『マレフィセント2』 真実の愛とは (original) (raw)

ヨアヒム・ローニング監督、アンジェリーナ・ジョリー、エル・ファニング、ミシェル・ファイファー、キウェテル・イジョフォー、サム・ライリー、ハリス・ディキンソン、ジェン・マーリー、エド・スクライン、ワーウィック・デイヴィス、ロバート・リンゼイほか出演の『マレフィセント2』。

育ての母であるマレフィセント(アンジェリーナ・ジョリー)によって妖精の国ムーアと故郷の人間の王国が統一されて5年、今やムーアの女王となったオーロラ(エル・ファニング)は、フィリップ王子(ハリス・ディキンソン)に求婚される。そして人間との結婚に反対するマレフィセントを説き伏せて、婚礼のためにフィリップの故郷へ同行することを求める。マレフィセントは同意して、お付きのディアヴァル(サム・ライリー)を伴ってオーロラとともにフィリップの両親が待つ王国へ向かうが、その頃、人間たちの手でムーアから妖精たちが連れ去られていた。

往年のディズニーアニメーション映画『眠れる森の美女』を独自の解釈で実写化した2014年の『マレフィセント』の続篇。

要は、本来「悪役」だったキャラクターの視点で物語を再構築したもの。『ジョーカー』もそうだったけど、こういうスピンオフ増えてますよね。

前作は僕はわりと楽しんで世間での評判も悪くはなかったんですが、一方で非常に厳しい口調で批判、酷評している人たちもいて、たとえば「ムービーウォッチメン」でお馴染みの宇多丸さんは批評の中で「駄作」とまで断言されていました。

また、ある漫画家が某秘宝誌で、やれ「ジェットスクランダー」だなんだと、マレフィセントのキャラクターを揶揄したイラストを描いてたり(笑っちゃったけど)、一部では「アンジーのオレ様映画」とディスられてもいる。

古典的な「おとぎ話」の“善悪”の立場を逆転させた発想に新鮮さを感じたり、マレフィセントのキャラが結構お気に入りだった僕はその低評価には納得がいかなかったんだけど、まぁ、映画をどのように評価するかは人の自由ですから。僕も作品によっては散々貶しまくってるし、それはもう観た人それぞれが自分の基準で判断すればよいことで。

それでも、まさかあの映画の続篇が作られるとはその時には思いもしなかった。考えてみればディズニー映画なんだし、ヒットしたらシリーズ化されるのは別に不思議ではなかったんだけど。

ちなみに、アンジェリーナ・ジョリーは同じディズニーのマーヴェル・ヒーロー映画『エターナルズ』(20202021年公開予定)への出演も決まっている。

エル・ファニングの出演作は僕はここのところ観る機会があったんだけれど、アンジェリーナ・ジョリーは前作以来5年ぶりなので楽しみにしてました。

ふたりともかわええw

ところで、僕は前作の感想に『バットマン リターンズ』の悪役“キャットウーマン”について書いたところ、そのキャットウーマンを演じていたミシェル・ファイファーがこの『マレフィセント』の続篇に出演すると知って、たまたまとはいえちょっと嬉しかったんですよね。

ファイファーが演じるイングリス王妃は猫を飼ってるし、作り手はもちろん意識してるよなぁ、と。

オリジナル版である『眠れる森の美女』では最後に王子に倒される「悪役」だったマレフィセントを人を愛するダークヒーロー的なキャラクターに描き直したこのシリーズに、バットマンと惹かれ合いながらも闇の中へ還っていった悪のヒロイン“キャットウーマン”を演じていた女優を招く──この二人の女優の共演に大きな意味が込められているように思えてならなかった。

前作がファンタジー映画の形をとった一種の「反レイプ映画」だったように、ジェンダーと性差別、あるいはエンタメ作品における「悪」や「ヒロイン」などについて考えさせられる物語を大いに期待した。ディズニーはこれまでにも意識的に「物語におけるヒロインの存在」に言及した作品を作り続けてきたのだし。

去年公開されたエル・ファニング主演の『メアリーの総て』も、自分の「名前」を獲得する女性作家の物語だったし、この出演者ならばとても面白いものができるだろう、と。

…ですが、前もってお断わりしておくと、そういった僕の期待が叶えられることはなかった。

う~ん、やはりちょっと期待し過ぎたんだろうか。

いや、妖精の国のファンタスティックな風景とか、特にマレフィセントの飛翔シーンなど見どころはあって、エル・ファニングも可愛かったし、「面白かった」と言ってるかたがたもいらっしゃるので前作同様楽しめる人もいると思いますが。

ただ、2作目ということもあって前作で感じたような新鮮さはもはやなかったのと、なんとなくお話が見当ハズレの方に向かっていっちゃった気がして。

なので、前作のような高めの評価はしていないです。というか、結構批判的な口調で書きますのでこの映画がお好きなかたは気分を害されるかもしれません。ご了承ください。

あくまでも僕の主観で語っています。これから鑑賞されるかたの参考になる保証はありませんので、そのあたりの判断はご自身の責任でお願いいたします。

では、以降はネタバレがありますからご注意を。

これまでのディズニーの実写化リメイク映画の多くが時代の変化とともに“多様性”を取り入れた新しい要素を付け加えながらも原典の物語を概ね踏襲しているのに対して、この「マレフィセント」シリーズは完全なオリジナルのお話になっていて、前作でもそれが許せなかった人たちが少なからずいたわけだけど、特に2作目の本作品はマレフィセントとオーロラ、フィリップ、ディアヴァル(カラス)などの限られたキャラクターは共通しながらも、『眠れる森の美女』とはまったく別モノの作品になっている。

だからあとはもうその物語が面白いかどうかだけなんですが、オーロラとフィリップが結婚することになる、というのは『眠れる森の美女』の「めでたしめでたし」なラストと同じだから、そこからどう原典をアレンジしていくのだろうと思って観ていたんだけど…。

う~んと…さっきも言ったけど、なんでこういう方向にもっていくかなぁ、と。

どういうお話かというと──マレフィセントはオーロラの“ゴッドマザー”として彼女とフィリップとの婚礼に招かれたが、それは妖精たちの根絶を目論むフィリップの母、イングリス王妃の罠だった。

今回の敵はこのイングリス王妃で、祝いの席で彼女に侮辱されて魔法の力で怒りを示したマレフィセントだったが、その直後にフィリップの父のジョン王(ロバート・リンゼイ)が倒れてかつてのオーロラのような昏睡状態に陥る。

魔女の本性を現わして人間の王国を乗っ取ろうとしたとして追われ、弱点の鉄製の弾丸を撃ち込まれたマレフィセントは力尽きて海に墜落するが、彼女と同じような翼を持つコナル(キウェテル・イジョフォー)に救われて彼の仲間の住む島に連れていかれる。

そこには同様に翼を持つ種族がいた。

一方、イングリス王妃は翼を奪って操っている妖精のリックスピットル(ワーウィック・デイヴィス)にさらってきた妖精たちを使って実験させて、妖精を無力化する武器を開発させていた。

オーロラはそんな義母の策略を知らないまま王子のお妃としてお城での生活を始めるが、イングリスにすべて取り仕切られた毎日は窮屈でならない。

やがて、城の隠し部屋の中で恐ろしいことが行なわれていることを知ったオーロラはイングリスに捕まり、部屋に監禁されてしまう。

マレフィセントは囚われたムーアの妖精たちとオーロラを救うために、コナルたち仲間とともに大軍で人間たちに戦いを挑む。

…まぁ、こんな感じの内容。

面白そうじゃん、と思われるかたもいらっしゃるだろうけど、でもこれはもはや昔ながらのおとぎ話というよりも『ロード・オブ・ザ・リング』のような話ですよね。なんか軍勢が戦う、みたいな展開とか。

みんな、こういう話が観たいのかなぁ。違うんじゃないかと思うんだけど。

“多様性”を謳いながら、ちっとも多様性に富んでいない。そういうのはマーヴェル映画でやればいいんじゃないの?

前作には紛れもなく古典を現代風にアレンジする面白さがあったけど、この続篇に僕はそれは感じられなかった。

だって、やってることは昔から代わり映えのしない「白人救世主モノ」だから。

コナルたち翼のある種族(種族名がわかんないのだが)がアフリカ系やアジア系の俳優が目立つように映し出されているのも(アンジェリーナ・ジョリーの監督作『アンブロークン』に出演していたMIYAVIの姿も)、要するに彼らが「先住民」を表わしているからでしょう。

で、実はマレフィセントは彼らの種族の救世主、伝説の“フェニックス”だった、ということが判明して、彼女の大活躍で妖精側が勝利を収めて映画は幕を下ろす。

このシリーズはマレフィセントが主人公の“ヒーロー映画”なんだから彼女が活躍して最後に世界に平和をもたらすという話なのは当たり前かもしれないけど、まるで『キャプテン・マーベル』みたいにスーパーパワーで敵を蹴散らすヒロインにはいい加減どーでもよくなってきてしまったのだった。

やっぱり主人公がいくつもの困難を乗り越えながら最終的に勝利する、というのでないと、いきなりめっちゃ強い奴が助けにきて全部解決しちゃうような話にはさすがにシラケるんですよ。

そもそもなんで「戦い」ばかり描こうとするんだろうねぇ。実写版の『シンデレラ』も『美女と野獣』も『アラジン』も、戦い以外の登場人物たちの「ドラマ」を描いてましたよね?

今回の監督さんは「パイレーツ・オブ・カリビアン」シリーズの1本を撮った人なんだそうだけど、そういうのも関係してるのかな。

まぁ、前回だって人間たちとマレフィセントの戦いは描かれていたから、もともとがそういう「戦闘ヒロイン物」なわけだけどさ。

たとえば、“フェアリー・ゴッドマザー”マレフィセントのオーロラへの愛はここでは本物で絶対なんだ、という前提で描かれているけれど、人間への不信感を隠さずオーロラの結婚に異議を唱えるマレフィセントには危うさもある。

マレフィセントの「愛」は「支配」とどう違うのか。

マレフィセントのオーロラへの「無上の愛」をまず疑ってみることから「ドラマ」は始まるんじゃないだろうか。

マレフィセントとイングリスは対になっているはずで、イングリスはマレフィセントの鏡像でもあるんですよね。多分、映画の作り手だってそのつもりだったはず。

だけど、映画ではイングリスはただ残虐なだけで、対するマレフィセントの方はといえば、ひたすら“正義の人”のように描かれている。

前作では男性の王が悪役だったけど、それは従来のおとぎ話の善と悪の立場をキャラクターを逆にして描いてみせた結果で、また敵の男性を、女性を所有物のように見做す世の中の風潮のアレゴリーとして表現していた。そういう部分に僕は面白さを感じたんです。

登場人物が単純に対比されてるのは一緒でも、今回のイングリス王妃を昔ながらのただの悪役としてしか描いていないのでは、これは前作よりも後退しているし、それどころか前作でのさまざまな試みを全部無駄にしてしまっている。

だって、昔ながらの「悪役」だったマレフィセントをせっかく悩んだり人を愛することができるキャラクターにしたのに、それに対抗する者としてまるで『白雪姫』の女王みたいな悪の王妃を登場させたら、それは前作で否定したはずのことをまた繰り返してるに過ぎないじゃないか。

何よりも、この映画でのミシェル・ファイファーの扱いにはつくづくガッカリした。ほんとにただの「悪者」でしかなかったから。かつては複雑な内面を持ったキャットウーマンを演じていた人なのに。

イングリスはまだ故郷にいた頃ムーアの住人たちに身内を殺されたことを恨んでいて、それが彼女が妖精たちを憎む理由ということになっているけど、そのあたりのいきさつは彼女の台詞で語られるだけで、しかもその後はまったく触れられない。

これを白人とアメリカ先住民に例えれば、「どちらにも非がある」ってことを言ってるのかもしれないけれど、釈然としませんよね。

アンジェリーナ・ジョリーが映画の内容にどこまで関与しているのか知りませんが、彼女はこれで納得できたんだろうか。

僕は、まるでデーモン族みたいな翼の生えた種族なんて登場させる必要はなかったと思うんですよね。

彼らの描写に時間を割いたせいで(といっても、その描き方は非常に表面的で彼ら一人ひとりの個性は薄い)、その分ムーアの妖精たちの描写がおろそかになってしまっていたから。

新たな種族など出さずに、ムーアの国の中の妖精たちが物語を引っ張っていった方がよかったんじゃないか。

完成した映画では、ムーアの妖精たちがあまりにも無防備で迂闊過ぎる。

だって、冒頭で仲間を連れ去られているのに、そのあとも人間を疑いもせずに招かれてノコノコ出かけていって全員(人数が少な過ぎやしないか?)とっ捕まっちゃって、あとはマレフィセントに助け出されるまでなすすべもないとか、ずいぶんと無力な存在として描かれている。

キノコやヤマアラシの姿をした妖精たちも、もっと前に逃げ出してオーロラやフィリップたちと協力しあってムーアの仲間たちを助けようとするとか、そういう展開にだってできただろうに。

それと、エル・ファニング演じるオーロラは出番はそれなりにあるものの、前作の「守られるべき無垢な存在」から一歩も出ていなくて、結局はマレフィセントに救い出される“お姫様”の役割にとどまっている。

だけど彼女はムーアの女王なのだから、ただ助けられるだけの存在から自らみんなを救うために奮闘する(別にマレフィセントのように実際に戦う必要はなくて、むしろ戦いをやめさせるために行動するような)キャラクターに成長させられたとも思うのです。

そして、イングリス王妃も、最後にマレフィセントの魔法でヤギに変えられただけでは根本的な問題の解決になっていないじゃないですか。

あれでは彼女は反省などしていないだろうし、憎しみの連鎖を断ち切ることの大切さを訴えている物語に全然説得力がない。結局は死んでも蘇る“フェニックス(不死鳥)”だったマレフィセントの絶大な力で争いが強引に止められただけだから。

あと、フィリップは最後になんか偉そうに演説カマしてたけど、お前が母親の異変に気づかないからこういう事態になったんだろうが(゚Д゚#)ゴルァ!! オーロラが城での生活に馴染めないことを予測できず、また閉じ込められてても気づきもしないし、彼が王子として働いている描写もないから、妻も守れないまるっきり無能な男に見えてしまっている。

オーロラもフィリップもその人物像と彼らのドラマをもっとじっくり描き込めたはずなんだよね。オーロラが母親代わりのマレフィセントから自立していく姿をちゃんと描いてこそ、この物語は真に完結できるんだと思う。今のままではあまりに不充分だ。

「別れ」も愛のひとつ(by ゴダイゴ)、なんですよ、マレフィセントさん。

マレフィセントが“鉄”が苦手なのは、それが“武器”を意味しているから、という理由付けには納得したし、彼女が自分のことを恐れる人間たちを横目に颯爽とやってくる場面はかっこよかったし(その前にディアヴァルと一所懸命笑顔の練習をするところは可愛かったw)、マレフィセントが髪を下ろした姿は素敵だったし、だから“マレフィセント”というダークヒロインは好きですよ。魅力的なキャラクターであることは間違いないんだから。

久しぶりに見たアンジェリーナ・ジョリーも綺麗だった。

ただ、彼女があまりにスーパー過ぎるんで映画としては退屈でした。

一応ハッピーエンドになってるけど、前作同様今回もヒットすればまたさらなる敵が現われて、いくらでも続篇は作れる仕様になっている。スター・ウォーズに続いてパイレーツ・オブ・カリビアンに代わるシリーズ物にする狙いがあるのかも。

だけど、パイレーツ~がそうだったように、そしてスター・ウォーズもそうなりつつあるように、シリーズを続けるためだけの続篇には興味がないんで、この調子なら僕はもういいかなぁ。

もしも、さらに続篇を作るつもりなら、今度はぜひ「おとぎ話の解体」であった1作目の精神を取り戻してシナリオをもうちょっと丁寧に仕上げてほしいです。

さて、前作が公開された2014年には日本では『アナと雪の女王』も公開されましたが、その続篇がこの11月に公開ということで、この映画の上映前に予告篇が流れていました。

妙に縁のあるアナ雪とマレフィセントですが、アナ雪では恋愛よりも姉妹愛を優先させたり、もともと悪役の予定だった姉エルサのキャラクターが変えられて、結果としてそれまでのディズニープリンセスのセオリーからはみ出すものになったりといろいろ工夫が凝らされていた。

アナと雪の女王2』ではエルサが魔法を使えるようになった理由が描かれるそうですが、果たしてどのような新しい視点が持ち込まれるのでしょうか。

このところ続篇続きで不安もあるんですが、でも『シュガー・ラッシュ:オンライン』もよかったし、続篇だって面白ければノープロブレム。楽しみにしています。

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