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志貴皇子

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しきのみこ

日本の飛鳥時代末期から奈良時代初期にかけての皇族。歌人。天智天皇の第七皇子。
政治よりも和歌等文化の道に生きた。770年(宝亀元年)11月6日に春日宮御宇天皇(通称は田原天皇)の追尊を受けた。

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大和の国のこころ、万葉のこころ9ヶ月前

葦べ行く鴨の羽がひに・・・巻第1-64訓読 >>> 葦(あし)べ行く鴨(かも)の羽(は)がひに霜(しも)降りて寒き夕べは大和し思ほゆ 要旨 >>> 葦が生い茂る水面を行く鴨の羽がいに霜が降っている。このような寒い夕暮れは、大和のことがしみじみ思い出される。 鑑賞 >>> 志貴皇子の歌。慶雲3年(706年)に、文武天皇(持統天皇の孫、軽皇子)に随行して、難波離宮へ旅した時に詠んだもの。難波宮は、天武天皇の御代に築かれた副都。難波は、古くは仁徳天皇、近くは孝徳天皇の都だった地であり、交通、対外関係において重要であると同時に、禊(みそ)ぎの地として信仰された所でもありました。そのため、天皇の行幸も頻繁に行われました。皇子が訪れた時期は当…

#万葉集#巻第1#志貴皇子

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大和の国のこころ、万葉のこころ1年前

大原のこの市柴の何時しかと・・・巻第4-513訓読 >>> 大原のこの市柴(いちしば)の何時(いつ)しかと我(わ)が思(も)ふ妹(いも)に今夜(こよひ)逢へるかも 要旨 >>> 大原のこの柴の木のようにいつしか逢えると思っていた人に、今夜という今夜はとうとう逢えることができた。 鑑賞 >>> 志貴皇子(しきのみこ)が、ようやく逢うことのできた「妹」と呼ぶ女性に与えた歌。上2句が、類音で「何時しか」を導く序詞。眼前の景色を捉えるとともに、「何時しか」を強め、強く待ち望みながら、逢えた喜びの深さを表しています。「大原」は、奈良県明日香村の小原(おうばら)。「市柴」は、繁った柴のことか。「柴」は、雑木。山野などで男女が逢うのは、人目を避けるため…

#万葉集#巻第4#志貴皇子

大和の国のこころ、万葉のこころ2年前

神奈備の磐瀬の杜の霍公鳥・・・巻第8-1466訓読 >>> 神奈備(かむなび)の磐瀬(いはせ)の杜(もり)の霍公鳥(ほととぎす)毛無(けなし)の岳(をか)に何時(いつ)か来鳴かむ 要旨 >>> 神奈備の岩瀬の森で鳴いているほととぎすよ、自分の住んでいる毛無の岡には一向に声が聞こえないが、いつになったら来て鳴いてくれるのか。 鑑賞 >>> 志貴皇子(しきのみこ)の歌。「神奈備」は神のいる神聖な場所という意味で、ここは飛鳥の神奈備ではなく竜田の神奈備で、その南方に「岩瀬の森」があります。「磐瀬の社」で霍公鳥が鳴くことを詠む歌は他にもあり(巻第8-1470)、霍公鳥の名所だったのかもしれません。「毛無の岡」の所在未詳ながら、「毛無」は、樹木の生…

#万葉集#巻第8#志貴皇子#霍公鳥

万葉集の歌碑めぐり2年前

万葉歌碑を訪ねて(その1969、1970、1971)―島根県松江市東出雲町 面足山万葉公園(7、8、9)―万葉集 巻七 一三三〇、巻七 一三六一、巻八 一四一八―その1969― ●歌は、「南淵の細川山に立つ檀弓束巻くまで人に知らえじ」である。 島根県松江市東出雲町 面足山万葉公園(7)万葉歌碑<プレート>(作者未詳) ●歌碑(プレート)は、島根県松江市東出雲町 面足山万葉公園(7)である。 ●歌をみていこう。 ◆南淵之 細川山 立檀 弓束纒及 人二不所知 (作者未詳 巻七 一三三〇) ≪書き下し≫南淵(みなぶち)の細川山(ほそかはやま)に立つ檀(まゆみ)弓束(ゆづか)巻くまで人に知らえじ (訳)南淵の細川山に立っている檀(まゆみ)の木よ、お前を弓に仕上げて弓束を巻くまで、人に知られたくないものだ。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)…

#万葉歌碑巡り#万葉集#萬葉集#面足山萬葉公園#志貴皇子

万葉集の歌碑めぐり2年前

万葉歌碑を訪ねて(その1950)―徳島県阿南市 那賀川社会福祉会館―万葉集 巻八 一四一八●歌は、「石走る垂水の上のさわらびの萌え出づる春になりにけるかも」である。 徳島県阿南市 那賀川社会福祉会館前万葉歌碑(志貴皇子) ●歌碑は、徳島県阿南市 那賀川社会福祉会館にある。 ●歌をみていこう。 題詞は、「志貴皇子懽御歌一首」<志貴皇子(しきのみこ)の懽(よろこび)の御歌一首>である。 ◆石激 垂見之上野 左和良妣乃 毛要出春尓 成来鴨 (志貴皇子 巻八 一四一八) ≪書き下し≫石走(いはばし)る垂水(たるみ)の上(うえ)のさわらびの萌(も)え出(い)づる春になりにけるかも (訳)岩にぶつかって水しぶきをあげる滝のほとりのさわらびが、むくむくと芽を出す春になった、ああ(「万葉集 二」 …

#万葉歌碑巡り#万葉集#萬葉集#志貴皇子#那賀川社会福祉会館

万葉集の歌碑めぐり2年前

万葉歌碑を訪ねて(その1854~1856)―松山市御幸町 護国神社・万葉苑(19,20,21)―万葉集 巻八 一四一八、巻十四 三五七二、巻二 九〇―その1854― ●歌は、「石走る垂水の上のさわらびの萌え出づる春になりにけるかも」である。 松山市御幸町 護国神社・万葉苑(19)万葉歌碑<プレート>(志貴皇子) ●歌碑(プレート)は、松山市御幸町 護国神社・万葉苑(19)にある。 ●歌をみていこう。 題詞は、「志貴皇子懽御歌一首」<志貴皇子(しきのみこ)の懽(よろこび)の御歌一首>である。 ◆石激 垂見之上野 左和良妣乃 毛要出春尓 成来鴨 (志貴皇子 巻八 一四一八) ≪書き下し≫石走(いはばし)る垂水(たるみ)の上(うえ)のさわらびの萌(も)え出(い)づる春になりにけるかも (訳)岩にぶつかって水しぶきをあげる滝のほとりのさわらびが、…

#万葉歌碑巡り#万葉集#萬葉集#志貴皇子#軽太郎女#愛媛万葉苑

万葉集の歌碑めぐり2年前

万葉歌碑を訪ねて(その1822)―愛媛県西予市 三滝公園万葉の道(34)―万葉集 巻八 一四一八●歌は、「石走る垂水の上のさわらびの萌え出づる春になりにけるかも」である。 愛媛県西予市 三滝公園万葉の道(34)万葉歌碑(志貴皇子) ●歌碑は、愛媛県西予市 三滝公園万葉の道(34)にある。 ●歌をみていこう。 題詞は、「志貴皇子懽御歌一首」<志貴皇子(しきのみこ)の懽(よろこび)の御歌一首>である。 ◆石激 垂見之上野 左和良妣乃 毛要出春尓 成来鴨 (志貴皇子 巻八 一四一八) ≪書き下し≫石走(いはばし)る垂水(たるみ)の上(うえ)のさわらびの萌(も)え出(い)づる春になりにけるかも (訳)岩にぶつかって水しぶきをあげる滝のほとりのさわらびが、むくむくと芽を出す春になった、ああ(「万葉…

#万葉歌碑巡り#萬葉集#万葉集#愛媛県西予市三滝自然公園万葉の道#志貴皇子#巻頭歌

大和の国のこころ、万葉のこころ2年前

志貴皇子が亡くなった時に笠金村が作った歌・・・巻第2-230~232訓読 >>> 230梓弓(あづさゆみ) 手に取り持ちて ますらをの さつ矢 手挟(たばさ)み 立ち向ふ 高円山(たかまとやま)に 春野(はるの)焼く 野火(のひ)と見るまで 燃ゆる火を 何かと問へば 玉鉾(たまほこ)の 道来る人の 泣く涙 こさめに降れば 白栲(しろたへ)の 衣(ころも)ひづちて 立ち留(と)まり 我(わ)れに語らく なにしかも もとなとぶらふ 聞けば 哭(ね)のみし泣かゆ 語れば 心ぞ痛き 天皇(すめろき)の 神の御子(みこ)の いでましの 手火(たひ)の光りぞ ここだ照りたる 231高円(たかまと)の野辺(のへ)の秋萩(あきはぎ)いたづらに咲きか散るらむ見る人なしに 232…

#万葉集#巻第2#笠金村#志貴皇子#挽歌

大和の国のこころ、万葉のこころ3年前

石走る垂水の上の・・・巻第8-1418訓読 >>> 石(いは)ばしる垂水(たるみ)の上のさ蕨(わらび)の萌え出づる春になりにけるかも 要旨 >>> 岩の上を勢いよく流れる滝のほとりに、わらびがやわらかに芽吹いている。ああ、春になったのだな。 鑑賞 >>> 巻第8の「春雑歌」の巻頭歌で、「志貴皇子(716年没)の懽(よろこび)の御歌」とあります。志貴皇子は天智天皇の第7皇子で、白壁王(光仁天皇)、湯原王らの父にあたります。『万葉集』に6首の歌を残し、哀感漂う歌が多く、すぐれた歌人との評価が高い人です。この歌は、雪解けの水かさが増した滝のほとりに、わらびが芽吹いているのを発見し、長い間待ち焦がれた春の訪れを喜んでいる歌であり、『万葉集…

#万葉集#巻第8#志貴皇子

大和の国のこころ、万葉のこころ3年前

明日香の風・・・巻第1-51訓読 >>> 采女(うねめ)の袖(そで)吹きかへす明日香風(あすかかぜ)都を遠みいたづらに吹く 要旨 >>> 采女たちの美しい衣の袖を吹き返していた明日香の風も、今は都も遠くてむなしく吹くばかりだ。 鑑賞 >>> 持統天皇によって、飛鳥御浄原から藤原京に遷都されたのが694年のこと。この歌はそれから間もないころ、志貴皇子(しきのみこ)が廃都となった飛鳥御浄原に立ち寄り、吹く風を詠んだものです。遷都直後なら持統7年(693年)の冬、翌年なら春ころとみられています。「明日香風」は、明日香の地に吹いている風をそう呼んだもの。好んで用いられた言い方らしく、他に佐保(さほ)風、泊瀬(はつせ)風、伊香保(…

#万葉集#巻第1#志貴皇子#明日香

万葉集の歌碑めぐり20時間前

万葉集の世界に飛び込もう(その2691)―書籍掲載歌を中軸に(Ⅱ)―●歌は、「高圓の野邊の秋萩いたづらに 咲きか散るらむ見る人無しに(笠金村 2-231)」である。 【田原西陵】 「笠金村歌集(巻二‐二三一)(歌は省略) 万葉集中に六首の秀歌をのこしている志貴皇子(天智皇子)の墓は、高円山の東南、<奈良市矢田原町>にある。そこから東四キロ日笠町にある光仁天皇(志貴皇子の子)の田原東陵に対して田原西陵といわれる。志貴皇子の没年は万葉には霊亀元年(七一五)九月とあり、『続日本紀』には同二年八月とあって問題を残している。光仁朝宝亀元年(七七〇)に春日宮天皇の追尊号がおくられた。万葉には葬送のときの笠金村の挽歌があって、その長歌(巻二‐二三〇)には高円山の裾をめぐって…

万葉集の歌碑めぐり2日前

万葉集の世界に飛び込もう(その2690)―書籍掲載歌を中軸に(Ⅱ)―●歌は、「高円の野の上の宮は荒れにけり立たしし君の御代還そけば(大伴家持 20-4506)」である。 【高円山】 「大伴家持(巻二十‐四五〇六)(歌は省略) 高円(たかまど)山は春日山の南に地獄谷をはさんでつづく山(四六一メートル)で、その西麓白毫寺(びゃくごうじ)付近から鹿野園(ろくやおん)方面にかけての傾斜地が高円の野である。こんにちは『たかまど』とよんでいる。ここもまた平城京裡に近く、奈良の時代を通じて貴族らの遊楽の地であった。・・・時には狩りが行われ、時には壺酒をさげて逍遥し、霧・露・風・月につけ、鶯・雁・鹿など、また桜・なでしこ・おみなえし・葛・萩・尾花・もみじなどにつけて四季の景趣…

万葉集の歌碑めぐり17日前

万葉集の世界に飛び込もう(その2675)―書籍掲載歌を中軸に(Ⅱ)―●歌は、「吉野にある菜摘の川の川淀に鴨ぞ鳴くなる山陰にして(湯原王 3-375)」である。 【なつみの川】 「湯原王(巻三‐三七五)(歌は省略) 宮滝の柴橋の上から上流真東に見える山地は菜摘(なつみ)(吉野町)であって、吉野川は菜摘の山裾を東側から北側、そして西側と曲流し、さらに宮滝へと西流している。この菜摘の村の西側を流れる部分を『夏見(なつみ)の川』といったのであろう。・・・なんとも静寂の山川である。万葉の歌がそのままそこにいきづいているようなところだ。 この幽暗な山かげの淀みで鴨が鳴くなら、声はせまい谷あいから空へと澄みとおってきこえるだろう。『吉野なるなつみ』『なくなる』の同音のひびき…

大和の国のこころ、万葉のこころ22日前

聖武天皇と海上女王の歌訓読 >>> 530赤駒(あかごま)の越ゆる馬柵(うませ)の標(しめ)結(ゆ)ひし妹(いも)が心は疑ひもなし 531梓弓(あづさゆみ)爪引(つまび)く夜音(よおと)の遠音(とほと)にも君が御幸(みゆき)を聞かくし好しも 要旨 >>> 〈530〉赤駒が飛び越えてしまうかもしれない柵を縄でしっかり結び固めておくように、私のものだとしたあなたの心に、少しも疑いはない。 〈531〉梓弓を爪弾く夜半の弦音が遠くから響いてくるように、君のお出ましのお噂を遠くからでもお聞きするのはうれしいことです。 鑑賞 >>> 530は、聖武天皇が海上女王(うなかみのおおきみ)に贈った歌。531は、海上女王がそれにお答え…

大和の国のこころ、万葉のこころ1ヶ月前

秋さらば今も見るごと妻ごひに・・・巻第1-84訓読 >>> 秋さらば今も見るごと妻ごひに鹿(か)鳴かむ山ぞ高野原(たかのはら)の上 要旨 >>> 秋になると、ご覧のように、妻恋の鹿の声が聞こえてくる山です、この高野原の上は。 鑑賞 >>> 長皇子(ながのみこ)が、自身の邸宅(佐紀宮)で従兄弟の志貴皇子と宴(うたげ)した時の歌。「秋さらば」は、秋になると。「高野原」は、奈良市佐紀町の佐紀丘陵から西南の一帯。中国の詩集『詩経』に載っている、賓客を遇する『鹿鳴』の知識を取り込んでいるとされます。『鹿鳴』は、明治期に建てられた鹿鳴館の名の由来となった漢詩です。 斉藤茂吉は、「この御歌は、豊かで緊密な調べを持っており、感情が濃(こま)やかに動いてい…

万葉集の歌碑めぐり1ヶ月前

万葉集の世界に飛び込もう(その2655)―書籍掲載歌を中軸に(Ⅱ)―●歌は、「降る雪は淡にな降りそ吉隠の猪養の岡の寒からまくに(穂積皇子 2-203)」である。 本稿から、「万葉の旅 上 大和」 犬養 孝 著 (平凡社ライブラリー)の「宇陀」である。 順に読み進んでいこう。 【吉隠】 「穂積皇子(巻二‐二〇三)(歌は省略) 吉隠は、近鉄の長谷寺(はせでら)駅と榛原(はいばら)駅の中間で、いま桜井市に属しているが、もとは宇陀郡の中であった。・・・猪養(ゐかい)の岡は・・・『大和志』には『在吉隠村上方山多楓樹』とある。吉隠東北方高殿(たかどの)の山腹に志貴皇子妃の吉隠陵があるので、その付近を考える人もある。この歌は、天武天皇の異母兄妹の間の悲恋にまつわる歌で、但馬…

大和の国のこころ、万葉のこころ1ヶ月前

夕月夜心もしのに・・・巻第8-1552訓読 >>> 夕月夜(ゆふづくよ)心もしのに白露(しらつゆ)の置くこの庭に蟋蟀(こほろぎ)鳴くも 要旨 >>> 月の出ている暮れ方、白露が降りたこの庭にコオロギが鳴いているのを聞いていると心がしんみりする。 鑑賞 >>> 湯原王(ゆはらのおおきみ)の「蟋蟀(こほろぎ)の歌」。「夕月夜」は、夕月の出ている日暮れ方。「心もしのに」の「しのに」は、しおれてしまうばかりに、の意。「しのに」は『万葉集』中10例見られますが、そのうち9例が「心もしのに」の形であり、定型表現だったことが知られます。「こほろぎ」は、秋に鳴く虫の総称で、松虫や鈴虫なども含んでいたようです。「鳴くも」の「も」は、詠嘆。斎藤茂吉は…

万葉集の歌碑めぐり2ヶ月前

万葉集の世界に飛び込もう(その2642)―書籍掲載歌を中軸に(Ⅱ)―●歌は、「玉だすき畝傍の山の橿原のひじりの御代ゆ生れましし神のことごとつがの木のいやつぎつぎに天の下知らしめししを・・・(柿本人麻呂 1-29)」である。 【甘樫丘より(二)】 「柿本人麻呂(巻一‐二九)(歌は省略) 甘樫(あまがし)丘の上は、なん時間いてもつきないようなところだ。」<そしてそこから見える孝元天皇の御陵の剣の池、畝傍山、二上山、神武天皇陵、橿原神宮などが記されている。>「人麻呂が近江の荒都をいたむ歌の冒頭の『橿原のひじりの御代』は神武天皇の時代の意である。人麻呂のころには記紀にあるとおりに、第一代の天皇としてかたく信じられていたのであろう。岡からみれば、まったくこの狭い天地の中…

万葉集の歌碑めぐり2ヶ月前

万葉集の世界に飛び込もう(その2635)―書籍掲載歌を中軸に(Ⅱ)―●歌は、「采女の袖吹き返す明日香風都を遠みいたづらに吹く(志貴皇子 1-51)」である。 【飛鳥古都】 「志貴皇子(巻一‐五一)(歌は省略)・・・左の写真は、飛鳥川のほとりの甘樫丘(あまがしのおか)の山頂(一四七メートル)に立って、東方を展望したところで、まさに飛鳥の中心部にあたる。」(「万葉の旅 上 大和」 犬養 孝 著 平凡社ライブラリーより)と書き始められており、飛鳥浄御原宮、飛鳥小学校、飛鳥寺の安居院、鳥形山、雷(いかずち)丘、飛鳥坐神社、大原、音羽山、多武峰、八釣(やつり)山等について写真を中心に説明が記されている。 万葉の旅(上)改訂新版 大和 (平凡社ライブラリー) [ 犬養孝 …