赤生津安部の家譜書き写し (original) (raw)
赤生津安部17代夘助氏が昭和45年に亡くたった時、県外在住の子が書き写した家譜と思われるもの。兄弟によって若干の考察が書き加えられている。初代十良左衛門の史ではなく、先祖の由緒と推察する。この系図には、葛西氏家臣家譜の一関赤萩の安部小次郎のいわれがない。
大石家の白鳥の由来や、一関赤萩の由来に共通しているのは、八幡太郎と戦い、津軽に逃げる点である。また、大石家の場合は、白鳥少輔の源氏側の血筋を強調している。奥州討伐から逃れるためであろうか。安倍氏側の血筋を主張しているのは当然安部であるが、迫害を受けてきたにちがいないと推察する。この由緒には奥州仕置きが書かれていない。別の兄弟の書き写しには、葛西没落がふれられており、口碑を含む由来と考える。
赤生津安部の祖
1十良左衛門義澄(浪人)
2市良左衛門義里(浪人)
3十良左衛門義則(浪人)
4将監(1625年生)
17代安部夘助所蔵家譜の書き写しと考察(夘助氏の子①)
赤生津村畑安倍家之系図 | 史実 |
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その以前、藤原清衡、秀衡、基衡、三代に仕える 当館落城後葛西家の家臣ととなり 葛西家没落とともに 牛類ノ館(白鳥ノ館)に居住が叶わず 東磐井郡赤生津村に移り田畑を耕し農民となる | 奥州藤原氏は1087から1189年 奥州藤原氏は平泉館を政治拠点1189年滅亡 葛西氏は1189奥州藤原氏討伐から1590奥州仕置まで 白鳥氏は、白鳥舘・東舘を拠点に初代1191没から1590奥州仕置まで(大石家) |
17代安部夘助所蔵家譜の書き写しと考察(夘助氏の子②)
赤生津村畑安倍家之系図 | 地方史 |
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初代 安部十良左衛門義澄 奥州衣川城安倍頼時の7男なり。前九年の役に父頼時、兄貞任とともに八幡太郎義家と戦い利を失う。衣川城ついに落ちて一門討死する。(略) 義澄は**肥前**と改名し赤生津村に住居する。赤生津村畑安倍家の祖先である。 |