あさりの闇の、その向こう (original) (raw)

前回の記事で引用した内閣府世論調査*1、佐藤舞とポール・ベーコンによる調査*2の両方において、死刑廃止の理由についての質問に「生かしておいて罪の償いをさせた方が良い」という回答を選択したひとの割合が半数近くに上ることが示されていた。それにしても“生かしておいて罪の償いをさせた方が良い”とはなんだか偉そうだ。とにかくいやな感じがする。そこのところをひとまず共有できればと思う。そうでないと話が先に進まないのだが、それはそれとして死刑存置死刑廃止の立場を問わず、この“罪の償い”という言葉は常に両者に共通する主要なテーマだ。

償いをさせる

ある加害に対しての償いというと、それ自体はもっともなことであり、ともすれば“自然”な行為とみなされることかもしれないし、わたしも個人のそうした感情や表現を全く否定しているのではない。しかし“生かしておいて罪の償いをさせた方が良い”という表現のポイントは、自分や誰かがそれを“する”というのではなく、誰かにそれを“させる”と言っているところだろう。加害者から被害者 *3に対しての、あるいは被害者にとってのものであるはずの償いを、父権的な態度で支配するような試みなのである。もちろん選択肢に用意された文言――役人が編み出した言い回しだろう――なので、当然それを選んだひとたち全ての考えを表しているものだとは言えない。それでも“生かしておいて”という言葉のもつ尊厳を軽んじているような印象や、“償いをさせる”のような圧力的な表現には、近年特に顕著な厳罰主義の傾向と繋がりがあるようにわたしは感じる。

誰かに“罪の償いをさせる”ことがはたしてできるのだろうか。まず何より被害者にとってそれは償いと受け取ることができるものなのかどうか。被害者やその被害が、話されていることの中心にあると言えるだろうか。被害者と加害者を当事者だとして、そのどちらでもない立場に自分をおいたときに、わたしは加害者に“償いをさせる”権力を持っていると言えるのだろうか。ましてや被害者にそれを償いと受け取るよう働きかけることができるのか。無論そんなことはできるはずがない。しかし“償いをさせる”という言葉には実際そうした当事者を抑圧する力がある。その意図はどうであれだ。

厳罰主義

厳罰化について、多くの場面でそれは加害を減らすことについては効果がないと言われている。例えば長期にわたる収容は、被収容者にとって外のコミュニティとの接点をどんどん減少させてしまうことになるし、自由が奪われていることや収容されている施設の中で経験する困難もいたずらに長引かせることになる。そうすると刑期を終えて戻る場所や人間関係、生活に関することや健康など多くの面についての危機的要素は増大するばかりだ。それにおそらく最も議論されるだろうと思われる再犯についても増えることもわかっている。他にも例えば、スケアード・ストレートと呼ばれるプログラムについて、これは恐怖やネガティブな感情を植え付けたり喚起させて犯罪行動を抑え込もうとする一種の厳罰主義だが、これもやらないよりやった方がむしろ悪化するということがわかっている。つまり苦痛を与えたりその程度を増やしたり期間を延ばしたり、脅すようにして“心変わり”のような仕方で内面を操作しようと訴えたりしても、それは加害行動について向き合っていることには全然ならないということだ。むしろ厳罰は尊厳を破壊する行為なのであって、逆に苦しみが余計に増え続ける社会を作ってしまっていることになる。

これは“生かしておいて償いをさせる”でも同じことが言えるだろう。そのような支配的な態度は、それが暴力的であるばかりか加害者と被害者どちらにとっても何ももたらさない。それどころかむしろことを悪化させる危険性の方がよほど高い。例え反省や謝罪を促したとしても――そうすべきだと思う気持ちは理解できることだが――加害を減らすということにおいてそれは無意味だ。それには犯罪や加害の背景はもちろん、加害を出した本人の考えていることや直面している困難について、またその要因となる社会的、政治的背景や構造にも注目しなければならないし、その問題をひとつひとつ解決することこそが必要となる。当事者ではないひとが関わることができるとすればそれだけであって、償いや反省という当事者間のコミュニケーションや内面のことには踏み込めない。また被害者にとってみても、それぞれの状態や環境や立場によって回復に必要なニーズは異なってくる。本来そこに多くのコストが求められるはずのところが見落とされている。償いや厳罰を求めることに費やされた分、被害者にとって必要となる支援などへのコストは確実に削られている。そしてそれは依然として放置されたままだ。

死刑制度について考えてみると――とても恐ろしいことだが、死がすなわち償いだとされる場合がある。これは死刑存置の立場をとるひとに多い、もう一方の償いについての意見だ。これは被害者の感情を慮るもののようによく持ち出される言い回しではあるが、実は逆に被害者をないがしろにした傲慢な考え方だ。繰り返しになるが、償いかどうかは被害者が中心となって語られるべきこと、あるいは被害者と加害者の間の問題なのであって、当事者ではないひとが決めることではない。死刑肯定の裏付けとして被害者を無理矢理担ぎ出しているだけだ。さらに死刑の恐ろしいところは、反省や謝罪など全く関係ない制度だということだ。こればかりは他の刑罰とは根本的に異なる死刑の本質的部分だ。反省や謝罪を促す気持ちは理解できるとしても、そもそも死刑はそれすら排除する思想であり制度なのだ。目的は死(国家による計画的殺人)のみであって、そこに“更生・社会復帰”はおろか少なくとも反省、謝罪という側面での償いすら求められてはいない。ただ有無を言わせない“終結”が国家によって宣言されるだけだ。

懲らしめと自己責任

何らかの犯罪が発生したとき、警察や行政の好んで使う“安全・安心”というキャッチコピーや、治安という言葉がそこに踊れば、厳罰の方に要求が傾きがちになることも理解できない話ではない。そのうえは事件がセンセーショナルな仕方で取り上げられ、犯罪の増加や凶悪化という見出しが並べられ、各所で“専門家”がそれらを宣伝することとなれば、その流れに拍車がかけられることもまた請け合いである。しかし厳罰に傾いた結果といえば、それはなんらの解決ももたらさないどころか、様々な困難や尊厳の回復など多くの問題が取り残され悪化していく未来しかない。

厳罰の背景には誰かを懲らしめたいという気持ちがある。悪いことをしたのだから懲らしめられて当然だと、この考え方も自然化されているものかもしれない。市民は国家にそれを要求し、国家はそれを利用する。むしろ権力関係を考慮すれば、国家の方から圧倒的な力でそこに誘導しているとも言える。 国家がその権威を示す恰好の機会となることだろう厳罰を、市民から要求されたとあれば国家にとってそれは大歓迎であろうと思う。より厳罰に向かうことで加害行為にではなく加害者個人の責任にだけ問題を集中させ、その名のもとに被害の話をも終わらせてしまう。加害者は加害を出したのだからどうなってもいいお前の責任だ、そして厳罰に処したしたのだから被害者はこれ以上文句は言うな後は自力で乗り切れ、という話に容易に転がっていくだろう。自己責任論である。

厳罰主義とともに近年増大している自己責任論。批判も多いがそれでもなすすべがないかのように拡がり、あらゆるマインドのすみずみにまで浸透している。別にどちらも近年になって突然現れたものではないが、しかし顕著なその拡大のスピードと攻撃性には恐怖をおぼえる。それは必ず排除とともに包摂を伴って増大する。国家による暴力や抑圧の問題を、排除と包摂を組み合わせることで個人の話に転化させる。国家による統治のための方法論のひとつだ。

被害者の多くは厳罰によってまたは死刑によって癒されることはない。しかしこの社会ではあるべき被害者像というものが作り出され、厳罰を望むはずだという考えが被害者を盾にして常に掲げられている。そしてあるべき被害者像を拒否した被害者は弾き出され、最悪なことに攻撃の対象にすらされてきた。現実にそうして自分の想いを封じ込められた被害者は多い。社会が作り上げた被害者像という枠組みに被害者を閉じ込めて、その口を封じ、その語りを断ち切る。自分たちのための納得できる懲らしめを実現できれば、それを傲慢にも償いとして済ますこともためらわない。その一方で国家は厳罰や死刑という暴力を行使してそれを“終結”させる。後は個人の問題だと。後は自己責任だと。

加害者に対してはもはや当たり前のことのように自己責任論が当てはめられる。その話など聞く必要はないし社会的背景などそんなものは“甘え”である。死刑は生命はもちろん加害者による語りも不可逆的に葬られる。そうすることで社会として考えるべきだったこと、変えなければならないはずの多くのことも同時に葬り去られる。まるでそれを欲しているかのように、考えなくても良いようにするためにだ。加害者の自己責任の話にさえしておけば一時の安心が得られるかもしれないけれど、その間も国家はといえば責任を問われることなく常に安泰でいられるのだ。

周縁から中心へ

“生かしておいて罪の償いをさせた方が良い”というのは、厳罰主義や自己責任論の浸透する社会なら死刑反対を表明するにしても主張しやすい理屈だろう。仮釈放のない終身刑導入を死刑廃止の前段階にという考え方にも似たものを感じる。死刑に反対しながらまた別の厳罰を持ち出すことは全く間違いだ。死刑以外に考えられるより厳しい罰し方を考えようとする、あるいはそのポーズを取るのは譲歩や後退どころか反動的だとわたしは思う。加害や被害をできるだけなくすことや、またそれが繰り返されることを防ぐという目的からは厳罰ではむしろ悪化しか招かない。死刑廃止の立場をとるならなによりもひとの尊厳の話、生命の話を真正面からし続けなければならない。死刑廃止と厳罰は相容れない。死刑廃止は厳罰主義の放棄とセットでなければ成立しないのだ。

わたしは厳罰を求めるようなものも含めた被害者それぞれの想いを否定しているのではないことは重ねて申し上げたい。できる限りそれらの想いを受け取りたいし理解もしたい。しかしそれとは別に、当事者ではない立場だとすれば何ができて何をすべきだろうかということを考えている。社会としてどうあるべきかということも。それは死刑でも厳罰でも自己責任論でもないはずだ。ひとの尊厳や生命を大切にすることと、死刑や厳罰や自己責任論は全く相反するものだ。むしろ積極的に放棄しなければならない。

様々にある暴力や差別や抑圧の被害者――わたしを含めた消されがたい癒えることのないかもしれない傷を負わされたみんなに、それは決して自己責任じゃないとこればかりは何度も繰り返し言いたい。またこれは加害者であることやそうなる可能性を含めても同じことだ。様々にある困難な経験を表現するのもしないのも、その主体は常にわたしたちにあるし、周縁ではなく中心にわたしたちはいる。そうでなければならない。誰かが勝手に“終結”を宣言することも線引きをすることも許されるものではないし、そんな権力的制度を押し付けられる筋合いもなければ、また次なる暴力に晒される事態や、加害を出してしまう行為が繰り返されてよいはずがない。誰がなんと言おうと、わたしたちの語りや回復の要求は正当であり、決して自己責任論で退けられる問題ではないのだ。

◆参考:菊田幸一 監訳『「被害者問題」からみた死刑』/日本評論社

死刑制度に八割が賛成していることを示す世論、ということがしばしば言われる。先日もインターネット上で、死刑賛成の世論は揺るぎないという主張を目にした。世論から変えようとしてもそれは無駄なことであって、廃止派であってもまずは存置派の考えを一蹴することなく聞くべきだということだった。そこでその訴えていることはひとまず理解したところで、結論から言うとわたしは全くこの意見に賛同しない。その理由と批判できる点をこの先いくつか挙げた後で、少し死刑制度について考えていることを書きたいと思う。

問題となる“世論”

さて、あらゆる場面で言及されている死刑制度に関する“世論”について。これは明示されていない場合でも、約5年に一度行われる内閣府世論調査*1のことを念頭にしていると思われる。というよりそれ以外に死刑に関するこうした規模の世論調査は存在しない。この世論調査については過去の記事の中でも言及したが、国のとる極端なまでの秘密主義による情報の非開示とアクセス阻害、その前提でなされる調査中の設問の恣意性など、その中には多くの問題が含まれている。しかし国は死刑制度を維持している理由として、犯罪抑止効果とされるもの(これについては根拠がない)と併せてこの世論調査の結果を常に引き合いに出している。その実態を隠匿する政策をし続けておいて、その同じ政府が取ってきたものを根拠にしているのである。しかも情報アクセスの問題からだけでも相当に影響があるだろうことは疑いようのない、死刑制度に関する様々なバイアスを考慮する様子は少しもみられない。それは政府にとって都合の良いものだけを選びとって利用するための“世論”にすぎない。内閣府の別の世論調査をみても、例えば選択的夫婦別性について、その導入の賛否に加えて通称使用の選択肢が設けられているという、明らかに意見を分かれさせる意図が読み取れる設計になっているなど、問題が指摘されているのは死刑に関するものに限ったことでもない。他の方法でなされた調査で政府の意見とは異なる結果が出ていても、利用できる結果を導き出せた“世論”は積極的に宣伝するわけだ。それは例えば“民意”という言葉の使われ方にもみられるように、権力が抑圧的政策を実行するための道具として弄ばれている。しかし例え利用価値のあるものが作り出せなかったとしても、知らぬ存ぜぬを決め込むか、挙句は強権を発動して抑え込めば済むと間違いなく政府は考えているーー沖縄県の米軍・自衛隊の基地建設や、関連する事故や暴力や環境破壊に対する日本政府の態度ひとつとってもそれは自明のことであろう。この国の政府にとって“世論”などとは所詮その程度のものであり、情報をコントロールする権力まで行使した状態で、さらに結果いかんによっての取り扱いすら意のままに、まさに政府の独擅なのだ。

複雑だった“世論”

では、そうした政府の権力から離れた仕方で行われた死刑制度についての調査というものはないのだろうか、というとそれはある。佐藤舞とポール・ベーコンらが行った2015年の調査*2がそれで、内閣府調査と概ね同じ条件でなされるミラー調査、質問文を変更した上での調査、存置・廃止に関わらず様々な立場からの意見を述べるゲストが参加する形をとるセッションを事前に行う「審議型意識調査」など、内閣府のものと比較してより詳細な内容である。簡単に説明すると、死刑存置の立場であっても選択肢を増やしたり質問を変えたり、前提となるものの内容によっては決して全員が積極的に存置を主張するわけではないし、意見も多様で変わり得るものだということが示されている。

その中でも興味深いのは、質問文を変更した調査のなかの「死刑制度の将来を誰が決定すべきでしょうか」という質問に対して「専門家や国家機関」と「内閣府世論調査の結果によって」と回答したひとが共に40%であったことだ。これだけ“世論”なのだと政府は持ち出しているけれど、意外にも内閣府世論調査が積極的に重視されいるとまでは言えない可能性が示されている。そして、死刑は「絶対にあった方が良い」「どちらかというとあった方が良い」と回答したひとのうち71%が「(もし日本政府が死刑を廃止したら)政府政策として受け入れる」と回答している。この質問の回答からは権威主義的な傾向を感じる部分もあるが、ここでもやはり政府による秘密主義が関係しているとわたしは思う。誰かが決めるだろうとか、政府が決めたのなら従うはずだとか、そういった態度を批判することもあるいは必要だろうしそうすることも可能ではあるが、しかしその前提となる情報を政府が隠している現状を鑑みれば、まずその状態こそ批判されるべきでものと考える。

さらに事前のセッションを伴う「審議型意識調査」の結果から、全体として死刑存置・廃止・どちらともいえない、が大きく動くということはなかったが、それでも調査前にどの立場にあったとしても明らかに意見を異にする立場からの影響を受けたことがわかる。例えば存置の立場なら、死刑はあった方が良いがしかし冤罪のことを考えるとーーというように死刑制度の問題点を意識するようになるであるとか、また廃止の立場なら、意見は変わらないが自分が被害者遺族の立場になったと考えれば気持ちが揺らいだーーといったふうにである。つまり情報が隠されていたことによって、“悩む”機会すら奪われていたともここから考えられるのではないか。特に存置の立場のひとたちにおいて、多数派であることも理由のひとつだが、意見の多様性がより顕著にみられる。政府の秘密主義を批判してきたが、この点は特にマスメディアの責任も非常に大きい。死刑制度の問題点が取り上げられることがあまりにも少ないうえに、仮にテレビ番組などで出演者が「死刑賛成八割」とだけ発言したとすればどうだろう。注意を引きやすい文句や数字を優先的に取り上げ、その背景にある問題点などへの言及は省略されがちだ (特にテレビでは実際にそういう場面を幾度となくみてきた)。加えてそんなメディア環境のなかで繰り返し“犯罪の増加”や“凶悪化”などという、事実に基づかない煽りのような報道がなされたり、厳罰化を推し進める方向に率先して協力的な態度をみせたりする。“世論”を作り出している片棒をかついでいる自覚はあるのかと問いたい。

まとめ

死刑廃止論を否定するために持ち出される“世論”とは、つまりその中身が検討されることがほとんどないままに、その実態ではなく強調されすぎた“死刑賛成八割”という言葉だけが次から次へと流される、わりかしぼんりとしたイメージなのである。しかしそれは制度の可否を考えることにおいて強調できるほどには考慮されない。むしろ尊重されやすいのは権威やその決定した政策の方である。引用した佐藤舞とポール・ベーコンの調査の中でも、裁判所や裁判官、病院や医師、そして大学や教育機関に対する信頼度は比較的高いという結果が出ている。そうした権威やそれをまとった人物が、問題点を隠したまま“世論”というこれもまた政府という権威を後ろ盾にした“情報”を繰り返し宣伝すれば、その効果のほどは絶大だろう。さらに死刑制度があることが意識されにくいほどに当たり前になっているということの弊害や、そこから生じるバイアスもあるだろう。例えば死刑を廃止・事実上廃止している国や地域は150近い*3という話をすると、かなり驚きのリアクションが返ってきたということは一度や二度の体験ではないし、これに近い場面に合ったことがあるひとも少なくないだろうと思う。これもまた情報に関する問題でもあるわけだが、わたしを含めて多くのひとが死刑制度がある社会で暮らしているうちに、それがない状態を想像することがなかなか困難な域に達している可能性もあるのではないだろうか。

“世論から変えようとしても無駄だ”という反論は、秘密主義にもとづいて情報管理をする政府によって、多くの問題が含まれたままに行われた“世論”を前提としているか、それを元にした“死刑賛成八割”という部分だけが強調されたイメージに基づいている。その“世論”を変えるには、その前段階から情報環境のあり方を修復するか、設計をより充実したものにするか、その調査自体をやめるしかないだろう。佐藤舞とポール・ベーコンの調査のなかでは、限定的ではあるが多様な意見やそれが変化する様子が示されてもいた。当然のことではあるが、実際には一人ひとり異なる多様な考えや想いがある。それぞれに立場も違えば背景も違う。そうした細やかなものは決して“世論”に反映されるものではないのだ。しなければならないことは、そうした多様な想いが恣意的に薄められた“世論”を引き合いにして、ある意見を封じ込めようとする権威主義的振る舞いではなくて、死刑制度に係る問題点を全て明らかにするために、秘密主義を堅持するために全力を注いでいる政府にまず全ての開示を要求することだろう。話を聞くにも、議論をするにも、わたしたちは常にその邪魔をされているのだから。

政治的な思想や主張をなるべく控える論調が賞賛される傾向がある。“声高に主張することなく”という類のものが褒め言葉になっている。現状、死刑廃止を訴えることには様々な困難があろうと思う。正直に述べると勇気が必要になってくる場面も多々ある。それによって罵倒されたり怒りを向けられることもあるからだ。わたしもこちらの考えは全く受け付けてもらえないまま、人格否定的な言説を投げつけられ続けたという経験は幾度となくある。これだけ話を聞いてもらえなかったのに、話を聞くべきだという批判だけは延々されるのかと思えば、いい加減いやにもなってくる(どうでもいいけどわたしは結構相手の話を聞く方…のはず)。それでもわたしは繰り返し声高に死刑廃止を訴えたい。例え今はそれは控えろと妥協を迫られたとしても、声高嫌悪を示されたとしても。わたしたちの生命の問題だ。声高でなくてどうする。

お終いに、死刑廃止の立場であっても、その理由についての回答を見ると、誤判・冤罪可能性と並んで「生かしておいて罪の償いをさせた方が良い」が半数近い。これは内閣府世論調査でも引用したミラー調査でも近い結果だった。この選択肢の文からしてどうかと思うのだが、権威主義的傾向と厳罰主義的傾向というのは、別に存置であろうが廃止であろうが立場によっての大きな違いは実はないとも言える。“命をもって償う”のか“生かしておいて償う”のか、その結果としての差は言うまでもないことではあるが、しかし両者の間には権威主義と厳罰主義が共通して存在している。そうした点から考えたことを次回の記事に書きたいと思う。

今年の8月6日の広島平和記念式典での湯崎英彦県知事による「あいさつ」*1、8月9日の長崎平和祈念式典での鈴木史朗市長による「平和宣言」*2、両者ともにいたく評判のようです。そこでそれぞれを読んだわたしが思うこと、その共通点からみえることなどを書いていきます。

まず湯崎広島県知事の「あいさつ」。原爆の凄惨さと現在に残る課題、そして鳥取県にある弥生時代の遺跡を訪れたときの個人的体験を現代に照らしてみると、古代から変わることなく戦争が続けられているという現実がみえてくる、と批判的に訴えかけます。

国連が作ってきた世界の秩序の守護者たるべき大国が、公然と国際法違反の侵攻や力による現状変更を試みる。それが弥生の過去から続いている現実です。

特にこの部分の演説中、TVカメラがイスラエルの大使を捉えたとかで話題になりました。おそらくその点からの言及が一番なされているハイライトといえる部分でしょう。 なるほど歴史をみよ、そしてそこから学べということが主旨なのかなと思いました。そうだとすればこの部分、わたしには少々どころか大いに違和感があります。

国際法違反の侵攻や力による現状変更”。主語が曖昧なので困るのですが、大方の読み通りロシアやイスラエルのことを念頭にしているのは間違いないでしょう。しかしアイヌモシリや琉球に侵攻し、力による現状変更を果たしたのが今の日本です。台湾や朝鮮、中国や多くのアジアの地に侵攻し、力による現状変更をしたのも日本の歴史です。いやこれは現在の話をしているのだという暴論もあるやもしれません。それなら現在まさに行われているところの沖縄県辺野古への米軍新基地建設という力による現状変更や、同じく沖縄県自衛隊基地の拡大という力による現状変更を行っている日本の暴力についてはどうでしょう。全く当事者性を持って話している態度とは思えません。

この続きは後にして先に鈴木長崎市長の「平和宣言」に移ります。冒頭は福田須磨子の詩『原爆を作る人々に』からの引用。そして被爆者に負わせられた様々な苦痛とその体験の継承活動に敬意を表するところから始まります。

被爆から79年。私たち人類は、「核兵器を使ってはならない」という人道上の規範を守り抜いてきました。しかし、実際に戦場で使うことを想定した核兵器の開発や配備が進むなど、核戦力の増強は加速しています。
ロシアのウクライナ侵攻に終わりが見えず、中東での武力紛争の拡大が懸念される中、これまで守られてきた重要な規範が失われるかもしれない。私たちはそんな危機的な事態に直面しているのです。

ここも先の広島県知事の「あいさつ」同様、ロシアとイスラエルに関係して注目度が高まる部分だったと思います。両者の間で異なるのは、広島の式典ではロシアの代表者への招待はなくイスラエルの代表者は招待/出席しているが、長崎の式典ではロシアもイスラエルも招待をしていないという点がまずひとつ。もうひとつは広島県知事の「あいさつ」では主語があの形のためその対象が曖昧なままであったところ、長崎市長の「平和宣言」では“ロシアのウクライナ侵攻”と一部明確にしている点です。しかし“中東での武力紛争の拡大”とあるように、こちらについては曖昧な仕方でお茶を濁しています。

しかしわたしが最も気になったのは、“ 私たち人類は、「核兵器を使ってはならない」という人道上の規範を守り抜いてきました。”の部分です。これは果たしてどういう意味でしょうか。仮にそのような規範があったのだとして、それを守り抜いてきたなどとどうして断言できるのか。核抑止論の話は脇に置いておくとしても、幾度となく繰り返されてきた核実験によって破壊された地や生命やその傷というものはなかったことにして話を進めるつもりでしょうか。“戦争被爆国”という言葉を好んで使用する権力者が支配する国だけに、それは戦争における使用と意味を限定させているつもりなのかどうか。それははっきり言って詭弁ですらあるけれど、それならアメリカや国連の機関はその危険性を否定するあり得ない態度を示している劣化ウラン弾についてはどうなのか。アメリカは何度も戦争で使用し他国に供与し続けているが、いくら“通常兵器”と居直ろうともわたしはあれは核兵器だと思っています。

平均年齢が85歳を超えた被爆者への援護のさらなる充実と、未だ被爆者として認められていない被爆体験者の一刻も早い救済を強く要請します。

その後に述べられるこの部分。 “未だ被爆者として認められていない被爆体験者”というその訴えは、被爆者とそうでないとされるものとを恣意的な線引きによって国が分けている暴力的な現状とその施策への批判となっています。しかし鈴木市長の言う“「核兵器を使ってはならない」という人道上の規範”とそれが守られてきたという前提も、恣意的な線引きを介してでないと成立しません。意識的かどうかは別としても、鈴木市長もそれをしている権力者のひとりなのです。

広島県知事による「あいさつ」と長崎市長による「平和宣言」との間の共通点は大きくふたつあります。まずそのひとつは、外部に向けて問題を発信したり、外部に問題の所在を求める方法をとっている点です。もちろん、日本政府への批判や要求の部分はどちらもあります。しかし全体としてのあり方というとそれは一部に過ぎません。そして外部へとそのまなざしを誘導する方法というのは、日本政府(内部)へ向けられる批判をかわすために繰り返されてきたことでもあります。それは脱政治化というポリティクスとも相まって、反動的な運動に長年使われてきた手法のひとつでもあります。印象的に使われる鈴木市長の“地球市民”という言葉と、頻度は少ないですが湯崎県知事の“人類”という立ち位置の設定の仕方のどちらも、当事者性を曖昧にしたまま外部の誰かに向けたものになっています。これによってわたしたち自身ないし日本政府という内部に向けるはずのものは周到に回避されます。

そしてもうひとつというのが上記と繋がるものなのですけれど、日本の加害性への言及が皆無である点です。皆無なので引用して批判しようにも皆無なんですけど、例えば湯崎県知事の「あいさつ」からのこちら

人類が発明してかつて使われなかった兵器はない。禁止された化学兵器も引き続き使われている。

これはそうでしょう。しかし広島県というと軍都だったことでも知られていますが、地図から消された島としても有名な大久野島で製造された毒ガスは中国で使用され、その被害は現代でも続くという最悪な加害の歴史があります。それを知らないなんて言わせませんが、これも問題を外部に向けることで内部の問題を覆い隠している一例でしょう。覆い隠せてなどいないのですが。加えて長崎についても軍事産業で栄えた側面を持っていますが、これは長崎、広島だけの話ではないけれど、“近代化”という名の下に朝鮮など植民地出身のひとたちにどれほど酷い苦役を課したか。生命を奪い、差別し、それでも足らないと歴史歪曲までしているのは誰なんだと。そういうことに一才言及しない欺瞞の塊だと断罪したく思います。

とにかく批判ばかりしましたが、それでもまだ言い足りないくらいの心持ちです。本当は自分自身に対するあれこれで時間を使いたいところなんですが、こればっかりはどうしたものかと思ったので。しかしこのような聞こえの良い(わたしはそうは思わないけれど)ものは言葉は悪いがガス抜き的に作用するというのも理解はしますが、いやそれすらも何度も何度も繰り返されてきたことでしょうにと思うんです。それっぽいことを言ったことでオールOKみたいなのはもうやめようよと思うんですね。例えば非核三原則だとか宣う裏側で交わされていた密約のことはどうなんだと。沖縄の問題だからとまた切り捨てるのかということなども。これはあなた方の否定する植民地主義そのものなのだと。また言い始めたらキリがないからこれだけはせめて重ねて批判して終わります。

はだしのゲン』を読んでいると、通っていた小学校の図書室を思い出す。古い校舎の端にある絨毯敷きの教室の、いちばん奥の席に座るとみえた外の景色。 たくさんの本のにおい。背表紙に貼られた赤い禁退出のシール。クラスの誰かが隣にいたり、あるいはぽつんとしていたり。そうした思い出が一度に全て呼び起こされる。

夏休みの登校日は8月6日。広島に暮らしたものにとっての共通する経験として、しばしばこの話題は場の盛り上げを請け負う。広島出身のもの同士であるなら連帯意識、そうでないなら互いのギャップについて楽しむという具合に。 しかして8月6日によって引き上げられることとなった記憶は、わたしにとっての『はだしのゲン』と図書室のように、一部には学校という空間やそこでの生活と深く関係し、あるときには共同体にとっての紐帯としてもてあそばれ、またあるときには排他的に機能し、いまでは過ぎ去った夏休みの思い出のひとつのように顧みられると同時に、いくらか懐古的に語られる向きさえある。

そんな懐かしい8月6日の登校日の思い出は、閃光に灼かれ爆風に壊され放射能を浴びせかけられた虐殺の、惨い苦しみと怒りを刻みつけられるものであるはずだった――その裏では、いや表裏の別なく。破壊された街で誰に守られることもなく傷つけ合いながら、ひとりひとりに背負わされた憎悪とともに、その後の年月を生きてきたひとたちのこと。排除。差別。暴力。装いを新たに軍都としての姿を覆い隠した平和都市。 草ひとつ生えないと言われた地にみた希望と、軍事基地のために破壊され続ける地に向ける銃口。侵略。虐殺。毒ガス。凡そ言葉にできないほどの残酷と苦痛の数々に、止むことを知らない傲慢と矛盾が染みこんでは膨らみつづけ、支えきれないくらいの重みとなったその大きな塊を、ズシリと受けとる日になる。8月6日はそんな日であるはずだった。そうであるべきだった。

しかしどうだろうか。“広島県民として”、はたまた“日本人として”、殊に8月6日を前後にしてなされる原爆の語りに与えられるその冠は、一体なにを意味するのだろう。そこから取り除かれた多くの語りがあったはずだろうに。傷つけられたものに突きつけられる刃。非核の幟の裏面にびっしりと書きこまれた密約。歴史歪曲。侵略と虐殺の否定。 生命と暴力と差別に蓋をした、コンクリート敷きの平和公園で、権力者が繰返し嘘をつく姿が画面に映し出されるとき、 “広島県民として”、“日本人として”なにを語ることができたのだろう。なにを語るべきだったのだろう。あまりにも空虚なその響きは、“残酷と不信のにがい都市*1”の中でわびしくこだましている。

平和都市という名に隠された街の深淵を覗き込めば、そこにはわたしの聴かなかった無数の声が響き、書き留めなかった幾つもの言葉がある。敷き詰めてみえないようにしたはずの、コンクリートの蓋に響く軍靴の音は、その上を歩いてゆくわたしの足音なのだ。排除と差別の果てに“聖域”を作り出そうとした平和都市建設。軍都廣島から平和都市ヒロシマへと“修正“していく歴史の中で、蓋をし黙らせ、なかったことにされた多くのひとびとの生を踏みつけるように、わたしの足下から軍靴の音が響いている。おとしまえをつけよという声はもみ消され、もうよしてくれという言葉の上へとさらに打ち付けるこの靴底が重ねてゆく歩みは、折り重なり轟音となってこの街を、この国を包んでいる。絶えず過ちは繰返されている。

広く敷き詰められたコンクリートを打ちこわし、厚く閉ざしたその蓋を引き剥がし、“残酷と不信”から目をそらさず、耳をふさがず、踏みつけにしないはだしのままに、廣島に脅かされ、ヒロシマに奪われた多くのひとたちの生を、いつかの “懐かしい思い出“にひとつひとつ刻みつけはじめられたときに、そのときに、ようやくみずからの語るべきことと出逢いなおすことができるのだろう。決してやさしくはなくとも。

inspired by...

中沢啓治はだしのゲン汐文社(全10巻)

栗原貞子『〈ヒロシマ〉というとき』

◆岸佑『「廣島」と「ヒロシマ」の間――平和記念公園の史的研究――』2008

https://subsites.icu.ac.jp/org/sscc/pdf/kishi_41.pdf

沖縄タイムス社編『沖縄戦記 鉄の暴風』がちくま学芸文庫として出版された。沖縄戦の前段階である日本陸軍の設置から十・十空襲、45年の米軍上陸から地上戦へと続く沖縄戦の実態を、膨大な日誌や経験者からの聞き取りによって詳細に明らかにしまとめられた記録である当書の歴史的意義やその価値は、初版の1950年から七十年を超えた今日いささかも色褪せることはない。まさに“鉄の暴風”による傷がありありと残る中、牧港篤三、大田良博両記者はバスを利用して国頭や中部を取材してまわり49年末には脱稿したというのだから、その働きには驚き感服するよりほかはない。そして沖縄人によって語られる沖縄戦という当書のあり方こそ、牧港氏が『五十年後のあとがき』に記すように“水々しく、且つほっと”であることを強調しているとともに、語りを受ける方のわたしにとっては語りの主体を意識する上でとても大きな意義を果たし得るものとなっている。つまり相手とわたしの立場をまず明確にすることが重要なのだと、当書の存在はそう示しているのである。

沖縄戦についての語りの中で“悲惨な過去”のような表現がよくみられる。それ自体は全く事実であり否定されるものではない。しかし、そうした表現もまたその語りが誰によるものなのかによって意味も機能も違うものになってくる。例えばわたしがそうした表現を多用したなら、沖縄戦における日本の加害性のみならず、それより以前ないし現在までも続けられている植民地主義政策を不問としたり、少し踏み込んで個人にフォーカスしたならば、わたし自身の応答責任が回避されるものにさえそれはなり得る。要は、“悲惨な過去”という事実として間違ってはいない表現で埋め尽くすことで、本来的に議論されるべき批判されるべきものごとを覆い隠す力が湧出されるのだ。さらに意識的か否かに関わらず浮き彫りにされるその他人事的態度もその力を加速させる。また、そうした表現は普遍性をまとった物語として自らを納得させ、そこに他者をも巻き込んで回収するに足る十分な力を有している。それは差し詰め問題の相対化と矮小化に繋がるとても危ういものである。そう批判するわたしも当然例外ではなく、語ることで発揮される権力とそれを操作できる立場ーこの場合は日本人のわたしという立場である以上、いつでもその過ちに陥る危険性があるのだ。

当書の中で相当程度の紙幅を割いているものに日本軍兵士の被害にフォーカスした部分や、島田叡官選知事らの動きに関するエピソードがある。沖縄人による沖縄戦記という語りの意義を最大限に考慮したうえでも、しかしわたしにとっては大きないたたまれなさをそこに感じずにはいられないのが正直なところである。端的に言うとある種の免罪符的に利用されてきたとさえ言えるそれらのエピソードに触れて滲み出る後ろめたさか。当書刊行当時から数十年経った後の時代を生きているものとして、その歴史的社会的背景を学んだ上での理解の必要性やその可能性がある一方で、免罪符的と表現したような利用のされ方ーこのような日本人もいたーという語りをかなり多くの場面で目撃してきたこともまた事実である。“このような日本人もいた”という言説は、日本の加害の歴史の話の中で度々現れてきた一種の“口封じ”だ。先ほどの“悲惨な過去”と同様に“このような日本人もいた”こともおおかたそれは事実であろう。しかしこれも同じく問題を捻じ曲げたり覆い隠すための手段として、またあるときは攻撃の手段として選び取られてきた文脈が存在するし、事実としてそう機能している現状がある。ある語りを引き受ける上でその語り方に注力すことと、そのためにまず立場を明確にしなければならないという問いを、こうした箇所からもまた強く意識させられる。

執筆者のひとり太田良博元記者はいわゆる“集団自決”について以下のように述べている。

「鉄の暴風」の取材当時、渡嘉敷島の人たちはこの言葉を知らなかった。彼らがその言葉を口にするのを聞いたことがなかった。それもそのはず「集団自決」という言葉は私が考えてつけたものである。島の人たちは、当時、「玉砕」「玉砕命令」「玉砕場」などと言っていた。(517)

“集団自決”という言葉そのものについては後で述べることにして、まず当時は“玉砕”という言葉が使われていたという点について考える。言うまでもなくそれは全滅という状態を隠蔽するために死(主に戦闘死)を美化し、軍国主義を称揚するプロパガンダ用語である。そして天皇を中心とする大日本帝国がその基底や背景にはっきり存在する、いわばそれらがあって始めて成り立つ非常にイデオロギッシュな言葉だ。軍国主義皇民化政策の土台が前提ではあるが、言葉によって発動する圧力、抑圧の象徴的なもののひとつであるし、それを目的に造語されたものだ。つまり“玉砕”という言葉の背景やそれに含められた思想を考えれば、それは強制と切り離せるものでは到底ない。事実として“玉砕命令”という言葉の使用例もあるほどに、例え言外のものであろうともそこには命令的な圧力が含まれていることや、抑圧的空気による支配といったものを住民は感じ取っていたしそれは確実に存在したわけだ。数多くの証言で既に明らかなことではあるし、“軍官民共生共死の一体化”という牛島満の発した方針にもみられるように、いわゆる“集団自決”の軍による強制は明白なことだ。その否定などそもそも全く話にならないレベルの捏造なのである。

“集団自決”か“集団強制死”かという議論がある。それにはまずその言葉をめぐる日本政府の政策について、石原昌家氏による『解説』の中での批判に注目したい。いわゆる軍人恩給法に替わる援護法の下でのそれらの政策は、日本軍による強制死の被害者やその遺族を軍人軍属と同様のものとみなすものであり、虐殺されたものを靖国に合祀するという果てしのない屈辱的な行いに加え、遺族に対しては“経済的援助”の名目での遺族年金が支給されるため、その言葉を拒否することさえ一方的に断たれるという陥穽が用意されてもいる何重にも酷い日本政府による暴力的政策だ。同氏はこの日本政府による政策と共に、日本側が行う“集団自決”という言葉の絡め取りによって事実が歪曲されている点も批判している。わたしはこれも“処分”の一形態であると思っているが、“集団自決”を“集団強制死”と言うのかどうか以前に、この言葉もまた日本による簒奪と歴史歪曲と捏造と暴力に利用されている問題がまずあるのだ。沖縄人による語り、言葉を奪っている現状をみなければ、その先にある議論になどどうして進むことができようか。事実をできる限り正確に反映させることと、日本軍による強制性を明らかにすることを両立させるためにはどういった言葉を選択するのかは当然重要であるしむしろ考え続けなければならない。しかしそれでも日本人という立場で使う/使うべきでないなどと、少なくともわたしはその議論に参加することはできない。それより以前の解決すべき問題があるのだから。それを踏まえたうえで再度強調しておきたいのが、強制性の否定もなにもそんな話はまず論外なのだということだ。

最後にひとつ言及しなければならないと思うことは、今回の版元が筑摩書房であるということだ。沖縄人による沖縄戦記の重要性に触れたが、それを東京の出版社が出版するという、資本の論理と片付けるには乱暴なこれもひとつの絡め取りだろう。植民地主義の構図をそのままなぞるような様相を誰もがみいだしてもおかしくはない。しかし『まえがき』において記されている、沖縄タイムス社の“魂”であり“原点”であるこの書を沖縄タイムス社が出し続けることの意義を示しながら、それでも“日本全国にこの「魂」を改めて送り出す意義を重く見た“という説明には相当な説得力があるし、今回まずなにより冒頭にそのことを記していることにその決意の並々ならぬものを感じる。その“魂”を受けてわたしはどうするか。できればわたし以外の多くのひとたちにも読んでもらいたい。アクセシビリティの点からも、例えば電子化やオーディオブック、図書館の蔵書などのリクエスト等できることは沢山ある。最後になにかとても身近で平凡なことをやりますと宣言しているようだか、しかしそれは語りを受けたわたしが伝えたい“魂”が、そこに確かにあるからなのだ。

当事者という言葉を使うことの難しさを感じる場面によく出くわします。差別や暴力の問題においては特にこれで誰かを切り離すことになっていやないかとか、ものごとを単純化しているばかりなんじゃないかとか、ある問題とは無関係なグループを作り出すようなメッセージとして機能してしまう可能性など注意すべき点が多い言葉です。それを踏まえたうえでしかしこの場合は当事者という言い方こそが重要な役割を果たすはずだと強く感じるときもまた多くありまして、そのうちのひとつが今回書こうとしている死刑や死刑制度について考えるときです。

先日4月15日に、死刑の当日告知の違憲性などを問うたある確定死刑囚二人を原告とした国賠訴訟の判決が大阪地方裁判所にて出されました。結論としては原告の訴えが全面的に退けられる形でしたが、 判決の一部にあった「原告らは、現在の法令に基づく死刑執行を甘受すべき義務を負う立場にあり、執行方法の一部である本件運用だけを取り出し、受忍すべき義務がないと主張することはできない」という箇所にかなりの引っかかりを覚えました。原告が訴えていることは死刑執行の差し止めではなくその運用のあり方についてです。具体的には当日告知による尊厳の軽視など人権に関する点、異議申し立てを阻害されることの違法性および憲法第三十一条*1に照らしてそれに反していることなど、その運用の仕方にある多くの問題を指摘しています。しかしその口を塞ぐかのように被せられる“死刑執行を甘受すべき義務”という強い言葉。この表現の残酷さもまた言を俟たないものがあるのですが、こうしてある訴えを抑えつける主体に実はわたしたち一人ひとりがいるのだということと、わたしたちの方もまた抑えつけられ黙らされていることになっているのだ、という認識を持ってわたしはこれを解釈すべきだと思ったのです。

まず、刑が確定しているか否かに関わらず死刑を言い渡されたひととわたしとの間にはどのような違いがあるのか、ということについて考えたときに、特に死刑を言い渡される経験をしたかどうか以外にその間に違いを見出すことがわたしにはできないということを明示しておきます。それはなにも個人差等を無効化しようとする主張ではなくして、わたしたちとは違うあのひとたちという語りの中に含まれる完全な断絶のニュアンスや排除の思想を共有できないということです。つまりわたしは―これは死刑囚に限定すべきことでもないですが―なにか“犯罪”や“犯罪者”について語るときに、わたしたちとは違うあのひとたちのような仕方ではなく、わたしたちの内のこととして捉え、語っています。いわば社会や何らかの集合体を形成するわたしたちという集団の中に存するある個人やある出来事としてそれぞれを考えているということです。

社会の中のことだなんて当たり前じゃないか、ということもできるかも知れませんが、しかしわたしたちは何かえたいの知れない怪しげなわけのわからないもの、として特定のひとびとを排除する方向に容易に傾いてしまいがちです。そのことの危うさやそれへの批判、それに死刑についてのわたしの立場は過去記事に書いてある通りなので省きますが、さらにこれに加えて重要なのはわたしたちの当事者性の問題です。死刑制度を維持する社会を支えるわたしたちもこの問題の当事者なのだという事実はもっと共有されるべきです。最終的に命令する法務大臣の立場やそれまでの過程にまつわるものや機関など、法的に定められた制度や手続きなどを振り返るだけでも実に様々な面でわたしたちは死刑制度と関係していることがわかります。直接的なものでいえば裁判員制度被害者参加制度などの諸制度はより当事者性を明確に意識させるものでしょう。判を捺す、執行ボタンを押す、という行為はわたしたち一人ひとりが実際に深く関与していることなのです。どこかの誰かの仕業ではなく、その権力行使に加担するわたしたちの存在抜きには成り立たないものなのです。

さらに例えば死刑賛成が八割を超える世論調査*2(これも権力による恣意的な操作がうかがえるものですが!*3)にみられるように、消極的にでも容認していればその態度も含めて賛成意見として政府に利用されます。死刑の実態が権力によって極度に隠蔽されていることも考慮すべきですが、この世論調査も含めてかなり多くのひとたちが死刑や制度について、厳しい表現をすればほとんど無関心であると言ってよいでしょう。権力としては消極的なものまで含めて八割賛成ということを盾に押し切れば、多くのひとたちには無関心でいてもらいたいはずです。関心を持たれると困るほどに過多なその問題点を隠しておきたい、それがこの極端なまでの秘匿性に現れているわけです。ですからそんな無関心をきめこんで済ましている様子や態度なども制度を支えるのに十分寄与しているといえるのです。批判は第一に権力にむけられるべきなのはもちろんなのですが、死刑に賛成しようと反対しようと例え無関心だということにしようと、全てわたしたちは死刑に関わる当事者なのです。

これらを踏まえて判決文に話を戻すと、“死刑執行を甘受すべき義務”という言葉を使って文字通り甘んじて受け入れろと迫っているのはわたしたちだとも言えるのです。一度確定したのだから死んで当然、殺されて当然だという極めて恐ろしい残酷な言葉は、当事者性を勘案してみればわたしたち自身が発しているものだともみなせるのです。またこの立場を反転させて考えてみると、"甘受すべき"だとわたしたちもまたそう迫られる立場でもあるです。それこそ死刑であるか否かに限定したことではなく、権力による決定を"甘受すべき義務"を負うとされる対象には当然わたしたち全員が含まれているのです。そこに意思など関係ありません。どれほど厳しい負担が強いられようが考慮されません。甘んじて受け入れろと叩きつけられるだけ。そういう印象を植え付け浸透させる効果がこの判決にはあるし、それを期待しているようにすら感じられます。抵抗は無駄だから諦めろと何度も何度も繰り返し権力がその力を発揮させるうちに、自然と諦めの空気が支配していくという成功体験を積み重ねてこの国や社会は成り立ってきたからです。 例えば植民地主義レイシズムやセクシズムを支えてきた要素のひとつにその諦めの空気があります。あるときはそれを作り出し、またあるときはそれに抑圧されるわたしたちは常に問題の当事者なのです。

少し話が飛んでいるように思われるかも知れませんが、あらゆる差別や暴力の連関性を顧慮すれば、植民地主義レイシズムもセクシズムも全て繋げて考えることができます。繰り返しになりますがそれらと闘うものを権力は何度も疲弊しきるまで抑圧してきました。それは過去も現在も変わることなく続けられています。死刑もそうした問題のうちのひとつなのです。つまり特定の誰かを排除し、強大な暴力を行使して力尽くで黙らせる。それはあらゆる差別や暴力と同じ構造をもつ同じ問題なのです。そうした構造をも含めて死刑制度を解体していくためには、死刑制度に関する当事者性の認識が極めて重要なのです。"死刑を甘受すべき義務"ではなく"死刑制度の解体・廃止を訴え実現すべき義務"ならば、まさに当事者としてそれを積極的に引き受けたく思っています。

死刑に関する裁判としては他にも残虐性や再審請求中の執行の是非を問うものなどが現在起こされています。担当の弁護士によるとこれらを問うことによって隠されている死刑の実態を少しでも開示させたいという目的も含まれているようです。ここまで書いたことをじゃあ具体的にどうするのかといえばそれは簡単なことではないでしょうが、しかし少しも不可能なことではなく死刑廃止は十分に実現可能です。生命に関する問題に解決は困難だから関わるのはよしましょうなんて言説にのっかることの方がむしろ困難です。死刑廃止の実現可能性を高めるためには、まず日本の死刑や死刑制度についてできるだけみんなで情報を共有するということが不可欠です。隠すことに尽力する権力にあらゆる角度と方法から風穴を開けていくしかない。そうした抵抗を微力かもしれないがわたしはやり続けていくつもりです。最後に情報共有として、先に挙げた内閣府世論調査は五年毎に行われることになっていますからまさに今年2024年に実施されるはずなのですが、それについての参考となるポッドキャスト番組のリンクを以下に貼っておきますので良かったら聴いてみてください。

丸ちゃん教授のツミナハナシ-市民のための犯罪学-:Apple Podcast内の#009 死刑制度に対する人々の印象と実態〜世論調査から考える〜

沖縄県中頭郡読谷村にあるチビチリガマ沖縄戦での”集団自決”とともにその名はよく知られている。わたしがチビチリガマのことを知ったのは中学生のときのある授業でのことだった。それは平和学習といった類のものではなく通常の理科の時間だったのだけれど、そのときの担当の先生がまるまる授業ひとコマかもしかしたらそれ以上の時間を使って、ときにスライド写真などもまじえながら沖縄戦と”集団自決”の話をしたことがきっかけだった。それ以前から知識として”集団自決”を知ってはいたものの、その場所の詳しい話や写真をみたこの時間は、確実にわたしにとっての画期だったと今でもそう思っている。

二十歳のころ友人数人と沖縄を旅行した。それがわたしにとって初めての沖縄訪問だったわけだが、まるでその内容といえば絵に描いたような観光そのもので、またそれなりの人数だったこともあり組まれた通りの旅程を過ごして終えた数日間だった。しかしわたしはそれからの数年間、ただ観光をして帰ってきただけの自分に対するとてもがっかりした気持ちや、後ろめたい罪悪感のような感覚と後悔をずっと抱えることとなる。それは日本の琉球・沖縄に対する植民地主義や抑圧的政策、現在も続けられている周縁化や差別の問題における強者の立場として、まさに絵に描いたような搾取的態度を示してしまったそんな自分への幻滅と、また中学生のときのあの授業から受けた影響は明らかだというのに、わたしは一体なにをしているんだという嫌悪感が渾然となったものだった。

それから十年ほどが過ぎてわたしはひとりで沖縄に行く機会を得た。例え独りよがりなことであっても今度こそちゃんと真剣に訪問したい、それが沖縄と“向き合う”ことになり得るのだと、沖縄戦の戦跡*1や資料館などを訪れるために事前に幾つかの関連図書を頼りに準備をし、最初に向かう場所をチビチリガマに決めて沖縄へと出発した。

宿泊先の那覇市のホテルからレンタカーを走らせ読谷村へ。カーナビに案内されながらみえてきた道路沿の駐車場に停めて—まだ早朝なこともあってとても静かな中、目印の案内板の方へ進み階段を降りた。わたし以外に誰もいないその状況に少し緊張しながらゆっくりとガマの入り口に近づくと、そこには立ち入り禁止の看板とともに多くの千羽鶴が手向けられてあった。入り口のそばには金城實氏の作品「チビチリガマ世代を結ぶ平和の像」。その作品が作られた経緯とともに、ここチビチリガマで起きたことを伝えている追悼碑も建てられてある。

1945年4月1日、米軍はここ読谷村から沖縄本島に上陸した。翌2日までにチビチリガマへ避難していた住民約140名のうち83名が”集団自決”によって犠牲になった。”「集団自決」とは、「国家のために命を捧げよ」「生きて虜囚の辱を受けず、死して罪禍の汚名を残すことなかれ」といった皇民化教育、軍国主義教育による強制された死のことである”と碑にはそう刻まれている。日本による植民地主義帝国主義軍国主義によってもたらされた犠牲。沖縄戦よりもっとずっと遡って、琉球を侵略し併合した大日本帝国の暴力から始まる歴史が、多くの沖縄のひとたちの生に死を強制した。その事実をこの場所はずっと伝え続けている。

そうして数十分が経ったころだろうか、数名の団体のひとたちが階段を降りてきた。後でわかったことだが東北の方面から来た方々だったようで、ガイドの方の説明を熱心に聞いていた。実はわたしもちゃっかりその説明を離れた場所で聞いていたのだが、そのガイドの方というのが―これも後になって知ることになるのだが、知花昌一さんだった。するとこれから実際にガマの中に入って説明をするのであなたも一緒にどうかという、知花さんからの思いがけない提案をいただいたので、ありがたさと驚きとが入り交じった心持ちでわたしもついて中へと入っていった。*2

ガマの中はライトを照らしていないと全く周りが確認できないほど暗い。さっきまでいた入り口付近とは全く違う世界かのように、その静寂さもまたひとつ段階が違うほど際立っている。ここにかつて140人ものひとたちが―と考えればどう表現しても不十分なほど、想像を遙かに上回る苦しみがあったに違いない。今でも多く残されている遺品となった容器や道具など、保存状態や大小も様々なそれらについての知花さんの説明を聞きながら、このまっくらな中に存在している生と、静寂の中にきこえる声とに圧倒されたわたしはその場に崩れるようにして泣いた。こんなつもりで来たのではなかった。“悲しい過去”のようにことを相対化して涙する自己満足のために沖縄に来たんじゃない。土足でズカズカと入っていくようにして、沖縄戦のことをその犠牲のことを沖縄の現地のひとに説明させるために来たんじゃない。そんな傲慢な態度を“内地”からきたものとして示さないように努めることが最低限と考えていたんではなかったのか。それらがあまりにも情けなく思え、しかし涙を止めることもかなわない自らを酷い嫌悪感が襲った。ここにわたしは来た、じゃあどうするのか。これをみた、そしてお前はどう考える。そう何度も何度も自分に問いかけながらガマの外へ出れば、先刻までいたそこもまた別の場所のようにすら思えた。そうこうするうちに次の場所へと移動する知花さんたちとはここでお別れとなった。

今でも後悔しているのは、知花さんにはほんのお礼の言葉くらいしか伝えることができなかったことだ。自分の思いを何かひとつでも、全く完成されたものでなかったとしても少しくらいは言葉にしたかった。しかし今こうして文章にしてみたところで、ほんの少しだって語れていないようにわたしは感じている。あれから数年経った今も、そのときの気持ちを上手く表すことができないままでいる。考えてみればそれはわたしが沖縄について何か発言するときに抱く、いつも上手く表現できず何ひとつ答えられない状態や感情とも繋がるものだ。米軍や自衛隊基地に反対する立場を取りながら、では基地を日本で引き取ってはどうかという指摘には、それについて自らの言葉をまだ持ち合わせていないと言わんばかりにわたしは逃げてしまう。“加害者”ではなく“理解者”としてともすれば振る舞ってみせる自分の権力性に本当はいつも気づいている。向き合う。沖縄に向き合う。琉球に向き合おうとは言うものの、本当に向き合わなければならないのは自らのそうした権力性なのだった。

沖縄に“向き合う”ことを考えて始めた旅は、向き合うべきは日本であり、自分の権力性の方であるということを明らかにした。今こうして書いていることもまた、権力性をまとって利用しているに過ぎないと批判されるとすればそれは全く的確だと思う。自身のポジショナリティ/立場性というものを意識することは、水平的な関係性を築いていくための基本的なスタンスとして常に維持されていなければならない。つまり何よりもまずは己はどうかと問い続けることこそが重要なのだ。要求されるのは、日本社会や自身が内包する植民地主義を暴きそれを解体することだ。チビチリガマに始まる沖縄滞在の間での、ゆくりなくも訪れた何ものにも変え難い貴重な出会いや体験は、何をみて感じて考えていかなければならないのかということをわたしに深く深く刻みつけてくれた。自らの植民地主義を無意識の領域から引き上げ、さらにそれと対面するということは想像よりも困難なことだ。苦しさを伴うことも否定しない。しかし、沖縄ー日本の関係を水平的なものへと正していくためには、必ずそこが原点となるということを決して忘れてはならない。

*参考図書*

大田昌秀(編著)『写真記録沖縄戦 国内唯一の“戦場”から“基地の島”へ』/高文研

•知念ウシ『シランフーナー(知らんふり)の暴力: 知念ウシ政治発言集』/未来社

•野村浩也『無意識の植民地主義―日本人の米軍基地と沖縄人 増補改訂版』/松籟社

•前田 勇樹 、古波藏 契 、秋山 道宏 (編)『つながる沖縄近現代史 沖縄のいまを考えるための十五章と二十のコラム』/ボーダーインク