5050とは - わかりやすく解説 Weblio辞書 (original) (raw)

50-50クラブ(50-50 club)は、プロ野球リーグにおいて、1シーズンに50本塁打以上と50盗塁以上を同時に達成した選手達を指す。

概要

現代のプロ野球ではなかなか達成できない偉業である。1つのシーズン中に50本のホームランを打つパワーと50個の盗塁をこなすスピードの両方を兼ね備えた選手はほとんどいないため、達成するのは極めて難しい。メジャーリーグでは、シーズン中に30〜40本のホームランを打つことが基準となるが、40〜50本を打つことは難しい課題である。MLB100年の歴史を振り返ると、50本以上のホームランを達成した選手はわずか33人しかおらず、いかに難しいことかが分かる。 大谷が記録を達成するまで、MLBで50本以上のホームランを打った選手の中で、最も多い盗塁数は1955年ウィリー・メイズ、2007年アレックス・ロドリゲスがそれぞれ記録した24盗塁であった。

基本的にホームランの数が増えると、盗塁の数は減る。また、大谷が2024年9月19日に初めてMLB「50-50クラブ」のマイルストーンを開いた後、元ドジャース選手で前ドジャース選手のシーズン最多本塁打記録を持っていたショーン・グリーンは「50-50記録を追い求めているとき、彼が塁に出れば、相手は彼が走ってくると思う。彼が打席に立つと、相手は彼がホームランを打つのではないかと心配する。相手が彼の2つのことを完遂するのを阻止することに集中しているときに、彼がまだこれを実行できるのは本当に素晴らしいことだ」と大谷について語った。

現在達成した人物は大谷翔平のみである。

2024年9月20日(日本時間)、マイアミ・マーリンズロサンゼルス・ドジャース戦において、大谷翔平が6打数6安打2盗塁3本塁打10打点という結果を出し、MLB史上初めて同一シーズン50本塁打・50盗塁を達成[1]

大谷は最終的に54本塁打・59盗塁まで記録を伸ばした。

プロ野球リーグにおいても同一シーズンに50本塁打・50盗塁を達成した選手は2024年現在、大谷以外に存在しない。

大谷が50-50を達成した2024年、日本ではユーキャン新語・流行語大賞のベストテンに「50-50」[2]日経MJヒット商品番付の東の横綱に「大谷50-50」[3]が選出された。

達成選手

脚注

注釈

出典

  1. ^ “大谷翔平、おめでとう! 「50-50」達成 2発&2盗塁で一気に決めた”. 日刊スポーツ. (2024年9月20日). https://www.nikkansports.com/baseball/mlb/news/202409190000364.html 2024年9月20日閲覧。
  2. ^「50-50」まさかの『新語・流行語』年間大賞逃す ここ10年で「神ってる」や「村神様」など野球関連が5度受賞も”. ORICON NEWS (2024年12月2日). 2024年12月3日閲覧。
  3. ^「大谷50-50」「新NISA」が横綱 24年ヒット商品番付”. 日本経済新聞 (2024年12月3日). 2024年12月3日閲覧。
  4. ^Tracking Shohei Ohtani's quest for 50 home runs, 50 stolen bases”. 2025年2月24日閲覧。

関連項目

この項目では、中山美穂のシングルについて説明しています。その他の「フィフティ・フィフティ」については「フィフティ・フィフティ」をご覧ください。
「50/50」
中山美穂シングル
初出アルバム『COLLECTION
B面 斜めな愛を許して
リリース 1987年7月7日
規格 7インチシングル
ジャンル 歌謡曲ポップス
レーベル キングレコード
作詞 田口俊
作曲 小室哲哉船山基紀(編曲)[1]
チャート最高順位
2位(オリコン[2]
中山美穂 シングル 年表
「派手!!!」1987年50/50(1987年)CATCH ME(1987年)
テンプレートを表示

50/50」(フィフティー・フィフティー)とは、中山美穂の10枚目のシングルで、同シングルの表題曲である。1987年7月7日に発売された。発売元はキングレコード(EP: K07S-10201)

背景

表題曲を作曲した小室哲哉は、『月刊カドカワ』1992年11月号において、アイドルから社会現象になりつつあった中山に向けて、「自分のメロディーをより多くの人に知ってもらうチャンスだ」と必死になって作った結果、自然とテンションが上がって「ちょっと攻撃的なメロディーになった」と振り返っている[3]

この曲に加え、1週間後に発売されたアルバム『ONE AND ONLY[注 1]を引っ提げてのコンサートツアー ″ONE AND ONLY これっきゃない″ に向けて結成されたバックバンド ″Liberty Club″ には、DREAMS COME TRUE結成前の中村正人が ″チャチャ中村″ 名義でベーシストとして参加しており、歌番組では吉田美和がコーラス参加したこともある。

1992年7月22日には、表題曲と前作「「派手!!!」」とそれらのカラオケトラックを収録した8センチCD (KIDS-95) が発売された[4]

収録曲

  1. 50/50
  2. 斜めな愛を許して

収録アルバム

チャート成績

オリコンチャートにおいては、週間順位で2位を[2]、1987年度年間順位で23位をそれぞれ獲得した[5]

TBS系列放送の音楽番組『ザ・ベストテン』内のランキングにおいては、初登場で7位[_いつ?_]、6・7週目に2位を獲得し[_いつ?_]、1987年度年間順位で12位を[_要出典_]それぞれ獲得した。

日本テレビ系列放送の音楽番組『歌のトップテン』内のランキングにおいては、2週連続1位を[_いつ?_]、1987年度年間順位では14位を[_要出典_]それぞれ獲得した。

カバー

脚注

注釈

  1. ^ アルバム『ONE AND ONLY』に本作は未収録となった。

出典

  1. ^ a b 楽曲作品 N(船山基紀オフィシャルウェブサイト)2024年7月28日閲覧。
  2. ^ a b中山美穂のランキング情報”. ORICON NEWS. oricon ME. 2023年6月24日閲覧。
  3. ^ 角川書店刊『月刊カドカワ』1992年11月号136Pより。
  4. ^ 派手!!! (ORICON NEWS) 2024年7月28日閲覧。
  5. ^ 別冊宝島2611『80年代アイドルcollection』p.39.