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白鳥八郎

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赤生津・安部氏の出自を尋ねて4年前

白鳥八郎の血を継ぐ白鳥舘・東舘城主東磐井郡史には、白鳥八郎の後裔に白鳥民部少輔、そして天正の奥州仕置により没落後は、赤生津宿屋敷つまり大石家に血が引き継がれるとある。大石家の墓石にはこの覚書が記されていた。 また、葛西研究によると安部と大石家は同族関係とみられている。 〇大石家の墓石に刻まれた家譜 大石家の覚之事 家譜と書状を史実に検証して 大石家の者、清和天皇後裔胤、源氏也。源八幡太郎義家の孫新田義重の子義國(範)が山名を名乗り、四代目の山名駿河守義信が赤生津の初代也。義信は、奥州平泉藤原氏に仕え衣川守護役、東磐井郡赤生津居城し、知行二千二百貫也。文治五年間(1189年)四月、衣川合戦、源義経公万也。合戦敗北、以後津軽行岡に…

#白鳥八郎#大石家#白鳥舘#東舘

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赤生津・安部氏の出自を尋ねて4年前

赤生津安部の家譜書き写し赤生津安部17代夘助氏が昭和45年に亡くたった時、県外在住の子が書き写した家譜と思われるもの。兄弟によって若干の考察が書き加えられている。初代十良左衛門の史ではなく、先祖の由緒と推察する。この系図には、葛西氏家臣家譜の一関赤萩の安部小次郎のいわれがない。 大石家の白鳥の由来や、一関赤萩の由来に共通しているのは、八幡太郎と戦い、津軽に逃げる点である。また、大石家の場合は、白鳥少輔の源氏側の血筋を強調している。奥州討伐から逃れるためであろうか。安倍氏側の血筋を主張しているのは当然安部であるが、迫害を受けてきたにちがいないと推察する。この由緒には奥州仕置きが書かれていない。別の兄弟の書き写しには、葛…

#系図#安倍一族#安部小次郎#安部十郎左衛門#白鳥八郎

赤生津・安部氏の出自を尋ねて7ヶ月前

赤生津七軒 畑屋敷(安部家)「十郎左衛門を祖とする安部家がある(20代続く)。【二】の安部家との関係は不明 ? 【二】磐井郡赤荻安部家(一関市) 祖の安部外記之介は、天正15年の本吉郡(宮城県)志津川城主元吉大膳大夫と気仙郡浜田城(陸前高田市)城主浜田安房守広綱の対立による争乱に際し、調停者として活躍し葛西晴信から胆沢郡赤生津村(前沢町)地内に五千苅の地を給与される。【一】の末裔と伝える。 赤荻安部家(阿部家)には、鎧や外記之介墓石などがある。 【一】古代末期、陸奥国北部に威勢を振るった在地豪族安倍氏 衣河関を本拠とし、(頼義の)嫡子貞任を岩手郡厨川柵に、三男宗任を胆沢郡鳥海柵(金ケ崎町)に配し奥六郡を事実上支配した。 …