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薩摩国
(
地理
)
【
さつまのくに
】
かつて日本の地方行政区分だった令制国の1つ。
→薩摩
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ムカシノコト、ホリコムヨ。鹿児島の歴史とか。•7ヶ月前
薩摩国分寺跡、薩摩の国府は川内にあった、「万葉の散歩道」には大伴家持も薩摩国の設置は、『続日本紀』によると大宝2年(702年)のこととされる。国府が置かれたの薩摩半島西部の川内(せんだい)であった。川内には薩摩国分寺跡がある。国の史跡にも指定。「薩摩国分寺跡史跡公園」として整備されている。場所は鹿児島県薩摩川内市国分寺町。 天平13年(741年)に聖武天皇の詔により、国ごとに国分寺を設置することになった。薩摩国分寺もその一つだ。 また、薩摩国分寺跡のすぐ近くにある「万葉の散歩道」もあわせて紹介する。ここには『万葉集』に収録された歌の碑がちょっとある。また、大伴家持(おおとものやかもち)の像も。大伴家持は薩摩守に任じられ、この地に居た時期がある。 薩摩国分寺跡へ …
#薩摩国分寺#国分寺#川内#大伴家持#万葉集#薩摩国#薩摩川内市#鹿児島県
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ムカシノコト、ホリコムヨ。鹿児島の歴史とか。•2年前
肝付一族についてまとめてみた、南九州に伴氏が根付き、そして枝葉を広げた南九州の歴史を見ていくと、肝付(きもつき)一族の存在感がすごく大きいのだ。その歴史はかなり古い。 支流氏族もかなりある。萩原(はぎわら)・安楽(あんらく)・和泉(いずみ)・梅北(うめきた)・救仁郷(くにごう)・北原(きたはら)・川路(かわじ)・検見崎(けんみざき)・岸良(きしら)・野崎(のざき)・津曲(つまがり)・鹿屋(かのや)・頴娃(えい)・橋口(はしぐち)・薬丸(やくまる)など。鹿児島県内でちょくちょく見かける苗字も。それぞれの支族にさらに分家もあり、肝付一族にルーツを持つ苗字はとてつもなく多い。 ちなみに通字(とおりじ)は「兼」である。南九州の歴史を見ていく中で、名前に「兼」の字が入ると…
#肝付氏#伴氏#大伴氏#薩摩国#大隅国#日向国#鹿児島県
晴耕雨読 趣味と生活の覚書•2年前
国名について調べてみた14 長門国と薩摩国これは、私の日本の歴史の勉強のための覚書です。調べたこと、考えたことを書きとめてます。 令制国というものに興味があって、気が向けば調べたりしています。 NHKの大河ドラマは、昭和38年に第一回が始まったらしい。 私は、小学校の高学年になる頃だったので、歴史好きの私は、今年は誰を描いた物語らしいというのは、知っていた。 中学生になった年は、村上元三原作の「源義経」で、主人公を尾上菊之助さんが演じた。 とても、評判良くて、マスコミでも取り上げられていた。 ところが、私は大河ドラマをまったく見ていない。 唯一の例外が、「独眼竜政宗」である。 その頃は、結婚して長男がまだ小さかったが、妻とこのドラマを…
#令制国#薩摩国#安芸国#長門国#明治維新
書痴の廻廊•3年前
薩人詩歌私的撰集 ―飲んでしばらく寝るがよい―鹿児島弁は複雑怪奇。薩摩に一歩入るなり、周囲を飛び交う言葉の意味がなんだかさっぱりわからなくなる。これは何も本州人のみならず、同じ九州圏内に属する者とて等しく味わう衝撃らしい。 京都帝国大学で文学博士の学位を授かり、地理にまつわる数多の著書を執筆もした、いわばこの道ひとかど(・・・・)の権威、藤田元春は嘗て語った。「北九州は長崎、佐賀、福岡、熊本それぞれ方言をもつけれども、大体からいへば一系統であって、大分県の宇佐及び日田盆地に及び、殆ど共通した正しい言語を用ひる。しかし九州山系を超えると全く一変して鹿児島、宮崎を通じて薩摩方言にかはる。地形と方言のこれ程明瞭なことは他に例が少ない」と。 斯様…
#鹿児島県#薩摩国#方言#都々逸#焼酎
書痴の廻廊•3年前
日本南北鳥撃ち小話 ―蝗と鴉の争覇戦―山鳥を撃つ。 すぐさま紙に包んでしまう。 適当な深さの穴に埋(うず)める。 その上で火を焚き、蒸し焼きにする。 頃合いを見計らって取り出して、毛をむしり肉を裂き塩をまぶしてかっ喰らう。 「山鳥を味わう最良の法はこれよ」 薩摩の山野に跳梁する狩人どもの口癖だった。 (Wikipediaより、ヤマドリ) なんともはや彼のくにびとに相応しい、野趣に富んだ木強ぶりであったろう。 中学生のころ、図書室に置いてあった『クリムゾンの迷宮』でこれとよく似た調理法を目にしたような気もするが、なにぶん遠い昔のはなし、うろおぼえもいいとこで、ちょっと確信を抱けない。 当時は未だ、気に入った箇所、忘れたくない知識等を…
#鳥撃ち#薩摩国#鹿児島県#北海道#北海道帝国大学
書痴の廻廊•3年前
薩州豆腐怪奇譚 ―矢野龍渓の神秘趣味―朝起きて、顔を洗い、身支度を済ませて戸外に出ると、前の通りのあちこちに豆腐の山が出来ていた。 何を言っているのか分からないと思うが、これが事実の全部だから仕方ない。江戸時代、薩摩藩の一隅で観測された現象だ。「東北地方地獄変」や「江戸時代の化石燃料」でお馴染みの、橘南渓その人が『西遊記』に記録している。 ――狐狸がたぶらかしよるんじゃろ。 どうせ正体は馬糞か何かだ。迂闊に口に入れてみよ、ほどなく真の姿を暴露して、悶え苦しむこちらの姿を密かに眺めて嗤い転げる。そういう心算(つもり)に相違ない。 ――誰がその手に乗るものか。 むかしばなしで訓育された人々は、当然に用心深かった。 しばらくの間は触れる…
#橘南渓#矢野龍渓#薩摩国#鹿児島県#焼酎#豆腐
戦国日本の津々浦々 ライト版•7日前
ニツハ酒 につはしゅ南蛮から渡来した酒の一種。文禄五年(1596)七月、藤原惺窩が大隅国波見で中国人商人から振舞われている。江戸期の本草書には、焼酒を二次的蒸留した酒であると紹介されている。暹羅酒(シャム王国の酒)のことを指す名称ともされる。 中国人商人の歓待 ニツワト云ハ焼カヘシノセウチウノヨシ 参考文献 中国人商人の歓待 文禄五年(1596)七月、藤原惺窩は中国明朝へ渡るため薩摩国へ向かっていた。その途上、大隅国の内之浦(現在の鹿児島県肝付町)において、ルソン通いの船頭浄感の子や役人の竹下宗意らが「勝酒」(焼酒)や「葡萄焼酒」(葡萄酒か)、「菓子」「マクワ瓜」「異域珍肴」等を携えて惺窩のもとを訪れている。浄感…
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島津氏久と島津元久、奥州家のはじまり、大隅守護から三州太守へ中世の島津氏の惣領は奥州家(おうしゅうけ)である。そもそも奥州家とは何なのか? その始まりについて、ちょっと記事にしてみた。 島津氏が南九州の支配を確立するのは、南北朝争乱期のことである。その立役者となったのが島津氏久(しまづうじひさ)だった。この人物から奥州家は始まる。そして、奥州家2代目の島津元久(もとひさ)が、島津の惣領の座を手にすることになる。 南北朝争乱と島津氏 島津氏久の大隅攻略 島津 vs. 今川 島津元久、引き続き幕府に反抗 三州の守護 なお、北朝元号・南朝元号を併記する。日付については旧暦にて記す。 南北朝争乱と島津氏 12世紀末に惟宗忠久(これむねのただひさ)が薩摩国・大隅…
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第1226話 昭和天皇を泣かせた牧野伸顕序文・大久保利通の次男 堀口尚次 牧野伸顕(あきあき)〈文久元年昭和24年〉は、日本の政治家。位階は従一位。勲等は勲一等。爵位は伯爵。名は「シンケン」と音読みされることもある。幼名は伸熊(のぶくま)。以前の諱は是利(これとし)。大久保利通は父、吉田茂は娘婿、寬仁親王妃信子と麻生太郎は曾孫にあたる。 文久元年10月22日、薩摩国鹿児島城下加治屋町猫之薬師小路に薩摩藩士で「維新の三傑」の一人・大久保一蔵〈後の利通〉と妻・満寿子の次男として生まれた。生後間もなく父・利通の義理の従兄弟にあたる牧野吉之丞の養子となるが、慶応4年に吉之丞が戊辰戦争における北越戦争で戦死したため、名字が牧野のまま大久保家で…
ムカシノコト、ホリコムヨ。鹿児島の歴史とか。•20日前
加治木城跡をあるいてみた、戦乱にさらされ続けた大隅の要衝加治木城(かじきじょう)は大隅国桑原郡加治木(「桑原郡」はのちに「始羅郡」)にあった。現在の鹿児島県姶良市加治木町である。「本城」や「古城」、「龍門ヶ城」とも呼ばれた。南九州の戦乱史において、加治木はたびたび戦いにさらされた。 長さ約1.2㎞、周囲4kmほどの丘陵に築かれている。曲輪には「本丸」「二ノ丸」「西ノ丸」「御馬城」「高城」「向江城」「松尾城」「新城」「栫城」などがあったという。そのほかに「犬馬場」「弓馬場」も配置し、近くの山には砦もあった。かなり堅固そうである。 現在は宅地となっているが、山城の痕跡もけっこう見られる。ちょっとあるいてみた。 県道脇から急坂をのぼって 加治木氏(大蔵氏…
坊さんブログ、水茎の跡。•22日前
弘法大師空海のお話㉖ ~ 鹿児島坊津一乗院、海路と陸路をつなぐ結び目のお寺 ~ 「法の水茎」148お檀家さんがお持ちくださった菊の花。だいぶ大きく花開いてきました。 眺めていると、雨の日でも心が明るくなるような気がします。皆さまにも見ていただければと思います。さて、今月の『高尾山報』「法の水茎」も弘法大師空海をめぐるお話です。重陽の節句の由来と、鹿児島坊津一乗院に伝わる伝承について書いてみました。お読みいただけましたら幸いです。 ※ ※ 「法の水茎」148(2024年10月号) 我が宿の菊の白露今日ごとに 幾世積もりて淵となるらん (『拾遺集』清原元輔) (我が家の菊の白露は、今日の日が巡ってくるごとに滴り続けて、これからどれほどの時代を経て淵のように深くなっていくのだろうか) 菊の花が美…
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秋思 618 島津義弘金曜日に四国お遍路から帰ってきました。ローソク・線香・納札・お賽銭を上げ、般若心経などのお教・願い事を計200回ほど唱えた旅行でした。せっかくなので日常に活かして行こうと思います。朝は雨が降っていたのでランは休みました。嫁さんも工芸祭の代休でゆっくりしています。 「日本史1200人」618 島津義弘(ヨシヒロ;1535〜1619) 戦国から安土桃山時代の薩摩国島津氏・第17代当主。勇猛な戦いで兄・義久を補佐し島津氏の発展に寄与した。豊臣秀吉の九州平定軍とも戦ったが兄が降伏したため、以後は豊臣政権を援助し、朝鮮出兵では大功を立てた。関ヶ原の戦い直前、徳川家康から上杉氏討伐の援軍を要請され伏見城に…
銅像ハンターtaguttiの銅像ハンティング記•23日前
青森県編 その15〇植村正治 (1930~2014) 漁師、実業家。青森県平内町生まれ。平内町漁業協同組合代表理事組合長から青森県漁業協同組合代表理事長、国際共同組合漁業委員会委員長、全国漁業協同組合連合会会長。青森放送監査役などを歴任する。 <植村正治像> 場所:青森県水産ビル(青森県青森市安方1-1-32) 竣工: 2016年 像高: 作者:熊谷友児 撮影時:2022年8月22日 説明:県水産ビルは、何かと話題となった青森駅近くのアスパム(三角形の形の観光物産館。夕食を取りに入ったが、閑散としていた)の左隣にある。こちらは半円形のビルで、両者ともガラス張りである。その脇には青森港と青森駅を跨ぐ「青森ベイブリ…
ホリショウのあれこれ文筆庫•25日前
第1217話 平清盛に背いて鬼界ヶ島に流された俊寛序文・陰謀事件の結末 堀口尚次 俊寛〈康治2年 - 治承3年〉は、平安時代後期の真言宗の僧。僧位の「僧都」を冠して俊寛僧都と呼ばれることも多い。 村上源氏の出身で、父は木寺〈仁和寺院家〉の法印寛雅、母は宰相局〈源国房の娘で八条院暲子内親王の乳母〉。姉妹に大納言局〈八条院女房で平頼盛の妻〉。 後白河法皇の側近で法勝寺執行の地位にあった。安元3年、藤原成親・西光らの平氏打倒の陰謀に加わって鹿ヶ谷の俊寛の山荘で密議が行われた〈ただし、『愚管抄』によれば、信西の子・静賢の山荘で密談が行われたとされている〉。だが、密告により陰謀は露見し俊寛は藤原成経・平康頼と共に鬼界ヶ島〈薩摩国〉へ配流された。この「鹿…
小説に出てくる用語を解説•25日前
隼人族(はやとぞく)隼人族(はやとぞく)は、古代日本の南九州に居住していた先住民で、特に薩摩国(現在の鹿児島県)や大隅国(同じく鹿児島県東部)を中心に活動していました。隼人族は、朝廷に対して強い抵抗を示し、独自の文化と風習を持っていたため、歴史的にヤマト王権との対立が繰り返されました。彼らは主に農耕や狩猟を生業とし、南九州の豊かな自然を利用して生活を営んでいたと考えられています。 『日本書紀』や『続日本紀』などの史書には、隼人族が朝廷に反抗し、特に8世紀前後には何度か大規模な反乱を起こしたことが記されています。これに対し、ヤマト朝廷は軍事遠征を繰り返し、最終的に彼らを服属させました。服属後、隼人族は朝廷に仕える役…
ホリショウのあれこれ文筆庫•1ヶ月前
第1216話 喜界島は鬼界ヶ島なのか序文・かつての流刑地 堀口尚次 喜界島(きかいじま)は、鹿児島県の離島で、鹿児島市と沖縄本島の間に連なる奄美群島内で最も北東部に位置する。鹿児島県大島郡喜界町に属し、人口は7千人弱。喜界島南部の先山遺跡から、約6000年前の縄文時代前期にあたる条痕文土器などが出土しており、その頃から島に人が定住していたとされる。 古代〈平安時代〉には大宰府と密接に繋がっていたことが、文献上記録されている。『日本紀略』長徳4年の記述として、大宰府が貴駕島〈喜界島〉に対して、暴れ回っている南蛮人を捕えるように命じている〈南蛮賊〉。ここで記述されている「南蛮人」とは、西に位置する奄美大島の島民を指しているものと『小…
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秋の雲 616 宇喜多秀家お遍路・第10日目。15番国分寺から7番十楽寺まで周り、上板町のお寺に泊まる予定です。昨日は雨風の予報が外れて、良い天気の中で周りました。夜は友と徳島駅ビル地下でチョッと前祝いをしました。 「日本史1200人」616 宇喜多秀家(ヒデイエ;1572〜1655) 豊臣秀吉の家臣。織田信長に仕えていた父・宇喜多直家が没したため11歳で家督を継ぎ、中国攻めの最中の秀吉に叔父らと共に従軍した。その年の本能寺の変の直後、秀吉が毛利氏と和睦すると、秀家は備中・備前の大名となり、毛利氏の監視役を担った。元服すると秀吉の養女・豪姫を正室に迎え、天下平定の戦いや朝鮮出兵でも活躍し五大老に任じられた。関ヶ原の戦…
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島津四兄弟を評するあの言葉、じつのところ出典元がわからない戦国時代に活躍した島津氏の四兄弟。長男は島津義久(しまづよしひさ)、次男は島津義弘(よしひろ)、三男は島津歳久(としひさ)、四男は島津家久である。それぞれに、次のような評伝が広く知られている。 島津義久は「三州の総大将たるの材徳自ら備わる」 島津義弘は「雄武英略を以て傑出す」 島津歳久は「始終の利害を察するの智計並びなし」 島津家久は「軍法戦術に妙を得たり」 これらの言葉は、島津忠良(ただよし、島津日新斎、じっしんさい)が孫たちを評したものだとされる。どれもカッコいい。言いたくなるフレーズである。そして、人物像をあらわす言葉としてもしっくりくる感じだ。で、けっこう取り上げられることが多い。書籍…
この食べ物はダイエットに良いですか?Blog•1ヶ月前
【さつまいも】はダイエットに良いですか?秋と言えば、やっぱりさつまいもですよね! 特にシンプルな焼き芋は、格別に美味しいです。 そんなさつまいもですが、食物繊維が豊富で、どうやらダイエットにも良さそうな予感がします。 そこで、今回はその点について調査してみました!さつまいもがどんなふうにダイエットに役立つのか、一緒に見ていきましょう! 【サツマイモ】※イメージ画像 ・日本の名称: さつまいも(英語名:Sweet Potato) ・5段階で評価: ◎‐とてもダイエットに良い! ・栄養素 エネルギー: 132 kcal(100g) たんぱく質: 1.2g 脂質: 0.2g 炭水化物: 31.5g 食塩相当量: 0g 糖質: 23.1g …
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『島津氏 鎌倉時代から続く名門のしたたかな戦略』、なんだかんだで700年島津(しまづ)氏は12世紀末に惟宗忠久(これむねのただひさ)が南九州に所領を得て、その歴史がはじまる。日向国・大隅国・薩摩国にまたがる島津荘(しまづのしょう)を領したことから「島津(しまづ)」を名乗りとした。また、三ヶ国の守護職にも任じられる。 初代の島津忠久(惟宗忠久)から29代当主の島津忠義(ただよし)まで、じつに約700年間にわたって南九州を治めた。 こんな本が出た。読んでみた。 『島津氏 鎌倉時代から続く名門のしたたかな戦略』著/新名一仁・徳永和喜 島津氏 鎌倉時代から続く名門のしたたかな戦略 (PHP新書) 作者:新名 一仁,徳永 和喜 PHP研究所 Amazon 700年の歴史が「…
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ぽいぽい食べちゃう旨さ♪『キューブスイートポテト』の簡単レシピ・作り方※この記事は広告を利用しています。 ちょこっと豆知識 さつまいもは江戸時代に日本に入ってきたとされています。 漢名は「甘藷(かんしょ)」ですが、当時の薩摩国(現在の鹿児島県西部)から栽培が始まったことから「さつまいも」と呼ばれるようになりました。 今日は、成形なしで簡単に作れる♪『キューブスイートポテト』のレシピ・作り方をご紹介します。 ころころとした形が可愛い、サイコロ型のスイートポテトです。 生地作りはフードプロセッサー任せ、さらに一つずつ成形する必要がありませんので手軽にチャレンジしていただけますよ♪ 一口サイズで優しい味わいですので、ぽいぽい食べられてしまいます。 秋の味覚・さつまいも…