スペイン (original) (raw)
スペイン王国(スペインおうこく、西: Reino de España)、もしくはスペイン国(スペインこく、西: Estado español)、通称スペイン(西: España)は、南ヨーロッパのイベリア半島に位置し、同半島の大部分を占める議会君主制国家。首都はマドリード。総人口は約4859万2909人。スペイン本土以外に、西地中海のバレアレス諸島やアルボラン海のアルボラン島、大西洋のカナリア諸島、北アフリカの飛地領土のセウタとメリリャを有しており、モロッコ沿岸部にもいくつか領土がある(プラサス・デ・ソベラニア)。その他の主要都市部にはバルセロナ、バレンシア、サラゴサなどがある。
スペイン王国
Reino de España
(国旗) | (国章) |
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国の標語:_Plus Ultra_
(ラテン語:更なる前進)
国歌:Marcha Real(スペイン語)
国王行進曲
西にポルトガル、南にイギリス領ジブラルタル、北東にフランスとアンドラ、アフリカ大陸にあるセウタとメリリャではモロッコと陸上国境を接する。現在、欧州連合加盟国においては人口率の高さが第4位となっている。
1978年改正の憲法では正式な国名は定められておらず[注釈 6]、スペイン語で、España([esˈpaɲa] ( 音声ファイル)、エスパーニャ)のほか、Estado español(エスタード・エスパニョール)、Nación española(ナシオン・エスパニョーラ)、Reino de España(レイノ・デ・エスパーニャ)などがある[7]。
日本語の表記はそれぞれ、スペイン、スペイン王国、スペイン国。これは英語表記の「Spain」に基づく。中国語から漢字による表記は西班牙で、西と略す。ただし、江戸時代以前の日本においては、よりスペイン語の発音に近い「イスパニア(イスパニヤ)」という呼称が用いられていた。語源は古代ローマ人のイベリア半島の呼び名「ヒスパニア」である。
英語表記で国民はSpaniard(個人を指す場合。総体としてはSpanish)、形容詞はSpanish。
「España(エスパーニャ)」の由来は諸説あり、フェニキア語で「ハイラックスの島」を意味する「i-shaphanim」に由来するという説、または文献学の専門家である歴史家のヘスス・ルイスとホセ・アンヘルが提唱したフェニキア語で「冶金の島」を意味する「I-span-ya」が「España」の由来だという説もある。
(アンダルシアの海岸またはタルテッソス王国にフェニキア人が到着した際に、激しい採鉱と冶金活動がされていたことに関係している)
なお、現在は後者の「冶金の島」が国名の由来として最も信憑性が高いとして扱われている[8][9]。
「エスパーニャ」という名称は、長らく同地を指す俗称だった。カスティーリャ王国とアラゴン王国の1492年の統合以降でも国王はあくまで連合王国(「カトリック(またはスペイン)君主制国(モナルキア)」と称されることが多かった)の共通君主に過ぎず、宮廷や議会・政府は各構成国毎に置かれている諸侯連合だった。1624年に宰相オリバーレスは国王に「スペイン国王」となるよう提案したが実現しなかった。1707年発布の新組織王令により複合王政は廃止され、単一の中央集権国となった。しかしこの時もスペインは国号とはならず、1808年にナポレオン・ボナパルトの兄ホセ1世の即位した時に正式にスペイン国王が誕生した(スペインの国旗が登場したのは1785年)。
1978年憲法で、それまで明記されていた国号が定められなかったのは、君主制は維持するものの、その位置付けは象徴的な存在に変わり、国を動かすのは国民によって選ばれた議会が中心になることを明確化するために採られた措置であった。
なお、スペイン外務省は1984年に、「スペイン王国」と「スペイン」を国際条約においては同等と見なすとの法令を出した。現在は国際条約や国際組織の文書、国内の公式文書や外交文書において前者が公式国名として使用される事が多い[10]。
自治州と県
スペインは17の自治州 (comunidad autónoma) から構成される。また、自治州の下に50の県 (provincia) が存在する。
トレド
- アンダルシア州 (Andalucía)
- アラゴン州 (Aragón)
- アストゥリアス州 (Asturias)
- バレアレス諸島州 (Islas Baleares)
- バスク州 (País Vasco)
- カナリアス諸島州 (Islas Canarias)
- カンタブリア州 (Cantabria)
- カスティーリャ=ラ・マンチャ州 (Castilla-La Mancha)
- カスティーリャ・イ・レオン州 (Castilla y León)
- カタルーニャ州 (Cataluña)
- エストレマドゥーラ州 (Extremadura)
- ガリシア州 (Galicia)
- ラ・リオハ州 (La Rioja)
- マドリード州 (Comunidad de Madrid)
- ムルシア州 (Región de Murcia)
- ナバラ州 (Navarra)
- バレンシア州 (Valencia)
また、アフリカ沿岸にも5つの領土がある。セウタとメリリャの諸都市は、都市と地域の中間的な規模の自治権を付与された都市として統治されている。チャファリナス諸島、ペニョン・デ・アルセマス島、ペニョン・デ・ベレス・デ・ラ・ゴメラで構成されるプラサス・デ・ソベラニアは、スペイン政府が直轄統治する地域である。
主要都市
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順位 | 都市 | 行政区分 | 人口(人) | 都市 | 行政区分 | 人口(人) | |
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1 | マドリード | マドリード州 | 3,277,451 | 11 | アリカンテ | バレンシア州 | 338,768 |
2 | バルセロナ | カタルーニャ州 | 1,627,559 | 12 | コルドバ | アンダルシア州 | 322,327 |
3 | バレンシア | バレンシア州 | 788,842 | 13 | バリャドリッド | カスティーリャ・イ・レオン州 | 297,370 |
4 | セビリア | アンダルシア州 | 684,340 | 14 | ビーゴ | ガリシア州 | 294,650 |
5 | サラゴサ | アラゴン州 | 681,430 | 15 | ヒホン | アストゥリアス州 | 269,311 |
6 | マラガ | アンダルシア州 | 578,063 | 16 | ルスピタレート・ダ・リュブラガート | カタルーニャ州 | 265,003 |
7 | ムルシア | ムルシア州 | 459,778 | 17 | ビトリア=ガステイス | バスク州 | 252,953 |
8 | パルマ・デ・マヨルカ | バレアレス諸島州 | 424,837 | 18 | ア・コルーニャ | ガリシア州 | 245,541 |
9 | ラス・パルマス・デ・グラン・カナリア | カナリア諸島州 | 380,667 | 19 | エルチェ | バレンシア州 | 235,566 |
10 | ビルバオ | バスク州 | 345,749 | 20 | グラナダ | アンダルシア州 | 233,680 |
2021年国勢調査[38] |
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→詳細は「スペインの国際関係(英語版)」を参照
旧植民地であったラテンアメリカ諸国との伝統的友好関係も非常に重要となっており、毎年スペイン、ポルトガルとラテンアメリカ諸国の間で持ち回りで開催されるイベロアメリカ首脳会議にも参加している。1986年のEC加盟以降、そこに属してスペインへ資本を輸出する国との関係が相対的に密接となっている。スペインはアフリカ大陸に位置するスペイン領のセウタとメリリャの帰属を巡り、モロッコと領土問題を抱えている。モロッコはダノンなどのフランス企業が既に60年以上かけて事業関係を築いてきた国である。また、スペインが1801年以来実効支配しているオリベンサに対してポルトガルが返還を求めている。ポルトガルとの間には両国を統一すべきであるとのイベリスモ思想も存在する。この点、英葡永久同盟の存在と、イギリスからスペインへ投資が行われていることに注意を要する。ジブラルタル海峡はヨーロッパ大陸とアフリカ大陸が近接し、地中海と大西洋を結ぶチョークポイントであり、ケーブル・アンド・ワイヤレスの海底ケーブルが敷設されている。
日本との関係
日西関係史としては、岩倉使節団の記録である『米欧回覧実記』(1878年発行)には、その当時のスペインの地理・歴史について記述した個所がある[39]。日本の鉱業法はスペインのそれをモデルとしている。
2018年1月1日付けで、外交関係樹立150周年を記念し「日本・スペイン外交樹立関係150周年推進委員会」を設立、「日本・スペイン外交樹立150周年事務局」を外務省欧州局に設置し、周年事業のための公式ロゴも用意された[40]。周年事業登録を募集するサイトも日本語とスペイン語で公開された[41]。同年10月には安倍首相がスペインを訪問。サンチェス首相と会談し、両国の関係を戦略的パートナーシップに格上げすることが合意された[42]。
→詳細は「スペインの科学技術(英語版)」を参照
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分離主義者が主張するイベリア半島の民族分布。この論に立つ場合、スペイン人は諸民族の大部分を統合する概念となる。
サニェーラを掲げて行進するカタルーニャ独立派のデモ隊。
「カタルーニャはネーションである」、こうした落書きはさほど珍しいものではない。
バスク祖国と自由(ETA)の構成員と支持者達。スペイン内戦でフランコ軍との戦いに殉じた独立派兵士の死を悼む式典を行っている。
ETAによって書かれた壁画。シンボルマークにナバラ王国の紋章が用いられているのがわかる。
「Espanha」と書かれた看板に「não é Galiza」と落書きされている。2つを続けて読むと「Espanha não é Galiza」(「ガリシアはスペインではない!」)になる。
アンダルシア人の「国父」、歴史学者ブラス・インファンテの銅像。彼の功績と殉死を示したオブジェの傍にはアンダルシア旗(英語版)が立てられている。
スペインの作り手であるはずのカスティーリャ人にも独立運動が存在する。ベルファストにある、スペインからのカスティーリャ独立を主張する壁画。
民族
ラテン系を中核とするスペイン人が多数を占める。一方で統一以前の地方意識が根強く、特に、カタルーニャ州のカタルーニャ人、バスク州のバスク人などはスペイン人としてのアイデンティティを否定する傾向にあり、ガリシア州のガリシア人やカナリア諸島のカナリア人(英語版)も前二者に比べると、穏健ではあるが、民族としての意識を強く抱いており、それぞれの地方で大なり小なり独立運動がある。それ以外の地方でも地域主義、民族主義の傾向が存在し、運動としては非常に弱いものの独立を主張するものまで存在する。一般に「スペイン人」もしくはその中核とされる旧カスティーリャ王国圏内のカスティーリャ人の間でも、イスラーム文化の浸透程度や歴史の違いなどから、アラゴン州のアラゴン人、アンダルシア州のアンダルシア人とその他のスペイン人とでは大きな違いがあり、それぞれの地方で、風俗、文化、習慣が大きく異なっている。
近年は、世界屈指の移民受け入れ大国となっていて、不況が深刻化した現在では大きな社会問題となっている。外国人の人口は、全人口の11%に当たる522万人にも上る。
スペインは、ヨーロッパでも最大級の規模、おそらくルーマニアに次いで2番目に多いロマ人を抱えているが、恐怖、恥、差別、「ジプシー」という烙印を押されるのを免れようとして、多くのロマ人が出自を隠しているため、正確なロマ人の人口を把握することは困難であり、スペインにおけるロマ人の人口は、約80万人、約57万人から約110万人、約80万人から約97万人、約50万人から約100万人ともいわれる。欧州評議会は2010年度調査で、約72万5千人のロマ人がスペインに住んでおり、スペイン全人口の約1.57%がロマ人と推計している[55]。ある研究では、スペインのコミュニティを調査したところ、住民100人あたり1.87%がロマ人であったことから、約110万人と推計している。被抑圧民族協会は、約150万人のロマ人がスペインに住んでいると推計している[56]。
言語
スペイン語(カスティーリャ語とも呼ばれる)がスペインの公用語であり全国で話されており、憲法にも規定されている。その他にも自治州憲章によってカタルーニャ語、バレンシア語、バスク語、ガリシア語、アラン語が地方公用語になっているほか、アストゥリアス語とアラゴン語もその該当地域の固有言語として認められている。バスク語以外は全てラテン語(俗ラテン語)に由来するロマンス語である。また、ラテンアメリカで話されているスペイン語は、1492年以降スペイン人征服者や入植者が持ち込んだものがその起源である。ラテンアメリカで話されるスペイン語とは若干の違いがあるが、相互に意思疎通は問題なく可能である。
ローマ帝国の支配以前にスペインに居住していた人々はケルト系の言語を話しており、ケルト系の遺跡が散在する。現在はケルト系の言葉は廃れている。
スペイン北東部からフランスにかけて、バスク語を話すバスク人が暮らしている。バスク民族の文化や言葉は、スペインのみならず他のヨーロッパ諸民族とも共通することがなく、バスク人の起源は不明である。このことが、バスク人がスペインからの独立を望む遠因となっている。地域の学校ではバスク語も教えられているが、スペイン語との共通点はほとんどなく、学ぶのが困難である。
言語の一覧
現在、エスノローグはスペイン国内に以下の言語の存在を認めている。
- ガリシア語(ガリシア州)
- スペイン語(国家公用語)
- カタルーニャ語(カタルーニャ州、バレアレス諸島州)
- バレンシア語(バレンシア州)
- アストゥリアス語(アストゥリアス州、カスティーリャ・イ・レオン州)
- アラゴン語(アラゴン州北部)
- エストレマドゥーラ語(エストレマドゥーラ州の一部)
- バスク語(バスク州、ナバーラ州)
結婚
結婚前の姓は、一般的には「名、父方の祖父の姓、母方の祖父の姓」であるが、1999年に「名、母方の祖父の姓、父方の祖父の姓」でもよい、と法律が改正された。婚姻によって名前を変える必要はないが、女性はその他の選択肢として「de + 相手の父方の姓」を後置する、「母方の祖父の姓」を「相手の父方の姓」に置き換える、「母方の祖父の姓」を「de + 相手の父方の姓」に置き換える、などの選択が可能である[57]。
2005年より同性婚が可能となった。
トランスジェンダー
トランスジェンダーが住みやすい国として知られている。自認する性のトイレを使用できるか、性別適合手術が許されるか、同性婚者が、養子を持つことが許されるか、などが基準のアンケート調査の結果、スペインが世界で最もトランスジェンダーに寛容な国であるという結果が示された。 更にトランスジェンダーのアンヘラ・ポンセを第67回ミス・ユニバース世界大会(2018年)に、スペインの代表として選出するなど、様々な場面で寛容さが窺える[58]。
宗教
中世末期のレコンキスタ完了以前はイスラム教が多数派を占める地域もあったが、現在ではカトリックが94%である。イベリア半島では近代に入って多様な宗教の公認とともに、隠れて暮らしていたユダヤ教徒が信仰を取り戻し始めている。戦争時など様々な折にスペインに「帰還」し、祖国のために闘ったセファルディムもいた。残りはムスリムなど。
なお、国民の大多数がカトリック教徒であるにもかかわらず、近年ではローマ教皇庁が反対している避妊具の使用や同性婚を解禁するなど社会的には政教分離の思想が進んでいる点も特徴である。
教育
スペインの教育制度は初等教育が6歳から12歳までの6年制、前期中等教育が12歳から16歳までの4年制であり、以上10年間が義務教育期間となる。後期中等教育はバチジェラトと呼ばれる16歳から18歳までの2年制であり、このバチジェラト期に進路が決定する。2003年の推計によれば、15歳以上の国民の識字率は97.9%であり[59]、これはアルゼンチン (97.2%) やウルグアイ(98%)、キューバ(99.8%)と並んでスペイン語圏最高水準である。
主な高等教育機関としては、サラマンカ大学(1218年)、マドリード・コンプルテンセ大学(1293年)、バリャドリード大学(13世紀)、バルセロナ大学(1450年)、サンティアゴ・デ・コンポステーラ大学(1526年)、デウスト大学(1886年)などが挙げられる。大学は4年制ないし6年制であり、学位取得が出来ずに中退する学生の多さが問題となっている。
保健
→詳細は「スペインの保健(英語版)」を参照
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医療
→詳細は「スペインの医療(英語版)」を参照
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世界一の臓器提供者数
スペインは臓器移植大国である。スペインの臓器提供者数は長年にわたり世界一である。2006年スペイン人100万人あたりの提供者数は33.8人である。第2位のアメリカ合衆国は27人で、欧州連合加盟国平均が18人であった。スペインの提供率が高い地域は順にバスク州、カンタブリア州、アストゥリアス州、ナバーラ州である。40-60歳代が提供者の29%を占める。男女比は62対38である。提供者の死亡原因は脳出血が最多の60%を占める。スペインは脳死を人の死として規定している。提供臓器は国内だけでなく欧州連合各国にも「輸出」されている。2006年の移植件数は3756件であった。[60]
スペインでは、本人が臓器提供拒否の意思表示をしていない以上、臓器を摘出してもよいとする「オプト・アウト方式」を採用している。この臓器移植体制はスペインで1979年に法制化された。1984年、臓器修復および臓器移植の病院が充足すべき要件が、1979年の臓器移植法に符合するよう規定された。1985年カタルーニャ州は、この分野で異なる病院の連携に責任をもつ部署を設置した。この部署は基本として国内だけでなく、スペインとEU各国との連携も担ってきた。1989年スペイン政府保健医療省が同様の機関を設けて、カタルーニャを除いた国内全域を担当させるようになった。[61]
スペインは、2022年世界平和度指数の「安全・セキュリティ」カテゴリーで1.827となり、日本から見ると極めて危険な状況にあるが、米国よりはましな状況であると言える[62]。2019年の「一般犯罪統計」によれば、一般犯罪件数は2,201,859件で、前年より3.3%増加している。内訳は、殺人:332件(+14.9%)、強盗・脅迫:66,209件(+9.8%)、傷害:19,974件(+9.2%)、置き引き・スリなど:700,477件(Δ0.8%)、侵入窃盗(家屋):98,520件(Δ8.1%)、車両窃盗:35,248件(Δ1.8%)、薬物犯罪:16,268件(+15.1%)となっている[63]。
スリには様々な種類があることが判明しており、広げた新聞・地図などで鞄やポケットを覆って財布などを盗む「目隠しスリ」、ケチャップなどを衣服に付けた上で汚れを指摘し、注意をそらした上で鞄や財布などを盗む「ケチャップスリ」の他に署名活動を装った手口のスリも存在している。
主要な犯罪の一例としては、先述のスリの他にひったくりや車上荒らしや首絞め強盗、タイヤのパンクを指摘し車を停車させ、確認・修理をする隙に油断させておいて、車内の物品や車両の窃盗に走る「パンク窃盗」、偽警官の出没が挙げられる。
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人権
→詳細は「スペインにおける人権(英語版)」を参照
他人の権利の尊重などの基本的人権で決まる2020年積極的平和指数は1.833で、世界ランキングではアメリカの1.949よりわずかに上だが、日本の1.466よりは下[64]。スペインは、アジア人に対する差別が欧州連合平均より少ない[65]。
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→詳細は「スペインのメディア(英語版)」を参照
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注釈
- 1978年憲法では国名について言及している条文はないが、同憲法内ではEspañaという語は23回使われている。またEstado españolという語は2回使われている。国家を意味するEstado(英語のStateに相当)が大文字となっているため、このEstadoは固有名詞の一部と考えられる。一方、Reino de Españaは同憲法内では全く引用されていないが、一般に使われることも多い[6]。なお、日本の外務省では「スペイン王国」の国号を用いている。
出典
- Flynn, Dennis O.; Giráldez Source, Arturo (1995). “Born with a 'Silver Spoon': The Origin of World Trade in 1571”. Journal of World History 6 (2): 202. JSTOR 20078638.
- スペイン政府、外務省 (Gobierno de España, Ministerio de Asuntos Exteriores y de Cooperación) 発行の文書(日本文、2014年発行)の中で使用されている例(50ページ):高まるスペインの存在感 世界各地のスペイン企業
- 「スペインで青年が暴動」『朝日新聞』1976年(昭和51年)10月3日朝刊13版7面
- 「Spain」OECDilibrary 2022年2月2日閲覧
- 碇 順治 『ヨーロッパ読本 スペイン』(河出書房新社 2008年6月)239頁
- 甲斐克則「スペインにおける臓器移植 バルセロナでの調査から」『比較法学』46(2), 2012年12月
- フィーブルマン『スペイン/ポルトガル料理』、10-11頁
- 横田「スペイン料理」『スペイン・ポルトガルを知る事典』193-195頁
- 坂東『現代スペインを知るための60章』169-170頁
中塚次郎、関哲行 他1名編『世界歴史大系 スペイン史 1』山川出版社 2008年 ISBN 978-4-634-46204-5
J・ハリソン著 弘田嘉男訳『スペイン経済の歴史』西田書店 1985年
岩根圀和『物語スペインの歴史 海洋帝国の黄金時代』中央公論新社、東京〈中公新書1635〉、2002年2月。ISBN 978-4-12-101635-5。
牛島, 信明、川成, 洋、坂東, 省次 編『スペイン学を学ぶ人のために』世界思想社、京都、1999年5月。ISBN 9784790707561。
エドゥアルド・ガレアーノ 著、大久保光 訳『収奪された大地 ラテンアメリカ五百年』新評論、東京、1986年9月。
田澤耕『物語カタルーニャの歴史 知られざる地中海帝国の興亡』中央公論新社、東京〈中公新書1564〉、2000年12月。ISBN 978-4121015648。
立石博高 編『スペイン・ポルトガル史』山川出版社、東京〈新版世界各国史16〉、2000年6月。ISBN 4-634-41460-0。
野々山真輝帆『スペインを知るための60章』明石書店、東京〈エリア・スタディーズ23〉、2002年10月。ISBN 4-7503-1638-5。
坂東, 省次、戸門, 一衛、碇, 順治 編『現代スペイン情報ハンドブック[改訂版]』三修社、東京、2007年10月。ISBN 4-7503-1638-5。
José María BLÁZQUEZ MARTÍNEZ著『El nombre de Hispania en la Historia. Los Hispanos en el Imperio Romano』
渡部哲郎『バスクとバスク人』平凡社、東京〈平凡社新書〉、2004年4月。ISBN 978-4-384-01957-5。