1714年 (original) (raw)
1714年(1714 ねん)は、西暦(グレゴリオ暦)による、月曜日から始まる平年。
他の紀年法
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凡例
分類にある「日本」「中国」「中国周辺」「朝鮮」「ベトナム」は地域概念であり、特定の国家をさすものではなく、またその外延は便宜的に定めたものである。特に「*」の付された王朝の分類は仮配置であり、現在も「ガイドライン」のノートで対応を検討中である。
仏滅紀元及びユダヤ暦は、現在のところ元年と対応する西暦年から逆算した数を表示しており、旧暦等の暦日の記述とともに確実な出典を確認していないので利用には注意されたい。
皇紀は日本で1873年の太陽暦採用と同時に施行された。
檀紀は大韓民国で1948年から1961年まで公式に使用された。
主体暦は朝鮮民主主義人民共和国で1997年から公式に使用されている。
仏滅紀元は紀元前543年を元年とするタイ仏暦を基準にしている。スリランカなどでは紀元前544年を元年としているので1を加算されたい。
仏滅紀元 : 2256年 - 2257年
イスラム暦 : 1125年 - 1126年
ユダヤ暦 : 5474年 - 5475年
ユリウス暦 : 1713年12月21日 - 1714年12月20日
カレンダー
できごと
- 8月1日 - ジョージ1世が即位し、イギリス・ハノーヴァー朝が成立。
- 8月7日 - (大北方戦争)ハンゲの海戦(ガングートの海戦)、ロシア海軍がスウェーデン海軍に勝利。
- 9月-10月、ジョージ1世の主導でイギリスで政権交代。閣僚トーリー党からホイッグ党へ入れ替え。
- ラシュタット条約、スペイン継承戦争終結。
日本
- 2月26日(正徳4年1月12日) - 大奥御年寄の絵島が江戸城の門限に遅刻し、生島新五郎との密通や大奥の緩みが暴露され、大奥に対する大粛正が行なわれる。(江島生島事件)
- 4月7日(正徳4年2月23日) - 井伊直該が隠退により大老を辞任。
- 4月18日(正徳4年3月5日) - 江島生島事件: 大奥御年寄絵島の信濃国高遠への配流が決定。
誕生
- 2月2日(正徳3年12月18日) - 松平武元、老中(+ 1779年)
- 2月2日 - ゴットフリート・アウグスト・ホミリウス、作曲家、オルガニスト(+ 1785年)
- 3月8日 - カール・フィリップ・エマヌエル・バッハ[1]、J・S・バッハの次男、作曲家(+ 1788年)
- 6月6日 - ジョゼ1世、ポルトガル王(+ 1777年)
- 7月2日 - クリストフ・ヴィリバルト・グルック、作曲家(+ 1787年)
- 9月10日 - ニコロ・ヨンメッリ、作曲家(+ 1774年)
- 12月18日 - ニコラウス・ヨーゼフ・エステルハージ、元帥(+ 1790年)
- 12月31日(正徳4年11月25日) - 有馬頼徸、筑後国久留米藩主(+ 1783年)
- 月日不明 - ミハイル・ヴォロンツォフ、政治家、外交官(+ 1767年)
死去
- 5月1日 - アン、グレートブリテン王国女王(* 1665年)
- 9月3日 - ピエトロ・アントニオ・フィオッコ、作曲家(* 1654年)
- 9月22日(正徳4年8月14日) - 秋元喬知、老中(* 1649年)
- 10月5日(正徳4年8月27日) - 貝原益軒、本草学者、儒学者(* 1630年)
- 10月18日(正徳4年9月10日) - 竹本義太夫、義太夫節開祖(* 1651年)
- 11月27日 - ジョヴァンニ・バッティスタ・シドッティ、宣教師(* 1668年)
- 12月5日(正徳4年10月29日) - 池田綱政、岡山藩主(* 1638年)
- 12月8日(正徳4年11月2日) - 柳沢吉保、側用人、大老(* 1658年)