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多聞山城

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関連ブログ

歴史ぶらり1人旅3年前

<奈良県 歴史探訪4,5> 多聞山城 松永弾正 時代を先駆けてこんにちは-、rekikakkunです。 奈良探訪4日目は一日中強雨でした。 大和郡山城を訪問しましたが、 少し廻っただけなので、写真1枚のみで割愛します。 (写真1)大和郡山城 本丸跡 翌日の最終5日目、天気はまあまあ、 最後に奈良市方面に向かい、 多聞山城と平城宮跡に行きました。 グーグルマップでは多聞山城のみ示します。 赤丸①が近鉄奈良駅、②若草公民館、③多聞山城跡です。 ②、③をクリック 又は 地図を拡大してみて下さいね。 多聞山城に行くには、鉄道ですとマップ①の 近鉄奈良駅で降ります。 奈良観光定番の東大寺や春日大社と同じ最寄り駅です。 多聞山城の跡地には、戦後まもなく若草中学校が建…

#多聞山城#松永弾正#平城宮跡

関連ブログ

kumakuma blog クマ子の奈良歩き3年前

京街道に位置する「般若寺」は歴史の宝庫✨前回の記事では、奈良市にある「般若寺」の「関西花の寺」としての側面をご紹介させていただきました☟ www.norikuma2.com 今回は、「般若寺」の歴史的な側面を取り上げたいと思います(´艸`*)✨ 奈良県と京都府との県境に位置し、京街道と呼ばれた重要な街道沿いにあった般若寺は、幾度も兵火に見舞われましたが、また様々な歴史の舞台の場でもあったのです。 平安時代後期「保元の乱」 国宝「楼門」と平重衡供養塔 「建武の新政」時代のドラマも般若寺に 戦国武将「松永久秀」の面影 ほかにも見どころが…✨ 般若寺へのアクセス・拝観情報 まとめ 平安時代後期「保元の乱」 1156年に、時の天皇・後白河天…

#般若寺#平重衡#大塔宮護良親王#松永久秀#多聞山城

月下の港2ヶ月前

「信長の野望・天翔記HD」プレイ日記(1534年毛利家中級)その4(脅迫編)前回の記事はこちら。 gekkahope.hatenablog.com 1544年春。吉川元春・大友宗麟元服。徴兵・施し・訓練。あと元春の教育を開始。 夏。細川家の若江城・筒井城・多聞山城・信貴山城攻略。波多野秀治・下間頼次登用。連続攻撃で上野城・槇島城攻略。百地三太夫登用。 秋。足利攻め。足利と同盟している六角が敵。第2軍団が室町御所を攻略。六角家の水口城・観音寺城・坂本城攻略。足利・六角滅亡。第2軍団の軍団長を島津貴久から別所就治にしてみた。一色家への脅迫が成功。 冬。第2軍団が細川家の竹田城攻略。八上城・横山城攻略。波多野稙通登用。武田家(武田元光)への脅迫が成功。 1545年春。為爺(…

リストリー・ノーツ2ヶ月前

【CK3】異聞戦国伝・漆 四国征伐編(1583-1585)1576年8月6日。 征夷大将軍となったばかりであった織田信長は、突如その命を落とす。 遺された織田家と幕府を引き継いだのはその嫡男の織田信雄。 そして佐々成政、丹羽長秀、浅井久政、丹佐秀吉といった信長重臣たち。 彼らは生前の信長の遺志を継ぎ、1577年に三好家を滅ぼすべく畿内、そして淡路へと同時攻撃を仕掛ける。 が、その渦中、重臣の一人であった浅井久政が裏切り、謀反を起こす。 この謀反を鎮圧すべく、秀吉は自身の配下において最も勇壮なる青年、吉太きったに兵を与え、果敢にこれを攻めさせる。 この活躍もあり、1578年の多聞山城の戦いでは圧勝。 淡路も手に入れ、秀吉は織田家内最大勢力へと躍り出るこ…

リストリー・ノーツ2ヶ月前

【CK3】異聞戦国伝・陸 岐阜会議編(1576-1580)歴史はその細部を異にしつつも、大きな流れとしては変わらず流れていく。 この世界においても、戦国時代末期、織田信長という天才が現れ、瞬く間にその領域を広げていった。 彼は天下を手中に収め、新たな時代を築き上げた。 しかし、それは決して安寧に到達することはなかった。 1576年8月6日。史実よりも6年早いという「小異」はありつつも、彼はこの世界においても志半ばに闇の中に葬り去られる。 そして、時代は新たな段階ステージに到達する。 物語は続く。さらなる加速を見せながら。 目次 急報 岐阜会議 多聞山城の戦い ※ゲーム上の兵数を10倍にした数を物語上の兵数として表記しております(より史実に近づけるため…

ゲームとCADで趣味全開!3ヶ月前

【戦極姫6】足利家ルート攻略手順⑨【伊予制圧~美濃制圧まで】長宗我部家を制圧したら終盤に入ります。 ここ、最終盤はかなり忙しいです。 というのも一気に侵攻開放国が増え、手数が多くないとあちこち飛び回らないといけなくなるからです。 事前にしっかり準備を整えておきましょう。 美濃・伊賀・河内・和泉・大和侵攻1ターン目 敵戦力について 美濃・伊賀・河内・和泉・大和侵攻2ターン目 美濃・大和侵攻3ターン目 美濃侵攻4ターン目 美濃侵攻5ターン目~レベリング 80ターン目の状況 90ターン目の状況 まとめ 美濃・伊賀・河内・和泉・大和侵攻1ターン目 侵攻可能国となる国と城(隣接城)は 美濃・大垣城(北近江・佐和山城)、鷺山城(越前・大野城) 伊賀・喰代城(山城・…

すまりんの てくてく ふたり旅 3ヶ月前

平城京の北の果て...佐紀盾列古墳群を歩く (前編)あいにくの曇天ですが すまきとすまりんは奈良の東大寺にやってきました 奈良公園の鹿さんが一緒に写真を撮ってくれました💛 圧倒される大きさの大仏殿✨ まだ朝早いので人も少なめです(^_-)-☆ すごく久しぶりに東大寺の大仏殿に入場し 大きな大仏様を拝見しました✨ 自由に撮影もできるので ありがたいです(*^^*) 大仏様と すまき 大仏様の高さは15m!迫力があります✨ 正式名は「廬舎那仏」 聖武天皇の命で造られ 752年に完成したと言われています 大仏鋳造のための銅が 山口県の長登銅山から運ばれていたお話を以前させていただきました www.aranciarossa.work これは建設当時の伽…

大和徒然草子4ヶ月前

戦国大和の覇者・筒井氏~大和武士の一族(1)当ブログでは鎌倉時代から江戸時代までの大和武士たちの活躍や動向を、当時の畿内史と関連付けながら21回にわたって「大和武士の興亡」として奈良の戦国史を詳しく紹介しました。 今回は奈良の戦国史について切り口を変え、戦国の大和で活躍した大和武士の一族たちに焦点を当てて、ご紹介していきます。 最初にご紹介する大和武士の一族は、戦国末期に大和国の覇権を握って近世大名へと躍進することになる筒井氏です。 筒井氏の出自 筒井氏歴代 順覚(南北朝~室町初期) 成身院光宣と順弘、順永(河上五ヶ関を巡る抗争と応仁の乱) 順尊、順賢(筒井氏の没落と大和復帰) 順興(筒井氏の戦国大名化) 順昭(大和を武力統一した最初の…

ゲームとCADで趣味全開!6ヶ月前

【戦極姫6】織田家ルート攻略手順③【伊勢・伊賀・紀伊制圧完了~大和支配まで】前回はうまく波切城に敵が逃げ込んだことにより、殲滅後に紀伊一国含めてごっそりと支配下に置けました。 別にクリアターンは全く意識していないのですが、すんなり領土が手に入るのは嬉しいですね。 3ヶ国支配後~大和侵攻1ターン目 大和侵攻2ターン目 大和侵攻3ターン目 大和侵攻4ターン目 大和侵攻5ターン目~(レベルアップ期間) 3ヶ国支配後~大和侵攻1ターン目 ADVパート「義秋、室町幕府第15代将軍即位」 松永久秀登場。 CVは変わらずなのですが、グラフィックは一新されています。 3の久秀が好きだったのですが… 3の時もそうだったのですが、蜘蛛の巣の意匠があるのは「平蜘蛛茶釜」を意識しているのでし…

大和徒然草子6ヶ月前

筒井順慶反撃の最前線となった中世城館・窪之庄城~上街道散歩(11)飛鳥時代の古代官道・上ツ道をルーツとし、現在の奈良市と桜井市を結んだ上街道は、中世以来、大和国内の主要な南北幹線であり、沿線には古代から近世までの長い歴史の中で生まれた名所・旧跡が多く残されています。 この上街道沿いの散策スポットを当ブログで紹介していますが、前回は奈良市南郊の帯解周辺エリアをご紹介しました。 今回は、上街道から分岐し、五ヶ谷街道を東へ1kmほど歩いた場所にある窪之庄城をご紹介します。 窪之庄城の場所はこちら。 国道169号線沿いの窪之庄集落北側にある城跡で、奈良県平野部の城跡には珍しく中世館城の土塁と堀が良好に現存する貴重な城郭遺構になります。 窪之庄城とは 窪之庄城跡 八坂…

rinsaosaoの日記6ヶ月前

お城検定 エフェクト(10)・1602年に細川忠興が築城した福岡県北九州市にあった城 小倉城→こくらじょう ・岩手県にあるお城 盛岡城の別名です 不来方城→こずかたじょう ・関東七名城の一つにも数えられた群馬県前橋市にあった城です 厩橋城→まやばしじょう ・現在の群馬県にあった真田昌幸の沼田城の支城 名胡桃城→なぐるみじょう ・真田昌幸が城主を務める沼田城の支城だったお城 岩櫃城→いわびつじょう ・戦国大名・浅井氏の居城だった滋賀県長浜市にあったお城です 小谷城→おだにじょう ・武田斐三郎が設計した日本初の洋式城郭 五稜郭→ごりょうかく ・「天空の城」として人気の竹田城跡がある兵庫県の都市 朝来市→あさごし ・長野県長野…

大和徒然草子7ヶ月前

南都攻防の重要拠点・今市城を歩く~上街道散歩(9)飛鳥時代に奈良盆地を南北に結ぶ官道として整備された道のうち、最も東に通され現在の奈良市と桜井市を結んだ上ツ道は、中世以降も上街道として大和の主要な南北幹線道として機能し、沿線には多くの宿場や市そして城郭が築かれたため、名所や旧跡が集まるエリアです。 当ブログでは上街道沿いの旧跡をこれまで8回ご紹介してきましたが、前回まで櫟本以南の天理市内エリアを中心に散策してきました。 ※前回の記事はこちらです。 今回からは天理市から少し北に移動し、奈良市南郊のJR帯解駅周辺をしばらくご紹介していこうと考えています。 帯解周辺の散策スポットと言えば、安産祈願で有名な帯解寺が真っ先に挙げられるかと思いますが、中…

おもてだな。10ヶ月前

美の壺スペシャル 「城」<番組紹介> 世界遺産30周年の姫路城。 直木賞作家・今村翔吾がその魅力を全力で語る ▽城の姿を精巧に再現する城郭模型作家が 「白眉」とたたえる松本城のベストスポット ▽穴太衆(あのうしゅう)が、 極秘に受け継いできた「石垣」の技 ▽“天空の城”竹田城。細部に宿る“神業”とは? ▽彦根城の庭園にみる、 壮大でドラマチックな仕掛け ▽二条城と名古屋城は、極上「障壁画」 ▽木村多江は、金沢城のなまこ壁に挑戦 ▽草刈正雄の“家臣”登場!? <初回放送日:令和5(2023)年11月11日> <番組紹介> 美の壺1.時代を映す美の宝庫 姫路城(直木賞作家・今村翔吾さん) 松本城(城郭模型作家・島 充さん…

大和徒然草子1年前

筒井順慶の大和制覇~大和武士の興亡(17)1559(永禄2)年に始まる三好氏重臣・松永久秀による大和侵攻で、父・順昭の代に大和を統一した筒井氏を率いる筒井順慶は本城・筒井城を奪われて劣勢を強いられました。 1564(永禄7)年、三好長慶の死によって三好家中に内訌が発生すると、順慶は三好三人衆と組んで勢力を挽回。久秀を多聞山城に追い込み、筒井城を奪回します。 ところが1568(永禄11)年9月に織田信長が足利義昭を奉じて上洛を果たすと、かねてより義昭、信長と誼を通じていた久秀が再び勢力を盛り返して三好三人衆は阿波へ逃亡。 信長によって義昭への帰参を認められなかった順慶は、信長の援軍を受ける久秀によって再び筒井城を奪われ、東山中へと逼塞を…