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天王社
(
一般
)
【
てんのうしゃ
】
→天王神社
→津島信仰
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owari-oyajiの放浪記•1ヶ月前
中村区太閤4『天王社』金山神社から北へ10分程の中村区太閤4に鎮座する天王社。今回はこちらを掲載します。最初に、当社について地史を調べた結果由来・創建時期について情報が得られず、現地で見た事しか記載できない事を了承願います。 この地図は明治31年当時(左)とほぼ現在の地図の比較になります。茶色の線は柳街道、水色の線が笈瀬川を示しています。鎮座地は当時の笈瀬村米野集落のひとつで、柳街道の一本南の通りに鎮座しています。この天王社Gマップには天王社として表記されます、現地に行くと天照皇御大神、熱田皇御大神、須佐之男大神、加具土大神、水大神の石標。それとは別に「白玉龍神」単独で二つの石標が立てられており、天王社としての表記…
#名古屋市中村区太閤#天王社#法泉寺#智興寺#白玉龍神#地蔵堂#福田兼助の碑
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9ブックマーク大六天王社「栃木県真岡市東郷」tabikaz.com
9ブックマーク牛頭天王社「栃木県真岡市東郷」tabikaz.com
9ブックマーク牛頭(ごず)天王社の仁王像と手水鉢 大分県国東市国東町原 - 日々の”楽しい”をみつけるブログwww.ku-hibino.com
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owari-oyajiの放浪記•2ヶ月前
尾張旭市西山町『天王社』いつか息子たちに譲ろうと長年所有してきた2台の車。しかし、息子たちには車を所有する気もなく、軽自動車が5回目の車検を迎えることになりました。これを機会に我家の車を一台にするため、問題児の軽自動車を手放す事にしました。車の下取りのやり取りや、新車商談については機会を見て独り言で紹介するとして、その買い取り先が四軒屋だったので、引き渡しを済ませ、最寄りの引山バス停まで歩くことにしました。尾張旭市西山町の西山公園の東で天王社を見つけたので、今回はそちらを掲載します。 尾張旭市西山町、この所在地表示の北側が天王社の鎮座地になります。 上は大正9年(1920)の尾張旭市西山町界隈と現在の比較になります。…
#尾張旭市西山町#天王社#西山公園
令和江戸mikoshiba•1年前
東京新宿四谷須賀神社例大祭
#須賀神社例大祭#四谷#新宿区#須賀神社#天王社#江戸神輿同好会#稲荷大神#神輿#丸ノ内線
owari-oyajiの放浪記•2年前
天王社 (春日井市大泉寺町)春日井市大泉寺町で見かけた「御嶽神社」に参拝させてもらいました。 今回はその道すがらで見かけた「天王社」を掲載します。名古屋から車だと国道19号線「春日井インター東」で豊田・瀬戸方向に右折、国道155号線を東進します。 目的地「天王社」は「大泉寺町」交差点の南角に鎮座しています。 交差する通りは下街道でセンターラインのない対面通行の細い道です。その下街道に入るためこの交差点で左折したのですが、その際角っこに覆屋を見かけ日を改めて訪れてきました。 大泉寺町交差点角に鎮座する「天王社」全景。 右手の道路は155号線「春日井インター東」、手前の通りが下街道で二つが交わる辻にあたります。覆屋の左に隣…
#春日井市大泉寺町#天王社#下街道
owari-oyajiの放浪記•2年前
名古屋市中村区名駅5 『天王社』名古屋市中村区名駅5 天王社 名古屋の玄関、名古屋駅から地下鉄桜通線に乗り一駅先の「国際センター」駅で降車、3番出口から地上に出る。 そこは桜通りと江川線が交差する泥江(ひじえ)町交差点。今回訪れる天王社はここから南の1ブロック先を左に入ると鳥居が見えてくる。徒歩1~2分で辿り着く。江川線沿いは花車ビルをはじめオフィスビルが林立し、上を見上げると名古屋高速の高架が空を覆い視界の狭い空間が広がり、偉大なる田舎と呼ばれた名古屋も息の詰まる都会になってきた。 上は明治頃の名駅5付近とほぼ現在の地図を並べて見ました。 中央の堀川を境にして右と左で町割は見事に違う。名古屋城を中心とした当初の町割と後に発…
#名古屋市中村区#天王社#紅葉狩車山車蔵
owari-oyajiの放浪記•3年前
「天王社」 守山区高島町守山区高島町 天王社 高島町公園北西角の交差点角地に鎮座する天王社。一帯は静かな住宅地ですが、南向いに公園があるため開放感が漂う。 庄内川左岸堤防から南1㌔の範囲に天王社だけでも8社が祀られています。明治の頃の地図で見るとほぼ集落毎に祀られているのが分かります。当時の集落で大森垣外地区、現在の村合町では見かけた事がない。この辺りの通り、もう少し歩いて見る必要がありそうだが、ひとまずこのエリアに鎮座する天王社は参拝した気になっておこう。 高島町の天王社を公園から眺める。民家一軒ぐらい建ちそうな社地を与えられ、切妻瓦葺の拝殿?とその先に赤い社が祀られている。 大きな樹は聳えていないが、綺麗に剪定さ…
#名古屋市守山区#天王社#高島町天王社
owari-oyajiの放浪記•3年前
「熊野社」 名古屋市守山区大永寺町名古屋市守山区大永寺町「熊野社」町名の由来はここから少し西に鎮座する曹洞宗の寺院「寿昌山大永寺」から来ている。山門脇の枝垂れ桜が綺麗な寺でこれからの時期楽しみな場所。 熊野社は大永寺から徒歩で2分程東に鎮座し、直ぐ東にゆとりーとラインの高架が聳え立つ。過去に何度か訪れていますが、「熊野社」単独で取り上げていなかったようなので今回の再訪となりました。 上は明治初めの当地とほぼ現在の地図の比較。ゆとりーとライン川宮駅から南西5分程に鎮座し、南北に長い社地に二城消防団詰所、大永寺公民館、天王社が区画を共にし、この町のコミュニティーの中心。 熊野社社頭全景。消防団詰所の存在感が大きいけれど、その奥に杜…
#名古屋市守山区#熊野社#天王社
owari-oyajiの放浪記•3年前
守山区川北町「天王社と不明社」守山区川北町市内から庄内川を越え春日井にアクセスする松川橋。夕陽の庄内川を撮りに堤防に出る一心でゆとりーとライン「川村」駅から堤防に向かって歩いていました。道は堤防で行き止まり、何気に右手に瓦葺の建物が視界に入ってきました。以前からこの辺りに神社はない認識でいましたが、意外にもそこで神社を見付けました。 いつから鎮座するのか過去(明治)の地図を見るも記されていなかった。当時は川村の中で庄内川に最も近い集落、1978年守山区大字北・大字大森垣外の一部から川北町として成立したようです。地図で云えばゆとりーとライン「川村」駅から県道30号線を越え、堤防に向かう住宅街の交差点角になります。色々と調べて…
#名古屋市守山区#天王社
owari-oyajiの放浪記•3年前
天王社 春日井市柏木町国道19号線で春日井方面へ大和通り2丁目交差点を左折、県道62号線に入ります。神社のある徳農公園前交差点まではものの1~2分程。そのまま直進すると稲置街道に続きます。 近所にコインパーキングはありません、車の場合は駐車場所に困る事に。自分は近所の飲食店を利用し、少し停めさせてもらいました。 徳農公園前交差点から見る神社全景。県道62号線沿いに鎮座し、県道を挟んで向かいに徳能公園があります。この神社が「天王社」なのか社標もないので自信はありませんが、ここはグーグル先生の教えに従い以降は天王社とします。 この「天王社」が鎮座する町名が神明町という事が少し気になります。上は1920年頃の当地、春日井…
#春日井市柏木町#天王社
owari-oyajiの放浪記•4年前
名古屋市守山区新守山 「天王社今年も何処にも出かけられないGWとなりました。人の集まる場所を避け、自発的な個の選択、それも息苦しくなってくる。運動不足の解消と外気を吸いにJR中央線沿いを歩いている、前回は大曽根付近まで来て雨となり途中で引き返していました。心がけが悪い様で天気が安定しない。今日も晴れてはいるが黒い雲が漂う怪しい天気。今回は大曽根から山田天満宮を左に見て矢田川を渡った下街道と中央線の間に位置する新守山方向を歩いてきました。 国道19号線沿いに矢田川に架かる天神橋を渡り右の堤防道路を進み、堤防下に下りて一筋目を左に進んだあたり、守山区新守山、旧町名だと馬場で見かけた光景。周辺は民家が立ち並ぶ一画、地域のお花畑で…
#名古屋市守山区#天王社
sogensyookuのブログ•13日前
栗渓神社 太閤ヶ平から鳥取市栗谷町に下りる登山道を歩くと、谷間の集落即ち栗谷町に至る。 この栗谷町に鎮座するのが、栗渓(くりたに)神社である。 栗渓神社 一の鳥居 この神社の創建は、貞観年間(859~877年)とされている。 因幡国内に悪疫が流行した時に、鎮疫の神様として著名だった播磨国廣峯神社の牛頭天王の分霊を勧請したのが栗渓神社の始まりとされている。 今となっては、廣峯神社は全国的に有名な神社というわけではないが、この当時は廣峯神社の信仰はかなり広がっていたようだ。 境内への石段 二の鳥居 播州人である私は、身近にある廣峯神社がかつて全国的な信仰を集めていたことを知って嬉しくなる。 一の鳥居を過ぎて…
owari-oyajiの放浪記•1ヶ月前
中村区中村本町 『石神社』まだまた暑かった9月19日、笈瀬村米野、牧野、下中村周辺の神社巡りもここ石神社で一旦終わりとなります。 石神社社頭から東の名駅ビル群の眺め。前回の下中八幡宮から東へ5分程、住宅地の中の二本の御神木の聳える場所が石神社になります。 上は明治31年の地図とほぼ現在の地図の比較、赤枠が石神社の鎮座地で、左下の下中八幡宮とは僅か5分程の距離にあります。明治東島地図から見ると、鎮座地は柳街道から分かれて下中集落に繋がる道筋の入口側に位置しています。 社頭には提灯櫓、明神鳥居を構え、社殿と社務所が主な建物。境内の二本の御神木のうち、大きな松の樹が印象に残ります。 社頭の解説と石神社社標。解説の内容は以下で…
owari-oyajiの放浪記•1ヶ月前
中村区押木田町『下中八幡宮』前回掲載した日之宮町の日之宮神社から北へ10分ほど先の押木田公園に向かいます。今回はこの公園の東側に鎮座する下中八幡宮を取り上げます。 押木田公園と下中八幡宮社頭全景。昭和24年に整備された広々とした明るい印象の公園ですが、過去にはあまり良くない出来事があり、個人的に記憶に残っている公園です。下中八幡宮は押木田公園の南東角に社頭を構えています。 上は明治31年当時と現在の地図の比較です。明治時代の地図では、下中村集落を取り囲むように広がる水田が見られ、鎮座地は集落の中央の西側に位置しています。日乃宮神社でも触れたように、中村区は豊臣秀吉の生誕地とされ、当時は上中村、中中村、下中村に分かれており…
owari-oyajiの放浪記•1ヶ月前
中村区日ノ宮町『日之宮神社』中村区日ノ宮町「日之宮神社」前回の太閤4の天王社から次の目的地日之宮神社までは、20分程西の日吉公園に向かいます。鎮座地の所在地は日ノ宮町、明治22年以前は愛知郡下中に属し、後の昭和14年(1939)誕生した日ノ宮町に編入された地域。日ノ宮とはどことなくありがたい地名ですが、由来はここ日之宮神社からきていると思われます。 日吉公園南側から日之宮神社社叢の眺め。公園の東側が社地で、公園南側に社頭を構えています。 社頭全景。石の神明鳥居の脇に「日之宮」の社標があり、右に解説板が掲げられています。 名古屋市教育委員会「日吉丸生母祈願の跡」解説。「日の宮神社は、もと日吉権現といわれ、豊臣秀吉の母大政所…
10月うさぎの部屋•1ヶ月前
うさぎの気まぐれ旅行記 名古屋 大須観音編両親が名古屋旅行に行くらしい。 そこで名古屋城と大須観音に訪れることを検討しているようなので、1年前の話ではあるが旅行記をまとめてみようと思う。 今回は大須観音とその周辺をめぐった話について書いていく。 1.大須観音 2.真宗大谷派名古屋別院 3.万松寺 4.三輪神社 1.大須観音 大須観音駅2番出口から南に進むとすぐに大須観音がある。 大須観音 大須観音は「真福寺」ともいい、正式名称は「北野山真福寺宝生院」という。 建久年間(1190~1199年)に尾張国中島郡大須庄(現在の岐阜県羽島市)に観音堂がたてられたことにはじまる。 その後、元亨(げんこう)4年に観音堂は北野社の神宮寺となり、宝生坊…
10月うさぎの部屋•1ヶ月前
うさぎの気まぐれ旅行記 名古屋 名古屋城編両親が名古屋旅行に行くらしい。 そこで名古屋城と大須観音に訪れることを検討しているようなので、1年前の話ではあるが旅行記をまとめてみようと思う。 今回は名古屋城とその周辺をめぐった話について書いていく。 1.名古屋市役所・愛知県庁 2.名古屋東照宮・那古野神社 3.名古屋城 1.名古屋市役所・愛知県庁 10時頃新幹線に乗ったので名古屋城駅に降り立ったのは14時頃だった。 3番出口から出てまず目につくのが名古屋市庁舎だ。 名古屋市庁舎 名古屋市庁舎は昭和天皇即位の記念事業としてたてられたものである。 名古屋市庁舎の外観設計は公募で選ばれたもので、一部修正して昭和6年(1931年)に着工された。 …
ものづくりとことだまの国•2ヶ月前
東西に並ぶ「ひめさま=下照姫」のお社(Ⅰ)【比賣許曽神社/比売古曽神社】大阪市内 #上町台地 周辺に「ひめこそ」の名の神社史跡が三か所。「こそ(許曽、古曽)」は尊称で、今風に言うと「ひめさま」になるでしょうか。いずれも出雲の #下照姫 を祀る社ということになります 目次 大阪市内「ひめこそ」の神社・史跡 高津宮境内の比売古曽神社(中央区高津) 産湯稲荷神社の比賣許曽神社跡(天王寺区小橋町) 比賣許曽神社(東成区東小橋) 本文 大阪市内「ひめこそ」の神社・史跡 大阪市内の上町周辺には「ひめこそ」の名の神社史跡が三か所あります。 大阪市内の「ひめこそ」(比賣許曽・比売古曽)史跡・神社 ・高津宮(こうづのみや)境内の比売古曽神社(中央区高津、こうづ) ・産湯稲荷神社の比…
文ちゃんのページ•2ヶ月前
9月のわくわく図書館と古文書「食べ物から見る現代社会」の最終回 レクチャーは無しで、一人一人感想や思いを語り合った。これもなかなか良い。首都旅行の体験談も出て面白かった。私は「高鷲郷土料理新聞」を紹介した。 文書の整理をしている。鮎走白山神社の文書の翻刻を開始。慶応4年のものとわかる。 太政官から神社の祭神を改めよという高札が出たらしい。 西洞では「白山大権現」⇨「白山大神」と変えている。つまり本地垂迹から神へと変えた。祭神はイザナミ・オオナムチ之命・・・郡中のそれぞれの村の祭神が書いてあって面白い。それにしてもこんな命令はさぞかし迷惑だっただろう。 東白川村の「廃仏毀釈」 | アーカイブス | 概要 - 東白川村 ht…
owari-oyajiの放浪記•2ヶ月前
山口街道沿いの道標仏と三十三観音堂(名古屋市守山区森孝3)名古屋市守山区森孝3「三十三観音堂と道標仏」前回の天王社から7分程西に向かった山口街道沿いに鎮座します。 幅員の狭い交差点の南東角に鎮座する三十三観音堂全景。左の道を直進し、東名高速をくぐってしばらく行けば天王社が鎮座する西山町に至ります。 この辺り、明治頃は東春日井郡大森村大字森孝新田で、昭和に入り守山市大字森孝新田、昭和38年に名古屋市に編入された地域で、矢田川左岸沿いは一面田んぼの広がる地域でした。昭和に入り急速に宅地化が進み、それとともに田畑も減少し、今ではあまり見かけなくなりました。 交差点から見た三十三観音堂。左の小さな覆屋と観音堂が西向きに連なり、右手の建物も観音堂のお務めするた…
日本全国いい旅navi•2ヶ月前
第29回「 炎の祭典~霜月炎の舞~」日本の伝統文化を楽しむ花火の祭典ランキング参加中国内旅行 「炎の祭典~霜月炎の舞~」は愛知県豊橋市で行われる手筒花火の祭典。手筒花火を中心に、網火、台物や打ち上げ花火も交えた多彩な花火を楽しめます。 第29回「 炎の祭典~霜月炎の舞~」 東三河地域の伝承・伝統文化である手筒花火を貴重な観光資源として活用して、地域活性化に繋げることを目的に豊橋市制施行90周年記念事業としてスタートしました。1996年にスタートして、2024年は29回目となります。 現在では東三河の一大イベントとして、また豊橋の秋の風物詩としてすっかり定着しています。 手筒花火の20本余一斉放揚は、この祭典ならではの揚げ方で、秋の夜空に豪快に吹き出す火柱と降り…
甲信寺社宝鑑•2ヶ月前
【春日井市】内々神社今回は愛知県春日井市の内々神社(うつつ-)について。 内々神社は市北部の内津町地区の山際に鎮座しています。 創建は不明。『延喜式』に記載された式内社であり、平安時代には確立されていたようです。平安から鎌倉にかけての沿革は不明ですが、創建以来、当地の総鎮守として近隣の住人や武家の崇敬を集めました。室町前期には、同市の密蔵院を開いた慈妙によって当社境内に神宮寺(内津妙見寺)が開かれ、幕末まで妙見宮と呼ばれました。 現在の境内は江戸後期に整備されたものと思われます。内々神社の東側には内津妙見寺が並立し、神仏習合の時代のおもかげが色濃く残ります。境内北側には禅宗寺院風の庭園があり、伝承によると夢窓疎石…
sirotandaisuki’s diary•2ヶ月前
日野市八坂神社にお参り⛩️🍡久々のお参りブログです☺️ 今回は東京都日野市にある八坂神社に行ってきました 昔、幕末史にはまっていたので、 新選組の縁の神社ということでワクワクです☺️ 伝説によると、600年以上の歴史を持つ神社で、 多摩川の淵から拾い上げられた牛頭天王像を勧請し祠を建てたのが八坂神社の始まりといわれています。本殿は寛政12年(1800)に建造されたもので、 精巧な彫刻が組み込まれた江戸後期を代表する神社建築として日野市指定重要文化財に指定されています。 そして明治2年(1869)、それまで300年余りの間日野宿の人たちに「天王さま」と呼んで親しんできた牛頭天王社が 明治維新政府の神仏分離によって別当であっ…
歴史と世界•3ヶ月前
民族意識と社会の多様性はじめに 日本の海岸線はどのように変化してきたのでしょうか。また、現在の郷土は昔どうだったのでしょうか。 私は名古屋市に住んでおり、70歳代になりますが、これまで住所が名古屋市以外になったことがありません。リタイアした今、さまざまなことを調べてみると、名古屋の地名には海と関係するものが非常に多いことに気づきました。例えば、鳴海や星崎といった地名は現在、海から約3キロ内陸にあります。また、副都心の金山橋のすぐ南東側にある熱田区波寄町や、中区の洲崎神社(廣井天王社)、名古屋駅南の水主町なども、海と深い関わりがある地名です。『水主』は水夫、つまり船乗りを意味しており、海との関連性が高いと考えられます…