『さがす』『偶然と想像』 (original) (raw)

PG12(12歳未満は保護者の助言・指導が必要)の日本映画というくくりで2本。なぜか朝ドラにも触れます(笑) また、どちらの監督の作品も僕は観るのは今回が初めてでした。

以下の感想はいずれもストーリーのネタバレを含みますので、これからご覧になる予定のかたは鑑賞後にお読みください。(『偶然と想像』の感想へ

片山慎三監督、佐藤二朗、伊東蒼、清水尋也、森田望智、石井正太朗、松岡依都美、成嶋瞳子、品川徹ほか出演の『さがす』。PG12。

大阪に住む原田智(佐藤二朗)は、ある日、一人娘の楓(伊東蒼)を残したまま行方がわからなくなる。楓は同級生の豊(石井正太朗)と父を捜すが、ようやく日雇い労働の現場でみつけた父と同じ名前の男は別人だった。楓は、智が300万円の賞金が懸けられた指名手配中の連続殺人犯、山内照巳(清水尋也)を捜そうとしていたことを思い出す。父の名前を騙っていた若い男はその指名手配犯に似ていた。

主演の佐藤二朗さんが以前TVのヴァラエティ番組で告知されていたし、娘役の伊東蒼さんは去年の『空白』にも出演していて今注目の若手だから(あいにく、僕は伊東さんが出演した『湯を沸かすほどの熱い愛』は観ていないんですが)気になっていました。高く評価されているかたもいらっしゃるようだし。

実は佐藤二朗さんが出演している映画って福田雄一監督の『HK 変態仮面』と『女子ーズ』ぐらいしか観てなくて(端役に近い出演作ならもっとあるかもしれないけど)、どれもふざけきったようなキャラばかりで真面目な役柄ってこれまでなかったから、どんな演技を見せてくれるのだろう、という期待はあった。

観てみたら、わりとおなじみの感じでしたが…^_^; ただ、後述するように佐藤二朗のこれまでのキャリアの中で培った技を駆使した最高の場面がありますw

咀嚼音が超絶に耳障りなおっさん役でしたが、劇中で伊東蒼演じる楓に思いっきりツッコまれてて笑った。いるよなー、ああいう不快な音立ててメシ食うオヤジ。

佐藤二朗さんは愛知県出身なのに今回は大阪のおっちゃんの役なので観る前は言葉の方が心配だったし、実際結構台詞廻しは危なっかしかったけど、終盤に大阪弁で早口でまくし立てる場面では頑張っていたのではないかと。

逆に伊東さんは大阪出身だけど意外とコテコテな大阪の子っぽくない(説明が難しいけど)のが面白かったですが。

彼女が失踪した父親を捜す物語なのかと思って観ていると、やがて殺人犯に殺されて名前を奪われたと思われた父が実は生きていて、その殺人犯・山内と結託して金を受け取って自殺幇助に手を染めていたことがわかる。

智の妻・公子(成嶋瞳子)は筋ジストロフィを発症してそれを苦に自殺したと考えられていたが、本当は智が病院に勤めていた山内の申し出で彼に妻の殺害を依頼していた。

その後、智はやはり山内から持ちかけられて、借金の返済のために殺人の手助けを続けることに。

一応、どんでん返しのあるお話だし、そのことで面白味を感じた人もいるのでしょうが、個人的には別に「衝撃」を受けることもなかったしイマイチでした。いや、観たことは後悔してませんが。

清水尋也演じる、東京で殺人を犯して大阪で日雇い労働者たちに紛れ込む山内のキャラクターは英会話講師の英国人女性を殺害して逃亡していた犯人(リンゼイ・アン・ホーカーさん殺害事件)を彷彿とさせるし、インターネットで募った自殺志願者を何人も殺害していた男(座間9人殺害事件)というのも覚えがある(「誰も本当に死にたい人はいなかった」という台詞もある)。

さらに、そこに「安楽死」の問題も絡めている。

何が「イマイチ」だったかって、それは単純にこの映画のシナリオが評判ほど「面白い」とも「よくできている」とも思わなかったからですが、それとは別に題材の扱い方に作り手の「誠実さ」が感じられなかったから。すごく軽薄な動機で史実が扱われてるなぁ、って。

片山慎三監督の映画を観るのはこれが初めてなんですが、これまでにも実際にあった事件を基にした映画を何本か撮られているそうだし、韓国のポン・ジュノ監督の助監督を務められたこともあるそうで、それは今回作品を観てみたらモロその影響がうかがえましたね。

ただ、これはちょうどポン・ジュノ監督の『パラサイト 半地下の家族』の感想で述べたんですが、韓国映画界のエンターテインメント作品の中に現実に起こった事件や社会問題等を落とし込むという方法論に僕は若干疑問も感じてまして、リアリティを担保するやり方として完全に否定はできないし、古今東西、史実を基にした犯罪系の映画で名作傑作は数多くあるのは確かだから、どれがオッケーでどれはダメだとか線引きが難しいのだけど、要は映画の作り手が“何を目的として”史実を扱っているのか、“どう扱っているのか”が重要だと思うんですよね。

韓国映画の描写のリアリティ(出演者の熱演も含む)に瞠目したり、その迫力に興奮を覚えることはままあるんだけれど、実際の事件、それも殺人がらみのものを映像化する場合、そこは最低限の配慮が必要なんじゃないかと思うんです。現実に人が殺されてるわけですから。

だから、その殺人を作中でどう扱うのか、そのことで何を描き、何を訴えようとしているのか、それ如何によって作品に対する評価は著しく変わってくるんですが、この『さがす』は「映画を面白くするための手段」として現実に起きた陰惨な事件を利用している。

難病で苦しむ妻を殺す展開があるけれど、映画の作り手が本当に命の尊厳について突きつめて考えようとしているようには思えないんですよね。

ショッキングな場面や展開によって観客をゾッとさせたり、ストーリー上の「どんでん返し」で面白がらせたい、というのが目的化している。

韓国映画の一部にも見られるそういう姿勢が、僕はあまり好きじゃないのです。だったら、「実話」を基になんかせずに想像力で架空の事件を創造してほしい。

「映画」なんてその草創期から現実の事件を軽薄に見世物にしてきたんだから、今さらそんなナイーヴなこと言っててどーすんだ、と呆れられるかもしないし、そんなこと言ったらハリウッド映画で『パラサイト』同様にオスカーの作品賞も獲った『羊たちの沈黙』だって実在の猟奇殺人犯をモデルにしてるんだから、結局のところは娯楽作品だろうが社会派ドラマだろうが、「映画として面白いかどうか」にかかってきちゃうんだけど。

そのあたりに納得いかない作品をこれまでに何本か観てきて僕は酷評したし、ぶっちゃけ、それらの映画はエンタメ作品としても不出来だと感じたから、史実の「無駄遣い」をしていることに怒りも湧いてきた。

殺人犯が殺害した被害者に白い靴下を履かせてオナニーする場面とか(しかも爺さんで)、異様さを出そうとしたのだろうけど、どうも陳腐に思えちゃって。クーラーボックスの中の解体された死体もそうだけど、全体的に園子温監督の『冷たい熱帯魚』ほどの狂いっぷりが感じられない。あれだって現実の事件の軽薄な映画化でしたが。

離島に住む爺さんがエロDVDを集めてて、たまたまやってきた若者を泊めていきなり「カノジョはいないのか」とか聞いてきたり、自分の愛蔵するDVDで“自分磨き”を勧めてきたり、そんなことあるかよ、って展開(これもモデルになった事件があるのかどうか知らないけど)ばかりだし。

某映画評論家のかたがこの『さがす』を早くも今年のベストワンに推されてましたが、僕はたとえばストーリーテリングの点から言っても、劇中での「愛」をめぐる登場人物たちの行動が「殺人」を生む残酷で滑稽なドラマ『悪なき殺人』の方がよっぽど面白かったし見応えがあった。

悪いけど『悪なき殺人』の伏線回収の見事さに比べたら、『さがす』のそれはたいしたことない。

中学生男子が同級生の女の子のおっぱいを見て鼻血垂らすとか、それ必要?って思ったし。ちょっと陸上競技のサニブラウン似のあの同級生も、楓についてくるだけで全然お話に絡まないし。ちっとも巧くないと思った。

最終的に『さがす』が描きたかったのは父と娘の間の親子の絆の再確認だろうから、娘さんがおられる某映画評論家さんはご自身と佐藤二朗演じるダメ親父を重ねて共感されていたんでしょうけど。でも、母親殺されてるんですが。

「これは卓球映画だ」という批評もあるけれど、あの卓球場面の延々と往復するピンポン玉のCGは『フォレスト・ガンプ』や『ピンポン』のそれ以下のクオリティに見えたし、「卓球」が意味するものが僕にはよく伝わらなかった。

なんか、いろんなものをツギハギしただけの映画に見えちゃって。

腹が立つ、というほどじゃなかったですけどね。面白いところもあったし。

てっきり伊東蒼さんがもっと出ずっぱりなんだと思っていたら、途中から主役は父親の佐藤二朗の方なんだとわかって少々残念だったんですが。

まだまだ全力投球の伊東蒼を僕は見ていない。口をすぼめてチュ~チュ~とやるところは、伊東さんの幸薄げな下がり眉と相まってなんだか不憫でならなかったけど。次回作では、ぜひ「恐るべき10代」の本領を発揮していただきたい。

智が終盤に山内の頭にトンカチを振り下ろし続ける描写はカタルシスがあって、いつもの佐藤二朗の“あの顔”が頼もしく見えたし、自作自演で自分の腹を包丁で痛がりながら何度も刺すところの一人芝居は最高でしたね。佐藤さんのベストアクトではなかろうかw あのあたりは完全にコメディになってた。笑いながらちょっと感動してしまった。

他に印象に残ったのは、自殺したがってるけど、しぶと過ぎてなかなか死なない「ムクドリさん」役の森田望智。不機嫌な眼鏡女子ぶりがよかった。

森田望智さんってネトフリドラマの「全裸監督」で有名になった人だし、現在活躍中だけど、この映画を観てる間は彼女だと気づかなかった。妙に存在感のある女優さんだな、と思ったら(^o^)

劇中でムクドリさんが智に「このハゲ」とか(ハゲてないのに)散々罵詈雑言を浴びせてたけど、たまにいますよね、すっごく口の悪い女の人^_^; 多分、本気で悪態つかせたら男性よりも女性の方が絶対に容赦ないと思う。皆さん、キレるとムチャクチャ言うもんね。

でも、ムクドリさんは多目的トイレの中で彼女の前で妻を思い出して涙を流す智に優しく接するし、なんかそういう「いそうな人」の雰囲気を醸し出していた。いや、飛び降り自殺を図っても渾身の力で首絞められても死なない不死身の人なんだけど。

僕は「全裸監督」の人だと気づかずに観ていたし、この映画では彼女は別にきわどい格好なんかは一切ないんだけど、でもなんだかエロいな、と。この映画のMVPは彼女でしたね。

そういえば、森田望智さんは朝ドラ「おかえりモネ」に出てたけど、同番組にはこの映画の山内役の清水尋也もレギュラー出演していたし、伊東蒼も出ていた。多いな、「モネ」出演者w 途中で観るのやめちゃったけど。

関係ないけど、清水尋也さんって、僕は以前からずっと満島ひかりさんに似てるなぁ、って思ってるんですが。実弟の満島真之介よりも似てるでしょ。「モネ」ではイイ子の役だったけど、「ちはやふる」シリーズのライヴァル校の奴とか今回の変態殺人鬼みたいなツンデレのデレ抜きみたいな役がピッタリの人ですよね。今回は退治されちゃったけど。

観終わって、残念ながら僕はだいぶ食い足りなかったですが、佐藤二朗さんがこれだけ主役張ってシリアスな役を演じてるのを観るのは新鮮だったから、結果的には観てよかったと思います。

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濱口竜介監督、古川琴音、中島歩、玄理、森郁月、渋川清彦、甲斐翔真、占部房子、河井青葉ほか出演の『偶然と想像』。PG12。

第71回ベルリン国際映画祭銀熊賞(審査員グランプリ)受賞。

「偶然」と「想像」が介在する3話の短篇からなるオムニバス。

第一話「魔法(よりもっと不確か)」──仕事仲間で親友のつぐみ(玄理)の新しい恋の話を聞いた芽衣子(古川琴音)のとった行動は。

第二話「扉は開けたままで」──文学賞を獲った大学のフランス文学担当の瀬川教授(渋川清彦)の研究室を訪ねた彼の教え子、奈緒(森郁月)の目的とは。

第三話「もう一度」──仙台の高校の同窓会の翌日、東京に帰ろうとして駅のエスカレーターですれ違ったのは。

繰り返しになりますが、もしこれからご覧になる予定でしたら、それぞれのエピソードのオチを知らずに観た方が絶対いいので、以下は鑑賞後にお読みください。

同じ監督の『ドライブ・マイ・カー』がオスカーにノミネートされてますが、『ドライブ~』は最初に予告篇を観た時にどうもピンとこなかったのと、何より上映時間が3時間あるのを知って恐れをなして(『ザ・バットマン』なら3時間でもかまわないけど)観られないままでいます。

今後も観るかどうかはわかりませんが、まずはやはり評判がいいこちらの映画を鑑賞。

作品の前に濱口監督の2015年の『ハッピーアワー』の予告が流れたけど、なんと上映時間が5時間ということで、正気か?と^_^; ごめんなさい、ちょっと僕の常識の範疇を超えたクリエイターなのかも。

僕は濱口竜介監督の作品を観るのはこれが初めてです(共同で脚本を担当した『スパイの妻<劇場版>』は観ていますが。『スパイ~』に出演した玄理さんがこの『偶然と想像』の第一話にも主人公の友人役で出ている)。だから、どういうタイプの映画を撮る人なのか事前に知らないまま観ました。なぜか上映前に監督さんの挨拶の映像が流れて、「一緒にやりたいメンバーと好きなように撮った」というようなことを仰ってました。

第一話のタクシーの中での長い長い恋バナは、女子同士の赤裸々な会話を間近で聞いてるようで、興味深さ以上に運転手さんの前でこんなこと喋っちゃうんだ、という危うさも感じたりして。先日、タクシー運転手が主人公の映画『ちょっと思い出しただけ』を観たばかりだし、『ドライブ・マイ・カー』もやはり車の運転手の話でもあるようで、なんだか車づいてますが。

主人公の芽衣子役の古川琴音さんの台詞廻しがとてもナチュラルな時と妙に棒読みっぽい時とが混在していて気になったんだけど、彼女が友人がタクシーを降りたあとで青山の“元カレ”の自宅兼事務所へ向かって、彼と久しぶりに会って話す場面でその棒読みがさらに顕著になるので、意図的な演出であろうことがわかる。

ただ、僕にはちょっとその狙いがよくわからなかったし、タクシーの中での長々と続く他人にとってはどーでもいいような恋愛話の開陳や、主人公と親友、元カレとの間に三角関係のようなものが生まれて元恋人同士でどーのこーのと口論が繰り広げられるのを眺めていて、あぁ、これは興味ないタイプの映画かも、とちょっと思っちゃったりもしていた。

浮気されて別れた芽衣子に「帰れよ」とあれほどキレてたくせに、結局はまた自分の方から彼女にバックハグして絡め取られちゃう元カレのカズが本当にアホっぽく見えたし。

ちなみにカズを演じる中島歩さんは朝ドラ「花子とアン」で仲間由紀恵さん演じる蓮子と禁断の恋に落ちる帝大生を演じてました。あの当時は彼の演技力への視聴者の評価はあまり芳しくなかったと記憶しているけれど、その後も時々TVドラマなどで顔を見かけることはあったし、この映画での陰があって危うげな雰囲気のあるイケメンはなかなかハマっていたんじゃないかと思います(古川琴音さんも朝ドラ「エール」に出てたようだけど、僕は残念ながらその時期にはちゃんと観てなかったので覚えていません)。

古川琴音さんはここ最近いろんなところでよく見る人だけど(時々、同じ芸能事務所の岸井ゆきのさんと脳内でゴッチャになりますが)、僕は彼女の出演作をこれまでちゃんと観たことがなくて、それはおそらく古川さんが出演されてる作品は僕が普段観ない種類のものだからだろうし、この『偶然と想像』だって同じ監督さんの作品が話題にならなかったらまず観なかった。

この映画での彼女はおかっぱ頭で、小柄ということもあって年齢よりも幼く見えるし、だけど男性を翻弄する小悪魔的な役柄で、失礼ながら物凄い美人というわけでもないのに男は彼女に振り回されてしまうのがなんとなく納得してしまうような不思議な魅力をたたえている。

古川琴音さんが今さまざまな映画やTVドラマなどで引っ張りだこなのも、等身大の若い女性の「リアル」を表現できる人だからなんだろうなぁ。

タクシーの中で合いの手を入れながらにこやかに親友の恋バナを聞いていた芽衣子が心の中では全然違うことを考えていたことがわかる中盤で、あらためて「女子ってコワい」と思いました^_^;

「私、そんな無粋じゃないから」と言って“親友”と“元カレ”を残して店をあとにして、渋谷の風景をスマホで撮る芽衣子。それは彼女の「偶然」に出会って「想像」を駆使した二日間の記録。

この映画では「演技」というものをとても強く意識させられる。

作品の上映前の監督の挨拶の映像は、そのためだったんだな。演じている俳優という存在までも意識しながら、観客は非常に“メタ的”な視点から作品を観ることになる。そういうコンセプトの下で3つの短篇は撮られて、この順番で配置されている。「演じる」という行為にとても自覚的な作品。

第二話。「ペニス」やら「勃起」やら「睾丸」「オナニー」だのといった単語が頻出します。

大学生の主婦・奈緒が同じ大学生で年下の男・佐々木(甲斐翔真)と付き合っていて、佐々木は単位が足りなくて卒業できなくなり、就職先の内定がフイになる。

自分に単位を取らせなかった瀬川教授を恨んだ佐々木は、奈緒を使って教授を誘惑させて陥れようとする。奈緒は教授を慕っており、彼が文学賞を獲った小説の性的な箇所をあえて朗読する。

エロかったです

恩師と教え子の神妙かつ珍妙なやりとりがしばらく続いて、奈緒は自分の目論見を瀬川に告げる。

この奈緒と瀬川の会話と朗読のシーンでやはり演じている森郁月と渋川清彦がシナリオの台詞ではなくまるで地の文を読んでいるような、あるいは劇中で奈緒がする小説の朗読のような感情をあまり込めない喋り方をずっとしていて、大いに違和感を覚える(渋川さんは前述の『ちょっと思い出しただけ』ではタクシーの3人の泥酔客の一人を演じていて、演技のしかたもそのキャラもあちらとこちらとであまりにかけ離れているので、『偶然と想像』での彼は一層“作り物っぽさ”が際立っている)。

奈緒役の森郁月さんは別のシーンの佐々木役の甲斐翔真さんとの会話はもっと自然な喋り方なので彼女の演技力の問題ではなくて第一話の時と同様に監督の意図的な演出だとわかるんだけど、そのことで観客は否が応でも「演技」というものを意識させられるわけで、でも第一話で古川琴音演じる芽衣子はタクシーの中で親友を相手に物凄くナチュラルに「嘘をついていた」、つまり演技していたことを考えると、そもそも俳優が「演技」したものを観客が当たり前のように観ている状態というのはなんなんだ、「演技」って一体なんだ?という疑問に繋がる。

そうやって「演技」というものを観客に強く意識させるためにも、「違和感」を覚えさせる必要があった、ということだろうか。

誰にでもわかる日常的な場所とシチュエーションで、お話の中に「偶然」と「想像」を織り込んだうえでの“オチ”に「えっ」と思わせて、小話として面白いだけでなく、「演技」とは、「役者」とは、と考えさせられもする。

誰しもが日常の中でなにがしか「演じている」のだけれども、その最たる者が「役者」。

第三話では、同窓会で故郷に戻った夏子がエスカレーターですれ違った女性に見覚えがあって、声をかけたところ相手もそれに応えたので、20年ぶりの再会を喜んで夏子はその女性の家にお邪魔する。ところが、近況を語り合ううちにその相手・あやは夏子の旧友とはまったくの別人であることが彼女の口から告げられる。互いに人違いしていたのだった。

同級生との20年ぶりの再会と人違い、というと、岩井俊二監督の『ラストレター』があったけど(同じ監督の『Love Letter』も似たような“人違い”にまつわる話でしたが)、『ラストレター』の「人違い」に僕はまったくリアリティを感じられなかったのが(あの映画はおもくそ貶しまくってしまったので、感想を読まれるかたはご注意のほどを)、この『偶然と想像』の第三話「もう一度」の、ありそうだけど絶対ないだろう、でもあるはずないけど、もしかしたらこんなことも…と思わせるような展開には本当に引き込まれたし、それは出演者のお二人の演技の見事さによるものでもあるし、でも前の2つのエピソードで部分的に覚えた違和感を思い出して、逆に「違和感がない」第三話の二人の俳優の演技を観ながら、だけど、この女優さんたちは観客の前で「演技」をしてるんだよな、と思ったんですよね。

ここで初めて会って、知り合いだと勘違いしてたことに気づいて、でもこの偶然の出会いに何かの縁を感じて、かつて伝えたかったのに伝えられなかった言葉や聞きたかった言葉を交わし合う、そういう感動的なひとときを過ごしたはずのあの女性たちは、プロの俳優たちが今僕たち観客の前で「演技」しているのだ、という不思議さに、ふと空恐ろしくなった。

悪意の有無、という大きな違いはあるけれど、実は第一話の主人公の「嘘」や「演技」と、この第三話の二人の女優さんたちの演技は「演じている」ということにおいて本質的には変わらないのだ。

夏子を演じる占部房子さんと、あや役の河井青葉さんは濱口監督の過去作にも出演されてて、僕も何かの作品で絶対に見てると思うんだけど、お二人のこれまでの出演作品を確認してみても「そうそう、この作品」というものがみつからなくてモヤモヤァっとしてます。

人違いではないはず…だけど。

3つのエピソードの中では僕はこの第三話が一番好きですね。ちょっと涙ぐんでしまった。

『さがす』の「どんでん返し」に驚けなかった僕も、この『偶然と想像』のストーリーテリングと構成には「映画」が持つ面白さと奇妙さを強く意識させられました。

できれば、これぐらいのクオリティの短篇をTVで観られたらいいんだけどなぁ。

でも、またこういう短篇集を作ってくれたら、映画館に観にいきたいです。

映画館を出ると、雪が舞っていました。まだ映画の中にいるような気がしました。

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