[書評]日本人とユダヤ人(イザヤ・ベンダサン/山本七平) Part 2: 極東ブログ (original) (raw)

2005.03.10

[書評]日本人とユダヤ人(イザヤ・ベンダサン/山本七平) Part 2

実はPart 1(参照)を書いたあと、あまりいいウケでもなかったし、率直に言うと、「イザヤ・ベンダサンの正体は山本七平だ」というだけのコメントをいただくのも辟易としたので、この先書くのもやだなと思っていた。

が、この数日、風邪で伏せっていながら、山本七平の「人生について」を読み返しながら、ああ、そうか、と思った。長いが引用する。彼が「私の中の日本軍」などを執筆するに至った経緯の話の流れだが。

そのあと、南京の『百人斬り競争』ですか、あれを鈴木明さんが解明されましたでしょう。これは非常にいい資料を集めて書いたものなんですが、鈴木さんは軍隊経験がないので、せっかくのいい資料がちょっと使い切れていない感じだったんです。それで鈴木さんにこう助言してくれってたのんだんです、”これはこいうことじゃないか、軍人がこう言った場合は、こういう意味です”と……。彼ら独自の言い方がありますからね。そうしたら、それを書いてくれって言われましてね。とうとう十七回で七百枚にもなっちゃったんですよ。
ただ、この問題については相当に積極的な気持ちもありました。というのは、これ、大変なことなんです。新聞記者がボーナスか名声欲しさに武勇伝などを創作する、これは架空の『伊藤律会見記』などの例もあるわけですが、この『百人斬り競争』の創作では、そんな創作をされたために、その記事を唯一の証拠にして、二人の人間が処刑されているんです--極悪の残虐犯人として。しかもその記者は、戦犯裁判で、創作だと証言せず、平然と二人を処刑させているんです。しかも戦後三十年「断乎たる事実」で押し通し、それがさらに『殺人ゲーム』として再登場すると、これにちょっとでも疑問を提示すれば、「残虐行為を容認する軍部の手先」といった罵詈ざんぼうでその発言は封じられ、組織的ないやがらせで沈黙させられてしまう。そういった手段ですべてを隠蔽しようとするのでは、この態度はナチスと変わらないですよ。このことは、いまはっきりさせておかねば、将来、どんなことになるかわからない、基本的人権も何もあったんもんじゃない、と感じたことは事実です。それだけやれば、私は別に、文筆業ではないですから、もうこれでやめたと、一旦やめたんです。

いまでこそブログのコメントスクラムが問題視されるけど、少し前までは、右翼でもない人間がちょっとでも左翼的な発言に疑問を提示すると「罵詈ざんぼうでその発言は封じられ、組織的ないやがらせで沈黙させられてしまう」ということがあった。そうした慣性が、現代にまだ残っていてもしかたないのかもしれないが、やはりそれで過ごしてしまえば「基本的人権も何もあったんもんじゃない」という状況にはなるだろう。
前振りが長くなったが、前回、私はこう書いた。

と、書いていて存外に長くなってしまったので、一旦、ここで筆を置こう。この先、「日本人とユダヤ人」に隠されているもう一人のメンバーの推測と、「日本人とユダヤ人」の今日的な意味について書きたいと思っている。近日中に書かないと失念しそうだな。

近日中に書かなかった理由は今書いた。今回は、その隠されていたかもしれないメンバーについて書こうと思う。そのメンバーというのを仮に「イザヤ・ベンダサン」としたい。仮である。彼は、1945年の3月10日、東京にいた。
ちなみに、執筆者の一人と推定される山本七平はこの時期、フィリピンにいる。素直に考えれば、「イザヤ・ベンダサン」は山本七平ではありえない。しかし…と言う者もあるだろう、それはそもそも「イザヤ・ベンダサン」なる存在がフィクションだからだ、と。そうだろうか? 「イザヤ・ベンダサン」=山本七平だから、その話をファンタジーだと逆に考えているのではないか。
次の証言を素直に読んだとき、普通、どういう印象を持つだろうか? もちろん検証資料がない現状では判断しようがない。私はこの箇所こそが「日本人とユダヤ人」を解く鍵であり、この本の隠されたモチーフが実はジェノサイドであることを示唆していると考える。

私は昭和16年に日本を去り、二十年の一月に再び日本へ来た。上陸地点は伊豆半島で、三月・五月の大空襲を東京都民と共に経験した。もっとも、神田のニコライ堂は、アメリカのギリシア正教徒の要請と、あの丸屋根が空中写真の測量の原点の一つともなっていたため、付近一帯は絶対に爆撃されないことになっていたので、大体この付近にいて主として一般民衆の戦争への態度を調べたわけだが、日本人の口の軽さ、言う必要のないことまでたのまれなくても言う態度は、あの大戦争の最中にも少しも変わらなかった。私より前に上陸していたベイカー氏(彼はその後もこういった職務に精励しすぎて、今では精神病院に引退しているから、もう本名を書いても差し支えあるまい)などは半ばあきれて、これは逆謀略ではないかと本気で考えていた。

私は長い期間、なんどもこの本を繰り替えして読んだが、この箇所はいつも奇妙な陰翳を投げかけてくる。ニコライ堂によって古書街も守られたのかもしれない。湯島聖堂も。いや、こちらは4月13日の空襲で一部だが焼失した。いろいろ思いが巡る。
これを素直に読めば「イザヤ・ベンダサン」は明確に諜報員だとわかる。が、それを指摘した評者を知らない(大森実は手短に言及していたが…)。
しかも、ここで唐突にベイカー氏なる本名が出るのだが、それは、彼が「精神病院に引退」したからである……ということは、もう一人の諜報員「イザヤ・ベンダサン」は、本書が書かれた1970年の時点で本名を明かさない=引退していない=諜報活動中、を意味している。
本書の続編にして物騒な本となった「日本教について」など、形式的には、彼の上司の系統の「高官」に宛てるレターにすらなっている。それどころか、この「日本人とユダヤ人」もその報告書の一環とされていたようでもある。諜報員「イザヤ・ベンダサン」を含めたのはどのような組織なのか。そういえば、小声で言うのだが、「日本教について」には田中角栄失墜の裏も暗示している。
「イザヤ・ベンダサン」なる諜報員が戦時下の東京に極秘で送り込まれていたというのは、フィクションなのだろうか。ベイカー氏なる人物が追跡できればかなり明確になるのだが、そこまではわからない。私は、「イザヤ・ベンダサン」=山本七平という仮説は仮説として、もう一つ、「イザヤ・ベンダサン」をプロファイルする仮説が必要ではないかと思う。私の印象では、ある程度一貫性をもって「イザヤ・ベンダサン」なる人物のプロファイルが可能だ。それにフィクションが含まれないと考えるのは幼すぎるが、そうであってもプロファイル自体の意味が薄れるものでもない。
この奇怪な歴史の逸話はフィクションかもしれないが、仮に、これが史実だと仮定してみたい。すると、ここからさらに奇妙な連想が派生する。誰が「イザヤ・ベンダサン」を伊豆から東京に運んだのか。誰が神田に居を世話したのか。そう、戦時下の日本側の誰が、連合国側の諜報員である彼を支援したのか?
米国に内通できる可能性のある当時の日本側の団体と言えば、私は二つしか思いつかない。ミッショナリーかメイソンリーである。メイソンリーというとネットでは愉快な話題が多いが、「石の扉」などを参照されると理解が進むだろうが、明治維新などにも関連している可能性は強く、正史側でも重視すべき点は多い。
ここで、私は、当然、山本七平のことを思い浮かべる。彼はこの本の共同執筆者でもあり、この話全体が彼のでっち上げかもしれないのだが、それでも、なんらかのそういう組織の活動を知っていてこうした話を創作したのかもしれない。フィクションではないと仮定した場合、彼山本はこの日本側の内通団体について当然ある想定を得ていたに違いない。彼はそのことについて完全に秘密を守り通した。妻にも語っていないようである。この頑ななありかたは、この引用箇所に続く、話と呼応しているように思えてならない。

「腹をわって話す」「竹を割ったような性格」こういった一面がない日本人は、ほとんどいないと言ってよい。従って相手に気をゆるしさえすれば、何もかも話してしまう。しかし、相手を信用しきるということと、何もかも話すということは別なのである。話したため相手に非常な迷惑をかけることはもちろんある。従って、相手を信用し切っているが故に秘密にしておくことがあっても少しも不思議ではないのだが、この論理は日本人には通じない。

このつぶやきの記述の部分には山本七平の思いも含まれているのだろう。
この逸話が事実だとしてもう少し話を進めてみたい。「イザヤ・ベンダサン」が1945年2月の東京に暮らしていたのは、彼の言葉を借りれば、「主として一般民衆の戦争への態度を調べた」ということであり、想定される戦後において、米国の日本統治あるいは大衆の情報制御の資料作成のためだろう。
だが、この神戸の山本通り(「山本通り」は洒落ではない)で育ったユダヤ人とされる「イザヤ・ベンダサン」は米国政府のためだけにこんな命賭けの仕事をしたのだろうか。こうした問題は歴史と諜報員の心情という一般的な問題でもあるのだが、そこにはどうしても文学的な課題がある。

「イザヤ・ベンダサン」の1945年2月の東京に暮らしでは、明らかに、3月9日の深夜から3月10日にかけての東京大空襲が想定されていた。目前に数万人の無辜の民衆が虐殺されるの知りながら、人は平静に暮らしていけるものだろうか。鬼畜ルメイがなにをしでかすか、「イザヤ・ベンダサン」は知っていた。
この3月10日の未明、「イザヤ・ベンダサン」は、聖橋あたりに立ち、10万人者人を焼き尽くす炎を遠く見ていたことだろう。逆に、ルメイの計画を知っていたから、ある宗教的な信念から自らもその近くにいたかったのではないか。
東京大空襲。恐るべき戦争犯罪に留まらず、それは、日本人という民族を虐殺するジェノサイド(民族大量虐殺)の始まりでもあった。「イザヤ・ベンダサン」は日本人がジェノサイドされている様を遠く見ていたのだろう。
妄想的想像と失笑を買うだろうが、これだけは言える。「日本人とユダヤ人」という書籍のテーマは、日本人のジェノサイド(民族大量虐殺)なのだと。それが起こりえること。それが日本人に向けられること、それが、この気の利いた日本人論に見える裏にあること。
私は、現代の日本人は、この本を再読してほしいと思う。日本人がジェノサイド(民族大量虐殺)される危険性をまた日本人自らが撒き散らしている、あまりに愚かな現状があるのだから。
彼は、1970年の時点で、こう語っている。

「朝鮮戦争は、日本の資本家が(もけるため)たくらんだものである」と平気で言う進歩的日本人がいる。ああ何と無神経な人よ。そして世間知らずのお坊ちゃんよ。「日本人もそれを認めている」となったら一体どうなるのだ。その言葉が、あなたの子をアウシュビッツに送らないと誰が保証してくれよう。これに加えて絶対に忘れてはならないことがある。朝鮮人は口を開けば、日本人は朝鮮戦争で今日の繁栄をきずいたという。その言葉が事実であろうと、なかろうと、安易に聞き流してはいけない。

日本人もまた、世界の他民族によって差別させられ危険な局面にも遭遇することがありうる。
信頼できる者にも秘密を守るというのと類似の論理で、他国人といくら友好であっても、そこだけは口を割ってはいけないし、相手にもただしゃべらせるままにしておくだけではいけないという領域がある。
そんなことは、多くの虐殺経験を持つ民族なら当たり前のことにように知っているのに日本人だけは、3月10日未明、一夜にして10万人の同胞が虐殺されても、いまだ知らないかのように見る。

| 固定リンク

トラックバック

この記事へのトラックバック一覧です: [書評]日本人とユダヤ人(イザヤ・ベンダサン/山本七平) Part 2:

» カーチス・ルメイという男 [千種通信]
今日のNHKスペシャルは東京大空襲を取り上げていた(「東京大空襲60年目の被災地 [続きを読む]

受信: 2005.03.10 20:46

» 40代はスゴイ [いずみんのふくろ]
極東ブログ: [書評]日本人とユダヤ人(イザヤ・ベンダサン/山本七平) Part [続きを読む]

受信: 2005.03.11 00:42

» [書評]日本教の社会学 [HPO:個人的な意見 ココログ版]
・「日本教の社会学」(ISBN:4051012611) by 山本七平さん、小室 [続きを読む]

受信: 2005.06.08 12:09

» [書評]「空気の研究」 Japan as Network-One [HPO:個人的な意見 ココログ版]
感動した! 「空気」の研究山本 七平 文芸春秋 1983-01by G-Tool [続きを読む]

受信: 2005.08.18 23:03

» 「非人道的」とはどういうことなのか。批判の限界(4)---東京大空襲60年 [BigBang]
【関連記事】 「非人道的」とはどういうことなのか。批判の限界(1) 「非人道的 [続きを読む]

受信: 2006.03.08 13:56

» 想像への旅13 俺たちはセンスが良過ぎる [鴎庵]
1 Intro 2 3つのアイディア 3 裁定とトレードオフとカードダス 4 メディアとネットワーク 5 知識と知性 6 構造で理解する 7 鴎印の調教術 8 想像の鍵 9 まわりはさすらわぬ人ばっか。少し気になった。 10 唯光論 11 全てはベクトルになる 12 明日のことはわからなくても1,000年後のことは分かる 日本語を考えて欲しい。日本語と英語って使うのにどっちがセンスいると思う? それは断然日本語なんだ。なぜなら日本語には主語が無いだろう?未来形もないだろ... [続きを読む]

受信: 2007.08.22 14:05