旭陽の部屋 (original) (raw)
★本紙スクープ★
🟰創価学会が日興門流から離れ身延派と同化していったならば、仏法消滅となる!
須田晴夫氏、炎の叫び!🟰
『法華経の智慧』で池田先生と対談者の一人である須田晴夫氏が創価学会原田会長に創価学会教学要綱について書簡を送っていたことがわかった。
注目すべきは昨年発行された『創価学会教学要綱』が「創価学会の教義書としては不適切である」と断じている点である。
須田氏が創価学会の教義として不適切だとしてるのは主に2点で
①日蓮を「釈迦仏の使い」としている点が日蓮宗身延派教義と同じである
②「一大秘法」と「法宝」の解釈が日蓮宗身延派教義と同じである
そして、池田先生が後世のために遺された『法華経の智慧』や、その対談者である斉藤克司・遠藤孝紀・須田晴夫の3氏が傾注した『教学の基礎』の教義に戻せとの主張である。
弊社で入手した全文を掲載する。
なお、創価学会原田会長は須田晴夫氏の渾身の諫言に黙殺の姿勢であるので、創価学会教学が正常化するのを願い拡散を希望するものである。
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拝啓
朝晩は秋の気配も感じられる昨今となりましたが、ご健勝でご活躍のことと存じます。
さて、このたび、『創価学会教学要綱』について私なりに考えたことをまとめた小著をアマゾンのペーパーバックで出版しましたので、贈呈させていただきます。ご一読いただければ幸いです。
端的に申し上げて『教学要綱』の内容にはさまざまな問題があり、創価学会の教義を将来にわたって規定する「教義書」としては適切でないと思われます。
『教学要綱』を作成した中心は創価大学名誉教授の宮田・菅野両氏であると聞いておりますが、両氏は研究者としての立場から、日蓮学アカデミズムの主流である身延派日蓮宗から批判されることを恐れて、ひたすら身延派に忖度している態度が顕著です。そのために『教学要綱』全体が身延派の教義に同化していると判断されます。
例えば『教学要綱』では日蓮大聖人について、最後まで「上行菩薩としての役割を果たす立場である」(同書四三頁)として「日蓮=上行菩薩」との認識を貫いていますが、大聖人を釈迦仏から末法弘通の役割を託された「釈迦仏の使い」であるとする認識は身延派の教義そのものです。これまで創価学会は、大聖人が上行菩薩であるというのはあくまでも外用の姿であり、大聖人の内証は久遠元初自受用報身如来であるとしてきましたが(二〇一五年創価学会教学部編『教学入門』一七一頁)、『教学要綱』は「久遠元初自受用身」の用語を一切用いず、従来の立場からすれば専ら外用の位置づけにとどまっております。
もちろん『教学要綱』も大聖人について「末法の御本仏」としていますが、それはあくまでも「釈迦仏の使い」としての存在であって、従来のように久遠元初自受用身という根源仏としての意義づけにはなっておりません。
大聖人を上行菩薩の再誕と位置づけ、「釈迦仏の使い」とすることはあくまでも法華経文上での話であり、曼荼羅本尊の中央に「南無妙法蓮華経 日蓮(花押)」と大書し、釈迦仏と多宝如来を左右の脇士の位置に置かれた大聖人の内証の教示とはかけ離れております。
また『教学要綱』は「一大秘法」と「法宝」についても従来の曼荼羅本尊から南無妙法蓮華経の題目に改めておりますが、拙著で詳しく述べました通り、これもまた身延派の教義そのものです。このように『教学要綱』では身延派と同化している内容が余りにも目立ちます。
『教学要綱』が「本因妙抄」「百六箇抄」「御義口伝」の名前すら出していないことも、これらを偽書としている身延派から突っ込まれることを恐れる『教学要綱』執筆者の在り様を示していると思われます。
日寛上人の教示に対しても『教学要綱』は多くの点で違背しており、「本因妙抄」などの相伝書を一切無視していることと合わせて、『教学要綱』が日興門流から離脱する志向性を持っていることは誰の目から見ても明らかです。
日蓮正宗から離れて三十年以上経過した今日、『教学要綱』が日蓮正宗を否定して創価学会独自の教義を形成しようとする意図は理解できますが、日蓮正宗を拒絶するあまり日興門流の根本教義まで日蓮正宗と一緒くたに否定するのは誤りであると思われます。なぜならば、創価学会は創立以来、日蓮・日興という師弟不二の血脈に日蓮仏法の正統性があるということを大前提にして今日まで存在してきたからです。
形式的には今でも日興門流の教義が日蓮正宗の教義になっておりますが、日蓮正宗が邪教化したからといって日興門流の教義自体までが初めから間違いであるということにはなりません。日興門流そのものが邪義であったというのであれば、創価学会そのものが当初から間違いだったということになるからです。
拙著でも述べましたように、日蓮正宗は創価学会の破門処分を強行したことによって日蓮大聖人と日興上人に違背し、日興門流としての正統性を喪失したのであり、日蓮正宗と日興門流の教義は立て分けて考えなければならないと思います。日蓮正宗が邪教となったとしても、日興門流の教義の正しさは揺らぐものではありません。日興上人が後世に正しく伝えられた日蓮仏法は日蓮正宗などという一宗派の占有物ではなく、人類全体のために遺されたものであるからです。
創価学会は日蓮正宗などに囚われず日蓮大聖人と日興上人の御教示通りに日蓮仏法を実践してきたが故に、その信心に偉大な功徳が現出したと確信しております。しかしながら今後、創価学会が日興門流の教義を捨てて身延派などと同調する事態が生じたならば、これまでの功徳と成仏の道を閉ざすことになりかねないと憂慮せざるを得ません。
『教学要綱』は、日蓮大聖人について言葉だけ「末法の御本仏」と称しながら、あくまでも「釈迦仏の使い」と位置づけ、「一大秘法」「法宝」の内容を身延派と同一にし、「僧宝」から日興上人を排除しました。これほど重大な教義の改変を行いながら、師範会議や最高指導会議など、会内で十分な議論がなされた形跡が見られません。創価学会の根本教義を変える重要問題を一部の研究者ら一握りのメンバーによる議論だけで決定してよいのでしょうか。
日蓮正宗が邪教と化した今日、正しい日蓮仏法は創価学会にしかありません。しかし、その創価学会が『教学要綱』の路線を突き進んで日興門流から離れ、身延派と同化していったならば、それこそ仏法消滅となってしまいます。本当にそれでよいのでしょうか。それとも、相伝書や「御義口伝」などを一切無視していても『教学要綱』は身延派と同化しておらず問題ないと確信しておられるのでしょうか。
現在でも「創価新報」「聖教新聞」の教学解説記事、また「観心本尊抄」の解説書など、既に『教学要綱』の路線に沿って作成されているように見受けられますが、それは危うい事態と思っております。ここまで『教学要綱』の問題点が明らかになった以上、『教学要綱』を教学の基準にすることを一旦停止して、池田先生が後世のために遺された『法華経の智慧』やかつての『教学の基礎』の線に戻すべきであると考えます(「戒壇の本尊」の扱いなどは改めなければなりませんが)。
『教学要綱』の問題は、創価学会の命運に関わる重大問題です。ひとたび出版した以上改められないとするのではなく、いちど撤回して、再度、会内全体で十分に熟慮・検討していくべきではないでしょうか。
私は、十一歳の時に母に導かれて創価学会に入会して以来、今日で六十一年になります。その間、日蓮大聖人の大仏法の功徳に浴し、宿命転換と一生成仏の道を歩んでくることができました。正しい仏法を教えてくれた創価学会と三代会長に限りない大恩を感ぜずにはおれません。創価学会がこれからも仏法上の「正しさ」を堅持して発展していって欲しいとの心情から、拙著とこの書簡をしたためました。
会長におかれましては、会の未来のため、なにとぞ賢明な御判断をくださいますよう、お願い申し上げます。 敬具
二〇二四年九月十二日
須田晴夫拝
原田稔様
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以上引用
提供は
敵から恐れられる
味方からは怖れられる
あなたの京都乃鬼新聞社でした。
原水爆を、
いずこの国であろうと、
それが勝っても負けても、
それを使用したものは、
ことごとく死刑にすべきである
ということを
主張するものであります。
なぜかならば、
われわれ世界の民衆は、
生存の権利をもっております。
その権利を脅かすものは、
これ魔物であり、
サタンであり、
怪物であります。
それをこの人間社会、
たとえ一国が
原子爆弾を使って勝ったとしても、
勝者でも、
それを使用したものは、
ことごとく死刑にされねばならん
ということを、
私は主張するものであります。
たとえ、ある国が原子爆弾を用いて
世界を征服しようとも、
その民族、
それを使用したものは悪魔であり、
魔物であるという思想を
全世界に広めることこそ、
全日本青年男女の使命であると
信じるものであります。
🍀🍀🍀
日本は唯一の被爆国でありながら、
・核保有国の賛同を得られていない
・非核保有国の中にも賛同していない国がある
・安全保障の観点から核抑止力を否定できない情勢にある
等の理由で「核兵器禁止条約」に署名していない。
また、日本政府は米国に対し一度も抗議・非難の声明をしていない。
まだ大日本帝国だった昭和20年8月10日、
広島、長崎への原爆投下に関して
『米機の新型爆弾に依る攻撃に対する抗議文』
と題した声明が出されたのみだ。
これは、師匠から託された
「原爆を使用した者はことごとく
死刑にされねばならん」
「それを使用したものは悪魔であり、
魔物であるという思想を
全世界に広めることこそ、
全日本青年男女の使命である」
という遺訓に反するのではないか。
戸田先生は、
死刑廃止論者だった。
それなのにあえて
「ことごとく死刑にされねばならん」
という強い主張をされた意味を
考えるべきではないだろうか。
🍀🍀🍀
1957.7.8 『原水爆禁止宣言』
於: 横浜 三ツ沢競技場
天竜も諸君らの熱誠にこたえてか、
昨日までの嵐はあとかたもなく、
天気晴朗のこの日を迎え、
学会魂を思う存分に発揮せられた諸君ら、
またそれにこたえるこの大観衆の心を、
心から喜ばしく思うものであります。
さて、今日の喜ばしさにひきかえて、
今後も、当然、難があるであろう。
あるいは、
わが身に攻撃を受けることも
覚悟のうえであるが、
諸君らに今後、
遺訓すべき第一のものを、
本日は発表いたします。
前々から申しているように、
次の時代は青年によって
担われるのである。
広宣流布は、
われわれの使命であることは
申すまでもない。
これは、
私たちが絶対に
やらなければならぬことであるが、
今、世に騒がれている
核実験、原水爆実験にたいする
私の態度を、
本日、はっきりと
声明したいと思うものであります。
いやしくも、私の弟子であるならば、
私の今日の声明を継いで、
全世界にこの意味を
浸透させてもらいたいと
思うのであります。
それは、
核あるいは原子爆弾の実験禁止運動が、
今世界に起こっているが、
私はその奥に隠されているところの
爪をもぎ取りたいと思う。
それは、
もし原水爆を、
いずこの国であろうと、
それが勝っても負けても、
それを使用したものは、
ことごとく死刑にすべきであるということを
主張するものであります。
なぜかならば、
われわれ世界の民衆は、
生存の権利をもっております。
その権利を脅かすものは、
これ魔物であり、
サタンであり、
怪物であります。
それをこの人間社会、
たとえ一国が原子爆弾を使って勝ったとしても、
勝者でも、
それを使用したものは、
ことごとく死刑にされねばならんということを、
私は主張するものであります。
たとえ、ある国が原子爆弾を用いて
世界を征服しようとも、
その民族、
それを使用したものは悪魔であり、
魔物であるという思想を
全世界に広めることこそ、
全日本青年男女の使命であると
信じるものであります。
願わくは、
今日の体育大会における意気をもって、
この私の第一回の声明を
全世界に広めてもらいたいことを切望して、
今日の訓示にかえる次第であります。
📢レプリコンワクチンに対し、
深刻な懸念を表明。日本看護倫理学会
1.レプリコンワクチンが
開発国や先行治験国で
認可されていないという問題
2.シェディングの問題
3.将来の安全性に関する問題
4.インフォームドコンセントの問題
5.接種勧奨と同調圧力の問題
🈁jnea.net/statement/
📢林千勝氏
「日本人全員分が用意されている
レプリコンワクチン。
この自己増殖型ワクチンは
日本人に向けられた3発目の原子爆弾です」
驕る平家は久しからず。
歴史を振り返ると覇権の終わりは、
海戦の決定的な敗北と共に現れている。
🍀🍀🍀
高校までの歴史の授業は、大抵幕末ぐらいまでしかやらず、時間切れ終了。
現代史はおろか、明治以降の歴史は学ばないまま学校を卒業する。
私の両親は昭和一桁生まれの戦中派。
母は、女学校(中学校)1年生で終戦を迎えている。
だから、子どもの頃空襲に遭ったことや、
戦中戦後の苦労話は聞いてきた。
でも、親たちもその時を生きるのに忙しく、
なぜ“あの戦争をしたのか”は教えてくれなかった。
世界中が帝国主義の時代で、日本もそれに後れを取りまいと朝鮮半島、大陸(満州)に進出していったところまでは、何となくわかる。
しかし、国力が違いすぎる、しかも太平洋の向こうのアメリカとなぜ戦争をしなければならなかったのか、ずっと疑問だった。
その問に答えてくれる本にも出会えなかった。
原口議員の朝の配信を聞くようになって、
最近ようやく分かった。
あれは、“太平洋戦争ではなくインド洋戦争”だったのだと。
西に行くべきだったのに、太平洋におびき出されてしまったのは、味方の中に敵がいたからだと。
本当の敵は、常に中にいる。
外の敵には気を配っていても、中から崩されていることに気づかない。
これを見つけ出し叩き出すこと。
これをしなければ勝つことは出来ない。
勝利の方程式はいつも同じ。