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吉左衛門

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きちざえもん

まぼろしの稲庭うどん。

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往事茫々 昔のことぞしのばるる・・・2日前

ふるさと山国(やまくに)の今昔あれこれ52 村の争論② 土地と山野の争論前回の水争いに続いて、今回は開墾地の権利と山野の入会権をめぐる争論について見ていくことにしたいと思います。(『社町史第二巻 本編2』) 延宝五年(1677)、社村を中心に周辺の検地が行われました。いわゆる延宝検地です。このとき、新しく開墾された土地(1)をめぐって、それが社村、山国村のいずれに属するかという争論が生じました。これと同時に、山国村の東部から東北部にかけて広がる東野の入会権(2)をめぐって、山国村・松尾村・東実村と社村・家原村・鳥井村(鳥居村)・田中村との間で争論が起こりました。七か村の入会地争論について、山国村が「山国・東実・松尾の三か村の入会地」と主張したのに対して、社村は「社…

関連ブログ

jonathanheart’s blog2ヶ月前

台湾近代化のポラリス 台湾協会の働き 第五回内国勧業博覧会4台北市書院街にある賀田組本店2階の広間には、今日も、賀田金三郎の台湾統治初期の話を聴きたいと集まった、賀田組若手従業員達でいっぱいだった。 第五回内国勧業博覧会についての話を続けている賀田は、「ではここで少し休憩時間としよう」と言った。そして賀田は大好きなタバコを一服吹かしながら、窓の外を見た。当時の台北市は今の様に高いビルもなく、空が広く見えた。 夕焼けで真っ赤に染まった空を見ながら賀田は後藤新平との話を思い出していた。 「賀田君、第五回内国勧業博覧会に台湾館として参加する事は既に知っていると思うが、私が台湾館として参加する意義を世間はなかなか理解してくれんのだよ。台湾日日新報は、僅か2万円…

名古屋の町は大騒ぎ2ヶ月前

これを仕事というのか、接待目当てじゃないか正徳1年6月29日。卯(午前5時)前、文左衛門は鳴海へ用務で出かける。笠寺で酒を頂く。辰7刻(午前8時半)、鳴海に到着する。仕事が終わり、未(午後1時)過ぎ、横地仁兵衛の案内で金右衛門の山上の3畳敷の茶亭へ岡崎弥兵と上がる。眼下には鳴海宿、海面には夕日が輝き、田は天に交わる。帆船が見え、家並みは不ぞろいであった。吸物・酒・肴を頂き、とても楽しむ。甚兵衛の68になる家老が待機する。申半(午後4時)過ぎ、文左衛門は帰る。弥兵の馬に文左衛門が乗る。熱田で下りる際に酔っていたのでつまずいて倒れる。左の小指の根元を大きく裂き、大量に出血する。これに加えて尻を鞍で擦って破る。戌半(午後8時)に文左衛門は帰…

Living, Loving, Thinking, Again2ヶ月前

前田→品川→須藤江戸東京《奇想》徘徊記 [新装版] (朝日文庫)作者:種村 季弘朝日新聞出版Amazon種村季弘『江戸東京《奇想》徘徊記』*1第14章「根津権現裏と谷中」に曰く、 鷗外記念本郷図書館前の団子坂を横断してさらに北へ、千駄木の住宅街を行くと、樹々を透かして谷底に水鳥が浮かんでいる池が見える。これが須藤公園*2。元は品川弥二郎(維新の功臣)邸だったという。ここはいつきても人気がない。都心ではめずらしく閑雅な気分を味わえる公園で、以前よく二日酔いさましにここのベンチで小半日転がっていたものだ。(p.138)品川弥二郎邸の前は加賀・大聖寺藩邸。その後、須藤吉左衛門という人が品川家から買収し、さらに昭和に…

第二遊歩道ノート2ヶ月前

泉屋博古館の名宝|奈良国立博物館特別陳列泉屋博古館の名宝ー住友春翠の愛でた祈りの造形ー ■2024年7月20日~9月1日■奈良国立博物館 昨年末頃からリニューアル工事のため休館している鹿ヶ谷の泉屋博古館。この機をとらえて同館の青銅器コレクションと仏教関連美術作品を奈良博で陳列してしまおうという企画です。東新館のみでの展示と、規模的には「特別展」級ではなく「特別陳列」という扱いですが、鹿ヶ谷でも展示される機会が少ない仏画等が数多く出展されていて見応えは十分でした(なお、西新館では夏休みキッズ向け企画「フシギ!日本の神さまのびじゅつ」が並行して開催されています)。 https://www.narahaku.go.jp/ 泉屋博古…

jonathanheart’s blog3ヶ月前

台湾近代化のポラリス 台湾銀行明治32年((1899年)5月の事であった。 大倉組を退職した賀田金三郎は、台北市書院街一丁目二番戸に賀田組を起業した。間口六間の二階建ての建物で、台湾人仕様の建物であった。後に、洋館に建て替えられた。 事業内容は賀田が台湾に来た時から着眼していた、金融業、製糖業、運送業、物品販売、御用達、そして、当時、大倉組がやっていなかった建築業をまず手掛ける事とした。金三郎が土木請負に手を出さなかったのは、土木は大倉組の事業であるからで、これは、大倉組、すなわち、大倉喜八郎への敬意を表したのもでもあった。 社長には、賀田金三郎、副社長には、賀田富次郎(金三郎の実弟)が就任し、本店・台北、営業所は、台南、…

もっと KOBE ずっと KOBE3ヶ月前

「神戸イズム」が生み出した小磯良平のモダンで気品溢れる作品六甲アイランドにある小磯記念美術館を訪ねました。 小磯良平(神戸市HPより引用) 六甲アイランドにある「小磯記念美術館」 西洋画家、小磯良平(1903年~1988年)は神戸中山手通りに生まれ、洋館の立ち並ぶまちで「西洋的な空気」を吸って幼年期を過ごしました。気が置けない画家仲間と元町商店街にあった書店「丸善」に通って画集を探し、最寄りの喫茶店「風月堂」でお茶をして帰ることが外出の定番になっていたそうです。 元町通3丁目の風月堂 神戸二中を卒業後、東京藝術大学に入学、数々の賞を獲得して主席で卒業。パリで2年間の遊学。帰国後、山本通にアトリエを新築(1931 年)しました。ここで数々の代表的な油画…

ミッチとしずばぁばのお茶談義4ヶ月前

楽家の歴代家元一覧/読み方や覚え方のまとめ

Vanity of vanities4ヶ月前

言葉から離れ続ける先日、楽美術館へ伺った。 https://www.instagram.com/p/C7fqIbdPe3p/?igsh=MXQ2NTA3a3ljNXRi うわっ、と声がでてしまった。 そのあと、何回ももどって観ながら、すげぇ、とかつぶやいていて、なんで、なんだろうと考えた。 なんで、の言葉の後には、これがいいのか(わかんないけど、なんだかすげえ)、とか、この色が(なんなのよ)、とか、この佇まいが(どうだっていうのよ)、などなど、永遠に続きそうだった。 しかし、どれもこれもとってつけたような問いで、自分の中で出てくる答えになりそうな言葉も軽々しく、全く要領をえないというか、ダメだなと思った。 むし…

半酔の街道旅と日々徒然5ヶ月前

甲州街道四十四次 64月11日の甲州街道再開から半月余、 真夏日に近い28日(日)再び甲州街道へ。 電車バス、電車と乗り継いで前回足止めの京王線東府中駅へ。 前回は途中から江戸初期の街道、甲州古道を少し歩き東調布駅前へ来てました。 甲州古道は、品川街道と呼ばれ、江戸時代の初期には東府中までの道が、 甲州道中の一部として使われていたといわれてる。 東府中の駅で甲州街道(都道229)と出合い合流します。 駅前は変則的な4差路状で旧甲州軌道(都道229)は、左手斜め方向へ進みます。 カラーのマンホールはヒバリの親子と梅の花 2,3分でJR南武線の踏切りを渡ると、八幡町へ入ります。 左手の線路は、東府中駅から1km弱の府…

グルメ&旅行ブログ 今日もhappy6ヶ月前

中之島図書館2階にあるスモーブロー キッチン ナカノシマ(大阪・中之島)現在、中之島美術館で開催中の「モネ 連作の情景」を見に行きました。 友人情報で、開館直後がすごく混む、とのことで、ゆっくりランチを頂いてお昼すぎから行くことにしました。 目次: 地下鉄御堂筋線淀屋橋からすぐの中之島図書館 ルネサンス様式の建築 内部はバロック式で重厚な雰囲気 スモーブローキッチンナカノシマでのんびりランチ スモーブローとは? ランチメニュー(11時〜15時)は3種類 図書館近くのお店ではなく、あえての淀屋橋。 本当は、京阪に1駅乗ってもいいな、って思ったのですが、爽やかなお天気だったので散策がてら淀屋橋から中之島美術館まで歩いていきました。 個人的趣味で歴史的建造物を観たい、と…

戦国日本の津々浦々 ライト版6ヶ月前

西田 長識 にした ながさと石見国邇摩郡西田の在地領主。官途名は甲斐守。天文十七年(1548)八月、西田村八幡宮の拝殿を建立した。石見国邑智郡川本郷を本拠とする小笠原氏の一族ともされる。 天文十七年の拝殿建立 石見銀山周辺への小笠原氏の進出 参考文献 天文十七年の拝殿建立 西田村八幡宮(現在の水上神社)の天文十七年(1548)八月十日付棟札によると、この時、西田宮の社内に拝殿が建立された。棟札には「源朝臣西田甲斐守長識」のほか、「神主治部大夫鏡運」、「大工木工允」の名がみえ、本願主として「清源寺陽厳永□」が記されている。 清源寺は西田地内の曹洞宗寺院だが、水上神社(八幡宮)の北に隣接して「神宮寺」という字名があり、ここが…

戦国日本の津々浦々 ライト版7ヶ月前

光悦焼 こうえつやき本阿弥光悦が製作した焼物。茶会記などの記録には「光悦焼」あるいは「光悦茶碗」としてみえる。光悦は刀剣の磨礦(とぎ)・浄拭(ぬぐい)・目利(めきき)を業とした本阿弥家の別家の出身。名筆家としても知られるが、陶芸においても優れた才をみせたという。光悦の陶芸の主流は楽焼の茶碗製作であり、京都の樂家の二代常慶と三代道入らの助けをもって行われた。 光悦の茶の湯 鷹峯での作陶 茶会記にみる光悦焼 光悦茶碗の名品 参考文献 光悦の茶の湯 本阿弥光悦と親交のあった佐野紹益が著した随筆『にぎはひ草』によれば、光悦は台子の茶の湯を織田有楽斎と古田織部より伝授されたという。 実際に光悦は古田織部と交流があった。年未…

石仏石神を求めて7ヶ月前

馬頭観音塔(川崎市麻生区岡上3丁目・路傍)神奈川県川崎市麻生区岡上3丁目の路傍(訪問日:2024年3月2日)川崎市一般市道岡上104号線沿いに台石含めるとそこそこの大きさの馬頭観音塔が置かれています。そばには近年設置の解説板もありました。 解説板 岡上の地域文化財本村橋の袂の馬頭観音 この馬頭観音は天保十年(一八三九年)に、岡上村の「馬持講中」により、運送業務の繁栄・安全を祈願して建てられたものと思われます。 本村橋の袂にありましたが、鶴見川の改修工事に伴い、現在の場所に移設されました。正:馬頭観音像左:武州都築郡岡上村右:天保十己亥十二月吉祥日台正:馬持講中台左:世話人 星野右左衛門 梶吉左衛門 荻野安五良 薙沢新蔵 令和4年(20…

すきコレ8ヶ月前

【展覧会】特別展 本阿弥光悦の大宇宙@上野・東京国立博物館(2024/2/24 鑑賞)よろコンです。 本ブログでは見て来た展覧会の個人的な感想を書いています。 今回は、2024年2月24日(土)に見て来た展覧会特別展 本阿弥光悦の大宇宙 @上野・東京国立博物館(平成館)です。 「始めようか、天才観測。」 マルチなタレント本阿弥光悦。教科書にも載っていました。でも、具体的に何をした人?正直、ほとんど知りませんでした。「天才観測」・・・はて?? そして、今回、まさにその宇宙にドはまりしてきました。まさに「天才観測」 皆さんも一緒に観測しに行きましょう! 今回も最後までお読みいただけますと幸いです。 【目次】 1. 展覧会情報 (1) 開催概要 (2) 訪問日・混雑状況 (3) どん…