「世の中は 常にもがもな 渚漕ぐ」 鎌倉右大臣 非業の死をとげる第三代将軍 (original) (raw)
百人一首第93番目の歌の作者は鎌倉右大臣かまくらのうだいじんです。
今回は鎌倉右大臣について紹介します。
鎌倉右大臣とは
生年1192年、没年1219年。
鶴岡八幡宮参拝の帰路のこと。
まだ28歳でした。
鎌倉幕府はこの後、将軍を京都から迎え、政治体制は執権家の北条氏を中心としたものになっていきます。
源氏の血筋に連なる者が将軍となるのは、このずっと後、室町幕府と呼ばれる政治体制を確立した足利尊氏のときのこと。
源実朝の刺殺事件は、鎌倉幕府の体制が決まっていくきっかけになっているようです。
百人一首に選ばれている歌は、実朝が実際に見た光景を題材にしているもの。
鎌倉の浜辺に立ち、漁師の漕ぐ小舟を見ています。
そして「世の中が常に変わらないものであって欲しい」という願いを抱きます。
「小舟の綱手」とは、船の舳先に結びつけている綱。
それは、舟を引くためのものではありますが、舟と陸地をつなぐものでもあります。
実朝はそこに、安定したところから離れてしまっていても、その綱があれば引き戻せるような、心の拠り所になるものを見ていたのかもしれません。
時代背景
百人一首の80番代、90番代は源平の争いから鎌倉幕府の成立、その後の承久の乱までの動乱の時代の中心、あるいは中心近くにいた人々の歌が続きます。
源実朝の死は、その後、北条執権を中心とした鎌倉幕府体制の確立のきっかけとなったものといえるでしょう。
ちなみに四代将軍(藤原)頼経は鳥羽天皇の関白だった藤原忠通の家系の人です。
藤原忠通は、鳥羽、崇徳、近衛、後白河の頃も関白、摂政を務めます。
いわば京の政治の中心にいた家系から迎えられた将軍でした。
五代将軍は、その子供の(藤原)頼嗣。
この二人の後は、後嵯峨天皇の子孫らが将軍として迎えられ、九代まで続きます。
ご参考まで。
百人一首の歌
歌:世の中は 常にもがもな 渚漕ぐ 海人の小舟の 綱手かなしも
歌の意味:世の中は常なるものであって欲しい。渚を漕ぎ渡っていく漁師の舟が綱手を引いているのが、とても愛おしい。
「世の中は 常にもがもな 渚漕ぐ」 鎌倉右大臣
非業の死をとげる第三代将軍
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dantandho