俳句 水間寺の歴史を訪ねて (original) (raw)
今日は「俳振歴歩」の中の「俳と歴と歩」の話です。
9月18日に会社のOB会の「視て歩き」で水間観音を訪れました。南海難波駅に集合し、貝塚駅で水間鉄道に乗り換えて水間観音駅まで約1時間です。
水間鉄道は、水間寺の参拝を目的として1934年に貝塚駅から水間観音駅まで全長5.5Kmが完成しました。終着の水間観音駅舎は水間寺をイメージしたデザインで屋根には九輪が付いています。駅から水間寺までは歩いて15分程度で、昔は水間の滝の景色を楽しむためにこの水間街道沿いは繁盛していたらしいです。
水間寺には行基伝承があります。聖武天皇の勅命で行基が聖観音を探しに出かけ、水間の滝で聖観音像を授かり、その像を祀る寺院として水間寺が創建されました。水間寺は近木川(ちこぎがわ)と秬谷川(きびたにがわ)の合流地点に位置し、その合流地点は岩がゴロゴロしていて、このあたりで聖観音像を授かったと言われています。この仏様は、約6cmの聖観世音菩薩で、謹んでこれを天皇に捧げたところ、病は全快されました。この秘仏は小さな厨子に納められていて拝見することは出来ませんでした。この水間寺には三重の塔があり、井原西鶴の「日本永代蔵」にもある利生の銭の話に出てくる塔とのことです。
帰りは難波まで戻り、参加者10人全員で心斎橋の安いお店でいつものように乾杯しました。一日の歩数は15,000歩でした。
秋彼岸涼を求めて水間寺
水中に救いし秘仏堂さやか
境内に自販機一基秋茜
水間街道
行基伝説
秘仏発見の場所とされる滝
水間寺三重塔(日本永代蔵に出てくる塔)