yporciniの日記 (original) (raw)
ハイキングをした足腰や肩の疲れを癒すために、昨年に引き続き鳴子の湯に浸るつも
りでやってきました。若い時は、温泉にゆっくり浸かるなどということが時間がもった
いないくらいに思っていましたが、近頃は東北へ来た時には必ず温泉を探して泊りま
す。年を取ったのです。
昨年を思い出すと伊豆沼サンクチュアリ友の会の芋煮会へ参加してから鳴子へ紅葉見
物に来たのですが、今年も鳴子狭での紅葉狩りなどとも考えましたが、先日の大雨災害
により陸羽東線は鳴子温泉駅から先は不通(バスの代替輸送あり)だというのでやめま
した。
去年泊めてもらった御殿湯の民宿へ泊るつもりでいたのですが、予約が取れなくて、
一番東に位置する「川渡(かわたび)温泉」の藤島旅館へ泊ることにしました。
藤島旅館の玄関です。
ピカピカの宿しか知らない方には、なんて古ぼけた旅館だろうと思われるでしょう
が、ここは、創業420余年、1596年より仙台藩領の湯守としてこの場所で営業を生業と
してきた旅館。現在の当主が19代目にあたるそうです。
沸かし湯を使わない天然温泉「真癒(まゆ)の湯」が自慢。湯口から出てくる新しい
お湯に浸かりたいと思う人がいるらしく、脱衣場には
「湯口を独占しふさぐようなことはしないでください。」
というような注意がきが貼ってありました。それだけ効能のある湯なのだともいえるの
でしょうが。緑色をした刺激臭の少ないよく温まる気持ちの良い湯だと思いました。
歴史が古いのを感じるのはお庭です。
山を借景にした約二千坪の和風庭園。池泉回遊式庭園となっているそうですが、今は
向こう側を歩く道が整備されていないので人の代わりに回遊するのは、池の鯉だけで
す。かなりたくさんいるので池のそばを歩くだけで近寄って来て大きな口をパクパ
ク開けてエサを催促しています。(売店で鯉のエサを売っています。)
池の真ん中に中島があって、その真ん中に丸く広がっているのが「おんこの木」。
オンコはイチイのことだとネットでは説明されていますが、イチイはまっすぐに伸び
るような木ので横に枝を伸ばす姿がだいぶ違います。同じ仲間のキャラボクと言われる
種類のものではないかと思われます。
これは比較的小さいですが、庭にはほかにもあと2本ありました。この旅館の歴史
と同じ約4百年の樹齢と説明されているので、巨木の仲間と言えるような気がします。
隣にこの温泉石神社(ゆのいしじんじゃ)があります。1100年程前の「延喜式神名
帳」にも記録されているので由緒正しい神社だそうです。
鳴子温泉にもう一つありますから、10社載っているうちの2つが鳴子にあるというこ
とは、そのころからここが湯量が多い全国的に有名な温泉であったということと言える
のだそうです。
神社のちょっと先にある郵便局に立ち寄った時に、前の通りは、今でもあと数件の旅
館がありますが、
「この辺りはたいそうにぎわっていて、遊郭まであったんだそうですよ。」
と、局の男性が教えて下さったので、現在の静かな佇まいとの違いにちょっとびっくり
しました。
私が泊ったお部屋は、新しくリニューアルしたお部屋のようで、シングル用にベッド
が入りトイレは共同ですが、洗面、テレビ、勉強机といすが付いたシンプルですが使い
勝手の良い部屋でした。(二食付き11500円)
その日は温泉に2回入って、夕食を食べてぐっすり休みました。
(つづく)
気仙沼最後の日、民宿のご主人が朝市街地まで車で送って下さるというので、お言葉
に甘えて乗せてもらいました。
気仙沼3つ目の宿題は、気仙沼復興記念公園の慰霊塔へお参りすることでした。
2021年に来た時に、やっぱり朝港のあるところまで車で送ってもらったときに
「あの山の上に復興記念公園ができたので、今度来た時にはお参りに行ってあげてくだ
さい。」
と、話されていたのでついでに山の上まで送ってもらうことにしました。
気仙沼は、3月11日に津波だけでなく火災も起きていて犠牲者は、1249人。
石巻市、陸前高田市、に次いで人数が多かったところだと記録されています。
以前、気仙沼東日本大震災遺構伝承館へ行った時にも津波にさらわれた人が大勢いた
話を聞いていましたので、その地域地域で慰霊塔が存在するのだと思いますが、街のシ
ンボルとして港を望むこの山の上に作った意味があるのだと思いました。
ここなら港へ入って来た船からも見えます。
気仙沼の次の駅、鹿折地区。左の道路のようなところに線路がありましたが、今では
それを取っ払って、BRTというバスが通行する道路になりました。
川を伝って奥深くまで入り込み船が何艘もこの平らな畑や建物の間に入り込んでいた
景色やなめるように何もかもさらっていった先に何もなくなった様子も思い浮かびま
す。
2013年9月には、上の写真の左側にこんな大きな船が震災から2年以上止まって
いました。
気仙沼の港の方は10年経ったときには、ほぼ今のようなたたずまいになりました
が、それでもあの時は、あそこの石油基地からドラム缶が海の中で火を噴きながら転が
っていたなあと私ですら思い浮かぶのですから、いまだに辛い気持ちを抱えている方は
冷静な気持ち でここへは来れないかもしれないなと思います。
ここには、彫刻が6点、そして犠牲者の名前が書かれた碑があり、駐車場、トイレも
用意され、いつでもここへお参りに来れるようになっています。私がここへいる時に、
もう一人女性の方が慰霊碑に目をやってお参りしていらっしゃいました。歩いて見えた
ようなので、お近くの方なのでしょう。
鹿折地区の方を向いた時に一羽のとびが木に停まりました。この日は空が青くて抜け
るようでした。
お昼ごろの列車で一関を経由して鳴子へ向かいました。
(旅はもう少し続きます。)
(*鬼の霍乱は暑い季節に使う言葉だそうですが、めったに熱で寝込むことがないの に、先週末より風邪を引いたらしく体調が悪く珍しく4日間眠っておりました。皆様も体調にお気を付けください。)
気仙沼のビジターセンターは、唐桑半島の突端、御崎神社の裏にあります。
前回来た時は、月曜日だったのでお休みでした。その後は改装工事が入ってしばらく
やっていなかったので初めて訪ねました。唐桑半島の自然や人々の生活のことなど、一
部屋でいろいろなことがわかるようになっていて、ゆったりと休めるようなソファやテ
ーブルが配置されていて、ずいぶんと明るくなりました。
ここから二つ目の宿題、2011年の震災時、津波の力で流れ着いたという
「神の倉の津波 石」を目指して歩きました。前回北の方角から歩いてきたときには、標
識を見つけられずに行けなかったのです。
たった900mのところだというのに、アップダウンがあるのでかなり歩いた感じで
す。
小さな入り江があるので開けたところはとてもいい景色です。薄く見えているところ
だいぶ近づいてきたようです。
マザーツリーと表示された木がありました。近くの小学校の5年生が作った名札で
す。後で調べたところ、これはタブノキだそうです。タブは、もともと暖かい気候を好
む木だということですが、岬の南端でしかも黒潮がそばを流れているので、比較的暖か
いのかもしれません。一応北限だと言われています。
ここから小刻みな階段を用心深く下りていくと目的の神の倉です。
目の前に見える岩は、2011年以前には存在していなかった岩ですから、海の底の方に
あった岩が津波の力で押し上げられたといわれています。150トンもあるという岩がど
んなふうにここへ上がったのか見ていた人はいないでしょうし、とにかくすごい力だと
しか言いようがありません。
自然の力は、人間の想像をはるかに超えています。
そばで岩を触ってみるだけでもここへ来た価値があるような気がしました。
反対の方向へ登りながら岩を撮ってみました。
ちょうど右斜面に「ハマギク」が一叢咲いていました。2014年9月の宮古で初めて見
た花なので、今回は無理かなと思っていたらまだ元気に咲いていたのでとても嬉しく思
いました。
午前中早馬神社へ行く途中で見つけた白い「アキギリ」の色違い、
「キイロアキギリ」です。なかなか見かけない花なのに、申し合わせたようで驚きまし
た。
民家や畑の脇を通り、道へ出たのですが、また「弥右衛門坂」と呼ばれる道を入って
いくような表示があったので登って行きます。
この道は雨でぬかるむと危ないと思ったのか、オルレを管理している方たちは、木く
ずを道に敷いてくれていました。細やかな心遣いが有難いです。
両脇は林で暗い道だったのでドキドキでしたが、何とか抜けてやっとバスが通る道へ
出ました。
巨釜半造の入口のバス停まで歩いて、そこからバスに乗り宿まで帰りました。
2日目、宿題の2つ目も無事クリアー。
お宿は、3年前に泊めていただいた民宿です。量は少なくてもいろんなものを少しず
つというシニア用のコースです。
栗ご飯、メカジキの刺身、カキフライ、メヌケの焼き物、陶板焼きは、やっぱりメカ
ジキ、マグロの胃袋と野菜の和え物、イカの塩辛など
食べきれないほどの量であり、珍しいものが出てくるのでびっくりします。
魚は当分食べなくてもいいと思うくらい十分食べさせてもらいました。
(旅はまだ終わりません。)
翌日は、2つ目の宿題を解決するために朝9時半ごろ宿を出ました。11時までバス
がなかったので、ビジターセンターを訪ねる前に手前にある「早馬神社」(はやまじん
じゃ)へ行ってみることにしました。
車道の標識通りに行ってもよかったのですが、近道があるはずだと思って交番を訪ね
ると運のよいことにお巡りさんが在所していました。確かに近道があるとわかり、言わ
れた通り進んでいくと山道へ出ました。
珍しい植物に出会いました。たぶん「アキギリ」?だと思いながらはっきりしないま
ま今朝調べたら思った通りでした。ほとんど見かけない植物なのになんで覚えていたの
か自分でも不思議です。以前調べたことがかすかに脳内のどこかに残っていたのだろう
とちょっと嬉しくなりました。(年寄になると忘れていくばかりなのでね)
そこから先の道の検討が付かなくて人に聞こうにも人がいないので困っていると一人
私と同じくらいの女性が向こうからやってくるではないですか。渡りに船というわけで
神社への道を尋ねると、ちょっと手前の山道を下るとすぐだと教えてくれました。
ただし、日常人が通らない避難路だから草も生えてるし気を付けて歩くようにと言わ
れました。
道に入るとすぐに動物の糞がしてあるのを見つけてしまい、クマではないかとちょっ
とドキドキしました。道の脇は、小さな沢になっていてちょろちょろと水が流れる音が
聞こえるのみ。杉の木がうっそうとした暗がりの道を何とか下り、神社の屋根が見える
ところまで無事下りてこれました。
早馬神社は、梶原景時(鎌倉殿の13人)の兄、影実が創建し、頼朝の夫人北条政子
の安産祈願をしたと言われています。
境内にある馬をなでると万事うまくいくといわれ、お参りした人が撫でていくよ
うです。
この写真は、2011年の震災の時のものです。神社の下にあった民家など跡形もな
く流され、今は右手にある港の設備のほかは何もなく、広い空き地になっていました。
ここへ来るまでは、こんなところに海が迫っているなんて知らなかったので、入り組
んだ地形なんだと改めて知りました。ここは、「舞根湾」(もうねわん)です。
「森は海の恋人」運動のカキじいさんこと、畠山重篤さんの住んでいる舞根地区は、
右手の奥の方です。一番どん詰まりのここにも容赦なく津波が押し寄せたということで
す。
この日は前日の日曜日が運動会だったらしく中学生の男子が10人ほど釣りを楽しん
でいました。サバが釣れるんだと話してくれました。
左の方へ行くとバスの停留所があるはずだと思って歩き出すと、いきなりかつての小
学校の門がありましたが、裏には何もありません。門の左側になんと「二宮金次郎」の
像が倒れないように鉄棒に支えられて何とか立っているのを見つけました。
あれから13年経つんだなとしみじみとした気持ちになります。
「下二本杉」と呼ばれる大杉。道の反対側に「上二本杉」がかつてはあったはずです
が、
平成11年の強風で2本あったうちの西側にあった株に亀裂が入って周辺住民の安全
を考えて伐採されたそうです。もう1本の東株も道路の拡幅のためやむを得ず伐採され
たそうです。樹高28ⅿ、根元8、7ⅿどちらも樹齢が800年。県指定文化財「上二
本杉」跡として保存されています。
この杉の前にあるバス停からバスに乗り、ビジターセンターに向かうことにします。
なんとお客さんは私一人でした。宿題も次回に持ち越しです。
今週の日曜日から4泊5日で宮城県の気仙沼と鳴子温泉を旅してきました。
気仙沼は、2012年の東日本大震災の1年後、初めて足を踏み入れた土地です。
震災時の2011年、テレビの映像で見る気仙沼湾は、船や瓦礫、それに石油のドラ
ム缶が浮いたおどろおどろしい姿でした。
2012年の夏に足を踏み入れた時には、連絡船が行き来する港まで行くと土台のコ
ンクリートのみが残るだけで、空き地には仮設の復興屋台村が立ち飲食店が細々と営業
していたことを思い出します。
2014年、2021年、2023年、と続けて訪ねているので、今回で5回目の
来訪になります。
気仙沼の町は、漁業で成り立っているので、港の整備はいち早く進み、2012年の
段階でも全国からの漁船がたくさん入港していました。今では立派な設備が整った魚市
場があり、今年も28年連続でカツオの水揚げが日本一と活気づく気仙沼です。
今回の気仙沼では、昨年から必ず行きたいと思っていた宿題が3つありました。
その一つは、昨年宿泊した気仙沼大島(今は橋が架かったので、正確には島ではなく
なりました)の田中浜に祀られている「みちびき地蔵」へもう一度行くことでした。
立っている三体が新しく作られたみちびき地蔵さま
昨年の7月に友人たちとここを訪れた時に、すぐ近所に住まわれている男性が地蔵さ
まの境内の清掃をされているところでした。この地域のことはよく知らなかった私は、
その男性に
「ここも津波がおしよせてきたのですか。」
と聞くと、
「うちは一番高いところに建っているから津波に浸からなかったのですが、下の2軒は
被害がありました。」
とのことでした。
その後、
「ちょっと待っててください。」
とおっしゃるので、待っているとポットに入った「金のなる木」を運んできて下さり
「今はゆずが生っていないので、これを持って行ってください。」
とおっしゃるので、せっかく下さるというものをお断りするのは失礼かなと思い、
有難くいただいて帰ることにしたのです。
ゆずの話になったのは、大島は、ゆずの北限をいう話を記憶していたのでそのことも
質問したせいだと思います。
この一年あまり、みんなお地蔵さまにいただいた「金のなる木」だからとうちで大事
に育てたので、庭に地植えにした人はかなり大きくなったと言ってましたし、私のうち
にもらわれてきた苗も背が高くなり、枝分かれもして元気いっぱいに育っているという
ことをお知らせしたいと思ったのが、今回の宿題その1だったのです。
お名前を聞いたわけでもなく、わかっているのは一番上の高いところにある家だとい
うことだけ。突然おじゃますると、庭に男性がいらしたのですが、お顔の感じが違う
ので
「これこれしかじかでお訪ねしました。」
とご挨拶すると、
「それは、きっとうちの兄貴だ。寝ているから起こしてきますよ。」
と、起こしてきてくださいました。
お兄さんにあたる男性のお顔には見覚えがあったので、とてもほっとしました。
私が、
「いただいた「金のなる木」が順調に大きくなっているのでお礼に伺ったのです。」
と、
「そうですか。育ってますか。」
と、お顔をほころばせてくれました。
そして、庭に生えている大きなゆずの木をさして、
「このゆずの木が大島のゆずの元になったと言われているんですよ。」
と教えてくれて、
「今年は、ゆずの生りが悪くてね。」
と言いながら、下の畑に生えているゆずの木に生っているゆずを2つハサミで採ってく
ださいました。
生りが悪いのにもらっていいのかなと思いながら、大島のゆずを持ち帰ることになっ
たのです。優しい心持の方と縁ができたのは、みちびき地蔵さんのおかげかな、今度は
「金のなる木」に花が咲いた時にまたお知らせに来ようかなとほっこりとした気持ちに
なって浦の浜のバス停へ向かいました。
浦の浜の港 橋が架かるまでは、連絡船の船着き場でしたが、今も土曜、日曜には赤い煙突の船が湾を遊覧するそうです。
八方池散策からの帰り道、「細野諏訪社」へ寄ってきました。
前日の夜、宿のご主人から
「すぐ近くにある神社の杉の木は、すごく大きいから見る価値があるよ。」
と聞いたからです。
大きな杉が何本も林を作っているのでお社一帯薄暗くて離れていると見えなかったの
ですが、近づいてみると階段の右側に1本大きな杉の木が立っていたのでびっくりしま
した。説明を読むと幹回り10m、高さ41m、樹齢千年と書いてありました。
まさしく巨木です。上の方が写真には写っていませんが、ちゃんと緑の葉が茂ってい
る元気な木です。一昨年訪ねた戸隠神社の杉よりも立派かもしれません。
この村は、今はスキーで成り立つ村なので、こういうりっぱな巨木があっても経済と
しての観光材料にはならないためなのか、ひっそりと人知れずたたずんでいるという感
じがしました。
翌日、帰る前に長野冬季オリンピックのジャンプ競技で建設されたジャンプ台を見に
行きました。宿からとろとろ歩いても15分くらいのところにありました。
誰もいないのではないかと思っていましたが、若いジャンパーが左のノーマルヒルの
方で練習をしていました。女性が何人もいたので、高梨沙羅さんが活躍するようになっ
て以来、ジャンプ界でも男女の差がなくなってきているのだなと思いました。
K点を超えるとか超えないとか話になるK点です。
雪がないこの時期には、水気がなくなるとスロープの両脇にある噴水口から水が噴き
出して滑りを良くしているようで、時折噴水が出るのを見かけました。
スキー場は、一般の人も使うのでオリンピックが終わっても使い道があるけれども、
ジャンプ台は練習する人も限られている上に、設備を維持していくのが財政的にも大変
だろうなと余計な心配をしながら見ていました。
エレベーターに乗って上に上るにはお金がかかりますが、下から見ているだけなら
ただで見られます。昔ツアー旅行でノルウエーを観光した時にやはりジャンプ台見学が
組み込まれていました。
その時には、上にあがりましたが、上から見下ろすのはものすごく恐怖感がありま
す。徐々に高さを増して練習していくのでしょうが、ジャンパーだって怖いと思います。
そもそもジャンプは、罪人の刑罰として始まったという話を聞いたことがありますか
ら、落ちたら死ぬという前提があったので、怖いのが当たり前なんだと思います。
上の写真は、前日に宿の庭で撮った「アサギマダラ」と「メスグロヒョウモン」の写
真です。
バスのターミナルに行く手前にフジバカマが群生してる空き地がありました。
フジバカマにも圧倒されますが、そこに何頭ものアサギマダラとヒョウモンチョウの
仲間が飛び交っているのです。
昨年9月、岩手県の網張高原からリフトを使って登った犬倉山にもタムラソウやヨツ
バヒヨドリ(もしかしたらフジバカマかも)にたくさんのチョウが群がっていたのを思
い出し、旅する「アサギマダラ」や「ヒョウモンチョウ」のことをもう少し知りたいな
と思いました。今、図書館にリクエストを出している最中なので、また新しいことがわ
かったらブログに書きたいと思っています。
南へ旅立つチョウとも別れ、長野行のバスに乗り白馬を後にしました。
今回の旅のブログはこれで終わりです。
旅館のご主人が
「明日はきっといい天気だよ。」
と言って、夕食の後コーヒーを入れて下さいました。
なんとこの日の宿泊者は、私たちのみ。
「温泉も独り占めですよ。」
とのこと。
エレベーターは他の人が使わないので
いつも私たちを待っていてくれるのです。
翌朝起きると明るい朝日が差し込み、窓を開けるとひんやりした風が入ってきまし
た。
朝食をとった後、お昼ごはんを買いに白馬の駅近くのコンビニまで行かなくてはなら
なかったのですが、ご主人が用意を整えた私たちを車で連れて行ってくれました。
私たち二人しかお客さんがいなかったとは言え、本当に親切にしてもらいました。
おにぎりと行動食を買って駐車場へ戻ると、なんと白馬三山がくっきりと見えるじゃ
ないですか。ここでもう山に登頂した気分です。
ゴンドラの駅まで送ってもらい、昨日のゴンゴラ「イブ」のお友だち「アダム」に乗
ってうさぎ平へ。そこからアルペンクワッドリフト(4人乗りリフト)に乗りかえ、さ
らにグラートクワッドリフトで1680mの八方池山荘まで到着です。
山荘からしばらく行くと分かれ道があります。右が尾根伝いに歩くルート、左は歩き
やすく整備された木道コース、もちろん安全第一の私たちは、英語でeazy と書かれた左
ルートを歩いて行きました。
見晴らしのいいところで雲が取れた時に撮った白馬三山です。左側の頭が三角に尖っ
たのが白馬鑓が岳、真ん中が杓子岳、右側が白馬岳。一番高いのが白馬岳で2932m
です。白馬白馬と名前だけはよく聞いていたので、どんな山なのか興味がありましたか
ら天気に恵まれここでその姿が見られてとっても嬉しかったです。
何回か雲が取れましたが、白馬の姿はなかなかクリアーに見られませんでしたから
本当に山は早朝に登らなくてはだめだなと改めて思いました。
ルートの左側に見えたのは、右側が五竜岳、左側が鹿島槍ヶ岳。2年前に行った小川
村の宿からしっかりと見えていた山のうちの二つです。遠くからでしたので五竜岳も鹿
島槍ヶ岳もこんなに山肌が切れ込んでいるとは知らず、荒々しい山なんだと改めて感じ
ることができました。鹿島槍の双耳峰を見てとっても懐かしい気持ちになりました。
登って行くと目安になるケルンがありますが、これはたぶん「八方ケルン」。
これが「第3ケルン」。下に「八方池」が見えます。私たちが今回目指した池です。
思ったよりずっと小さな池で驚きました。
八方池に白馬三山が鏡のように写り込む写真を何回も見て、この池に映り込む白馬三
山の写真を撮りたいと思ってきたのですが、あいにく頭に白い雲を被ったりして夢見て
いた写真は撮れませんでした。
どうやったらうまく撮れるのか知りたいとは思いますが、今さら高性能のカメラやレ
ンズを用意するつもりはないし、これで満足することにしました。これだけよく晴れる
というのも運がいいのですから。
ここで用意していたおにぎりやパンなどを食べ一休みしました。
八方池もこれで見納め。不安のあるひざを抱えながらの下山、石がゴロゴロとした尾
根道はかなりゆっくり慎重に歩きました。降りている最中に私よりもお年が上だと思わ
れる女性に会いました。
「おいくつなんですか。」とお聞きすると「86才。以前登ったことがあるから大丈
夫なんです。」とのこと。
しばらく登って行くその方の後姿を見送っていましたが、私ももうしばらくは山を選
べば彼女のように一人でも登れるかもしれないなとちょっと勇気が湧きました。
八方山荘に戻り着いた時に、頑張ったご褒美にブルーベリーとバニラのミックスソフ
トクリームを食べました。
下山途中に見た植物
ハッポウウスユキソウ カライトソウ
ハッポウの固有種 柔らかい絹糸を連想させる
ハクサンタイゲキ モウセンゴケ
別名 ミヤマノウルシ 山道の崖のようなところに生えていた
トウダイグサ科 真っ赤に紅葉している 名札がなければ小さく見逃してしまう
旬の花ではないと思うが、あちこちに散らばって咲いていた。
宿の夕食の時、山の話になり、ご主人に「ウメバチソウ」が咲いていたと言うと
あの花は、咲き始めの頃は、クリームがかった白なのに、この季節になると真っ白にな
るという話を聞いた。ご主人は、山の花にも精通していらしてもっと話が聞きたいなと
思った。珍しい花ではないが、今回の旅では印象深い花になった。
(つづく)