長生殿 (戯曲) (original) (raw)

長生殿』(ちょうせいでん)は、の洪昇(こうしょう)の制作にかかる中国の古典戯曲の傑作であって、南方系の楽曲を基調とした、いわゆる南戯である。全五十幕から成る。

白居易の「長恨歌」、および陳鴻の「長恨歌伝」の筋立てを逐いつつ、史実と仮構をないまぜた構成で、文辞もすぐれ、孔尚任の「桃花扇」(とうかせん)とともに、清朝を代表する二大戯曲として並び称されている[1]

洪昇(1645年-1704年)は銭塘の人で、北京国子監監生であった。『長生殿』ははじめ『沈香亭』、ついで『舞霓裳』、最後に現在の名前へと変わり、十数年を費やして完成したという[2]。1688年ごろに上演され、康熙帝は高く評価して俳優に銀20両を下賜した[3]。ところが1689年、孝懿仁皇后(トゥンギャ氏)の服喪期間中に上演したとして洪昇は不敬罪で告訴され[4]、監生の身分を失って故郷に帰った。

玄宗と楊貴妃に関する文学作品として『長恨歌』と陳鴻『長恨歌伝』がよく知られるが、それ以降も伝奇小説『楊太真外伝』や、白仁甫雑劇梧桐雨』などに発展した。『長生殿』はこれらの文学の集大成となっている。『長恨歌』をそのまま引いている箇所もあるが、たとえば馬嵬の老女が楊貴妃の足袋を拾う話は『唐国史補』に[5]李亀年が江南に逃がれた話は杜甫の詩に[6]、郭従謹という老人が玄宗を批判した話は『資治通鑑』に[7]、楊通幽という道士の話は『仙伝拾遺』などに見えている[8]。各齣の末には関係する唐詩の句を引く。

『長生殿』は複雑長大な劇であるが、前半25齣で楊貴妃の入内からその自殺までを描き、後半は長安に入った安禄山の無道と鎮圧、その後の玄宗らの生活、楊貴妃の魂の話などが複雑に交替する。ここでは出現順ではなく、人物ごとに筋をまとめた。

太平の世を謳歌する唐明皇は楊玉環を貴妃とし、寵愛する。楊貴妃の3人の姉もそれぞれ国夫人の位を与えられて権勢を奮う。それまでの寵姫であった梅妃は冷遇される。三月三日の曲江の宴で、楊貴妃は姉の虢国夫人が唐明皇に近づいたことに嫉妬して二人を殴る。唐明皇は怒って楊貴妃に暇を出すが、すぐに後悔して呼びかえす。

楊貴妃は茘枝を好み、遠方から茘枝を届けるために人々は辛酸を舐める。

楊貴妃は梅妃の驚鴻の舞をしのぐ新曲を作ろうとする。嫦娥は楊貴妃の夢魂を月宮に招き、霓裳羽衣の曲を教える。目覚めて後、楊貴妃は楽譜を永新と念奴に書きとめさせ、唐明皇は李亀年らに曲を習わせる。六月一日の楊貴妃の誕生日のために、避暑地の驪山にある長生殿で宴を開く。そこへ茘枝が届く。霓裳羽衣の曲が演奏され、楊貴妃が舞う。その後、唐明皇はこっそり梅妃を訪れるが、楊貴妃が知って大騒ぎになる。

唐明皇と楊貴妃は驪山の温泉殿を訪れる。七夕の夜、二人は永く夫婦となることを長生殿で牽牛・織女に誓う。

安禄山契丹との戦いに敗北した責任を取るため長安に護送されていたが、楊国忠のとりなしもあって許され、東平郡王に封ぜられる。後に楊国忠は安禄山の野心を警戒するようになり、罷免を唐明皇に要求するが、唐明皇は范陽節度使に任命することで二人の反目を和らげようとする。安禄山はむしろこれを好機として、朝廷を欺きつつ百万の兵を蓄え、楊国忠の排除を名分として反乱を起こし、哥舒翰を破って潼関を越える。

唐明皇と楊貴妃が宴を開いているところに楊国忠がやってきて、安禄山の挙兵を告げ、に乱を避けるよう進言する。陳玄礼と兵三千に率いられて蜀へと向かうが、馬嵬駅で兵が反乱を起こして楊国忠を殺し、さらに楊貴妃の死を要求する。楊貴妃は自ら縊死する。遺体は錦に包み、金釵鈿盒とともに馬嵬駅に埋葬する。唐明皇はその後も苦労を重ねて成都に到着し、太子に位を譲って上皇となった後、楊貴妃の像を作らせて廟に祭る。

長安に入った安禄山は遊興に明け暮れる。宮中で音楽を演奏させるが、楽人の雷海青は安禄山を面罵して琵琶を投げつけようとする。

安禄山は大燕皇帝を名乗り、段夫人を寵愛してその子の安慶恩を太子に立てようとするが、そのことに怒った長男の安慶緒李豬児に安禄山を刺殺させる。郭子儀の率いる唐軍が大いに活躍し、安慶緒は逃亡、長安は回復される。

李亀年は乱の後、江南に逃れていたが、噂を聞いて来た楽人の李謩と再会する。李謩は李亀年から霓裳羽衣の曲を学ぶ。かつて楊貴妃の侍女であった永新と念奴は金陵で道姑となって楊貴妃をまつっていたが、やはり李亀年と再会する。

殺された楊国忠や虢国夫人の魂は地獄に落ちたが、楊貴妃はもと蓬萊の仙人であったため、馬嵬の土地神に助けられ、鬼魂としてしばらくさまよった後、尸解して蓬莱に戻る。上皇は成都から長安に戻る途中、改葬するために馬嵬で楊貴妃の墓を掘るが、中は空で、ただ香嚢のみが残っていた。馬嵬で酒屋を営んでいた王嬤嬤は拾った楊貴妃の足袋を上皇に献上し、墓守の職を与えられる。

長安に戻った上皇は、夢に楊貴妃の使者を見、また安禄山が怪物となって出現する様子を見る。夢から覚めた後、各地の方士に楊貴妃の魂を探させる。楊通幽は織女の導きによって蓬莱の玉妃(かつての楊貴妃)に逢うことができた。玉妃は証拠として金釵鈿盒を楊通幽に渡し、またかつての長生殿での誓いについて語る。

織女は上皇が楊貴妃を見殺しにしたことを怒っていたが、後に上皇を憐れみ、ふたりを天上に上げることにする。中秋の夜、楊通幽が出した仙橋を使って上皇は月宮へ昇り、玉妃と再会する。天界を司る玉帝の詔勅により、ふたりは忉利天で夫婦として末永く過ごす。


  1. 王応奎『柳南随筆』 巻6。「康熙丁卯・戊辰間、京師梨園子弟以内聚班為第一。時銭塘洪太学昉思(升)著『長生殿』伝奇初成、授内聚班演之。聖祖覧之称善、賜優人白金二十両、且向諸親王称之。」
  2. 『康熙起居注』康熙28年10月10日に記事あり。また『長生殿』の尤侗や毛奇齢の序ほかにも見える
  3. 『長生殿 玄宗・楊貴妃の恋愛譚』岩城秀夫訳注、平凡社、2004年10月。