オートファジー1101日目と畑と本能寺前夜 上② (original) (raw)

2024/9/17火曜日

3時半に強烈な電磁波攻撃で覚醒。

何かあったん?

とても再就寝出来そうもなかったので4時に起床し長女のお弁当のおかず作り。

5時15分に水の入ったポリタンクを載せたカートを押して畑へ。

恒例のミニトマト撮影。

相変わらずの花は咲けども実は成らず状態。

ワクチンと同じ成分でも撒いた?

奴らの目的は、絶対にミニトマトを孫と収穫させない。

人の幸せを阻止。

そんな人生どう思う?

今日は到着10分後に指向性浣腸エネルギー攻撃。

わいは仕事をしていないから、唯一毎日行くのが畑。

そこで攻撃しないと、ターゲットを自殺させる、という目的が達成出来ない。

だからって、毎日、浣腸攻撃する?

わいが、毎日畑でウンコが漏れそうな目に遭わされて自殺するとでも?

それがタビストック研究所での教えなのか?

仮に畑で指向性浣腸エネルギー攻撃によってウンコを漏らされたとして、わいが自殺するとでも?

そういう論文出てるんか?

武装の民間人に対して軍事兵器使うとか違法だろ。

畑の作業終了5分前に指向性浣腸エネルギー攻撃の強度が高まった。

めっちゃ体がビリビリする。

奴らはわいの一挙手一投足見てるから作業の終了する頃合いがわかる。

ウンコが肛門出口まで動くのがわかった。

ここから家まで徒歩10分。

わいは走ったで。

カート押しながら。

家康公の三方原の戦いでの脱糞を思い出しながら。

帰宅後、シャワー&洗濯。

ベランダでの水遣りも済ませたら、9時半から読書。

昨日に引き続き岩室著「本能寺前夜 上」

武田信玄は上洛しようと三河まで来たところで動きが止まり長篠城まで引いた。信長は幕府軍の石山城と今堅田城を落としたが信玄に動きは無い。信玄は戦に出られないと判断。3/29, 信長は岐阜城から出陣。京へ。信長は義昭へ和睦を申し入れるが逆に村井貞勝の屋敷を囲んで放火。4/4,信長は上京を焼き払い二条城を裸城に。ここで朝廷が動いた。戦禍が禁裏に及ぶ事を恐れ天皇が義昭と信長に和睦を命じた。信長の名代として信長の兄信広、佐久間信盛細川藤孝が二条城に行き和睦がまとまった。信長はその日のうちに京を出て百済寺に。天皇は禁裏が武家の争いに巻き込まれる事を防止しようと義昭に禁裏周辺の六丁町に武士を置かないよう申し渡し。

7/16に信長は大軍を率いて将軍義昭の籠る宇治の槙島城へ。織田軍の攻撃が始まるや義昭は息子の義尋を人質に降伏を申し入れた。ここで信長は誤りを犯した。「将軍殺し」になりたくないばかりに義昭から将軍職を取り上げないまま追放。義昭は将軍職を辞任しない為、信長は天下人ではあるが征夷大将軍ではないという曖昧な立場に。

信長は義昭が槙島城の戦いで敗れた事で室町幕府は滅んだと考え改元を奏上。天皇は前々から改元を希望。改元費用15貫300文は朝廷が用意。信長が禁裏御料地の権益を徐々に復活させてきたからこそ。←信長偉い!

元号天正に。信長は足利幕府の消えた京に所司代を置き村井貞勝を任命。織田政権の第一歩だ。ここで人材不足に直面。吏僚として使えるのは村井貞勝明智光秀佐久間信盛、秀吉くらいしか居ない。京と天下と言われる五畿内を治めるのすら難義。京を良く知り公家と交渉出来るのが貞勝と光秀ぐらいしか居ない。←な?光秀、只者じゃないやろ?

織田家一の教養人佐久間信盛や穏やかな丹羽長秀などは使えるが勝家や秀吉などはミャーミャー尾張弁丸出しで公家と話を通じさせるのが困難。こんな状況なので村井貞勝明智光秀は猛烈に忙しくなった。

朝廷の必要な費用は室町幕府が責任を持って賄うというのが双方の了解だった。が、真面目に履行する将軍は少なく朝廷は窮乏してきた。そのスポンサーは信長へ変更。が、相変わらず将軍は義昭。だからそこから発せられる「御内書」は有効という妙な状態に。

信長は9/6に岐阜へ帰城するまでの一ヶ月で越前の朝倉義景と北近江の浅井長政を滅ぼした。その勢いで9/24に伊勢へ出陣。長島一向一揆を潰そうと包囲するが伊勢大湊の船団が信長に協力せず翌25日に慌てて撤退。織田軍敗北の噂に若江城に動きが。将軍義昭と妹婿の三好義継が動くとの知らせに織田軍は休む間もなく岐阜城から出陣。11/4に上洛。妙覚寺に入った。これを知った義昭は堺へ逃亡。

若江城に猛攻を加え三好義継を自害させた信長は朝山日乗と秀吉、毛利方から安国寺恵瓊と林就長を付け堺で義昭と交渉。京へ戻るよう言うも義昭は人質を要求。話し合いは決裂した。信長は予てから譲位を希望していた正親町天皇へ費用を出す条件として征夷大将軍の任命を要求。これは断られた。

次に信長は蘭奢待の切り取りを画策。古来より権力者にのみ許される特権だ。

所司代村井貞勝を通して香木の切り取りを奏上。正親町天皇は許可しなかった。

が、二度目は成功。

6月になると甲斐の武田勝頼遠江高天神城を包囲。家康の援軍要請にも信長はゆっくり出陣。武田勝頼に落とさせた。勝頼は信玄が落とせなかった城を落としたと有頂天になる。その思い上がりが信長の狙い目。6/21に岐阜へ帰還後7/13に織田軍八万を動員。再度長島一向一揆へ。更に信長の弱点の水軍に志摩の九鬼水軍、知多の佐治水軍、伊勢の大湊衆を動員。

一揆軍は壊滅状態に。

今日はここまで。

12時に昨夜以来の食事。

午後も読書。

15時半に孫達が到来。

17時半に帰って行った。

そのまま夕食作り。

サツマイモの茎のきんぴら、オクラとミニトマトのナムル、鶏ももと茄子とサツマイモの葉のバルサミコ酢炒め、コーンサラダ、トマトスープ、チーズ&ナッツ、失敗したおまんじゅう、ウォッカ梅酒ロック。

良く呑み良く食べた。

中秋の名月も見た。

気持ち良く寝ることに。

歩数計は9443。

充実した一日だった。