジンにはプジョー本社から技術援助を受けて出力向上を図っていた[1]

童夢は体制を一新、ターボ車が多くなる中でノンターボのフォードコスワース・DFL型エンジンを搭載[2]し、これまでの直線重視からコーナリング重視にシャシの設計を変更[2]した童夢・RC-83を持ち込んだ。

グループC2

マツダは前年の教訓から空気抵抗よりダウンフォースを重視しコーナーリングスピードを重視したマツダ・727Cを製作した。ただ排気量、エンジンパワーとも参加車両中最小[2]であり、信頼性で上位入賞を狙う作戦であった。

マツダのエンジンはその耐久性が認められてBFグッドリッチチームも採用[2]し、ローラのシャシに積まれた[2]。ドライバーの一人に片山義美が指名[2]され、片山もこれまでの経験を全て提供[2]した。チームはその助言の的確さに驚き、その助言に全面的に沿ってセッティングが進められた[2]

IMSA GTP

グループCと似たマシンということで出場が認められた[1]

ジャガーがIMSA用に開発されたシャシにSOHC5,945cc[6]V型12気筒[6]エンジンを搭載したジャガー・XJR-5[1][5]を使用しグループ44より久しぶりに参戦[5]し、イギリス人のレースファンが再びル・マン24時間レースに興味を持つきっかけとなった[1]。またポルシェの圧倒的優位に不満を感じる観客もこの参戦を喜んだ[5]

マーチ・エンジニアリングビュイック3.4リットルシングルターボエンジンを搭載するマーチ・84Gを出場させた[1]

予選

予選初日は18時[2]、2日目は17時30分[2]に始まった。

前年ジャッキー・イクスが作ったコースレコードに迫る3分17秒[4]11[2][1]をマークし、ランチア・LC2/84の2台が最前列を占めた[1][4]。3位は1位から16秒[4]、2位から13秒[4]の大差を付けられてヨースト・レーシングのポルシェ・956、7号車[4]であった。

WMセカテバプジョーは改良が功を奏し予選8位[1]をマークした。

童夢・RC-83はノンターボ車としてトップクラスの出来であり、予選の初日に過去最高の3分39秒47を記録[2][1]、ポルシェ・956を9台も上回る14番手[2]となった。2日目引き続きスタンレー・ディケンズがタイムアタックしたがダンロップブリッジの先でアクセルが戻らなくなり大破、ドライバーは奇跡的に無事だったが予選21位という記録だけ残し、決勝への出走は取りやめとなった[2]

マツダ・727は従野孝司の運転で3分47秒60[2]をマーク、初日28位[2]となった。2日目はタイムアタックせず決勝のセッティングに務めた[2]

決勝

14時55分にペースカーに先導されて出発[2]、15時[1][2]にペースカーが退いてレースが始まった[2]

序盤はスプリントレースのようなトップ争いが展開した。1周目はジャガー44号車が先頭に立った[5]がその後トランスミッショントラブルを起こし19時9分に3速ギアを交換、20時26分291周3,965km走行したところでリタイアとなった[5]。ジャガー40号車は23時20分に左後部サスペンションアームの締め直しでピットインし、5時33分トニー・アダモウィッツがテルトルルージュでコースから逸脱した。その後立ち直ったが午後になってからトランスミッショントラブルを起こし多くの観客の拍手を受けつつリタイアした。

数周WMセカテバプジョーが飛び出したがミュルサンヌコーナーでコースアウトし後退した。

ランチア・LC2/84の2台が先行したが予選のように大きく引き離すことはできず[4]、13時間目に1台がトランスミッションに不調が出て後退した。さらに14時間目にもう1台もトランスミッション、さらにターボにも不調が出たため無理をしないで走ることになった[2]

ジャガーは一時5位に上がり、ユノディエールで40号車が342km/h[5]、44号車が349km/h[5]を記録するなど健闘していたが、20時間を経過した時点で力尽きてリタイアした。グループ44の関係者は「残念ながら完走はならなかったが、ル・マンは素晴らしかった。また機会が与えられるなら、ぜひとも参加してみたい」と言い残してサーキットを去った[2]

ポルシェを使う有力チームはワークスポルシェが不出場で総合優勝のチャンスと見てペースを上げ気味にレースを進めたためにコースアウトやトラブルが増え、16台出走したポルシェ956のうち完走は8台に留まった[1]。ヨーストの7号車はレース開始1時間で燃圧が不調でピットインし一時30位まで後退した[4]ものの、その後は5時間に15位、10時間に7位、12時間で4位と着実なペースで順位を上げ、トップに立った[1][4]

マツダ86号車は4時間で追い越し禁止の黄色旗を無視して突っ込んできたアストンマーティンに接触され、車軸保持部分を破損し20分の修理を要した[2]。その後ほとんどトラブルなく走行を続け、一時は15位まで上がった[2]

アストンマーティンはレース開始から3分47秒を記録するなどしてトップグループを走り、17時に14位、19時に9位、20時に6位と順位を上げていたが[5]、31号車[5]がユーノディエールを2/3程走った地点[2]でタイヤが2本破裂[5]し、ピットに戻った。続いて21時23分に32号車がガードレールに衝突[5]して炎上[2][5]、乗っていたシェルドンが大火傷を負いヘリコプターで病院に搬送された[5]。そのすぐ後ろを走っていた31号車のドレイク・オルソンもミュルサンヌの出口でガードレールに激突[5]、コースマーシャルのジャッキー・ロワゾーが死亡[5]、もう1人のコースマーシャルが負傷[5]した。ドレイク・オルソンも病院に搬送された[5]。この事故で21時25分から22時27分までレースは中断された[5]

結果

アンリ・ペスカロロ/クラウス・ルドヴィック[5]がポルシェ・956の7号車で24時間に4,900.276km[4][5]を平均速度204.178km/h[5]で走って優勝[4][5]した。その他、8位のランチア・LC2/84、10位のローラT616を除いてトップ10全てをポルシェ・956が占めた[4]

マツダ86号車は差動装置のベアリングが焼きつき、最後の1周だけ走れるように応急処置をして何とか完走扱いとなった[2]

順位 クラス ナンバー チーム ドライバー シャシ タイヤ ラップ数
エンジン
1 C1 7[4] ニューマン・ヨースト・レーシング アンリ・ペスカロロ[4][5] クラウス・ルドヴィック[4][5] ポルシェ・956[4]B[4] D 360
ポルシェ・935型3.0リットル[4]水平対向6気筒ターボ
2 C1 26[4] ヘン・Tバード・スワップ・ショップ ジャン・ロンドー[4] ジョン・ポールJr.[4] プレストン・ヘン[4] ポルシェ・956[4] G 358
ポルシェ・935型2,649cc[7]水平対向6気筒ターボ
3 C1 33[4] スコール・バンディット・ポルシェチーム ジョン・フィッツパトリック・レーシング デヴィッド・ホッブス[4] フィリップ・ストレイフ[4] サレル・ヴァン・デ・マーウェ[4] ポルシェ・956[4]B Y 351
ポルシェ・935型2,649cc[7]水平対向6気筒ターボ
4 C1 9[4] ブルン・モータースポーツ ワルター・ブルン[4] プリンス・レオポルド・フォン・バイエルン[4] ボブ・エイキン[4] ポルシェ・956[4]B D 340
ポルシェ・935型2,649cc[7]水平対向6気筒ターボ
5 C1 12[4] ショルンシュタイン・レーシング・チーム フォルカート・メール[4] ディーター・ショルンシュタイン[4] "ジョン・ヴィンター"[4] ポルシェ・956[4] D 340
ポルシェ・935型2,649cc[7]水平対向6気筒ターボ
6 C1 11[4] ポルシェ・クレマー・レーシング アラン・ジョーンズ[4] ヴァーン・シュパン[4] ジャン=ピエール・ジャリエ[4] ポルシェ・956[4]B D 337
ポルシェ・935型2,649cc[7]水平対向6気筒ターボ
7 C1 20[4] ブルン・モータースポーツ マッシモ・シガーラ[4] オスカー・ララウリ[4] ジョエル・グイエ[4] ポルシェ・956[4] D 335
ポルシェ・935型2,649cc[7]水平対向6気筒ターボ
8 C1 4[4] マルティニ・レーシング ボブ・ウォレク[4] アレッサンドロ・ナニーニ[4] ランチア・LC2[4] D 326
フェラーリ・308C型3,015ccV型8気筒ターボ
9 C1 17[4] ポルシェ・クレマー・レーシング ティフ・ニーデル[4] デイビッド・サザーランド[4] ラスティ・フレンチ[4] ポルシェ・956[4] D 321
ポルシェ・935型2,649cc[7]水平対向6気筒ターボ
10 C2 68[4] B.F.グッドリッチ ジョン・オースチン[4] ジョン・モートン[4] 片山義美[4] ローラ・T616[4] BF 320
マツダ・13B型1.3リットル2ローター
11 C2 93[4] ジャン=フィリップ・グラン グラフ・レーシング ジャン=フィリップ・グラン[4] ジャン=ポール・リベール[4] パスカル・ウィトモア[4] ロンドー・M379 A 310
フォードコスワースDFV型3.0リットルV型8気筒
12 C2 67[4] B.F.グッドリッチ ジム・バスビー ボイ・ハイエ[4] リック・ヌープ[4] ローラ・T616[4] BF 295
マツダ・13B型1.3リットル2ローター
13 C1 37[4] マコーミック&ダッジ ジム・ミューレン[4] ウォルト・ボーレン[4] アラン・フェルテ[4] ロンドー・M482[4] G 293
フォードコスワース・DFL型3.3リットルV型8気筒
14 B 109[4] Helmut Gall フィリップ・ダゴリュー[4] ジャン=フランソワ・イヴォン[4] ピエール・デ・トイジー[4] BMW・M1[4] D 292
BMW・M88/1型3.5リットル直列6気筒
15 C2 87[4] マツダスピード デイブ・ケネディ[4] ジャン=ミシェル・マルタン[4] フィリップ・マルタン[4] マツダ・727[4]C D 291
マツダ・13B型1.3リットル2ローター
16 B 106[4] クロード・ハルディ クロード・ハルディ[4] アルトフリート・ヘーガー[4] ジャン・クルッカー[4] ポルシェ・930[4] M 285
ポルシェ・930型3.3リットル水平対向6気筒ターボ
17 IMSAGTO 122[4] レイモンド・トワルー レイモンド・トワルー[4] ヴァランティン・ベルタペレ[4] ティエリー・ペリエ[4] ポルシェ・911SC M 283
ポルシェ・930型3.0リットル水平対向6気筒
18 IMSAGTO 123[4] エキップ・アルメラス・フレール ジャン=マリー・アルメラス[4] ジャック・アルメラス[4] トム・ウィンタース[4] ポルシェ・930[4] M 268
ポルシェ・930型3.3リットル水平対向6気筒ターボ
19 C2 81 スクーデリア・ジョリー・クラブ アルモ・コッペリ[4] ダヴィーデ・パヴィア[4] グイドー・ダコ[4] アルバ[4]・AR2 A 262
ジャンニ・カルマ・FF型2.0リットル直列4気筒ターボ
20 C2 86[4] マツダスピード ピエール・デュドネ[4] 従野孝司[4] 寺田陽次郎[4] マツダ・727[4]C D 261
マツダ・13B型1.3リットル2ローター
21 C2 80[4] スクーデリア・ジョリー・クラブ マルティノ・フィノット[4] カルロ・ファチェッティ[4] マルコ・ヴァノリ[4] アルバ[4]・AR2 A 258
ジャンニ・カルマ・FF型2.0リットル直列4気筒ターボ
22 B 107[4] レイモンド・ブーティナウ レイモンド・ブーティナウ[4] フィリップ・ルノー[4] ジル・グーノン[4] ポルシェ・928S[4] ? 255
ポルシェ・M28型4.7リットルV型8気筒
23DNF IMSAGTP 44[5] ジャガー グループ44 ブライアン・レッドマン[5][5] ドク・バンディ ボブ・トゥリウス[5] ジャガー・XJR-5[5] G 291
ジャガー・5,945cc[6]V型12気筒[6]
24DNF C1 5 マルティニ・レーシング パオロ・バリッラ ハンス・ハイヤー マウロ・バルディ ランチア・LC2 D 275
フェラーリ・308C型3,015ccV型8気筒ターボ
25DNF C1 21 Charles Ivey Racing アラン・ドゥ・カデネ アラン・グライス クリス・クラフト ポルシェ・956 D 274
ポルシェ・935型2,649cc[7]水平対向6気筒ターボ
26DNF IMSAGTP 61 ヘン・Tバード・スワップ・ショップ ミシェル・フェルテ エドガー・デーレン プレストン・ヘン ポルシェ・962 G 247
ポルシェ・935型2.9リットル水平対向6気筒ターボ
27DNF C1 14 GTiエンジニアリング ヤン・ラマース ジョナサン・パーマー ポルシェ・956 D 239
ポルシェ・935型2,649cc[7]水平対向6気筒ターボ
28DNF IMSAGTP 40 ジャガー グループ44 トニー・アダモウィッツ[5] ジョン・ワトソン[5] クロード・バローレナ[5] ジャガー・XJR-5[注釈 2] G 212
ジャガー・5,945cc[6]V型12気筒[6]
29DNF C1 8 ニューマン・ヨースト・レーシング ステファン・ヨハンソン ジャン=ルイ・シュレッサー マウリシオ・デ・ナルバエツ ポルシェ・956 D 170
ポルシェ・935型3.0リットル[4]水平対向6気筒ターボ
30DNF C1 38 ドーセット・レーシング・アソシエイツ ニック・フォール マイク・ギャルビン リチャード・ジョーンズ 童夢・RC82 D 156
フォードコスワース・DFL型3.3リットルV型8気筒
31DNF C1 50 プリマガス ピエール・イヴェール ベルナール・ド・ドライヴァー ピエール=フランソワ・ルースロ ロンドー・M382 M 155
フォードコスワースDFV型3.0リットルV型8気筒
32DNF C1 13 プリマガス イブ・クラージュ ミシェル・デュボワ ジョン・イエリネック クーガー・C02 M 153
フォードコスワース・DFL型3.3リットルV型8気筒
33DNF C1 47 オーバーマイヤー・レーシング ユルゲン・ラシック ジョージ・フーシェ ジョン・グラハム ポルシェ・956 D 147
ポルシェ・935型2,649cc[7]水平対向6気筒ターボ
34DNF IMSAGTO 121 Charles Ivey Racing デヴィッド・オヴェイ ポール・スミス マギー・スミス=ハース ポルシェ・930 A 146
ポルシェ・930型3.3リットル水平対向6気筒ターボ
35DNF C1 34 チーム・オーストラリア ジョン・フィッツパトリック・レーシング ピート・ブロック ラリー・パーキンス ポルシェ・956 D 145
ポルシェ・935型2,649cc[7]水平対向6気筒ターボ
36DSQ† C1 16 GTiエンジニアリング リチャード・ロイド ニック・メイスン ルネ・メッジ ポルシェ・956 D 139
ポルシェ・935型2,649cc[7]水平対向6気筒ターボ
37DNF C1 23 WMセカテバ ロジャー・ドルシー アラン・クーデル ジェラール・パティ WM・P83B M 122
プジョーPRV型2.8リットルV型6気筒ターボ
38DNF C1 6 BP Résidences Malardeau スクーデリア・ジョリー・クラブ ピエルルイジ・マルティニ グザヴィエ・ラペイル ベッペ・ガビアーニ ランチア・LC2 D 117
フェラーリ・308C型3,015ccV型8気筒ターボ
39DNF B 101 ジェンス・ヴィンター・チーム・カストロール ジェンス・ヴィンター デヴィッド・マーサー ラーズ・ヴィゴ・ジェンセン BMW・M1 A 96
BMW・M88/1型3.5リットル直列6気筒
40DNF IMSAGTP 62 ペガサス・レーシング ケン・マースデンJr. Marion L. Speer ウェイン・ピカリング マーチ・84G G 95
ビュイック・3.3リットルV型6気筒ターボ
41DNF C1 31 ヴァイカウント・ダウン・アストンマーティン レイ・マロック ドレイク・オルソン ニムロッド・NRA/C2B A 94
アストンマーティン-Tickford・DP1229型5,340cc[6]V型8気筒[6]ターボ[6]
42DNF C1 32 ヴァイカウント・ダウン・アストンマーティン ジョン・シェルドン マイク・サロモン リチャード・アトウッド ニムロッド・NRA/C2B A 92
アストンマーティン-Tickford・DP1229型5,340cc[6]V型8気筒[6]ターボ[6]
43DNF C1 24 WMセカテバ ミシェル・ピニャール ジャン=ダニエル・ローレ パスカル・ペジオ WM・P83B M 74
プジョーPRV型2.8リットルV型6気筒ターボ
44DNF C1 55 スコール・バンディット・ポルシェチーム ジョン・フィッツパトリック・レーシング ルパート・キーガン ガイ・エドワーズ ロベルト・モレノ ポルシェ・962 Y 72
ポルシェ・935型2,649cc[7]水平対向6気筒ターボ
45DNF B 114 ミシェル・ラテステ ミシェル・ラテステ Michel Bienvault "Ségolen" ポルシェ・930 ? 70
ポルシェ・930型3.3リットル水平対向6気筒ターボ
46DNF C2 70 Spice-Tiga Racing ゴードン・スパイス レイ・ベルム ニール・クラング Tiga・GC84 A 69
フォードコスワース・DFL型3.3リットルV型8気筒
47DNF IMSAGTX 27 Scuderia Bellancauto ロベルト・マラッツィ Maurizio Micangeli ドミニク・ラコー フェラーリ・512BB/LM D 65
フェラーリ・4,942cc180度V型12気筒
48DNF C2 48 ジョン・バートレット・レーシング フランソワ・ミゴール スティーブ・ケンプトン フランソワ・サヴァーニン ローラ・T610 D 52
フォードコスワース・DFL型3.3リットルV型8気筒
49DNF C1 45 クリスチャン・ビシー クリスチャン・ビシー ジャック・グリフィン Bruno Ilien ロンドー・M382 D 49
フォードコスワース・DFL型3.3リットルV型8気筒
50DNF C2 79 A.D.A.エンジニアリング イアン・ハローワー ボブ・ウォルフ グレン・スミス ADA・01 A 42
フォードコスワース・DFL型3.3リットルV型8気筒
51DNF C2 85 Hubert Striebig Hubert Striebig ジャック・ユクラン ノエル・デル・ベロ Sthemo・SM C2 ? 41
BMW・M88/1型3.5リットル直列6気筒
52DNF C2 77 エキュリー・エコッセ マイク・ワイルズ デヴィッド・ダフィールド デイビッド・レズリー エコッセ・C284 A 36
フォードコスワースDFV型3.0リットルV型8気筒
53DNF C1 25 C.A.M.S. Charles Ivey Racing ダドリー・ウッド ジョン・クーパー バリー・ロビンソン グリッド・S2 A 10
ポルシェ・935型2.9リットル水平対向6気筒ターボ
DNS C1 39 Uchida・童夢 エイエ・エリジュ スタンレー・ディケンズ 童夢RC83 D -
フォードコスワース・DFL型4.0リットルV型8気筒
DNS C2 99 J.Q.F.エンジニアリング ロイ・ベイカー Jeremy Rossiter フランソワ・デュレ Tiga・GC84 A -
フォードコスワース・BDT型1.8リットル直列4気筒ターボ

注釈

  1. ^ この方法で後にポルシェワークスも排気量拡大を図っている。
  2. ^ 『ル・マンの英国車』p.135は「XJR-S」とするが、写真を見る限り形状は44号車と同一に見え、誤植と判断した。

出典

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s 『ルマン 伝統と日本チームの戦い』pp.27-154「ルマン24時間レースの歴史」。
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad 『ル・マン 偉大なる草レースの挑戦者たち』pp.29-62「質屋通いのレース記者」。
  3. ^ ポルシェ公式ウェブサイト1984年のレース戦績
  4. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag ah ai aj ak al am an ao ap aq ar as at au av aw ax ay az ba bb bc bd be bf bg bh bi bj bk bl bm bn bo bp bq br bs bt bu bv bw bx by bz ca cb cc cd ce cf cg ch ci cj ck cl cm cn co cp cq cr cs ct cu cv cw cx cy cz da db dc dd de df dg dh di dj dk dl dm dn do dp dq dr ds 『Gr.Cとル・マン』pp.60-61。
  5. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag ah ai 『ル・マンの英国車』pp.134-135「1984」。
  6. ^ a b c d e f g h i j k l 『ル・マンの英国車』p.144。
  7. ^ a b c d e f g h i j k l m 『Gr.Cとル・マン』p.13。

参考文献

ル・マン24時間レース
フランス西部自動車クラブ サルト・サーキット ル・マン24時間歴代勝者 ロードレース ル・マン式スタート 世界三大レース 栄光のル・マン
1923 1924 1925 1926 1927 1928 1929 1930 1931 1932 1933 1934 1935 1936 1937 1938 1939 1940 -1948 1949 1950 1951 1952 1953 1954 1955 1956 1957 1958 1959 1960 1961 1962 1963 1964 1965 1966 1967 1968 1969 1970 1971 1972 1973 1974 1975 1976 1977 1978 1979 1980 1981 1982 1983 1984 1985 1986 1987 1988 1989 1990 1991 1992 1993 1994 1995 1996 1997 1998 1999 2000 2001 2002 2003 2004 2005 2006 2007 2008 2009 2010 2011 2012 2013 2014 2015 2016 2017 2018 2019 2020 2021 2022