sho__yamaguchi’s blog (original) (raw)
以下、ひとりの兵庫県人として、今回の選挙の感想をいくつか述べておきたい。今回も牛の涎のように幾分かダラダラ書く。
本題へ進む前に私と兵庫県の関係にふれておこう。私は神戸育ちである。具体的には垂水区育ちであって、一九七八年生まれなので、斎藤元彦氏とはけっこう近い環境で生きていた(きた)ことになる。その後、三田市に住んだこともあり、あるいは親戚が丹波篠山市にいたり、といった具合に、兵庫県のあり方について少しは「知っている」ほうだと思う。ただしそれについてたくさん知っていたり、詳しく知っていたりするわけではない。むしろ正確に言えば、兵庫という土地に生き、同じように生きているひとといわば〈はだ感覚〉のような何かを共有している、という具合だ。それゆえ以下の議論も多分に感覚的である。
さて、今回の選挙で斎藤陣営がインターネットを活用した運動を行ない始めたころ、私は次のように感じた。《ここは田舎の多い兵庫県であるので、都市部で威力を発揮するネット戦略は無力なのではないか》――結果はそうではなかった。今回の選挙で私が学んだことのひとつは《田舎の選挙であってもインターネットを活用した運動は効果をもつ》ということだ。この告白にたいして「え?! いまさら知ったの?!」と馬鹿にするひとは、ひとを馬鹿にしているつもりで、おそらくは自分のほうが間違いに陥っている。ポイントは《何を根拠に判断するか》である。一般に世界にかんする事実は経験にもとづいて判断される。そして問題の命題をサポートする経験は今回得られたものだ。経験はときに〈かつては憶断であったもの〉を〈根拠のある知識〉に変える。そのさい、根拠が得られる前に「知っている」と嘯いていたひとが、根拠が得られた後に「前から知っていた」ことになる、ということはない。むしろたんに《根拠の無い段階でそう思い込んでいた》と言えるに過ぎない。この点に鑑みれば、今回の選挙はひとつの壮大な実験であった、と言えるかもしれない。
ここで斎藤陣営とインターネットの関係について若干の補足。前段落で《斎藤陣営の選挙運動=ネット戦略》を前提したような議論を行なったが、この前提は根拠のないことではない。じっさい、今回の選挙において斎藤元彦氏はいわゆる「四面楚歌」の状態であって、行なえることは主に〈ネットを駆使して有権者に呼びかけること〉であった(すなわち例えば政党経由の組織票を望める状態になかった)。いまだに「よくもまあこんな状態で勝てたものだ」と感じるので、今回の選挙はその点においても興味深い。
さて、今回の選挙では斎藤元彦氏が勝ったのだが、このことは次のことを意味しうる。それは、兵庫県の有権者のうちの相当数が《議会の不信任によって失職した斎藤元彦氏は決して知事として不適格な人物ではなく、むしろ(他の候補者と比して)継続して知事を担うにふさわしい》と考えた、ということだ。ここで問題は《なぜそんなふうに考えうるか》である。以下、これに関連する事柄について考えてみたい。
私は、私の知っていることおよび私が関心を向けることに従って、《斎藤元彦氏は継続して知事を担うにふさわしくない》と考えている。他方で、私の知っていることとは違ったことを知っていたり、あるいは私が関心を向けることと違ったことに関心を向けたりするひとは《斎藤元彦氏は継続して知事を担うにふさわしい》と考えうるだろう。一部のひとは自分の投票行動を「正しい」と見なすが、この態度は行き過ぎれば偏狭な世界観に至る。とりわけ現在は選挙が終わった後なので〈俯瞰して理解する〉という姿勢こそが重要である。
――以上が前置きだ。いささか理屈っぽく書いたのは、理屈っぽい文章を読めるひとだけに読んでほしいからである。そして《なぜ私が今回このノートを書いたのか》の理由は、ここまでのウダウダした箇所を人目にさらしたいからではなく、以下の感想的な指摘を行ないたいからである。
さて本題へ進もう。
私にとっての疑問は《なぜ多くのひとが斎藤元彦氏は悪くないというストーリーを信じるに至ったか》である。ただちに必要な注意を加えれば(少し前に述べたことと関連するが)ひとによってはこの疑問は生じないだろうし、場合によっては《この疑問は的外れだ》と感じられるだろう。私はそう感じるひとが必ずしも間違っているとは考えない。いずれにせよ、今回の選挙の結果を受けて、私の知っていることと私が関心を向けることに従って生じてきた疑問は《なぜ多くのひとが斎藤元彦氏は悪くないというストーリーを信じるに至ったか》である。
私の答えは次だ。今回の選挙戦で斎藤元彦氏は自分の方が「被害者」だという物語の共有に成功した。斎藤元彦氏を応援する有権者の多くは《不信任で失職させられた斎藤元彦氏こそが被害を受けた側だ》と考えている(もちろんそれ以外もいるが、どちらかと言えば例外的だと思う)。とはいえなぜそう考えるに至ったのか。その理由は、斎藤氏以外の「被害者」の存在のリアリティが希薄だからだ。
有権者の多くは――私も同様だが――県民局長のことを知らない。そして斎藤元彦氏に(百条委員会で彼自身が述べていたことだが)強い言葉を投げかけられた職員のことを知らない。知っているのは〈多くのひとから袋叩きにあう斎藤元彦氏の姿〉である。連日のニュースであらゆる方角から責められるのをひたすら耐える斎藤元彦氏の姿。彼を非難する根拠の方は視聴者の目にははっきりと見えず(すなわち県民局長や職員の苦しむ姿は可視化されていない)、その一方で斎藤元彦氏の「受難」は圧倒的なリアリティをもってひとびとの前にさらされた。これはアスペクト変換が生じる可能性のある非対称性だ。すなわち、一定のストーリーの付加によって、物事の意味づけが大きく変わりうる状況である、ということ。
この状況は斎藤元彦氏にとってまさに起死回生のチャンスであった。そして彼はこの状況をうまく活用し――そして「援軍」と呼べばいいのか何だか分からないが、そういった何かの力を借りて――《自分こそが被害者だ》というイメージを多くのひとと共有するのに成功した。ここから得られる教訓は、「ひとが死んでいる」という言葉はときに、可視化された〈袋叩きにあう人間〉の姿のリアリティに負ける、ということだ。兵庫県の有権者のうちの少なからぬひとびとが悔し涙を流す斎藤元彦氏の姿に自身を重ね、「見捨てるわけにはいかぬ」と感じて票を投じた。苦しめられているひとを救うために、である。
かくして私は決して「メディアの敗北」という大雑把な表現を好む者ではないが、斎藤元彦氏をめぐるメディアのあり方にも問題がなかったわけではないと考えている。じっさい――別方向のありうる事態を挙げれば――加害者のほうを不可視にしたまま被害者の訴えばかりを映像化するさい、ひとによっては被害者のほうを〈攻撃者〉と表象するに至るだろう。押さえるべきは、一方的な〈さらし方〉はアスペクト変換のリスクを招来する、という点だ。
以上が私にとっての疑問にたいする私の答えの出し方である。今回の選挙にかんしてはその他の疑問を抱くひとがいるだろうが、そうしたひとは自分で考えて自分で答えを出されたい。知っていることと関心のあり方によって取り組むべき課題は変わる。
先日、関西哲学会の年次大会(2024年10月、於京都大学)で、「形而上学的時間をめぐるトリローグ――九鬼周造・ベルクソン・ハイデガー」という題名のワークショップを行なった(私は司会を務めた)。以下、その顛末を物質と記憶にもとづき[*]記録しておきたい。前もって言っておくが、さしたる教訓は無い。「牛のよだれ」のようにダラダラ書く。
いったいどのようないきさつで私はこのワークショップに参加することになったのか。それは2022年の同じ学会のことだった。
おそらく大会の二日目だと思うが、その日の発表がすべて終わったあと、私は何人かと連れだって飲みに行った。そのさいハイデガー研究者の岡田悠汰が私に「九鬼の時間論にかんするワークショップをやりたいのだが司会をしてくれないか」と頼んできた。私は少し躊躇したが――すなわち「関西哲学会という、権威が重視される空間において、非常勤講師の私が何かの司会などをつとめていいのだろうか」と思ったが――ただちに《おい、山口、何をつまらない理由で、いや、理由未満の理由で躊躇っているのだ、やれ》という理性の定言命法が心の奥底から聞こえたので、《そうだ、私はいずれ死にゆく存在、すなわち死への存在である以上、権威云々のダス・マン的価値観に流されるのではなくて、自ら決断せねばならない》と心に決めて、「いいよ」と答えた。これが始まりだった。
メンバーは岡田が集めた。結果として、フランス哲学(とくにベルクソン)を専門とする濱田明日郎と日本哲学(とくに九鬼)に取り組む藤貫裕、そして岡田と私という四人で行なうことになった。とはいえメンバーが確定したとしてもただちにワークショップができるようになるわけではない。なぜなら、発表自体の準備も大切だが、同時に――形式的でありつつも実質的なこととして――大会の発表募集へ申し込んで「発表OK」を勝ち取らねばならないからである。かくして、2023年の春くらいだったろうか、岡田・濱田・藤貫・私は一年以上先の可能的なワークショップのために〈土を耕すこと〉を開始した。
イベントの企画においては《あれがやりたい、これをしよう》と語り合っている時間がたいへん楽しい。私たちは数か月に一度zoomを使って構想を語り合った。その結果、ワークショップでは九鬼をベルクソンおよびハイデガーと並べつつ、これを決して〈東洋vs西洋〉の対立に留まらせない、などが主要な目標のひとつとして結晶化した。その話し合いの熱量は、ワークショップのイントロダクションとして私が書いた文章のうちに感じ取れるかもしれないので、以下それを全文引いておこう。
>>>
本ワークショップは《時間とは何か》をめぐって三人の哲学者の思索を追う。だが、なぜ一人ではなく、二人でもなく、三人なのか。ここにはワークショップ全体を導く意図がある。
三人の哲学者と向き合う。この場合、一人の哲学者の視点を掘り下げていくことに比して、あるいは二人の哲学者の対立を描かんとすることに比して、無視できない「複雑な」事態が生じる。それは、あるときはAとBが一括りとなりCが独特さを発揮したと思えば、別のときにはBとCの両者にたいしてAが批判の眼差しを向ける、といった具合の〈基準に応じてグルーピングが変化する鼎的な区別構図〉である。本ワークショップは、三人の哲学者を複数の基準から比較・吟味し、各哲学者の立場のより深い理解を目指すとともに、鼎的な区別構図を踏まえながら《時間とは何か》をめぐるより広い哲学的展望を開くことを試みる。
かくして本ワークショップの中心的テーマは――タイトルにもあるとおり――九鬼周造の形而上学的時間であるが、そこで行なわれる九鬼論は或る意味で〈九鬼自身を超えること〉へも踏み込んでいく。なぜなら、たしかに九鬼の言う「東洋的時間」はベルクソンやハイデガーの扱った「西洋的時間」と対置されつつ提示されたものだが、この〈九鬼 vs ベルクソン・ハイデガー〉という対立は決して本ワークショップ全体を通じて維持され続けるものではないからである。むしろ私たちは〈ベルクソン vs 九鬼・ハイデガー〉の対立や〈ハイデガー vs 九鬼・ベルクソン〉のそれも見るだろう。こうした仕方で私たちは、〈東洋vs西洋〉という対立も見据えつつ、これに尽きない三者間の鼎的関係を探究していく。それによって九鬼の時間論の、彼自身が明示的に語らなかった側面が明らかになるかもしれない。
>>>
一般に、企画・立案・準備・実行という流れは、うまくいく場合には、遂行者にとって「詰将棋」に似た何かとして体験される。今回はとくにそんな感じだった。来たるべきワークショップへ向けて、気を抜くことなく「王手」を繰り返し、最終的に「詰み」に至る。もちろんふつうはさまざまなアクシデントが起こるが、今回に限っては、事態はストレートに進行した。不思議な僥倖に恵まれた、ということだろう。
私たちのワークショップは大会二日目である。私は初日から参加した――これからそのあたりのことを細かく語っていきたい。
一日目、会場には昼過ぎに着いた。ちょうど13時半ごろから九鬼にかんする発表、すなわち若手研究者・兵頭慧樹の発表「九鬼哲学における「自然」概念の再検討」があったので、その会場(第一講義室)へ向かう。その部屋で――これは予想外のことだったが――数年ぶりに後輩の松枝啓至や渡邉浩一と顔を合わせることになった(松枝は私の一年下の認識論研究者であって、私の参加していたハイデガー『存在と時間』読書会のコアメンバーのひとりであり、そして渡邉とは一緒に『カテゴリー論』を古代ギリシア語で全文読んだ縁がある)。この再会は、素直に、うれしい出来事であった。他方で兵頭の発表もなかなか刺激的であり、私も興が乗ってひとつ質問をした。
夕方、初日の日程の〆として「交流会」(昔は飲み会があったが現在はアルコール・フリーの集まり)があったが、その会場で岡田・濱田・藤貫と共に二日目に向けての作戦会議を行なった。じつに私はこの日はじめて、インターネット経由でなく、リアルに濱田と藤貫を見た。このときまで彼らは、私にとって、奥行きを欠く二次元的存在でありえたが、じっさいに会うことで立体であることが確証できた。コロナ以降の、とりわけzoomなどでのやり取りがふつうになった後の、たまに起こる認識的プロセスである。
そのあと――本段落は京大の付近の様子を知っているひとに向けて書くが――私の出身研究科、すなわち人間・環境学研究科の修了生を中心として十人ほど集まり、百万遍から北上して、居酒屋〈樽八〉へ向かったが、混んでいて入れなかった。それゆえ、ふたたび南下して〈写楽〉へ向かう。そう、昔は〈ゲート〉であった現在の〈門〉の向かいにある、あの〈写楽〉だ。無事入れた。この日は暑かったので、みんなでプールふたつ分くらいのビールを飲んだ。二〇年前の百万遍を知っている方はノスタルジーを抱くかもしれないが、飲みながら、〈ミック〉の親父さんは逝ってしまった、という話をした。〈ミック〉の思い出をひとつ書き記しておきたい。哲学研究者の仲間としこたま飲み、深夜、他に空いている店がなくなったので〈ミック〉へ行って飲んでいると、午前4時過ぎごろだっただろうか、親父さんが私たちに「新聞配達に行くから閉店します」と言った。あの頃から長い年月が過ぎ、私にも〈学生のための安い酒場を経営することのたいへんさ〉が想像できるようになった。逆にあのころは、必要な想像力に欠けていたところがあり、思い出すたびに申し訳なくなる。
二日目、二日酔い。
この日も暑かった。
会場には昼過ぎに着いたが、受付の前あたりでちょうどニーチェ研究者の竹内綱史と会う。竹「昼ごはん食べた?」、山「いえ、まだです」という流れで百万遍のサイゼリヤへ向かう。この店舗でのオーダーはタッチパネルで行なわれるが、私は飲食店におけるテクノロジー刷新を見るたびにひとつの痛ましい出来事を思い出す。
コロナ禍のあとの大坂の梅田。駅の近くの居酒屋で飲んでいたときのことだ。私の席から少し離れたところ、お年寄りが大声をあげていた。「こんなん分からんわ!」 タッチパネルでの注文の仕方が分からないからオーダーができない、ということだ。そしてその次にお年寄りの口から出た言葉は私の心にずっと突き刺さっている。「前はふつうに頼めたやないか!」 嗚呼、あのひとは、将来の私かもしれない。私もいつか、取り残され、追い出され、消えていくのだろう。この光景と遭遇して以来、飲食店の新たなオーダーシステム(スマホを使ったりなど)は、私にとって不気味な恐ろしさを感じさせる。これはおそらく、「タッチパネルやスマホでの注文なんて簡単やん」などと言い放つことのできる、自己相対化のできないひとには抱くことのできないタイプの感情だろう。Alas! 吾が尊厳よ、汝はいつまで無傷でいられるか? いや、だいぶ脱線してしまった。
ワークショップは午後2時10分から始まる。
午後1時半過ぎ、会員控室において、岡田・濱田・藤貫・私で最終的な打ち合わせをする。話し合いの途中、他の三人は書籍、九鬼周造『人間と実存』(岩波文庫、2016年)を持参していたが、九鬼研究者である藤貫だけがそれを持ってきていないことが判明した。これは、思うに、中島敦の『名人伝』に類比しうる事態だ。すなわち、弓の達人がもはや弓と矢を必要としないように、九鬼の達人はもはや九鬼の本を必要としない、と。藤貫はいずれ、『名人伝』の紀昌のように、九鬼それ自体を忘れてしまうかもしれない。真面目な話をすれば(いや、私は基本的にいつも真面目に書いているのだが)、哲学者の考えについては、その当人の文章をもはや必要としない仕方で理解できる境地がある。その理由は、哲学者の考えには、固有の論理があるからだ。この論理を掴めば、その哲学者の考えを、その哲学者が使わなかった言葉で自ら表現できる。自由自在の境地である。九鬼を忘れても「九鬼する(Kukieren)」ことができる所以である。
『名人伝』現象について語っているうちに午後2時過ぎである。ワークショップが行なわれる会場へ向かおう。
はじめに三人がそれぞれ提題を行なって、次に三人のあいだの議論、最後にフロアを交えた質疑応答、という流れだ。私は司会を務めたので――「司会者あるある」のひとつだが――ひとがしゃべっていることの中身をほとんどフォローできなかった。代わりに気にしていたのはひたすら時間である。タイムキーピングが司会の実存の主要な一部をなす。時間の問題(哲学的でないほう)のゆえに、時間の問題(哲学的なほう)へは集中できなかった。実質的な議論は完全に三人の提題者まかせである。
以下、それぞれの発表の内容(の私の理解)を手短に見てみよう。
藤貫の発表は九鬼・ベルクソン・ハイデガーをまんべんなくカバーする。他方でその中心的な目標は〈九鬼の時間論にとってのベルクソンの重要性〉を指摘することだ。じつに、九鬼の時間論をハイデガーとの関係において考察することはすでに多くの論者によって繰り返し行なわれているが、その一方で――あまり注目されない事実として――九鬼の時間論の形成にとってベルクソンからの影響は大きい。九鬼は、ベルクソンを意識しつつ、「記憶的な」現象を土台として反復的時間を構想する(反復は記憶を前提する)。他方でこの日本における時間の哲学の第一人者は、いくつかの意図のもと、こうした時間から心的要素あるいは意識的要素を抜き取る。かかる仕方で脱心理学化されたのが九鬼の形而上学的時間だ。かくしてそれは、一方で形而上学的なもの(とりわけ非心理学的なもの)でありつつも、決してベルクソンの時間論と無縁なわけわけではない。
濱田の発表は、藤貫の以上の指摘とかかわりつつ、それを独特な方向へ伸長させるものである。濱田はベルクソンで九鬼を読む。すなわち、《形而上学的な時間論といえども、それが人間の所業である以上、そこには経験的な出発点としての心理的な出来事や現象があるはずだ》という想定のもと、《はたしてどんな心理的な過程が反復的時間の思念を生成するのか》を問う(これはベルクソンが空間化された時間の生成を論じたこととパラレルである)。さて、濱田の具体的な分析が示す通り、反復的時間の心理的起源は〈想起〉や〈記憶〉以外にありえない。この意識経験の意識性が理論的に否定されることによって、九鬼の形而上学的な反復的時間の思念は生成するのである。
岡田の発表は《このような反復的時間の何が重要なのか》を問うものだ。彼はそのさいハイデガーを召喚するが、その理由のひとつは、いわゆる〈実存的アプローチ〉こそが、動機のよく分からない九鬼の時間論を理解する手段だ、という想定である。じっさい――岡田自身強調するように――《一切の出来事が、過去の側でも未来の側でも、無限回同じ仕方で繰り返されている》と考えることの意義は、《これを生きるとはいかなることか》を掘り下げる以外の仕方で明らかになりえないだろう(他にあるだろうか?)。ではいったいそれを生きるとはいかなることか。一方で一切の出来事は根本的には偶然である。たまたま生じたに過ぎない。他方で、永劫回帰の世界(とりわけ過去側に無限回の反復のある世界)では、一切のことは〈すでにそのようにあったもの〉である。かくして一切のことは、根本的には偶然だが、いわば時間構造が織り成す縛りのもとでは必然であり、重要な意味での「運命」だと言える。かくして反復的時間を生きる者は自らにふりかかる出来事を、一方で偶然だと認めつつも、他方で「かつてあったとおりにある、それ以外にないものとしてある」という仕方で運命として引き受けるだろう。ここに反復的時間の実存的意義がある。
こうした提題のあと――先にも述べたように――提題者のあいだの議論を行ない、最後にオーディエンス全体とともに質疑応答をした。まあ、それなりに盛り上がったのではないか、と思う。
ワークショップが終わった後、私はその足で湯村温泉に行く必要があったので、挨拶もたいしてできないまま京大を発つ。だから私は打ち上げに参加できなかった。提題者の三人のみなさん、年末あたり、ぜひ飲み会をしましょう。
それにしても午後4時半ごろに京大を出てその日のうちに湯村温泉に辿り着きうるのか。父たちはさきに車で行ってしまったので、私は電車で当地へ向かわねばならない。旅程は
京都(17:28)―福知山(18:53) 特急
福知山(19:01)―和田山(19:33) 特急(これが湯村温泉に辿りつくための最終!)
といった具合。これはタフな旅路だが、私はタフなので朝飯前だ。夕飯は着いてから食べる。念のため移動中は飲まない(何が起こるか分からないし)。電車で読む本は中村真一郎の『雲のゆき来』(これは池澤夏樹が編集した河出書房新社の『日本文学全集17』に収められている)。
はじめて通るルートでは、みなさんもご承知のとおり、〈乗り換え〉をめぐる不安が生じる。今回のルートの福知山での〈乗り換え〉は8分以内に行なわねばならない。《ホームからホームへ走る必要はあるか?》とか考えてしまう。かつてスペインへ一人で行ったときも[**]イタリアでのトランジットは不安であった。乗り遅れたらどうなるのだろう。言葉の通じにくい環境でホテルを探すはめになるのか、あるいは野宿することになるのか。
今回の状況もかなり似ている。だって福知山に19時だから。関西以外に住んでいるひとびとよ、知っておられますか、福知山はかなり北のほうにあるのです。それゆえ私のように瀬戸内海方面に住んでいる人間は「もしも19時に福知山に放り出されたならば、その日のうちに神戸へ帰ることができるのかしら」と心配になってしまう。下手したら野宿だ、と考えてしまう。
はたして私は無事に湯村温泉に着いたのか。京都から福知山へ向かう特急が、対向の列車の遅れのため8分ほど遅延してしまったが(単線なのである!)、私は無事乗り換えることができたのか。こうした事柄を語ることは今回の「関哲ワークショップ奮闘記」にふさわしくないので止めておく。聞きたい方はまた個別にお尋ねいただければ。
以上、牛のよだれであった。
最後に――けっこう重要な情報だと思うので明示的に書き記しておくが――かつて関西哲学会はいわば「怖い」学会であった(すなわち、控えめな表現を用いて言えば、発表者にたいしてしばしば圧迫感のある質問が行なわれる会だった)。だが今回行ってみて感じたことだが、なぜかしら学会全体が「若返った」ところがあり(私自身が歳をとったこととは独立に、じっさいにかつての重鎮の姿が見られなかった)、一種の風通しのよささえある。みなさん、試しに一度来てみては。来年の大会は香川らしい。
注
[*]「発表のマテリアルと私の個人的記憶にもとづく」の意。
[**] 旅立つ直前に失恋していたので、傷心旅行のような趣があった。一般に、ひとは歳をとるにつれて「頑張って口説いたけど成就しなかった」といった〈恋でないがゆえに失恋することがない〉の術を身につけていくが、若者は恋をして失恋する。このような話は始めるときりがないのでここでは控えたい。
はじめに真理を述べておけば、石破茂は決戦投票前のスピーチがよかったから勝てたわけではないし、高市早苗はそれが拙かったから負けたわけでない。事情はむしろ逆だ。すなわち第一に、複雑な思惑の絡み合いの中で結果として石破が勝った、という事実がある。この事実を前にしてひとびとはその原因を求める。なぜ石破が勝ち、高市は負けたのか。この問いに促され、ひとびとは決選投票前の演説へ目を向けて、《石破のほうが高市よりもよかった》という事実をクローズ・アップする。このような仕方で、じっさいにはさまざまな要因が石破の勝利をもたらしたにもかかわらず、スピーチの出来・不出来がその原因と見なされるに至るのである。
このノートは《なぜ石破は勝てたのか》を問題にしない。こうした話題は政治学者や政治評論家に任せるべきだ。その一方で事実として《決選投票前の演説にかんしては、石破のものは秀逸であり、高市のものは多くの欠点を含んでいた》と言える。以下、この事実にかんして、いくつか思いつくことを指摘したい。
高市のスピーチについてはそれほど面白いことは言えない。彼女の演説は――明確な欠点を挙げれば――論理的な構成を欠いていた。その結果、話題が「羅列的」に感じられ、聴き手に散漫な印象を残した。準備不足だったのだろうか。それだけでなく、時間超過したうえに、尻切れトンボで終わってしまった、というのも良くない。けっきょく高市の演説はかかる基本的な点においてすでに複数の瑕疵を指摘できるものであって、「失敗であった」と言わざるをえない。
その一方で、石破のスピーチについては、少なくともひとつ面白い点が指摘できる。すなわち彼の演説は、全体として論理的に構成されていながらも、核心的な箇所において無視できない「飛躍」を含む。石破は「日本を守りたい、国民を守りたい、地方を守りたい、そしてルールを守る自民党でありたい」と言った。ここを聞いたとき私は「おおおおおお」と驚いた。じっさい国防や防災の文脈における「守る」と、規則遵守における「守る」とは、言葉は同じだが、意味が異なる。かくして、よくよく考えれば、ここには話のつながりが無い。とはいえ、彼の演説のその他の側面の巧みさから、ここでのギャップは多くのひとに違和感を抱かせなかった。いや、むしろ却って〈国防・防災の話と自民党の規則遵守の話を短時間に詰め込むこと〉に成功するという結果をもたらした。
ふたつの相互に関連する感想を述べてノートを閉じよう。〈スピーチに論理的なギャップを忍び込ませること〉、これは一種の賭けである。なぜなら、ひょっとしたら、そのギャップが演説全体の統一性を瓦解させるかもしれないからだ。加えて《聴衆にどんな効果を及ぼすか》はやってみないと分からない。他方で――第二の感想へ進むが――石破は、結果として、この賭けに勝った。仮に石破が結果として投票で負けていたとしたら、敗因を遡行的に求める思考は《石破の演説はふたつの「守る」を混同して進行しており、この点に違和感があった》と分析したかもしれない。いずれにせよ、石破の演説における「日本を守りたい、国民を守りたい、地方を守りたい、そしてルールを守る自民党でありたい」という部分は、論理的に面白いところがある。誰が考え出したのだろうか。
以下、「道義的責任」ということについてひとこと述べたうえで、現在マスコミを賑わせている問題にかんしてどう考えるべきかをひとつの角度から説明したい。
(1)「道義的責任」は、「法的責任」との対比で使用される点からも分かるとおり、《それが何を指令するのか》にかんする法的な明文規定をもたない。他方でそれは、言ってみれば、法に先立つ次元で成立する責任であって、その意味で根元的であり、したがってそれにかんする理解はいわば〈ひととして生きること〉の前提の位置にある。かくして「道義的責任が何なのか分からない」という発言は、重要な意味において、受け入れられる余地がない。そのため、公的空間でそうした発言を行なった場合、決して文字通りには解釈されない(それゆえ、ほとんどのケースにおいて、言うべきでないものである)。具体的には問題の発言は、発言者の意図によらず、道義的責任を回避するための方便と解釈されることになるだろう。この発言に強い反発が生じる理由のひとつはこのあたりにある。
さて、《ひとはどのような場合に道義的責任を負うか》にかんして、ひとつの角度から解明を行なっておくことは役立つはずだ。一般に哲学者は、不正な行為Aあるいはその結果がXのせいであるとき、XはAあるいはその結果にたいする道義的責任を負う、と考える。直感的には言えば、ひとは自らが行なったこと、そしてその結果に責任を負う、ということだ。これは間違いではないのだが、それだけではない。すなわち、責任帰属は多くの場合で〈行為原理〉に従うが、それが〈地位原理〉に従う状況もある。例えばある組織の管轄下において大きな悪い結果が起きた場合、《それがトップのせいかどうか》とは独立してトップはその結果に責任を負いうる。もちろん――行為のケースと同様に――免責条件が満たされている場合にはトップは責任を免除されるが、デフォールトでは組織におけるゆゆしき事態にたいしてトップは責任を負う。そしてかかるゆゆしき事態の典型が「死」である(取り返しがつかないので)。例えば学校などで死亡事故が生じたさい、トップは自らにかんする免責条件が満たされていることを積極的に示す必要があるだろう。そして、それを失敗した場合、トップは道義的責任を負わざるをえない。
〈地位原理〉については面白い事象がいくつかある。第一に、例えば『坂の上の雲』を思い出しながら書くが(以下、私の記憶に頼った記述なので、固有名などにかんする間違いが含まれているかもしれない)、バルチック艦隊を迎え撃つとき、日本側のトップである東郷平八郎は《どう攻撃するか》を参謀の秋山に任せていた。そして、結果の責任は自分がとる、という姿勢であった。これは、東郷平八郎の責任実践が(行為原理ではなく)地位原理に従っている、ということを意味する。第二に――文化人類学において有名な事例だが――ある部族の王は、一定期間この地位を務めたあと、犠牲の供物となる(なぜそんなことをするのかと言えば、例えば、王が一定期間生きると、王の生命エネルギーが低下し、作物がとれなくなるので、ふたたび王のエネルギーを取り戻すために、旧王を神に捧げる、といった理屈ゆえに)。だがそのさい場合によって王は、奴隷へ王の身分を渡し、この奴隷=王に代わりに犠牲になってもらう。王としての責任を、別のものに引き受けてもらう(というか押し付ける)ということだ。これは〈地位原理〉の譲渡的適用とも言える事態であって、たいへん興味深い。
(2)斎藤元彦兵庫県知事と告発文をめぐる問題について《全体的な事柄を勘案すればどう考えざるをえないか》のひとつの考えを記述しておきたい。
元県民局長の告発文にかんして知事が最も「困った」と感じたのはパレードの寄付金にかんする箇所であっただろう。なぜなら知事はこれについて《県側の動きは犯罪に該当しうる》と考えていたからだ。じっさい〈寄付金の見返りとして補助金を出す〉というのは、税金の使い方として、背任にあたりうると思われる。かくして知事は、もっぱらパレードをめぐる問題が大ごとになることを阻止するために、問題の告発文にかんして「徹底調査」を行なうことになる。
知事をめぐって今年生じたさまざまなことの発端はここにある、と述べて過言ではない。じっさい問題の告発文にかんして知事は、客観性の無い調査だけを行ない(なぜならこの調査の客観性を担保するとされていた弁護士は利害関係者だったから)、この調査結果を根拠として告発者を処分したのだが、なぜこれほど焦ったのか。その理由は「犯罪の告発」と表現されうる。そしていわゆる「おねだり」や「パラハラ」は、核心的な問題との対照において、どれも周縁的だと言わざるをえない。すなわち《知事がおねだり体質であること》や《知事がパワハラ体質であること》が無視できない問題であることは当然だが、それでも刑事的な問題こそが相対的に「最も核心的だ」と言われうる。加えて――この点は必ず付言すべきだが――パレード問題以外に法的マターとなりうる事柄としては〈告発文にたいする知事のリアクション〉が挙げられる。知事は、問題の告発文を「公益通報」と見なして、法令にのっとった対応をすべきであった。だが彼はそれをしなかった。この点にかんしても法的な問題が生じているのであり、これは決してうやむやに終わらせてはなららない。
以上をまとめると次のように言える。すなわち、斎藤元彦兵庫県知事は(たしかに〈おねだり〉や〈パラハラ〉についても問題があるが)パレードと補助金の問題および公益通報への対応をめぐる問題にかんして批判されるべきだ、と。逆から言えば、〈おねだり〉や〈パラハラ〉をクローズアップすることは、少なくとも現時点において、真に核心的な問題から目を逸らすことになりかねない。要点を繰り返せば、斎藤知事については《法的な問題がある》という点こそが留意されるべきである。
このように斎藤元彦兵庫県知事にかんしては法的なマターがある。かくして《彼がこれまでどれほど多く県民を益してきたか》は重要な意味で「非本質的」である。なぜなら、仮に彼が県民を(過去のあらゆる政権と比して)最高度に益していたとしても、現在それとは次元を異にする「刑事的で」「法的な」事柄が問題になっているからだ。一般的に言えば、あるひとについて《彼が有能な奉仕者か否か》は《彼が法を犯したか》の判断を左右しない、ということ。それゆえ、利権云々をもちだして斎藤知事を擁護する動きにかんしては、《事柄の本質を逸している》と言わざるをえない。
さて、以上は過去の話であり、ここからは未来の話だ。以下は今後の予測である(それゆえ確言できる事柄ではないのだが、私なりに手短に推察しておく)。
おそらく斎藤元彦兵庫県知事はここで辞める気がない。すなわち、知事を続けることを画策している、ということだ。したがって彼は、自分に最も有利な状況を設えたうえで、知事選に臨もうとするだろう。この点に鑑みると《斎藤元彦兵庫県知事が、現時点において、議会の解散権を握っている》という事実は無視できない。なぜならおそらく知事はこの解散カードを、できる限り自分の知事選にとって有利になる仕方で用いたいと考えるだろうからだ(具体的には議員たちにたいして「解散は行なわないから、知事選において私の邪魔をしないでくれ」と頼んだりすること)。とはいえ、知事への不信任が全会一致で可決されたという事実を考慮すると、《解散カードをちらつかせた政治的交渉はそれほどうまくいかない》と予想される。――では知事はどうするか。
この点は、先にも注記したとおり、確言できない。だが私は、斎藤元彦兵庫県知事は議会を解散したうえで知事選に臨むのではないか、と考えている。なぜなら――ひとつの考えてとして――議員たちが選挙に忙殺されているという状況のほうが、知事選を斎藤元彦氏へ有利に傾けそうに思えるからだ。もちろんじっさいにそうかどうかは分からない。とはいえ《知事選において議員たちからのネガティブキャンペーンを減らしたい》というのは、斎藤元彦氏の自然な欲求である。以上より私は、知事は県議会を解散したうえで知事選に臨む、と推察している。
最後に見苦しい予防線をはっておこう。一般に《哲学に取り組む者は政治に疎い》と言える。私も、その例にもれず、政治には疎い方だ。それゆえこのノートの予想は少なくとも五分五分ではずれる。したがって、あてにしてはならない。いずれにせよ――ここで究極の無責任ワードのひとつである「いずれにせよ」を用いるが――斎藤元彦兵庫県知事の今後の行動にかんして《おそらくこのあたりだろうな》とあたりをつけておくことは重要である。それゆえみなさんも、私の言葉をうのみにせず、自分なりにあたりをつけておかれたい。
自由意志をめぐる哲学的問題は、ひとつの方向で先鋭化されるとき、人生の意味をめぐる哲学的問題を招来する。それは、直感的には、《自由意志が無いときには人生に意味が見出せなくなる》と表現される。ただし――念のため指摘すれば――この表現は、ひとによっては、完全な間違いと感じられる。じっさい《自由意志が無くても人生に意味は見出しうる》と考えるひとは多い。本ノートはそうしたひと(すなわち自由意志の不在が人生の意味の問題へ繋がらないひと)をターゲットの外に置き、当該問題へすでに陥っているひとへ向けて語る。そのうえで《自由意志の不在はいかなる仕方で人生の意味をめぐる問題を引き起こすのか》を明確化したい。
〈自由意志〉とは何か。それは、「たんなる出来事」すなわち「ただ生じること(mere happening)」から、「ひとが何かをすること(one’s doing)」を区別する。言い換えれば〈自由意志〉の概念は、自然現象的な出来事から、主体的な行為を区別する。具体的には〈自由意志〉は例えば次の(i)と(ii)を互いに区別されたカテゴリーと規定する一群の概念のひとつである。
(i)X氏がハンマーで家屋を破壊する。
(ii)台風が家屋を破壊する。
じつに(i)には〈自由意志〉・〈主体性〉・〈責任〉・〈行為〉などの、そして(ii)には〈自然〉・〈無主体性〉・〈無責任性〉・〈出来事〉などの概念群がかかわる。ここで最も興味深いのは、「台風が家屋を破壊する」という文が表現する事態は無主体的だ、という点であろう。じっさい、この事態の内には「よーし、家屋を破壊するぞ」と志向する主体はいない。むしろ、いかなる主体も存在しないたんなる物体的出来事において、強大な物理的エネルギーを通じて家屋が吹き飛ばされているに過ぎない。私たちはときに「台風」が主語であるという文法形式に惑わされて《台風が家屋を破壊すること》の主体を台風と捉える。とはいえ物事のカテゴリーを厳密に区別すれば次が判明する。すなわち、「台風が家屋を破壊する」は擬人化を伴う比喩だ、と。この文は、決して主体が何かをすることを表現せず、むしろ一定の〈ただ生じること〉を指示している。
以上を踏まえれば、《自由意志は存在しない》とはいかなる事態かも明らかになる。これは必ずしも《決定論が成り立つ》といった事態ではない。なぜなら《自由意志が存在しないこと》と《非決定論が成り立つこと》は両立しうるからだ。むしろ「自由意志は存在しない」という文は《この世に主体的行為はひとつも存在せず、あるのはただ生じる出来事だけだ》という事態を指す(この出来事が決定論的法則に従っていようが非決定論的に法則に従っていようが、どちらでもよい)。自由意志が無いとき、この世から一切の主体、一切の行為が消滅する。そしてこの世には、たんなる物体の運動と相互作用しか、すなわち純然たる自然現象の蠢きしか存在しないことになる。
必ずや押さえるべきは、自由意志が無い場合には「行為」と呼ばれるべき何かも無い、という点だ。ここから人生の意味をめぐるひとつの問題が帰結する。その理路は以下。
この問題(すなわち人生の意味をめぐるひとつのタイプの哲学的問題)が帰結するためには《人生の意味は実現や達成によって得られる》などの前提が要る。それゆえ以下ではこれを前提する(他の前提でも、変更すべき点を変更すれば、同様の理路が成り立つ)。さて、自由意志が無いならば、実現や達成も無くなる。なぜなら、〈実現すること〉や〈達成すること〉は行為の一種だが、(すでに指摘したように)自由意志が存在しないときにはそもそも一切の行為が存在しないからである。かくして――先の前提を認める限り――自由意志が無ければ、人生に意味は無い。
いささか簡潔だが、これが人生の意味をめぐる問題が帰結する理路の骨格だ。以下、要点を腹で理解することを目指し、複数の角度から肉づけしていく。
看過すべきでないのは、人生の無意味さをめぐるこの問題にとって《実現や達成があらかじめ決定されているか否か》は関係しない、という点だ。問題は決して先行決定性から生じるものではない。むしろ、自由意志の不在によって一切の行為が溶解し、すべてがたんなる出来事になり、「これは……が実現した」とか「あれは……の達成だ」とか述べることがすべて空振りになる、という点こそが問題の核心である。自由意志が存在しないとき、自分の人生を有意味なものとするために何かを成し遂げようとしても無駄である。なぜなら何かを成し遂げることなどできないのだから。というのもそもそもそこには〈ひとが何かをすること〉が無いのだから。さらに言えば、そこには主体もなく、ひともいない。或る意味で、人生さえも存在しないのである。
かくして問題は、さしあたり想像されていた以上に深い。なぜならこの問題は、いわば、「人間的意味空間の崩壊」と呼べるものを含むからだ。自由意志が無ければ、私がいま書いている文章も、じっさいには、意味をもった言葉ではなく、むしろたんなる物体の戯れであることになる。それゆえ、自由意志の不在をめぐる問題がそれとして成り立つ場合には、本ノートの文章全てが「意味をもたない」戯れ的な何かではなくなる。その場合、以上で展開された議論はそれとして意味をもたず、そもそも「以上の議論」と呼ばれるべき何かも存在しないことになる。かくしてこの問題は、文字通り、語ることができない。そして――あとでいま一度強調するように――この問題の語りえなさも、自由意志と人生の意味をめぐる哲学的問題で苦しむ者の煩悶の一部である。
要点は別の角度からも表現できる。〈自由意志の問題〉に端を発する〈人生の意味の問題〉は《人生は無意味だ》というものではない。なぜならそもそも、自由意志が存在しなければ、「人生」と呼ばれうるものも存在しないのだから。かくして問題は、人生にかんして「有意味だ」とか「無意味だ」とか言いうる以前の境域にある。この境域においては、繰り返し述べるとおり、行為もなく、主体もおらず、たんなる出来事が生じるのみである。そしてそれは「意味のあることを行なおう!」や「有意義なことを実現しよう!」という思いの一切を馬鹿ばかしいものにする境地である。
徐々にまとめへ向かおう。
自由意志の問題が将来する〈人生の意味をめぐる問題〉は、直前に指摘されたところの、人間的意味空間の全面的崩壊の一側面である。自由意志の不在に起因する〈人生の意味をめぐる問題〉へじっさいに直面しているひとは、この問題の表現し難さを感じる。なぜならこの問題が気づかれる境地は、「……する」や「……と考える」といった表現さえも空回ってしまう、無行為的な境域だからである。かくしてこの問題へ直面しているひとは《自分が無行為的な出来事の海へ溶解してしまわないこと》を不思議に思う。「なぜ自分はまだ正気に留まっているのか?」とはいえ同時に、自分が崩壊のふちにいるとも感じられる。この文章を書きながら、私自身も主体性と自己の崩壊のふちにいることを体感し、現在、この場所に特有の吐き気に苦しんでいる。
けっきょく自由意志をめぐる問題は、ひとつの方向で先鋭化されるとき、自己の不在の問題へ至る。私はじつは存在しない。私の人生はそれとして成り立っていない。私は自分の生を「有意味なもの」にせんと努めざるをえないが、こうした努力はすべて空回る。そもそも努力も人生も有意味性も無いのだから――。
主体もなく、ひともいない。こうした事態は、ひとによっては、解脱の境地と感じられるかもしれない。だが、ほとんどの場合、それは欺瞞である。なぜならたいていのひとは《私はこの認識によって解脱を達成する》と考えているから(すなわち、第一に〈達成すること〉は行為であるし、第二にそもそも、考えることはたんなる出来事でない以上、そう考えること自体が行為や自由意志の存在を前提する)。そして、欺瞞を回避したいのであれば、この考えすら断つ必要がある。いや「断つ」とすら言えず、けっきょくここには「解脱すること」すらない。そもそも解脱する主体など一人もいなかったのだから。だが、こうなると認めざるをえないとおり、この真理は生きられない。なぜなら〈生きること〉は主体の存在を前提するから。かくして上述の〈人生の意味をめぐる問題〉に直面するひとは不条理の袋小路にはまり込む。ここから抜け出すことはできない。
よく知られているように、非決定論的な動きはときにそれを行なう個体自身の利益に寄与する。それゆえ、ある程度周知の事柄だが、帰結主義的であったり道具主義的であったりする非両立論的な〈自由意志〉の概念は可能である。本ノートはこの点について。
トイ・モデルで説明する。無数の個体たちの集団を考える。個体たちは一定の空間を移動し、ランダムに出会う(簡単のため、出会いは二個体間に限られ、三個体以上の同時的遭遇は無いものとする)。ふたつの個体が出会うとジャンケンする。勝った個体は1点を得る。負けた個体は0点、そしてあいこは双方0点。ジャンケン後、二個体は別れ、それぞれふたたび空間をウロウロする。一定期間において、平均獲得点数が約「1/3」以上の個体は生き延び、「1/3」を顕著に下回る個体は死ぬ。
さて、ある個体が「1/3」あたりの平均点を得るために採るのが合理的な戦略は何か。じつに、出す手の確率の振り分けを(グ,チ,パ)=(1/3,1/3,1/3)とする非決定論的な戦略を採れば、ジャンケンの回数が十分に多い場合、平均獲得得点は「1/3」あたりになってくれる。押さえるべきは、この非決定論的戦略は周りの個体たちの戦略に依存せず平均獲得点数「1/3」を保証する、という点だ。逆に、例えばグ→チ→パ→グ→チ→パ→……といった決定論的戦略を採る場合、周りの個体の戦略次第では平均獲得得点が「0」になる。
以上のトイ・モデルの教訓は明快である。それは決して、あらゆるタイプの〈非決定論的な動き〉がどんな場合でも必ずすべてのタイプの〈決定論的な動き〉よりもたくさんの利得を保証する、というものではない。教訓はもっと控えめだ。すなわち、状況に応じては特定のタイプの〈非決定論的な動き〉が個体自身にとってベストでありうる、ということ。この教訓は控えめだが、示唆も多い。個体は、文脈や状況に応じて決定論的な戦略を使いつつも、必要に応じて非決定論的な戦略を用いることで自己の生存可能性を高めることができる。非決定論も帰結主義的あるいは道具主義的な自由に役立つ、ということだ。
この点を押さえれば、進化の歴史を通じて生まれてきた種が、自己のどこかに非決定論的なメカニズムを組み込んでいる、という可能性(あくまで可能性!)に気づかれる。例えば、認知機構のどこかで量子の「観測」が活用され、そこで生じた確率的な結果を行動アウトプットにつなげる、ということが行なわれているかもしれない。当たり前だがこれは《じっさいにそうだ》と言っているわけではない。ただ帰結主義的あるいは道具主義的なリバタリアニズムの〈自由意志〉の理解可能性に言及しているのである。私自身は――別方面から得られる理由から――この種のリバタリアニズムの発想に与しない。だが《自己の最大利得を追求するスピーシーズが、合理的な理路によって、非決定論的な動きを獲得する》という事態の理解可能性は否定されない。
もうひとつ例を加えて、以上の話を敷衍しよう。
出す手の確率の振り分けを(グ,チ,パ)=(1/3,1/3,1/3)とする非決定論的な戦略を採れば、ラプラスの悪魔的な対戦相手――すなわち、あらゆる決定論的な戦略に従うムーブを予測することができ、さらに理想的な帰納的推論を行ないうる個体――との繰り返しジャンケン勝負においてさえ、平均獲得点数「1/3」あたりを確保できる。この指摘は、噛み締める価値がある。(ちなみに本質的な話ではないが、確率の振り分けを例えば(グ,チ,パ)=(1/2,1/3,1/6)とする戦略を選んだ場合、勝負が何度か行なわれた後、この悪魔的な対戦相手は帰納的推論によってこの振り分けを発見し、彼の戦略を(グ,チ,パ)=(1,0,0)と定めるだろう。これによってこちら(すなわち当の個体)の平均獲得点数は「1/6」へ引き下げられ、こちらは死ぬ。ひとつの教訓は次だ。すなわち、確率戦略はどれもイーブンではなく、状況に応じて使い分けられねばならない、と。)
「ラプラス的な」ケースにおいて最も重要な点は何か。それは、この対戦相手にたいしてはいかなる決定論的な戦略もまったく役立たない、という点だ。じっさい、決定論的戦略を採用する限り、悪魔は確実に勝ち、こちらの平均獲得点数は「0」になる。ラプラスの悪魔から点を勝ち取る道は非決定論に頼る以外にない。教訓は次。すなわち、相手によっては、或る非決定論的な戦略がいかなる決定論的な戦略よりもベターなものとなる、と。
前期の試験やレポートの採点が終わったので、喫茶店でのんびり本を読めるようになった。もちろんするべきことも多いが、長い目でみると、勝手気ままな読書もまた私にとって〈するべきこと〉である。直近では中村真一郎の『頼山陽とその時代』(ちくま学芸文庫、2017年)を読んでいるが、たいへんよい。頼山陽は――よく知られているとおり――無断で脱藩し(すなわち広島を脱出し)京都に向かった。けっきょく連れ戻されて幽閉、そして廃嫡。その結果、山陽は「余計者(よけいもの)」となるが、嫡子であることのプレッシャーから解放されたためか、その後ハイクオリティな仕事を生み出し続ける。とかなんとか、中村の書きぶりが面白いので、いつまでも読んでいられる。
いつまでも読んでいられると言えば、先日藤本タツキの『ルックバック』(ジャンプコミックス、2021年)を単行本で買って、移動中に読んでいたが、没頭してしまい電車を乗り過ごした。ハッとわれに返ると、自分の降りるべき駅を過ぎたところだった。みなさんも経験があるだろう。ちょうど駅を過ぎた瞬間に気がつく、というやつだ。『ルックバック』もたいへんよい。
そろそろ本題へ入ろう。青山拓央の『哲学の問い』(ちくま新書、2024年)である。
同書は、哲学という分野で提示された理論を紹介するものではなく、むしろより根本的に〈哲学すること〉をそれとしてデモンストレーションせんとするものだ。かくして同書については要約が意味をもたず、その結果、《同書は……と主張する》といった仕方の紹介ができない。それゆえ、ここ数日――この本を紹介したいなあと思っているのだが――《どう紹介すればよいか》を悩んでいる。同書はふつうの仕方で紹介されることを拒む、と言えるかもしれない。だから、以下では、ちょっとふつうでないかもしれない仕方で紹介したい。
私自身のことから話を始めよう。
私自身にかんして言えば、私は現在自分で〈哲学すること〉を行なえていると考えている。とはいえいくつかの理由から《自分は哲学できているぞ》と絶対的に確信できているわけではない。いずれにせよ、より詳しい自己認識は次だ。すなわち、現時点から振り返れば「よくよく考えると二〇代の頃は、少なくとも今のようには〈哲学すること〉をできていなかったなあ」と感じるし、そして「三〇代半ばごろ、幸運な出会いによって今のように〈哲学すること〉ができるようなった」と言いたくなる、と。とりあえずこうしたことについて徒然なるままに語ろう。その流れで『哲学の問い』を推すような何かが言えるかもしれない。
私は三〇代の初めごろまで「分析哲学」に取り組んできた(いや、私は現在も分析哲学のスクールの一員を自認しているが、あまりそう承認されないようだ)。そのころの私は〈複数のイズムのうちのひとつを自らの立場として選ぶこと〉・〈自分の採らないイズムを論証によって棄却すること〉・〈自分の採るイズムをバックアップする理論を組み立てること〉を哲学の仕事と見なしていた。そしてこうした見方のもとで論文を書いたり発表したり、そして一冊の本をものしたりした。とはいえ――後に気づくのだが――いま挙げた活動に取り組むことは、それ自体としては意味がないわけではないのだけれど、やはり哲学としては足りない。なぜそうかと言えば次。すなわち、〈イズムを選ぶこと〉・〈イズムを論駁すること〉・〈イズムを支える理論をつくること〉は論理的な分析と構築をゴリゴリやっていく営みなのだが、そこには〈理解を深める〉や〈洞察を得る〉といったベクトルが欠けている、と。逆から言えば、イズムに関わりつつも〈理解〉や〈洞察〉を重視するさいには、哲学的に十分な仕事は行なわれうる。要するに、「……主義」という言葉を使うこと自体が問題なのではなく、「……主義」をめぐって論理的な分析と構築をゴリゴリやるだけではダメなのだ、ということである。
ここで《理解や洞察とは何か》が問われるかもしれない。これらの営みは、機能的には、アスペクトの転換を伴う。例えば、老婆にしか見えなかった絵が、「こう見てみなよ」という示唆を通して、にわかに若い女性として現れる。これは、はじめに術語の意味を(述語論理と集合論などの枠組みによって)定義して、終始その意味を固定したまま論理的に分析したり構築したりする、という道においては実現しない動きだ。一般に〈イズムを選ぶこと〉・〈イズムを論駁すること〉・〈イズムを支える理論をつくること〉だけに取り組む論考は重要な意味で「平板(フラット)」である。なぜならそこにおいては《ものの見え方が劇的に変わり、その結果、ある事柄がまったく違った相のもとで理解される》ということが生じないからである。逆に、知的なアスペクト変換において生じている出来事が「理解が深まる」と呼ばれるべき事象であり、それを引き超す契機が「洞察」だと言える。永井均の猫のインサイトであり、アインジヒトだ。
話を戻そう。そう、私が論理的な分析と構築をゴリゴリやるだけの人間だったころの話である。
手短に話す。大学院の後輩に「Nくん」というのがいた。私は《何がNくんを鍛え上げたのか》を知らないが、彼とはじめて出会ったときすでに彼は「平板でない」哲学的思考を行なえる人間だった。金曜日の3限目、私は某大学で論理学の講義を行なっていた(いる)のだが、講義が終わった後、喫茶店(カンフォーラ)でNくんとしゃべる。私が論理的な分析と構築のゴリゴリした話をすると、Nくんは「それは……という意味で」と洞察を与えてくれた。彼の言葉は、特定のイズムを主張するわけでも理論を構築するわけでもないが、事柄の理解を深めてくれる。毎週毎週そんな感じの会話を続けていると、「あれ、Nくんのやっているほうが〈哲学すること〉の核心なんじゃね?」という気がしてきた。私は昔から模倣が得意である。はじめにNくんのやり方を真似て、その思考法を身体化し、最終的にひとの手を借りずに〈理解〉と〈洞察〉のベクトルに即して哲学できるようになった。
Nくんと何度も会話する機会に恵まれなかったら、私は今のようには〈哲学すること〉をできていなかっただろう、と感じることは多い。私は運が良かったと思う(さきに言及した「幸運」がこれだ)。ちなみにNくんについては拙著『幸福と人生の意味の哲学』(トランスビュー、2019年)で触れたことがある。
けっきょく何が言いたいのかと言えば、Nくんとの会話が私へ与えてくれたのと同じようなものを、青山拓央の『哲学の問い』はその熱心な読み手に与えるだろう、ということだ。そんなふうに感じる。
『哲学の問い』は理論を提示する本ではない。とはいえそこに収められた文章からは、じっくり読むことによって、さまざまな洞察を引き出しうる。そうした洞察は物事の見え方をガラッと変えることにつながる。物事が別の角度から見られるようになる、ということだ。
例えば同書に収められた「実在するってどういうこと?」という文章は私にとって洞察を与えてくれるものだ。その文章に登場する二人の話者の言葉をひとつ引けば
「客観的で科学的な説明が実話にすごく近いものだと思うなら、どうして、音波や脳状態のような客観的なものこそが本当に在ると主張することに引っかかるの?」
「その主張に従うと、客観的じゃない仕方で在ると信じられてきたものは――、つまり、主観的な仕方で在ると信じられてきたものは〈本当はない〉ということになるんだよね?……」(八一頁)
となるが、ここでは〈経験〉というものの理解を深めうる示唆が提示されている。この文章(の全体)を読んで私が考えたことを書いておこう。ちなみに、だいぶ違うことを考えるひともいるだろうが、「洞察」なるものは個々人のそれぞれにとって異なる輝き方をするのである。
そもそも〈経験〉とは何か。例えば、私が《赤いものが見えること》を経験する、としよう。さて――問題提起だが――この経験に反する理論は真でありうるだろうか。或るひとは「ありえない」と答える。例えば想定された私について《赤いものが見えていない》とする理論は、このひとの考えによれば、〈経験に反するという点においてすでにして間違っていることが明らかな理論〉だからである。
とはいえ――第一に押さえるべき点として――このように考えるひとは〈経験〉にかんする一定の前提を置いている。じつに、〈経験〉には複数の捉え方があるのだが、前段落の議論は〈理論のデータとしての経験〉という見方を採っている。この見方においては、経験は理論構築の出発点であって、経験に反する理論は採用されえない。一般に「経験主義者(empiricist)」はこのタイプの捉え方を採用する。
だが〈経験〉の捉え方は他にもある。それは、〈経験〉を何かしら大きな「全体」の一部と見なし、そして「全体」のほうに実在性を認め、そのうえで〈経験〉を全体の連関において〈説明されるべきもの〉と捉える(すなわち、理論の基礎としてのデータではなく、設定された理論から導出されるべき何かと捉える)。具体的には、経験主体を世界のうちのひとつのメカニズムと把握し、経験をこの主体が外界にかんして有する〈表象〉と見なす。この捉え方において経験は、偽な表象として、間違ったものでありうる。
こうした〈表象としての経験〉という捉え方においては、或る意味で「経験に反する」理論も採用可能となる。例えば、私の赤経験を幻覚や錯覚と見なし、《私が見ているものはじっさいには青だ》とする理論は可能である。一般に「合理主義者(rationalist)」は、全体の論理的な繋がりのほうを重視し、しばしば経験を〈偽でありうる表象〉と見なす点において、以上のタイプの〈経験〉の捉え方を採用していると言える。
青山の文章から引き出される示唆は、ひとつには、《経験には互いに緊張関係にあるふたつの役割が認められている》というものだ。いや、正確には、私は文章「実在するってどういうこと?」からこの示唆を引き出すし、それを引き出さずにはいられない。そのふたつの役割とは〈データ〉と〈表象〉である。
データとしての経験はあらゆる理論の出発点となる。逆から言えば、どんな理論も、その故郷としての基礎的な経験をもつ。だがこのデータから構築された理論は、経験を〈説明されるべきもの〉の側に置く。なぜなら経験は世界のうちで表象機能を担うものだからだ。その結果、経験を説明するもの(神経細胞などのもともとは経験データから構築されたもの)のほうが、経験を生み出すものとして、経験よりも基礎的な実在と見なされる。ここにはたいへん気になる転換がある。出発点は経験論的であらざるをえないのに、いつしか合理論的な展望へ移行してしまっている、という転換だ。さてどう考えるか?(青山の問いは、私にとって、この種の転換をめぐる問いへ展開する――こうした問いの展開も〈哲学の問い〉の特徴だろう)
カンフォーラでは一度、青山拓央ともコーヒーを飲みながらしゃべった。キャンパスでたまたま会って――大きめの大学だとこうしたことはめったにないのです――「せっかくだから」と店へ行った。ちょうどその日、大森荘蔵か丹治信春の論文を読む読書会の予定があったので、「ぜひ」と引っ張って行った記憶がある。となると私が〈日本自由意志論史〉を構想し始めたころだったはずだ(丹治信春は日本自由意志論史の最重要人物の一人なのである!)。自由意志については『哲学の問い』でも繰り返し取り上げられるが、これにかんしては別の機会に論じたい。