大日如来 (original) (raw)
この項目では、密教で信仰される、大日如来の名でも知られる、摩訶毘盧舎那仏(マハーヴァイローチャナ)について説明しています。華厳経・華厳宗の信仰対象で、東大寺の大仏でも知られる(毘)盧舎那仏(ヴァイローチャナ)については「毘盧舎那仏」をご覧ください。 |
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大日如来(だいにちにょらい、サンスクリット: Mahāvairocana[1])は、大乗仏教における信仰対象である如来の一尊。真言密教の教主たる仏で、密教の本尊である[2][3]。日本密教においては[4]一切の諸仏菩薩の本地とされる[5][注 1]。
胎蔵曼荼羅の胎蔵界大日如来(中央)
Mahāvairocana(マハーヴァイローチャナ)を摩訶毘盧遮那(まかびるしゃな)と音写し、大遍照[2][3]、大日遍照、遍一切処などと漢訳する[3]。摩訶毘盧遮那如来、大光明遍照(だいこうみょうへんじょう)とも呼ばれる[6]。
「無相の法身と無二無別なり(姿・形の無い永遠不滅の真理そのものと不可分である)」[7]という如来の一尊。通常、仏の悟りの境地そのものである法身は、色も形もなく、説法もしないとされるが、大日如来は法身でありながら説法を行うという[8]。また、それは過去・現在・未来の三世にわたっているとされる[9]。 大日如来の「智」の面を表したのが金剛界の大日如来であり、「理」の面を表したのが胎蔵界の大日如来であるとされ[5]、この金剛界の智法身と、胎蔵界の理法身は一体不可分であるとされる[10]。金剛界の大日如来は智拳印を結んで周囲に阿閦如来、宝生如来、阿弥陀如来、不空成就如来の四仏を置く[5]。これを金剛界五仏という[5]。また、胎蔵界の大日如来は中台八葉院の中央に位して法界定印を結ぶ[5]。東密では、顕教の釈迦如来と大日を別体としているが、台密では同体としている[5]。
日本密教では、両界曼荼羅(金剛界曼荼羅・胎蔵曼荼羅)の主尊とされ、さらには虚空にあまねく存在するという真言密教の教主[7]、「万物の慈母」[11]、とされる汎神論的な仏[6]。声字実相を突き詰めると、全ての宇宙は大日如来たる阿字に集約され、阿字の一字から全てが流出しているという[12]とされる。また、神仏習合の解釈では**天照大神**(大日孁貴)と同一視もされる[13]。
富士における大日信仰
日本では古来から山岳信仰が存在していたが、平安末期の久安年間には駿河国の末代が富士登山を行い、大日如来を富士の本尊とする信仰が創始されたといわれている[14]。富士における大日信仰はその後、大日如来を富士の神である浅間大神の本地仏である浅間大菩薩とする信仰として発展し、富士信仰において祀られている。
チベット密教では、『大毘盧遮那成仏神変加持経(大日経)』系の行タントラ、『金剛頂経』系の瑜伽タントラの主尊とは位置付けられるが、後期密教の無上瑜伽タントラの根本仏は金剛薩埵や持金剛仏などとされ、日本密教における「大日如来は密教の根本仏」という観念は、チベット仏教には当てはまらない[4]。
- オン・バザラ・ダト・バン (金剛界)[15]
- Oṃ vajra-dhātu vaṃ[15]
- ナウマク・サンマンダ・ボダナン・アビラウンケン (胎蔵界)[16]
- Namaḥ samanta-buddhānāṃ, a vi ra hūṃ khaṃ[16]
- オン・アビラウンケン・バザラダトバン [17](金胎両部)
- Oṃ a vi ra hūṃ khaṃ vajra-dhātu vaṃ
「 | それ如来の説法は必ず文字による。文字の所在は六塵其の体なり。六塵の本は法仏の三密即ち是れなり。(如来の説法は必ず文字によっている。文字のあるところは、六種(視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚・思考)の対象をその本体とする。この六種の対象の本質は、宇宙の真理としての仏の身体・言語・意識の三つの神秘的な働きこそがそれである[12]。) | 」 |
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—空海(『声字実相義』より) |
「 | 身口意業は虚空に徧じ、如来の三密門金剛一乗甚深教を演説す。(大日如来が身・口・意で起こす三つの業は虚空に遍在し、三つの業の秘密において仏と平等の境地にひたる仏の教えを演説する[7]。) | 」 |
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11世紀から12世紀(平安時代)に作られた大日如来像、重要文化財、東京国立博物館蔵
大日如来坐像、根津美術館蔵
像容
像形は、宝冠をはじめ瓔珞などの豪華な装身具を身に着けた、菩薩のような姿の坐像として表現される。これは古代インドの王族の姿を模したものである。一般に如来は装身具を一切身に着けない薄衣の姿で表現されるが、大日如来は宇宙そのもの存在を装身具の如く身にまとった者として、特に王者の姿で表される。ただしチベット仏教では、宝飾品を身に纏わずに通常の如来の姿で表現されたり、あるいは多面仏として描かれることもある。印相は、金剛界大日如来は智拳印を、胎蔵界大日如来は法界定印を結ぶ。
作例
- 岐阜・横蔵寺像、鎌倉時代。
- 京都・東寺講堂像、現存像は室町時代の再興。
- 奈良・円成寺像、平安時代末期、運慶作。国宝。
- 和歌山・金剛峯寺像、平安時代前期、元西塔本尊。
- 栃木・光得寺像、鎌倉時代、運慶作。
- 東京・真如苑 像、鎌倉時代、運慶作。
- 大阪・金剛寺像、鎌倉時代。国宝。
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胎蔵曼荼羅
金剛界曼荼羅
ヴィローチャナ
マハーバーラタには、太陽神ヴィローチャナ・アスラ王ヴィローチャナを同一視している箇所が32例ある[18]。また興福寺監修『阿修羅を究める』では「例えば、北周時代(六世紀後半)の敦煌莫高第四二八窟南壁に描かれた『盧遮那仏説法図』では、盧遮那仏像の胸あたりに須弥山が描かれ、その前にやはり月と太陽を手にした阿修羅像が現わされている」とある[19]。
『マハーバーラタ』における第二の場合、すなわちVirocana、VairocanaとAsuraとの結合については仏教諸経典についてもこれを認めることが出来る。例えば『雑阿含経』には「鞞盧闍那阿修羅子婆稚」とある。また、初期仏典の累層的発展形態を示す密典の一つの『仏母大孔雀明王経』には「微盧遮那薬叉」とあり、同経梵本ではVirocanaの異名をYakṣa(夜叉)としている。『大海経』(Mahāsamamayasutta 大三摩惹経)にはVerocana(=skt. vairocana)がAsuraの別名Rāhuとして、森の法会(Dhammasamaya)において釈尊を讃歎するやちおろずの神々のひとりとして登場する。 — 宮坂宥勝、 「アスラからビルシャナ仏へ」 『密教文化』1960(47)、1960年、p.16。
と述べている。
中村元は、「ヴェーローチャナ -Verocana.本文の中ではこのように表記されている。=skt.:Vairocana.もとは太陽を意味する語であった。この語が大乗仏典に取り入れられると、毘盧遮那、大日如来となる。これに詳しい研究としては『VirocanaとVairocana ―研究序説』(『渡辺照宏仏教学論集』筑摩書房、一九八二年、四〇五-四二六ページ)。」とある[20]。
アフラ・マズダー
宮坂宥勝は、
もしもAhura Mazda→Asuraとすれば、中古においてAsuraの代表者にVirocanaがあり、とくに俗語系のパーリ語で綴られた原始仏典『サンユッタ・ニカーヤ』の中にVerocano asurindoの語が見出されることは、いっそう注意してよいだろう。しかし、『アタルヴァ・ヴェーダ聖典』にはまだVirocanaの名が出てこない。したがってVirocanaの起源についてこれ以上立入って追及することは不可能であるというほかはない。 — 宮坂宥勝、 「アスラからビルシャナ仏へ」 『密教文化』1960(47)、1960年、p.19。
と述べている。
渡辺照宏は、
もしAsuraの首領がVairocana(またはVirocana)とよばれ,これがBuddha Vairocanaと結びつくものとすれば,VedaにおけるAsuraの首領であるVaruṇaとも結びつき,したがってAwestaのAhura Mazdaとも結びつくわけである。目下の段階においてこれは私の仮説であり,否定することもできないと同時に断定する資料もまだ十分ではない — 渡辺照宏、 「VirocanaとVairocana -研究序説―」 『渡辺照宏仏教学論集』筑摩書房1982年、p.423
と述べている。
思想家である林達夫他の『世界大百科事典 19』によれば、大日如来は、この宇宙にあまねく広がる点では超越者だが、万物と共に在る点では内在者とされ[21]、「万物を総該した無限宇宙の全一」[21]、全一者であり、万物を生成化育することで自己を現成し、如来の広大無辺な慈悲は万物の上に光被してやまないとされる[21]という。
注釈
- チベット仏教では一切諸仏の本地としない。これについては後述する。
出典
- Encyclopædia Britannica, Inc. 『ブリタニカ国際大百科事典 小項目電子辞書版』 ブリタニカ・ジャパン株式会社、2009年、「大日如来」。
- 中村 (1986, p. 412)の第八節阿修羅の主であるヴィローチャナ(または目的)注3
- 林達夫他 『世界大百科事典 19』 平凡社 、1972年、163頁。
- 伊藤聡「天照大神=大日如来習合説をめぐって(上)」『茨城大学人文学部紀要. 人文学科論集』第39号、2003年、74-58頁、hdl:10109/168。
- 久保田悠、佐藤俊之、山本剛 著、新紀元社編集部、F.E.A.R. 編『密教曼荼羅 如来・菩薩・明王・天』新紀元社〈Truth in fantasy〉、2000年10月。ISBN 4-88317-351-8。
- 興福寺 監修『阿修羅を究める』小学館、2001年1月。ISBN 4-09-626125-4。
- 坂内龍雄『真言陀羅尼』(第30刷)平河出版社、2017年4月。ISBN 4-89203-040-6。
- 総合仏教大辞典編集委員会 編『総合仏教大辞典』 下巻、法蔵館、1988年1月。ISBN 4-8318-7060-9。
- 田中公明「チベットの大日如来」『チベットの仏たち』方丈堂出版、2009年、8-15頁。ISBN 978-4-89231-074-4。
- 中村元 訳『ブッダ 悪魔との対話 サンユッタ・ニカーヤ2』岩波書店〈岩波文庫〉、1986年12月。ISBN 400333292X。
- 奈良康明『仏教名言辞典』東京書籍、1989年。
- 宮坂宥勝「アスラからビルシャナ仏へ」『密教文化』第47巻、Association of Esoteric Buddhist Studies、1960年、7-23頁、doi:10.11168/jeb1947.1960.7。
- 望月信享 著、塚本善隆 編『望月仏教大辞典』 4巻(増訂版)、世界聖典刊行協会、1980年。ISBN 4-88110-004-1。