紫禁城 (original) (raw)

紫禁城

中国北京市の宮殿、明王朝と清王朝の皇宮


紫禁城(しきんじょう、簡体字中国語: 紫禁城、拼音: Zǐjìnchéng、満洲語:ᡩᠠᠪᡣᡡᠷᡞ
ᡩᠣᠷᡤᡞ
ᡥᠣᡨ᠋ᠣᠨ、転写:dabkūri dorgi hoton)または故宮(こきゅう、簡体字中国語: 故宫、拼音: Gùgōng)とは、中華人民共和国北京市に位置している両王朝の皇室専用の宮殿を指す。

概要 紫禁城, 各種表記 ...

紫禁城
太和殿
各種表記
繁体字 紫禁城
簡体字 紫禁城
拼音 Zǐjìnchéng
注音符号 ㄗˇㄐㄧㄣˋㄔㄥˊ
発音: ツーチンチェン
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紫禁城

紫禁城

天壇

天壇

頤和園

頤和園

紫禁城の位置(北京市)

オープンストリートマップのロゴ

オープンストリートマップに**紫禁城の地図**があります。

紫禁城は中国瀋陽にあるもう1つの故宮と合わせて「北京と瀋陽の明・清王朝皇宮」という名称で、ユネスコから文化遺産に登録されており、総面積は7万2千平方メートルの世界最大の木造建築群として知られている。別称の故宮とは「古い宮殿、昔の宮殿」という意味だが、現代に入るとほとんどの部屋が故宮博物院に吸収されて博物館として扱われている。孔廟岱廟と並ぶ中国三大宮廷建築の一つとも言われている[1]。紫禁城も2024年7月27日に登録されたもう一つの世界遺産「北京中軸線:中華の理想的秩序を示す建造物群」の一部である。

歴史

明時代に描かれた紫禁城の絵画

現在の紫禁城は1406年から1421年にかけて、元王朝の「クビライ大都宮殿」の位置に基づいて造られた。 1369年、明の洪武帝モンゴル人の王朝である元王朝の宮殿を取り壊すように命じた。1406年、永楽帝の時代に南京から北京に遷都し、取り壊された元王朝の宮殿の跡地に今の紫禁城の建設を開始した[2]。 建設は 14年間続き、10万人の熟練した職人と最大 100万人の労働者が完成に貢献した[3]

明王朝による1421年南京から北京への帝都遷更以降、清王朝の滅亡まで、約500年間中国皇室専用の宮殿として使われていた。

1644年、明への反旗を翻した李自成軍は北京を占領し、その際に紫禁城の一部を焼き尽くした。しかし、満洲族が建国した清王朝は李自成を北京から駆逐し、紫禁城を再び修繕した。火事で焼けずに残った建物は明の時代から変わらず漢民族の旨趣を維持した一方、新たに改築された建物は満洲族の建築の特徴を加え、満漢両方の要素を備えた宮殿となった。その後紫禁城の様式は変わることなく現代に至る。

1900年義和団の乱では西太后光緒帝西安に逃亡し、イギリスフランスアメリカドイツロシアオーストリア=ハンガリー帝国イタリア日本による八カ国連合軍に占領された[4]

1908年12月、西太后が愛新覚羅溥儀を次代の皇帝に指名したことにより、溥儀はわずか2歳10か月で皇帝に即位させられて清朝の第12代宣統帝となり、紫禁城に居を構えた中国最後の皇帝となった。

1911年10月に辛亥革命が起き、袁世凱の要求を受けて1912年2月に溥儀は退位したが、中華民国臨時政府の「優待条件」として溥儀とその一族は、紫禁城の内廷での居住を許された。

しかし、1924年10月の馮玉祥による北京政変の際、11月5日を以て溥儀をはじめとする皇族には紫禁城から退去するよう通告され、その後は故宮と呼ばれルーヴル美術館などの例に倣い1925年10月10日博物館として組織された。1949年に、中国共産党の指導者の毛沢東城門の一つである天安門中華人民共和国の建国を宣言した。

1961年に、中国国務院より国家重要文化財1987年ユネスコより世界遺産に認定された。現在は建物自体も明と清の歴史を伝える故宮博物院の文物の一つとして一般開放されている。

2024年7月27日に「北京中軸線:中華の理想的秩序を示す建造物群」の一部としてもう一つの世界遺産に登録された[5]

主な建物

所在地

北京の城門(zh)と紫禁城(中央)

紫禁城見取り図


- - - 内廷(北側)と外朝(南側)の大まかな区分境界


A. 午門B. 神武門C. 西華門D. 東華門E. 隅櫓F. 太和門G. 太和殿 H. 武英殿J. 文華殿K. 南三所L. 後三宮(乾清宮)M. 御花園N. 養心殿O. 皇極殿

北京の故宮は南北の長さ961m、東西の幅753m、面積72ha、980あまりの建物で構成されている。周囲は幅52m の水堀が囲む。城壁の高さは12mで底厚10m、頂厚は6m から7m。南に午門、東に東華門、西に西華門、北に神武門[6]がある。

紫禁城の名は、天帝(創造主)が住んでいる星とされる**北極星紫微星、北極星の周辺を回る星座の辺りを紫微垣と呼んだのに由来する「宮」、及び「天帝の命を受けて世界秩序の維持に責任を持つ皇帝(天子)」の住居たる「禁**城(庶民などが自由に入るのを禁止された城)」の二語を合わせたものである[7]

紫禁城は世界の中心を地上に具現した領域であり、天帝に代って地上を治める皇帝の住む宮殿として建設された。そのため「天子は南面す」の言葉通り、北に皇帝の宮殿が置かれている。

紫禁城の周辺には中南海円明園頤和園などの離宮も造営された。これらは庭園を中心とした施設で紫禁城よりも遥かに広い敷地をもっている。

外朝の外、皇城の南

かつては紫禁城をとり囲む皇城(dorgi hoton)[8]と呼ばれる区画が存在したが、辛亥革命以降、皇城の城壁は次々に取り壊されて、現在はほとんど形跡をとどめていない。

城門

午門

外朝

黄昏の太和殿

内金水河と文華殿

前三殿

日時計(太和殿)

鶴の像(太和殿)

太和殿・中和殿・保和殿の総称。紫禁城の中心的建造物。外朝三殿ともいう。

紫禁城東南部

上駟院・南三所
内閣(dorgi yamun)
紫禁城西南部

内廷

後三宮

乾清宮の内部。玉座が安置されその上に『正大光明』の扁額がある。

乾清宮・交泰殿・坤寧宮の総称。内廷の中軸線にあって、内廷の中心的建造物。現在は、清朝時代のままの宮廷の姿を陳列している。

御花園

御花園

紫禁城最大の花園で楼閣がある他、堆秀山という山があり、紫禁城を居城とした明・清両王朝の歴代皇帝が、后妃達と遊楽をした場所でもある。

内廷の北側中央(御花園の北側)

故宮博物院の正門となっている神武門

1900年の紫禁城、景山からの神武門の眺め

内廷西側

西六宮

永寿門(永寿宮)

西一長街

妃たちの居住地である。清朝の同治帝の生母、慈禧皇太后が居住し、西太后と呼ばれた。

内廷の東側

東六宮

延禧宮

妃たちの居住地である。清朝の咸豊帝の皇后、慈安皇太后が居住し、東太后と呼ばれた。

養老宮

寿康宮

紫禁城の西北部にある宮殿。

寧寿宮

皇極殿

九龍壁

屋根と赤壁の詳細

明朝の時代、皇帝亡き後、未亡人となった皇后と妃嬪達が居住した場所であり、紫禁城の東北部にある。清朝の康熙帝の時代に寧寿宮と名称を変更し、皇太后の居所となった。その後、乾隆帝の時代に改築され、後に太上皇宮殿として皇極殿と名付けられた。清朝が最盛期を迎えた乾隆帝の時代の建築の芸術と風格を代表する傑作となっている。

乾東五所

亀の像(太和殿)

雪の紫禁城(太和殿)

重華宮

付属遺構

故宮博物院

北京の故宮博物院

中華人民共和国北京市の故宮博物院(簡体字:故宫博物院)は、もとの宮殿(紫禁城、別称は故宮)であった所を博物館にしている。2011年5月現在の収蔵品は絵画・陶磁器・文書など180万点である(清朝が残した文物は全体の約85%である)[21]

中国の5A級観光地(2007年認定)[22]。一般入場料は40元(4月から10月は60元)。留学生のみ学生証によって学割が適用される場合があるが基本的には外国人は子供も一般料金が適用される。120cm以下の子供は外国人を含めて無料。「珍宝館」および「鐘錶(時計)館」はそれぞれ別料金(10元)である。敷地内は広大で、売店や軽食堂がある[23]。また多くの言語の音声ガイドサービスが用意されていて、中には人工言語のエスペラントまである。等級は中国国家一級博物館に分類されている。

政治的な事情で分離した台湾中華民国)の国立故宮博物院とは、2009年10月に初の共同展「雍正帝-清・世宗文物大展」を開催しており[24]2016年9月には国立故宮博物院院長退任直後の馮明珠が中華人民共和国政府の招聘で北京故宮博物院顧問に就任して台湾で物議を醸した[25]

2013年から文化財の保護やサービス向上を目指す「平安故宮」プロジェクトが進められている[26]

2022年7月には故宮博物院から貸し出された美術品を利用して香港故宮文化博物館が開業した[27]

現在は故宮博物院の敷地外となっている天安門や端門への登楼も有料で可能であり、正門である午門の前にも民営の小さな展示館がたくさんある。

主な展示物

五牛図(韓滉作、唐時代)

伯遠帖(王珣作、東晋時代)

中秋帖(王献之作、東晋時代)

韓熙載夜宴図(南唐時代)

清明上河図(張択端作、北宋時代)

文献

観光

太和殿石階段のレリーフ

景山からの神武門の眺め

関連項目

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故宮

ウィキボヤージュに**紫禁城(簡体字中国語)**に関する旅行情報があります。

ウィキボヤージュに**紫禁城(英語)**に関する旅行情報があります。

参考文献

ウィキポータル

関連**ポータル**のリンク


脚注

[脚注の使い方]

  1. [1]
    中国三大宮廷建築 | テーマ別世界遺産 | 世界遺産オンラインガイド
  2. [2]
    Yu, Zhuoyun (1984). Palaces of the Forbidden City. New York: Viking. ISBN 0-670-53721-7 ,p.18
  3. [3]
    Yang, Xiagui (2003). The Invisible Palace. Li, Shaobai (photography); Chen, Huang (translation). Beijing: Foreign Language Press. ISBN 7-119-03432-4 ,p.15
  4. [4]
    China Central Television, The Palace Museum (2005). Gugong: "XI. Flight of the National Treasures"
  5. [5]
    “北京中轴线——中国理想都城秩序的杰作”成功列入《世界遗产名录》”. 新華網 (2024年7月27日). 2024年7月27日閲覧。
  6. [6]
    明代には玄武門だったが、康熙帝の名を忌諱して改名された
  7. [7]
    中国の清朝皇帝に関する読本(清時代、台湾、清朝、紫禁城、故宮博物院、衣装、ラストエンペラー)
  8. [8]
    『衙署名目』
  9. [9]
    新建築社『NHK 夢の美術館 世界の名建築100選』新建築社、2008年、16頁。ISBN 978-4-7869-0219-2
  10. [10]
    羽田亨『満和辞典』
  11. [11]
    『満漢大辞典』
  12. [12]
    明初紫禁城与現在的有何不同-香港商報”. www.hkcd.com (2016年7月7日). 2019年2月23日閲覧。
  13. [13]
  14. [14]
    故宮博物院 同道堂
  15. [15]
  16. [16]
  17. [17]
    毎日頭條 不是菩提的英華殿「菩提」:故宮最美古樹
  18. [18]
    故宮博物院 錫慶門
  19. [19]
    故宮博物院 重華宮
  20. [20]
    知乎 漱芳斎真的是小燕子住的地方嗎?
  21. [21]
    野嶋剛『ふたつの故宮博物院』新潮社、2011年、13頁。
  22. [22]
    故宫博物院”. www.mct.gov.cn. 中華人民共和国文化観光部 (2021年7月22日). 2023年2月2日閲覧。
  23. [23]
    2007年7月14日、北京の「故宮博物院」敷地内で8年間営業を許可していたスターバックスのコーヒーチェーン店を「中国文化を損なう」との理由で契約を解除したことが報道された
  24. [24]
    “雍正文物大展在台開展 両岸故宮交流"春華秋実"”. 中国網. (2009年10月7日). http://www.china.com.cn/culture/txt/2009-10/07/content_18663297.htm 2017年12月25日閲覧。
  25. [25]
    “台北・故宮博物院前院長が北京・故宮研究院の顧問に 「機密が漏れる」と台湾・与党は批判”. 産経新聞. (2016年9月8日). https://www.sankei.com/article/20160908-752D7AZGJRLQ7AURMHRSB4O57A/ 207-12-25閲覧。
  26. [26]
    故宮博物院、地下宝庫を40%拡大へ 文化財の保護機能も拡充”. AFP (2018年4月26日). 2019年9月24日閲覧。
  27. [27]
    “「香港故宮文化博物館」オープン 愛国教育に活用”. 産経新聞. 共同通信. (2022年7月3日). https://www.sankei.com/article/20220703-7WFKZ2IPGNJYJCZI3BILF2BEGI/ 2022年10月1日閲覧。
  28. [28]
    NHKスペシャル 故宮の至宝 - NHK名作選(動画・静止画) NHKアーカイブス

外部リンク