蓋=か・・・ガイ=葢=盖・・・「思うに・多分」=推定の意 (original) (raw)
文字霊日記・3488日目
「天=あま・あめ=雨」がフル・・・
尼・海女=あま・あめ=源泉の変身
↓↑
ヨン・ゲソムン(淵蓋蘇文)
淵 蓋蘇文
『日本書紀』
伊梨柯須彌(伊梨 柯須弥
イリ カスミ)
姓
「淵(泉)」
高句麗語の「いり=水源」
名
「蓋蘇文」
高句麗語の「かすみ=霞」
?~666年
(宝蔵王二十五年)
高句麗末期の
「大莫離支(テマクリジ・宰相)・将軍」
「淵 蓋蘇文」
は
「泉 蓋蘇文」
「泉 蓋金」
とも記録
『日本書紀』
「伊梨 柯須彌
(伊梨 柯須弥
いり かすみ)」
「蓋金」
姓の「淵(泉)」は
高句麗語
「いり(高句麗語の水源)」
の漢字訳
名
「蓋蘇文」は高句麗語で
「かすみ」と発音したものを
漢字で当て字した・・・?
蓋=か・・・ガイ=葢=盖
=艹+盍
艹+去+皿
艹+土+厶+皿
ガイ
コウ
ふた
おおい(蔽い・覆い)
おおう(被う)
かさ(蓋・傘・嵩・笠・暈)
けだし(蓋し)
おおいかくす
かぶせる
ふた(蓋)・おおい・かさ・とま
地を覆う天・空・・・天蓋
「けだし」
「思うに」
「多分」
推定の意
とま・むしろ(蓆・莚・筵・席)
かや(萱・茅・榧)や
がま(蒲)
↓↑
かま=蝦蟇=蛙(かえる)
鎌⇔中臣(藤原)鎌足
釡⇔釜次郎(かまじろう)
榎本武揚
伊能忠敬の弟子の
幕臣
榎本武規(箱田良助)の次男
昌平坂学問所・長崎海軍伝習所
で学び幕府の
開陽丸発注に伴い
オランダへ留学後
幕府海軍の提督
戊辰戦争で
蝦夷地占領し
蝦夷共和国総裁
号 梁川(リョウセン)
榎、釜を分解した
「夏木 金八
なつき きんぱち)」
榎本武揚
箱館戦争
慶応四年=明治元年
1868年~明治二年(1869年)
戊辰戦争の
「五稜郭の戦い」
干支が
「戊辰~己巳」に替わり
「己巳の役(きしのえき)」
とも呼ばれる
↓↑
などを
編(あ)んで
造った蔽(おおい)
「なんぞ・・・ざる」
「どうして・・・しないのか」の意
↓↑
蘇=す・・・ソ・よみがえる
蘇我蝦夷・蘇我入鹿・蘇我馬子
↓↑
蘇定方 (ソ テイホウ)
592年~667年
唐の軍人
名 烈
字 定方
諡 荘
本貫
冀州
武邑県
父 蘇 邕
隋末
「蘇 邕」
は郷里の数千人を率いて
叛乱の討伐にあたり
「定方」
は15歳で父の下で従軍
貞観(627~649)
突厥、高句麗への外征
西突厥の叛臣の
「阿史那賀魯」
の討伐で功
660年(顕慶五)
高宗の
左武衛大将軍
顕慶五年(660年)
熊津道大総管
百済の征討
百済軍を撃破し
真都城に進軍
百済に戦勝
百済王
扶余義慈
太子
扶余隆
は北方に逃走
「蘇 定方」が
泗沘城を包囲
扶余義慈の子の
扶余泰
が王を称し
抗戦を続けようとしたが
扶余義慈は開門して降伏
百済の将軍
禰植
扶余義慈
は唐軍に降り
扶余泰
も捕らえられ
百済滅亡
扶余義慈
扶余隆
扶余泰
らは捕虜とし
東都洛陽に送られた
定方の子の
蘇慶節
は
尚輦奉御の位を加えられ
定方は
遼東道行軍大総管となり
平壌道行軍大総管に転じた
高句麗の軍を
浿江で破り
馬邑山の敵営を落とし
平壌を包囲
大雪に遭って
包囲を解いて帰還
涼州安集大使に任ぜられ
吐蕃や吐谷渾と戦った
乾封二年(667年)
76歳死去
左驍衛大将軍
幽州都督
の位を追贈
↓↑
『旧唐書』巻83
列伝第33「蘇定方伝」
『新唐書』巻111
列伝第36「蘇定方伝」
蘇我
↓↑
「淵蓋蘇文」
↓↑
蓋=か・・・ガイ=葢=盖
=艹+盍
艹+去+皿
艹+土+厶+皿
↓↑
文=み・・・ブン・ふみ
あや
(彪=虎=とら=寅・禽)
↓↑
姓
「淵」とも「泉」
『旧唐』『三国史記』等が
「泉」として
「淵」とは書かないのは
唐の高祖
「李淵」の諱を避諱して
「泉」に代用した
『日本書紀』
「伊梨 柯須彌」と記録
淵=氵+片+一+爿
=渕・渊・渆・㴊・㶜・囦・渁
エン
おくぶかい
ふかい
ふち
水を深くたたえている所
物が多く集まる所
深い・奥深い
しずか・奥ゆかしい
静まり返る
ひっそりしている
↓↑
642年(栄留王二十五年)
栄留王は
北方に千里長城を築造し
唐の侵入に備え
唐との親善を図り
「淵 蓋蘇文」
ら
軍人貴族の勢力を弾圧
↓↑
「淵 蓋蘇文」は
栄留王
伊梨 渠世斯
(イリ コセシ)
他
180人の保守派貴族たちを弑害
宝蔵王
を
第28代王に擁立し
自ら
「大莫離支(テマクリジ)
行政と軍事権を司った最高官職)」
に就き
政権を掌握したが
安市城の統治者が
「淵 蓋蘇文」
への
権力集中を認めず抗議したので
これを
「淵 蓋蘇文」
は直接軍隊を率いて
安市城を攻撃したが
占領することができず妥協
「淵 蓋蘇文」
は
安市城主の職権を奪い
安市城主は
「淵 蓋蘇文」
を
執政者として承認
↓↑
「淵 蓋蘇文」
は
対外強硬策を採り
高句麗に救援要請にきた
新羅の
「金春秋(キム・チュンチュ・武烈王)」
を監禁
新羅と唐との交通路
党項城
を占領した
↓↑
644年(宝蔵王三年)
新羅との和解を勧告する
唐の太宗の要求を拒否
激怒した
太宗が
「弑君虐民の罪」を問い
↓↑
645年(宝蔵王四年)
17万の大軍を率いて高句麗に侵入
安市城主が安市城でこれを阻止
60余日間の防戦ののち
唐軍を撃退
その後4回
唐の侵入を受けたが
安市城主はことごとくこれを撃退
↓↑
643年(宝蔵王二年)
唐へ使臣を派遣
道教の道士8名と
『道徳経』を
高句麗に持ちこみ
「淵 蓋蘇文」
は文化面でも功績
↓↑
645年
「大化の改新」
↓↑
『日本書紀』
天智天皇三年(664年)十月
「淵 蓋蘇文」
死没の記録・・・
「淵 蓋蘇文」
は
息子たちに
「お前たち兄弟は
魚と水のように仲良くし
爵位を争うことがあってはならぬ
もしそんなことがあれば
きっと隣人に笑われるぞ」
と遺言したが
唐と新羅に滅ぼされた・・・
↓↑
645年
「大化の改新」
↓↑
「淵 蓋蘇文」の
家族
父 淵 太祚
弟 淵 浄土
妹 名前不詳(中国外史に記述)
長男 淵 男生(泉男生)
孫 淵 献忠
孫 淵 献誠(泉 献誠)
次男 淵 男建・・・・・建=日本建?
三男 淵 男産
↓↑
宮本(楍・㮺・𠂔=𠥽=𪩲)武蔵=二刀流
日 本(楍・㮺=本+𠱠・𠂔=𠥽=𪩲)
𠱠
㮺 从
𡴡・屮=テツ・テチ・ソウ
=屮+ハ+‐
吅
不从
𠱠
本=㮺・楍
𡴩=凵+人+十+𠱠
・・・二刀流が木刀を振る・・・
邇=爾+辶・・・邇邇(にに)藝(ぎ)
辶+爾
辶+丨+平+亅+㸚
辶+丨+丅+ハ+一+亅+㸚
辶+一+八+冂+丨+㸚・・・㐅=五・Ⅹ=十
↓↑
㸚=㐅+㐅+㐅+㐅
五+五+五+五=二十=廿
廿=二十=弐拾⇔似拾
廿=ジュウ=にじゅう
じゅう⇔十=壱
Ⅹ+Ⅹ+Ⅹ+Ⅹ=四十
=肆拾
10×10×10×10=10000
=壱萬
↓↑ ↓↑
辶+一+八+冂+丨+爻・・・交
辶+一+八+冂+丨+㐅+乂・・刈
辶+一+八+冂+丨+㐅+乂・・
迩=尓+辶
ジ
ニ
ちかい
近い・近いところ
近づく
爾≠雨
↓↑
𦥯=𦥑+爻+冖・・・尋常小學(斈・学)校
學=⺽+爻+冖+子
⺽+㐅+乂+冖+子
⺽+㐅+丿+冖+子
↓↑
⺽(キョク・E+ヨ)=⁅ + ⁆
の
異体字「臼 匊 舉 裒 ⺽ 挙」
キョク・コク・キク・キョ
左右の手の指を組み合わせる
物を両手で捧げ持つ
擧の古字・・・挙・挙手
↓↑
覺=𦥯+見=𦥑+爻+冖+目+儿=覚・覚醒(酉+星)
目で見て覚えるモノは「文字」
音=立+日
耳で聴いて覚えるモノは「音声」
音は見えないのに覚えるときは
「音符・記号」にする・・・
文字の発音
↓↑
两=一+冂+从
一+冂+人+人
=両=兩=㒳
=一+冂+山
=丅+入+冂+入
=冂+入+|+入(ノ+乁)
リョウ・ふたつ
二つで一つの組みになるもの
対をなすもの
二個・双方
重さの単位・一斤の十六分の一
車を数えることば・=輌
↓↑
雨=丅+冂+冫+冫
ウ
あめ・あま
𠕒・𠕘・𠕲・𩁼・㲾
大気中の水蒸気が集まって水滴となり
浮かんでいることができずに落下するもの
(雨や雪が・小さなものが無数に)降る
上から下に落ちて来る
あめ・あめかんむり
↓↑
𠭍又