桂信子 (original) (raw)

桂 信子(かつら のぶこ、1914年11月1日 - 2004年12月16日)は、日本俳人日野草城に師事。「旗艦」「青玄」などを経て「草苑」を創刊・主宰。本名は丹羽信子(にわのぶこ)[1]大阪市出身。1980年代以降は箕面市の自宅で過ごした[2]

大阪府大阪市東区八軒家に生まれる。大阪府立大手前高等女学校卒業。1934年、日野草城の「ミヤコ・ホテル」連作に感銘を受け、翌年より句作を開始。どこにも投句しなかったが、1938年、草城主宰の「旗艦」を知り投句。1939年、桂七十七郎と結婚。1941年、「旗艦」同人。同年、夫が喘息の発作のため急逝、以後会社員として自活する。

1946年「太陽系」創刊に参加、草城主宰の「アカシヤ」同人。また同人誌「まるめろ」を創刊。1948年、「太陽系」終刊、後継の「火山系」に引き続き同人として参加。1949年、草城主宰の「青玄」創刊に参加。1954年細見綾子加藤知世子らと「女性俳句会」を創立、「女性俳句」編集同人。1956年、草城逝去、「青玄」の「光雲集」選者となる。1970年、定年退職し「草苑」を創刊、主宰。また「青玄」同人を辞す。

1977年、第1回現代俳句協会賞受賞、『新緑』で現代俳句女流賞受賞。1992年、第8句集『樹影』で第26回蛇笏賞受賞。同年第11回現代俳句協会大賞を受賞。2004年、第10句集『草影』で毎日芸術賞。同年12月16日に逝去(享年90)。現代俳句協会副会長を永く努めた。没後、「草苑」終刊。宇多喜代子を中心に、「草樹」が創刊された。

2010年、財団法人柿衞文庫によって桂信子賞が創設された。俳句に功績のあった女性俳人に授与される。

代表句に

などがある。新興俳句の流れに属しながらも、平明で情感のある句を作った[3]。第一句集『月光抄』は結婚から新婚生活、空襲による自宅焼失、夫の急逝まで激動の生活の中での哀歓を主題としつつ、やわらかさへの志向を主調としている。その次の『女身』までは、草城に学んだ句風で自身の肉体にこだわったエロチシズム漂う作品を多く含むが、戦後、山口誓子の『激浪』に傾倒して以降は、情熱を抑えて即物的・硬質な句を詠むことも学んだ。『女身』を出すころには社会性俳句全盛となり、桂のような私性の強い主情的な句風は逆境に置かれたが、時代におもねらず独自の道を進み、第4句集『新緑』以降の句集では自然をさりげなく視野においた句を多く収めるなど、平明自在な作風を深めていった[4][5]

単著

句集

選集

随筆、その他

編著・共著


  1. 本名の「丹羽」は実家の姓。1980年代以降は「桂」から戻したものである。
  2. 桂信子『出身県別 現代人物事典 西日本版』p854 サン・データ・システム 1980年
  3. 鎌倉佐弓 「桂信子」『現代俳句ハンドブック』 27頁
  4. 正木ゆう子 「桂信子」『現代俳句大事典』 141-143頁。