朱子学など関係が無い (original) (raw)
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前回エントリーで予告しておいた朝日新聞の(耕論)日韓「愛国」の圧力 小倉紀蔵氏のオピニオンに対する批判です。
(耕論)日韓「愛国」の圧力 小倉紀蔵さん、趙景達さん:朝日新聞デジタル
http://www.asahi.com/articles/DA3S11418294.html
まず、断わっておくのが、私は朱子学および韓国の朱子学普及状況についてはまったく知識も無ければ、事の是非も判断できません。ですが、このオピニオンはおかしいと判断できるほど粗雑なものでした。
(前略)
注意せねばならないのは、「日本の韓国化」といえる現象です。
日本は明治になって朱子学的思考様式に覆われたと私は考えています。中央集権国家を築き、工業化、軍事化を進めるため、高級官僚を試験で登用し、人的資源を結集した。第2次大戦前、愛国心で国民統制を徹底した時代、日本の朱子学的社会はその極に達しました。
明治期日本の中央集権国家体制というのは、ドイツ帝国(プロイセン王国)に範を取ったものだったように思いますがいかがでしょう。当時は朝鮮王朝も中国清朝もありましたから、朱子学はむしろ旧体制のバックボーンとして理解され、否定される存在だったと思いますが。
もちろん、「いや、ヨーロッパ帝国主義諸国家が手本に見えても、その根底には朱子学があったんだよ」と主張する事も出来ましょうが、それはなんら立証されていないので、引き合いに出すような話では無いと思われます。
国民に国家との一体化を強いる愛国的な価値観は今も日本社会に生き続けています。だから韓国の反日世論に刺激されると嫌韓の世論が膨らんでしまいます。
この前半部分には賛同できますが、その戦後も日本社会に生き続けている愛国的価値観(によって引き起こされる事態)が韓国社会による日本社会批判の原因でしょう。原因は日本側にあるのであって、韓国側に求めるのは無理があります。
日韓の両首脳はまさにこのような状況に陥っているように見えます。
ここもおかしいですよね。安倍政権自体が煽り続けてきた張本人なわけですから*1。安倍政権幹部らによる扇動が近隣諸国に限らず広く懸念を持たれる可能性については、第一次安倍内閣の頃から指摘されてきたわけです(THE FACTS 騒ぎとか)。当時と違うのは、韓国側の反応、というよりは、日本社会の方が“取り繕うともしなくなった”ためでしょう。安倍政権に留まらず、戦後日本においてはエスタブリッシュが戦前回帰への欲望を表明することは珍しくありませんでした。社会全体においても、そのような意識の人々は決して少数では無かったでしょうが、あからさまにしない程度には弁えていたわけです。
■「独善」に陥るな
道徳の束縛が行き過ぎる最大の罪は、事実の見方が独善的になることです。日韓対立の核心は慰安婦問題ですが、日本は河野談話などで「戦時における女性の人権蹂躙」という普遍的問題と位置づけ、謝罪してきました。日本に植民地時代の歴史を正視するように迫る韓国側はこの事実も直視すべきですが、それを拒むゆえに事態が混迷しています。
ここはどういうつもりで語っているのか判断付きかねます。
日本が従軍慰安婦問題について“普遍的問題と位置づけ、謝罪してきた”ことなどあったでしょうか?そう位置づけることが出来るならば、「強制連行の証拠は無い」「他国もやっていた」「当時は仕方が無い」などという言葉が選良から出てくるはずはありません。
そもそも、河野談話が出るまでの経緯についてはscopedogさんが説明してくださったように、問題が自国の責任となることを回避しようとして回避しきれなくなって出てきたようなものです。そして内容に関しても、最低限の取り繕いレベル以上ではなく、決して誉められたものではありません。
河野談話に至るまでの経緯について
http://d.hatena.ne.jp/scopedog/20140408/1396883009
その“最低限の”意志表明に関してさえ、当時から政権与党内から否定や攻撃の言葉が相次ぎ、政権のコミットぶりを疑わせたわけです。
「河野談話」「アジア女性基金」以後の日本は誠実だったのか?
http://d.hatena.ne.jp/scopedog/20140622/1403456759
“日本に植民地時代の歴史を正視するように迫る韓国側はこの事実も直視”したならば、当然、日本の態度を批判するでしょう。それは、従軍慰安婦問題に関与してきた方々がずっと指摘してきたことでもあります。
一方、日本側は韓国が問題をグローバルな観点から提起している意味をよく考える必要があります。韓国は1987年の民主化実現と冷戦崩壊を受け、グローバル化、IT産業化、文化輸出でめざましく成長しました。国民こぞって特定の目標に突進する、朱子学の影響が強い一元的社会の強みが発揮されたといえるでしょう。
このへんは朱子学関係無く、開発独裁的手法を取るところなら、大体、こうなりますよね。
この経験が、グローバル化に適合している自分たちは優秀だという新たな愛国心を、若い世代を中心に強めています。グローバル化が新たな「普遍的な価値」になっているのです。日本はグローバル化に乗り遅れている、劣っていると見なし、こうした認識と「歴史問題を直視しない」という従来の批判とが相まって、慰安婦問題解決を含む日韓関係の打開を難しくしています。
韓国で従軍慰安婦問題がクローズアップされるようになったのは、民主化運動が大きく影響しています。軍事政権下では反共政策が取られ、日本の戦争・植民地責任問題を問う事は難しかった。それ以前は「個人の恥」的な扱いであり、被害者は沈黙を強いられてきており、普遍的人権侵害とは韓国でも捉えられていなかったわけです。それが、個人の尊厳を回復するために支援されるようになったのは、民主化、とは人権を尊重すること、に他ならないからです。それは、いわゆる「グローバル化」とは対極にあります。韓国でも民主化運動の先頭に立つような人々は、グローバル化に無批判ではありません。
例えば、韓国では88万ウォン世代、と呼ばれる若年層がいます。規制緩和と貿易自由化によって、韓国は急激な経済成長を遂げ、サムスンのように巨大企業も現れました。しかし、格差が広がることで大多数の若者たち、競争社会における敗者、は経済的苦境に立っています。そして、そのような格差是正を叫ぶ人々と、従軍慰安婦問題解決に尽力する人々は重なっているのです。
日本に先行、韓国の格差問題悩める「88万ウォン世代」
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/572
むしろ、グローバル化に適合した人々は、経済的苦境に立つ人たちに無関心なように、従軍慰安婦問題に対しても無関心でしょう。
日本でも、池田信夫氏という実例が存在しています*2。
日本も大きな観点に立つべきです。慰安婦問題や植民地主義の克服は、人類史における重要な問題であり、日本はこれまで、これらの難問に世界で率先して取り組んできたと私は考えています。その歴史を自ら捨ててはなりません。
日本が慰安婦問題を含めた戦争責任問題や“植民地主義”の克服に率先してに取組んだことなどありません。従軍慰安婦問題については、上記で指摘しているとおりですが、中国東北部における化学兵器廃棄の問題でも積極的に責任を果たそうとはしていません。それどころか、昨今、日本における在日韓国・朝鮮人の受難の記録を消そうとしています。
遺棄毒ガス被害訴訟、原告敗訴
http://d.hatena.ne.jp/Apeman/20120418/p1
朝鮮人追悼碑撤去、きっかけは抗議・批判 群馬県
http://www.asahi.com/articles/ASG7P5DVMG7PUHNB012.html
様々な問題の最終決着を、人類史に残された難題を解く日韓共同の挑戦と位置づけること。高い理想をめざすことは韓国現代社会の新たな愛国心にも響くはずです。
(聞き手・川戸和史)
日韓共同、で何かを目指すのは悪いことではありません。しかし、現在起きていることは、基本的に日本側の問題でしかありません。何か共同で行ないたいのなら、その根本を蔑ろにすることは出来ません。
繰返しになりますが、私は韓国の朱子学事情などはさっぱりわかりません。しかし、日本と韓国の近現代史の僅かな、本当に僅かな知識があれば、このような主張が出来るとは思えないですね。
京都大学教授、がこのような粗雑な話をしてしまう事には本当に驚きます。
では。