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熊野社
(
一般
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【
くまのしゃ
】
→熊野神社
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owari-oyajiの放浪記•2ヶ月前
「熊野社」名古屋市中村区権現通名古屋市中村区権現通に鎮座する熊野社。前回掲載した神徳稲荷神社から南東に400㍍、徒歩で5分程の距離になり、鎮座地の権現通も熊野権現に由来するものです。鎮座地は名古屋駅から直線距離で南西1㌖程の住宅が広がる地域に鎮座します。住宅地にありながら、この日巡ってきた神社と比較するととても開放感があります。この開放感は社頭南側の米野公園が大きく貢献しているようです。土が露わになり、風の通りを遮る建物がないので熊野社の社叢は風が良く通り、外回りの仕事に従事する人には癒しの場になっています。また、熊野社は先に掲載した西米野町の若宮八幡社とは深い関わりがあります。そのあたり、境内の由緒の所で記載します。 熊…
#熊野社#名古屋市中村区権現通#米野公園#若宮八幡社#子安社
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owari-oyajiの放浪記•3年前
長久手市「大草城址、永見寺、熊野社」長久手市杁ノ洞。長久手市東部に位置し、南に矢田川支流香流川が流れ田畑が多く残り、丘陵地にも広がっている。 ここから少し東には愛地球博記念公園があり、西には秀吉勢と家康勢が刃を交えた長久手古戦場も近い、一帯には合戦に纏わる史跡や言い伝えが残る。今回訪れた永見寺、熊野社も合戦とは無縁ではないようです。 鎮座地は長久手市杁ノ洞集落の北外れにあたり、右の地図で見てもらうと、香流川右岸沿いの集落から北に丘陵地が続くその高みに鎮座している。左の明治24年頃と比べても劇的な変化はないように見えますが、少し引いて見ると田んぼや畑は随分と減り開発が進んでいる。小さかった頃の香流川は水質が悪く、このあたりまで来な…
#長久手市大草城址#永見寺#熊野社
owari-oyajiの放浪記•3年前
「熊野社」 名古屋市守山区大永寺町名古屋市守山区大永寺町「熊野社」町名の由来はここから少し西に鎮座する曹洞宗の寺院「寿昌山大永寺」から来ている。山門脇の枝垂れ桜が綺麗な寺でこれからの時期楽しみな場所。 熊野社は大永寺から徒歩で2分程東に鎮座し、直ぐ東にゆとりーとラインの高架が聳え立つ。過去に何度か訪れていますが、「熊野社」単独で取り上げていなかったようなので今回の再訪となりました。 上は明治初めの当地とほぼ現在の地図の比較。ゆとりーとライン川宮駅から南西5分程に鎮座し、南北に長い社地に二城消防団詰所、大永寺公民館、天王社が区画を共にし、この町のコミュニティーの中心。 熊野社社頭全景。消防団詰所の存在感が大きいけれど、その奥に杜…
#名古屋市守山区#熊野社#天王社
蓼科高原日記•2日前
京都(2)―清水寺・伏見稲荷大社京都では「サンチャゴゲストハウス京都」に泊まった。 ここもカプセルホテル形式の二段に並んだベッドが寝場所で、飲食などは共用スペースで行うスタイルである。 さすがに京都と言うべきか、夜に観光から戻るとその共用スペースには数多の外国人の姿が見られ、以後シャワーやトイレを利用しに降りた際目にした状況も変わらなかった。 しかし翌朝、例によってあまり眠れないまま五時に起きて朝食を摂る間はずっと誰も現れなかった。 先に書いた通り、今般の京都では無料で拝観できる寺社へ訪れるのを基本方針としたが、無論これに徒に拘る必要も積もりもない。 そこで、宿のある五条坂から徒歩で簡単に行け、しかも朝六時に開門される清水寺…
のりりんの京都日和•13日前
愛宕山・その2愛宕神社は全国の900もの愛宕社の総本宮です。 およそ1300年前、大宝年間に修験道の祖・役行者と白山の開祖・泰澄によって神廟が築かれたのがはじまりです。 その後平安建都の少し前に和気清麻呂がこの地に白雲寺を建立、愛宕大権現として国家鎮護の道場になりました。 和気清麻呂は平安建都を計画立案した人物として京都では様々な神社仏閣に祀られています。 京都御所の西側に鎮座する護王神社や愛宕山の東側、高雄の神護寺などが代表的。 護王神社は狛犬ならぬ狛イノシシで有名ですが、そういや愛宕神社の境内にもイノシシの絵やレリーフなんかがあちこちにありますね。 神社への最後の石段の手前に何やらかいてあります。 なに…
長久手市郷土史研究会•1ヶ月前
長久手市の伝統祭事、警固祭りが10月13日に上郷地区で繰り広げられました。長久手市の伝統祭事、警固祭りが10月13日上郷地区で繰り広げられ、ことしの五穀豊穣を氏神様に感謝しました。本会の会員有志もそろって見学し、祭りに対する理解を深めました。 警固祭りは上郷地区のほか岩作、長湫の3地区が3年に1度ずつ持ち回りで開催しており、今年は上郷地区の番。上郷地区ではコロナ禍も重なり、7年ぶりの開催とあって盛り上がりました。 「エイサ!」「ホイサ!」 青空が広がる絶好の祭り日和。豊作を意味する掛け声とともに、代表祭事を先頭に杖つき、鉄砲隊、棒隊、神馬の隊列など総勢240人余りが地域を練り歩きました。本会の会員たちは警固祭りに詳しい川本勝幸さんの解説を聞き、温泉施設「ござらっせ」…
京急library•1ヶ月前
六浦駅は内陸なのに海辺を表す「浦」が付いてる・・・なんで?引用:Google Map 今回は逗子線、六浦駅をてきとーに紹介してゆきます。 海から離れてるのに、なぜ海を表す「浦」が付いているのか。 開業の歴史的な背景とか、周辺情報も。 この記事の内容 六浦駅も軍と切り離せない歴史だった 六浦駅になぜ海岸と言う意味の「浦」が付いてるのか 六浦駅エリアにあるオススメスポット。神社と洋食店 逗子線 神武寺>> 六浦駅は仮駅から始まった。また帝国軍か 引用:Google Map 六浦駅は1934年2月15日に開業しました。 この時期は関東の私鉄が統合されていた時代です。 海軍関係者の専用駅として開業 名称は「六浦荘仮駅」 今よりも500m西にあった 三浦半島は…
owari-oyajiの放浪記•1ヶ月前
中村区太閤2 『白山神社』9月19日、久し振りに駅西エリアを訪れる機会があり、前回8月2日に回り切れなかった中村区南部の神社を巡拝してきました。 今回は、近鉄名古屋駅から近鉄名古屋本線沿いに1㌔程南下した中村区太閤2に鎮座する白山神社を取り上げます。 名古屋駅から徒歩15分の距離にありますが、近鉄に乗り米野駅で降車すれば北に5分程と近い。 待つくらいなら歩いたほうがいい、そんな事だから敬老パスの更新費も回収した試しがない。上の地図は明治31年とほぼ現在の地図の比較。 鎮座地の中村区太閤2周辺は、明治22年周辺の日置村、牧野村、平野村、米野村、露橋村、北一色村が合併した笈瀬村の一部で、合併以前は米野村平池集落の一部でした…
寺社探訪•2ヶ月前
阿豆佐味天神社阿豆佐味天神社 目次 名称・旧社格 創建 御祭神 みどころ アクセス 探訪レポート 名称・旧社格 阿豆佐味天神社(あづさみてんじんしゃ)と称します。社格は郷社で。武蔵国多摩郡で延喜式神名帳に記載されている多摩八座のひとつです。 創建 寛平4年(892年)に高望王によって創建されました。 御祭神 少彦名命(すくなひこなのみこと) 素戔嗚尊(すさのおのみこと) 大己貴命(おおなむちのみこと) みどころ 狭山丘陵を背にした歴史ある神社です。平日は非常に静かで、穏やかな気持ちになれます。 アクセス 東京都西多摩郡瑞穂町殿ヶ谷宮前1008 JR八高線「箱根ヶ崎」下車 バス+徒歩で20分 探訪レポート ひ…
あとりのやっぱり○○が好き❤•2ヶ月前
京都、伏見、『御香宮神社』に行ってきました。こんにちは、あとりです♥️ 京都、伏見、『御香宮神社』に行ってきました。(24年9月6日) 『御香宮神社』は、近鉄桃山御陵前駅から徒歩約4分、京阪伏見桃山駅から徒歩約6分です。 【表門(重要文化財)】 伏見城の大手門を移築したものです。 表門の蟇股(かえるまた)の彫刻が目を引きました。 中国の二十四考です。 【伏見義民事蹟】 「伏見義民事蹟」の狛犬が大きくて、びっくりするくらい迫力がありました❗ 【大杉社】 【桃山天満宮】 こちらは帰りに寄ったので、のちにくわしく書きます。 【東の鳥居】 境内の外に面した、東側にある鳥居です。 【明治維新伏見の戦跡碑】 慶應4年(1968年)、「鳥羽伏見の戦い…
owari-oyajiの放浪記•2ヶ月前
「若宮八幡社」名古屋市中村区西米野町若宮八幡社と社名だけ聞くと中区栄に鎮座する名古屋総鎮守 若宮八幡社がすぐに思い浮かびますが、今回の若宮八幡社は中村区西米野町、駅西に鎮座する若宮八幡社。 上は明治31年当時とほぼ現在の笈瀬村大字米野。一面に田畑が広がる中に、東西に柳街道が続き街道沿いを中心に米野、牧野集落があります。若宮八幡社の鎮座地は赤枠部分にあたり、当時は田畑以外になにもない。かつては薦野郷と呼ばれ、笈瀬川の右岸、現在の地下鉄桜通線太閤通駅から西側を西米野、近鉄米野駅西側の下米野、太閤通駅の東に上米野があり、鉄道用地の米野が残っている。現在の米野の由来は定かではなく、薦野が転じたものか、一面の稲から付いたものかよくわからな…
新緑のこもれび•3ヶ月前
脇道が楽しい奥武蔵野ハイキング2024年8月22日 曇り 先日、北向き地蔵から稜線南の中腹の道で戻る途中に、小瀬名付近で立派な馬頭観音の石碑に驚いた。ここは西川材の産地の一角、馬を使って運搬していたのだろうか。こんなに立派な石碑があるのだから、この道は昔の主要道かもしれない。国土地理院の旧図で確認して古痕跡を求めて歩いてみた。 駒高ロータリーから安洲寺前を下ってゆくと入り口の分岐 最終民家先から道が細くなり始める 沢沿いの道はよく手入れされている(右は畑) 山道になるがコンクリートで舗装されている 黒尾根分岐(舗装はここまで) 駒高からイボ石までの道は1,980年(昭和55年)以前の地図(1973年)には道がないので、比較…
sannigoのアラ還日記•4ヶ月前
徳川家康にゆかりの『石座(いわくら)神社』を訪ね、古代の磐座が起源という由緒と神々を知るこんにちは sannigo(さんご)です。いつもありがとうございます。 今回は徳川家康にゆかりもあり、古代の磐座が起源とされる愛知県新城市にある『石座(いわくら)神社』です。天の中心に存在するという『天之御中主尊』、穀物神として『天稚彦命』を祀っています。
owari-oyajiの放浪記•4ヶ月前
意宇六社 #2 『神魂(かもす)神社』先に掲載した志田備神社から、意宇六社2社目となる『神魂(かもす)神社』に向かいます。西岩坂農道を東に向かい、国道432号線で左折、しばらく直進し県道248号線に入り、ひたすら直進すると三叉路で突き当りになります、その前が神魂神社になります。三叉路の左に無料駐車場が用意されています。移動時間は約15分程、距離は約6.6㌔。 鎮座地は室山の北嶺に位置し、ここから北は松江平野が広がっています。 この辺り一帯は出雲国造館跡推定地とされ、古くから開けた地域で古墳群や古代寺院の遺跡など見所が多い。 駐車場から少し下った先にある一ノ鳥居へ向かいます。 ここから社殿に向かいます。鳥居は木造の両部鳥居で、ここか…
ovanの社会科見学•4ヶ月前
2024/07/17 五ノ神社覆殿幣殿改築記念碑 今を遡ること千数百年前 武蔵野台地の一隅に一集落あり、いつの頃からかそれを五神村と呼ぶ やがて民の心の拠り所鎮守の社を建つ 起こりは数戸やがて十八戸となり江戸時代中期には二十戸 明治初年二十四戸 昭和二十年代には五十戸を数え平成に及ぶ五神社はその昔熊野宮と稱す 創建以来幾星霜 先人達に護られて参りし覆殿堂殿幣殿を古来より五ノ神に住せる二十四名の現当主相計りこれを 改築せんとし工事費を寄進せり 時恰も伊勢神宮第六二回式年遷宮の造営中にして時宜と得たり 願わくは幾久しく社頭の益々の弥栄を乞う 五ノ神社本殿 創建は推古天皇九年(601)とつたえられる古社で、宝亀(ほうき)年間(7…
セキホツ熊の謎を追え!•4ヶ月前
石見安曇族と柿本人麻呂と、水底の女神・速佐須良姫を結ぶ『鴨山×鴨川レイライン』①和歌山県和歌山市和歌浦『塩竈神社』、和歌の聖地『玉津島神社』の祓所として、塩槌翁尊と祓戸大神四座を祀る。 2024,7,14 景勝地の和歌山玉津島にて、祭祀と和歌に関心をもった。 和歌には日本の隠された歴史が眠っているのではないか?と、そんなインスピレーションを得た。そのあと書店で梅原猛著『水底の歌』という本を購入した。しかしかなりブ厚い上下巻なので、読むのに結構手間取ってしまった(まだ途中です)。 当記事は柿本人麻呂死亡比定地から始まる、鴨山と安曇族和邇氏祖神『いつき三女神』のレイライン考察。一回目は彼が安曇族である証明?と、中国地方の歴史的背景をまとめてみた。 (´(ェ)`) ~目次~ 有…
owari-oyajiの放浪記•4ヶ月前
豊田市加納町下大坪 『稲荷神社』舞木町八柱神社から今回紹介する下大坪稲荷神社へは、籠川上流を車で5分程の加納町下大坪地内に鎮座します。 鎮座地は猿投山南麗の加納川と籠川に挟まれた丘陵地の裾にあたり、南の矢作川にかけて広がる扇状地。江戸時代は加茂郡加納村で、明治になって西加茂郡に編入、その後広沢村大字加納、猿投村大字加納、猿投町大字加納を経て、1967年豊田市大字加納、1970年に現在の豊田市加納町となる。 加納駐在所から見た稲荷神社社頭。明治時代の加納集落の北外れに位置し、右手に大正6年に(1917)に寄進された村社稲荷神社の社号標があります。後方に太い幹の楠木が聳えています、以前はここから参道が続いたようです。 一ノ鳥居は…