はてのち (original) (raw)

6月に、高島屋史料館TOKYO「ジャッカ・ドフニ 大切なものを収める家」展関連イベントのウイルタの刺繍のワークショップに参加した。
「ジャッカ・ドフニ」というのは、北海道の網走にかつてあった資料館の名前で、サハリンの少数民族ウイルタの言葉で「大切なものを収める家」という意味。
会場内は撮影禁止だけれども外に夏と冬のウイルタ住居模型が置いてあった。作者は世界の台所の模型の宮崎玲子さんだった。

会場外に置かれていたウイルタ住居模型

ワークショップの講師は網走からいらっしゃったウィルタ刺繍サークル「フレップ会」の方々。戦後網走に「引き揚げ」てきたサハリン出身のウイルタである北川アイ子さんから学んだウイルタの刺繍を伝えているサークルとのことです。

自分は刺繍は初めてで何もかも心許なかったのだけど、わからなくなるたびに丁寧に教えていただき、真似ながら進めることができた。時間内には終わらないため残りは家で…と思ったら細かいところの処理がわからなくて難しかった。教えてくれる人がいるってありがたい。
本当に素人でそもそも刺繍の基礎知識がなく、メインになる特徴的な縫い方がどれだけ特徴的なのかも全然わかっていなかった。チェーンステッチとかブランケットステッチとかは、家で調べながら初めて刺繍した。

ウイルタ刺繍の財布とチャーム

2か月も経って完成にこぎつけた。細かく見ると色々しくじってるけど…仕上がってうれしい。(チャームはおみやげとしていただいたフレップ会の方々の作品です。出来が違う!)

ウイルタ刺繍の財布の蓋をめくった内側とチャームの反対側

展示にも同じ形の財布が出ていた。ふたの部分は2枚の布が重なっており、内側の布に穴がくりぬかれていて、ここから硬貨を入れると教えてもらった。
元々は革などに縫っていたそうで、厚い生地だから、裏地に糸を出さずにきれいに縫うことができるらしい。私はところどころ裏地に糸が出てしまった。

久しぶりに針を使って、自由にやると自分は針を左で持つなあ、ということを再認識した。その場合、進行は左から右のほうが理にかなっている筈なんだけど、刺繍は一針ずつ慎重にやりがちなのであまり意識しなかった。糸がかかってるかかかってないか、なかなか理解できずに考え込んでいたため。途中でやりづらいな…と感じたとき実はベストポジションではなかったのだと思う。(今更ブランケットステッチ左利き用の動画を見てこうすればよかったんだ!と感激している)
ウイルタの人は針を自分の方に向けて縫っていくという話を聞いたので、完全まっさらな初心者なら逆にそれで始められるのでは…と一瞬考えたけれども、全然余裕がなかった。

展示にも、革などで作られた伝統的な衣服や楽器、樹皮で作った日用品などが並んでいて、生活道具の美しさみたいなものを感じた。往年のジャッカ・ドフニでは触ることができる形で展示してあったとのこと。
一方で、展示を見たり図録を読んでいてとても感じたのは、ジャッカ・ドフニが政治的な場所でもあったんだなということだった。サハリンに生まれ育ったウイルタの人たちは、日本とロシアの間の国境の問題に人生を左右されてしまった。「引揚」と書いたけれども、北川アイ子さんは元々サハリンのウイルタだ。でも、彼女が生まれたころには日本の教育を受けるようになっていて、名前もアイ子さんという日本語の名前を付けられている(お兄さんはゲンダーヌさんという名前)。そうして日本人として生きることを求められてきたのに、敗戦の際には日本人ではないという理由で、サハリンを脱出する日本人に置いて行かれる。兄のゲンダーヌさんは日本軍に招集されて戦い、シベリアに抑留されるが、少数民族日本国籍がなく兵役義務もなかったため恩給の対象にならない。そういう状況に対する抗議や運動を行っていたということが分かった。
ゲンダーヌさんとアイ子さんはウイルタであるということを公表して生きたけれども、日本に引き揚げてきた他の方(アイ子さん達のご家族を含めて)は出自をあまり明らかにしなかったようで、今の私が実感できない困難があったのだと思う。
そういう状況の中で、アイ子さんがご家族から教わった(樺太にいたころアイ子さん自身は刺繍をできず、北海道に来てからお姉さんに教わったそうだ)刺繍を地元の人たちに伝えて、その刺繍を私がほんの少しでも教えていただくことができたというのは、細い細い繋がりではあるけれど大切にしたい。
講師として教えてくださったフレップ会の皆様、企画をしてくださった学芸員さん、一緒のテーブルにいた参加者の方々、ありがとございました。

この後も何か刺繍してみたいなと思うのだけれども、何を作ったらいいのかな。お財布にもう1回チャレンジしてもいいけど、何か別のもの、できれば自分の生活にあるとよいものを作ってみたい気もする。フェルトで作れて使えるものってなんだろう…ブックカバーとか…?
ワークショップでいただいた桃のような形のイルガと、リーフレットに付いていた仕上がりが四角くなるイルガとがある。後者は複雑そうだしもうちょっと練習してからかなあ。切り紙で形を切るだけでも楽しそう。

週末に滑り込みで都現美「翻訳できない わたしの言葉」 見てきた。

アイヌや韓国にルーツを持ち、日本語を第一言語に育ったアーティスト、音声日本語を母語として育ち、日本手話を第一言語として生きているアーティスト、重度障害等で言葉や身体表現の難しい人の体の声を聞くワークショップを実践してきた中で自身もALSの診断を受けたアーティスト、滋賀県ブラジル人学校インスタレーション等々。
映像作品が多いのに私が入った時間が遅かったために(3時近く)やや時間が足りなかったけど、主に日本の中の身近にも、こんなに多様な言葉があるという展示だった。私にはアートというより、知りに行った、という感じがあった。ちょうど『アイヌもやもや』を一読したところだったので、言語権!と思いました。

都現美も都の施設なので、今後の都が多様な声を受け入れる場所であってほしい。

展示スペースにいるアーティスト本人もいて、そこで来館者がコミュニケーションを取ったりしていた。私はそのやり取りを見ていて直接やり取りする勇気がなかったけれども、アーティストが心身ともに安全にその場にいられるようにするには信頼関係と努力が必要だな、と感じた。

聴覚過敏への対応や、フィジェットトイ(初めて見た)の貸出、カームダウンスペースもあった。

入口の掲示。聴覚過敏の方のための耳栓と、クールダウンのためのフィジェットトイの貸出を知らせている

一角に設けられたカームダウンスペース

新井英夫さんのスペースで配布されていた和紙を揉んでやわらかくする体験、一枚持って展示を見ながら心地よく揉んでいたら指先が切れたみたいでちょっと血がついてしまった(常に指先が荒れてて切れやすいので根本的に紙を触るのに向いてない)。揉んだ紙も汚してしまった紙も元には戻らなくて、それが自分のものなんだなと思った。でもやわらかくなった和紙の手触りは素敵。

今年も前半が終わろうとしている…! 4月から6月にかけてぐるっとパスを使ったので簡単な記録。

■八王子夢美術館

「川瀬巴水 旅と郷愁の風景」※入場
作品をたくさん見られてよかった。絶筆は平泉金色堂の冬景色を描いた作品なのですが、バージョン違いというか、元にしているのが同じ構図の同じ場所の夏の夜を描いた作品で、そちらも素敵だった。夜空にひとつ目立つ星があるの。
冬の作品(絶筆)【アートの扉】川瀬巴水「平泉金色堂」人生の旅路、踏みしめ - アートの森
夏の作品(元の作品)川瀬巴水 日本風景集 東日本篇 平泉中尊寺金色堂 昭和十年 (Primary Title) – (2011.445) – Collections

生前のスティーブ・ジョブズが巴水の作品を愛好していたということで、なぜか「ジョブズが持っていた作品(と同一の収蔵品)」のコーナーがあったのだけど、近くの土地の風景を描いた作品があったので、ジョブズと話すとき(?)には「あの作品の地元です」と説明すれば通じちゃうんだなと思った(??)。

静嘉堂文庫美術館

「画鬼 河鍋暁斎×鬼才 松浦武四郎」※割引
行きたかったやつです。
個人的な見どころはやはり「武四郎涅槃図」。武四郎の持ってたコレクションが描きこまれて(暁斎が度々注文付けられて)いるのだけど、涅槃図そのものだけでなく実物も展示されていた。
いくらか予習していったのでこれが例の傘! 例の凝革紙製刻み煙草入れ!となった。大首飾りがいくらなんでも大きすぎて、あんなのをかけて写真撮ってもらうご本人もだいぶ愉快。静嘉堂がこれでポストカードが出してるのもかなり愉快。図録も凝ってて素敵です。
武四郎記念館行きたいなあ、の思いを新たにした。一畳敷が見たいのだ…。

河鍋暁斎「地獄極楽めぐり図」も全面を見たいな、と思った。十代で亡くなってしまった少女の追善のために作った絵で、展示室に置かれていた印刷版(『とことん鑑賞 地獄極楽めぐり図』原寸の80%縮小複製)でちょっと見たら最初に亡くなってしまった場面のすぐ後に仏さまが迎えに来る場面があり、来迎!と思いました。暁斎を「きょうさい」と読むのも、『がいなもん』読んで初めて知った。こんなことから河鍋暁斎に興味を持つことになるとは思わなかったし、暁斎と武四郎それぞれの写真を並べた紙面が強すぎる。

静嘉堂文庫美術館は初めて行ったけど、曜変天目茶碗とミュージアムグッズの曜変天目ぬいぐるみのあるあそこだった。

目黒区美術館

「青山悟 刺繍少年フォーエバー」 ※入場
大学でテキスタイルアートを学んだ作家が、ミシンによる刺繍での創作を選ぶというのが面白いなと思った。いやテキスタイルアートで何が主流なのかはわかってないけど…刺繍は元々、女性の手仕事的なものとして受け止められてきた(手芸とアートの話は去年読んでた!)。それを男性作家が、ミシンでやっている。
とはいっても動画で流れている製作風景は地道な作業だった。対比として流れる、コンピューターミシンがウイリアム・モリス(作者の意識はこの辺と繋がっているみたい)の手紙の文面を自動で刺繍していく様(この記事にあるやつ)との対比などを見せられて、機械を使っているけど人間の仕事だな、という風に私は思った。
空の作品がきれいだったな。手仕事ではなかなか行いがたい。

青山悟「東京の朝」(部分)

ウィリアム・モリス『民衆の芸術』(岩波文庫)の刺繍

「8HOURS LABOUR 8HOURS RESERACH 8HOURS REST」(ロバート・オーウェンの言葉)の刺繍

文化学園服飾博物館

「オモシロイフク大図鑑」 ※入場

世界の民族衣装のコレクションから「ながい」「おおきい」「まるい」「たかい」のキーワードに合ったものを展示。韓国の木靴(ナマクシン)が小さな生き物みたいでかわいかった。松島きよえ(清江)という方のスケッチが展示されていてよかった。アジアを旅して民族衣装のコレクションをしたり写真を撮ったりしていた方。
館内撮影禁止だし展示リストも多分ないので感想が書きづらいな…でもコレクションからテーマに合ったものを引き出してきていてすごいと思う。

■WHAT MUSEUM

「感覚する構造 法隆寺から宇宙まで」※入場

パスだけで入場できてまだ見たことのないミュージアムに行ってみよう、と思って選んだ。倉庫業者の寺田倉庫建築関係の展示。法隆寺に始まり、投入堂やさざえ堂の模型があって面白かったけれど、近代建築については、ふーーむという感じで難しかった。構造家という人たちが考案して計算して作っているということを知った。
称名寺の鐘撞堂は、5分の1模型が出ていて面白かった。
関西万博の大屋根も出ていた。

投入堂の模型

さざえ堂の模型

練馬区立美術館

「三島喜美代 未来への記憶」 ※入場

ほとんど何も知らずに見に行ったけれども面白かった。元々は絵の人で、陶芸は見様見真似で初めて、情報をテーマに陶器の「割れる新聞紙」を製作したり、関心がごみに移っていく。社会的なテーマではありつつも、作者本人にとって「面白い」がすごい大きな動機になっていて、楽しそう。会場でインタビュー動画が、10年以上前のと最近のと2本流れていたけど、どちらも大阪の人って感じがあってよかった。
ご高齢とはいってもまだまだ色々なことをやりたいとお元気そうな映像であったので、見に行った後に訃報を聞いて残念に思います。パブリックアートとして各地に(東京にも)作品があるらしく、見に行ってみたい。
ところで三島さんのWikipedia記事は今のところ英語版にしかない。

陶製の「サンキス」ボックス(サンキストではない)

空き缶(陶製)が詰まった屑籠

ちょっと思ったより全然回れなかったな…という反省があるけど、企画展の具合によっては今後もまたぐるっとパス巡りするかもしれない。

前の記事から2カ月以上あいている…! あれ書いてこれ書いてということはあるのだけど、とりあえずBlueSkyに投稿したりしていました。

板橋区立美術館「『シュルレアリスム宣言』100年 シュルレアリスムと日本」を見てきた。
戦争に向かう近代日本の中でどんなふうに存在していたのかが少し分かったような気もするが、作家や作品自体についてももっと知りたかったかなあ、と思う。たぶんコンテキストがわかったほうがいい。わからん!となってしまったので。

ざっくりと気になった作品と、画像が載ったページが見つかったものはURLを貼っておく。

阿部金剛「Rien No.1」(1929)
fukuoka-kenbi.jp
シュルレアリスムの画家というよりは先駆者として紹介されていた。
空に浮かぶなんだかよくわからない物体と、断ち切られたビルなど。
リンク先の記事は結構面白かった。私は雲かな、動くの速いのかなと思って見ていた。

吉加江京司(清) 「葉(葉脈の構成)」(1939)
www.momat.go.jp
なんか好きだな。

石田順治「作品2」(1939)
岩場みたいな風景で、朱色のような、緑のような、色の加減がとても素敵だった。全然画像が見つけられなかった。

平井輝七「風」(1938)
collection.topmuseum.jp
カーテンらしきもののはためきから感じられる風と、奥にある扉(壁はない)と、それら全部の後ろにある空の具合が素敵。人間の頭の形?のオブジェはよくわからない。

堀田操「断章」(1953)
断章 / 水木しげる元ねたコレクション
なぜか「水木しげる元ねたコレクション」なるページで紹介されていた。水木しげる作品で引用されていたらしい。
荒れた前景と、遠くに見えるデパートのアドバルーンみたいなもの。それでも地面の隙間から出てきているのは植物の芽?

その後、隣にある板橋区立郷土資料館に寄った。入場無料だけど常設展で板橋の歴史がコンパクトに紹介されている。
今回は「いたばしの文人たち」というコレクション展をやっていて、全然知らない人だけど相沢朮という人の和歌の一つがちょっといいなと思った。
「ゆくりなくうれしきものはほとゝきす 人伝ならぬはつねなりけり」

歌「初聞時鳥」(相沢朮)

あと、新収蔵資料として「なりもす駅」駅名標が展示されていた。東武東上線成増駅が、2022年3月のモスバーガー創業50周年記念でモスバーガーとコラボした際のもの。モスの一号店は成増にあったのだそうです。

なりもす駅の駅名標

資料館の中庭みたいなところに旧田中家住宅が移築されていて、民具等々が所せましと置いてある。石臼を回したりしながら家の中を通り抜けて奥に進んでいくと、石仏みたいなものが並んでいて、その横にニリンソウのエリアがあるのも以前行った時と同じだった。赤塚はニリンソウの自生地だとのこと。
区の花ニリンソウ|板橋区公式ホームページ

ニリンソウ

…とそういう風に見ていて、外がいやにうるさいな動物のまねをしている中高生でもいるのかな、と外を見たら、道の向こうの家の塀からヤギが顔を出していて、全部持って行かれてしまった。顔を出してはめえめえ結構な大声で鳴いて、塀に絡んでいる植物の葉を齧っていた。

道路の向こうの塀から顔を出すヤギ

帰りに塀の前の道路まで近づいてみたら、塀の穴になってるところから顔を出してこっちを見ようとしてきた。わあーと思いながら見ていたら口をブッてされた。特にちょっかいを出したりはしていないけど、いるだけで嫌がられたかもしれない。

道路にいるこちらを見下ろすヤギ

行きは西高島平駅から歩き、帰りは下赤塚駅まで歩いた。西高島平側は高架沿いで面白くないけど、下赤塚方面は住宅地で、石仏があったり滝があったりして楽しいな。赤塚駅近くのモスバーガーで食事をして帰ってきました。

昨年は9月からロングラン上映していた映画「福田村事件」を12月にやっと見に行ったのでそのことを書くつもりだったのですが、どうにもだめそうなので下書きに置いていた本の感想を上げていきます。

晦日から元日にかけて、『金田一京助と日本語の近代』(安田敏朗著 平凡社新書 2008)を読んだ。
第1章「問題のありか」で、アイヌ語に対する金田一の植民地思想的な認識、アイヌに対する偏見と収奪、また啄木の思想的転回を例に思い込みの強さなどを挙げていて、かなりうわっとなる。アイヌの問題については第2章がメインで、3,4章は金田一の言語観と歴史・社会認識を読み解くことで、5,6章の戦後の国語審議会における金田一の認識を論じている。

アイヌに関しては本当に、金田一京助の研究は、植民地主義のような社会的背景を抜きにできないということがわかる。(口承文芸を筆録としてのみ切り出して、場や語り手のしぐさを切り捨てたこと、そもそもアイヌ語にのみ関心を向けたことなどが指摘されている。知里真志保のことをもっと知りたい)

国語の表記で言えば、助詞「は」「へ」「を」が「わ」「え」「お」にならない点は、たしか自分は高校の授業で「さすがにそれはやりすぎと思ったから」と先生に教わった気がする。この本を読むと本当に何の説明もなく、ただどこかで妥協しなくてはいけないということで決めたようだった(どこかで整理しなければいけないことであったとは思うけれど)。
福田恒存との不毛な論争(1955-56年)の紹介では、相手が若いことに気づいた金田一が急に?高圧的になったことに関して、著者が「金田一の権威と年齢を楯とした、いやらしさ全開の文章である(こういうのを一度書いてみたいものである)」(p214)とコメントしていて面白い。本当にありえないくらい失礼な文章ではある。

共同語と、そこからさらに知識人の良識によって打ち立てられる規範的な標準語の話。蝿の「ハエ」「ハイ」に関するツッコミも楽しい。
著者自身は、良識…学者の善導によって規定される日本語に対して批判的で、だからそういう国語審議会の仕組みを作った金田一に対しても「(著者自身が)多少手慣れた分野である「近代日本言語史」のなかに置いてみると、そこでは「偉い」というより「エラそう」だ、ということだけははっきりしてきたように思う」(p269)とあとがきで述べている。

正直言って、もっと全体が金田一京助アイヌの話なのかと手に取ったので、この著者の専門分野の話は違うんだなあと感じないではなかったけど、興味深かったし勉強になった。研究成果をわかりやすく(わからないところはあったけど)書いて、新書の面目躍如という感じがした。あと、この方面白いな…と思った。
あとがきの初めて買った全集は折口信夫という話や、買った全集全部読んでない話も好きだ…私は全部読めないだろうから全集なんて買えないな、と思ってたので目が覚める思いだった。

ところで自分はこの2年半ほどゴールデンカムイにはまっている。映画も早速見に行ってなかなか満足度が高かったのだけど、原作者野田サトル氏のインタビュー(『ゴールデンカムイ』野田サトル、実写化に歓喜したキャラとは 完結を迎えた現在の思い【原作者インタビュー】|シネマトゥデイ)が旧ツイッターで少々話題になっているのを見て、ああそういえばこういうところは好きになれないんだったな…と思い出していた。「適材適所」のところと、あと「嫌いといっているアイヌはいない」のところ。作者に内輪で言う分にはまあいいと思うが、それを作者が、対外的に、インタビューで言ってしまうのか、と。
それで、『金田一京助と日本語の近代』で、有名なアイヌ研究家の死に関して萱野茂が「アイヌの人々のあいだから、一つとして悲しみの声は聞かれなかったよ」と書いている(「悲しまれないアイヌ学者の死」1972年)こと、それについて金田一京助を指すのではないかと推測している研究者がいる(斉藤力「金田一京助アイヌ 」『朝鮮研究 』112号 1972年 ※国会図書館デジタルコレクション送信サービスで読めます)ということを紹介していたのを連想した。その研究者の死が悲しまれなかったのは、自分の研究のために当事者を踏み台にして収奪した側面からであるらしい。
ゴールデンカムイは基本的にアイヌの文化を尊重して、監修の人もしっかりしていて敬意をもって書かれていると私は感じているけど、どうしても、物語の最後の最後の博物館関連の部分がずれてないか?と思ってしまうし、鶴見が言ったことややろうとしたことが特にフォローされずに済んだことも大丈夫なのか…という気持ちがある。
「原作を信じてください」とか、そりゃ作者は自信を持ってるのだろうけど、作者の発言がどれだけファン、信者的なファンにハレーションするのかっていうのはもっと考えた方がいいんじゃないかなと思った。

そんな感じで2024年もよろしくお願いします。ツイッターとBlueSkyとブログと読書メーターの間で迷子になってるけど、どこかで本やらなにやらの話をしていきたい。

難民関係の本や、インドの関係など、読もうと思っているものは他にもあるのだけど、パレスチナ関係の本を読んだり映画を見たりしている。

本①基本を伝える集中講義のような新書

『世界史の中のパレスチナ問題』(臼杵陽著 講談社現代新書 2013)
歴史的な宗教の話や、近代史の話、冷戦終結後から現代にいたるまでを講義のように述べている。全部理解できてるわけではないけど、勉強になる…はず。
私はこれまで中東の人という漠然としたイメージしか持っておらず、ユダヤ教徒キリスト教徒がいる(いた)ことや、例えばアラブとトルコで言葉等が異なるという認識がほぼなかったし、イギリスが酷いし、ナクバが何かについても、ハマスに病院を運営するような慈善部門があることも初めて知った。(ほかに、日本は関係ないと思われがちだけど戦前にパレスチナ委任統治になるときに日本は連合国側にいたという指摘があったり、日猶同祖論の話だとかも出てくる)
ただ、固有名詞がさらっと出てきて把握しきれず「前に出たっけ?」と戸惑うことが多かったため、索引があるとよかった。電子書籍で読むと検索効くのかしら。
刊行が10年前なので、この密度で最近の10年についても読みたい。
西洋一辺倒の視点にならないように留意して書いていることがよくわかり、冷静な講義の中にも問題解決への願いみたいなものが確かに感じられ、おすすめ。
ちなみに臼杵氏は朝日新聞11月11日(土)の書評欄で「ガザの人道危機 奪われる人びとの命と暮らし」として本を3冊紹介していた。朝日新聞デジタルで有料だったから自分は図書館に紙面読みに行ったけど、今改めて見たら好書好日で読めました。

book.asahi.com

本②いとうせいこう国境なき医師団ルポ

『ガザ、西岸地区、アンマン 「国境なき医師団」を見に行く』(いとうせいこう著 講談社 2021)
今年、2023年になって増補・文庫版が出ていたらしく、そもそもこの本の前に2冊国境なき医師団関連本を書いていたらしい。気付かずにこの本から読んだ。
先の新書は研究者の人の本だけど、この本はいとうせいこうの取材ルポ。いとう氏はやっぱり感性で表現するタイプの、作家、クリエイターだなあと思う。
取材は2019年。取材しているのは国境なき医師団(MSF)の病院なのだが、ガザではイスラエル軍に撃たれた場合(デモで足を撃たれる話)は、最初にハマスの公的病院に行く、という話があった。
デモで足を撃たれる話は、この後に見た映像、読んだ本にも出てきたけど、具体的にどのように人体を大きく損傷させるかはこの本の内容が伝わりやすい…ように思う。イスラエルのドローンによる監視の話などもそうで、いとう氏の目を通して説明される内容は、その恐ろしさや残酷さがイメージしやすい(ただ、それがどれだけ正確なのかは、私には判断しがたいところがある)。
この時取材した医師たちや、若い男性、少年や、女の子が、2023年の今どうしているか考えると居たたまれなくなってしまう。

時折音楽の話が出てくるのも、いとうせいこうの関心を示しているようであり、よい。松葉杖を取り外して、器用仕事(ブリコラージュ)的に笛にして演奏する元フルート奏者。飛び入りの音楽療法
あとは、ヨルダンの休日にバスで観光に行くくだり。バスでは終始ダンスミュージックがかかっていて、ダンスミュージック界隈で言うハチロク(八分の六拍子)で、しかも若い女性たちが最高のタイミングでハンドクラップをし続ける、ほんの少しだけ突っ込んだところに強拍を置いてノっていくという表現(正確なところは読んでほしい)がすごく良いな!と思うものの、音楽、殊にそのジャンルの音楽についての知識がないから表現されているのがどんなものなのか全然わからない。「いかにも騎馬民族的」とか言うのもそれが正しいのかはちょっとよくわからない。ただ、聞いてみたいし見てみたい。ついでに、トルココーヒーも飲んでみたいな…。
氏の著作を、私はこれまであまり読めていない。ノーライフキングはすごい!となって、想像ラジオも一応読んでおり、アプローチの仕方が文学の人だなと思った…くらい? 実はベランダものも未読のままだと思う。2023年時点で既に還暦を迎えていらっしゃることになんとなく意外な感じを受けるし、一人称が俺の文章でこういうアプローチでこういうルポを衒いもなく書くの、若い世代にはあまり真似できないスタイルなんじゃないかなと思った。高野秀行を最近初めて読んだ時も同じような感想を持った。

10分未満の映像が3本公開されているので、参考まで。松葉杖の笛はガザ編、音楽療法が出てくるのはアンマン編。
www.msf.or.jp
【ベツレヘム編】 いとうせいこうさん中東ルポ 「ガザ、西岸地区、アンマン 『国境なき医師団』を見に行く」【国境なき医師団】 - YouTube
【アンマン編】 いとうせいこうさん中東ルポ 「ガザ、西岸地区、アンマン 『国境なき医師団』を見に行く」【国境なき医師団】 - YouTube

映画『ガザ 素顔の日常』(2019)

youtu.be

2007年にガザ地区が封鎖されて以降、困難を増しているガザ。そこに今住んでいる人々(多くは難民だが、90年代に入ってきた人もいる)から、昔はもう少し違ったという状況が語られる。
本当に海が身近な土地なんだなということや、そのほかにその前に読んでいたものが色々出てきたりもして、なるほどこれか…となったりもした。
あとは、情報量が多いというか、どういう意識で何を見たらいいのかわからなくなるところもあった。言えるのは、今この土地が破壊されているということだ。
作品中でまさに、空爆により大家族の住んでいる住まいが巻き込まれる場面もあって、停電や物資不足で生活が不便ながらも(経済封鎖されている影響)楽しそうに暮らしていた人たちの生活が破壊されて、ぞっとした。
会話の字幕が出ない部分もなにか素敵な話をしてそうなリズムが、言葉にある。キービジュアルに入っているコーヒー屋のおじさんとか。

ところで、私が行った映画館のその回には、JICAの元関係者の方のアフタートークが付いていた。前のインドの映画のアフタートークが良かったので、期待していた。
その方からのメッセージは、JICAが「平和と繁栄の回廊」など経済に係わる取組をしてきたこと、世界平和に関して日本は評価されていて、アフリカや中東では色を持っていないから、それを活かしてほしいというお話だった。NHK(取材が入っていた)は「JICAパレスチナ元事務所長 “和平へ日本がリーダーシップを”」という見出しでまとめていた。
それは大事なことで、事業を広めていくというミッションがあるのだろうけど、正直なところ、日本の役割じゃなくて映画に関する話を聞きたかったな、と感じた。質疑の際、最初に「若者へのメッセージ」という質問が来たのも、この方のお話が聞きたくて見に来ている方もいるんだなあ。自分が戸惑っただけで。
映画でこうだけ実際は少し違うというところはあるか、という質問には、子どもが荒んでいると答えていらっしゃった。女性の教育の話は私も聞きたかった。この方は、接点がないから答えられないとおっしゃっていた。

本③ アラブ文学研究者のエッセイ

『ガザに地下鉄が走る日』(岡真理著 みすず書房 2018)
学生時代から中東を旅したり、仕事で赴いたりしていた著者がパレスチナ難民に寄り添う姿勢で書いている。ナクバ以後、難民となって、各地で疎外され、ないものとして扱われていきた人々の身に起きたことが繰り返し記される。

内容が多岐にわたり難しかったのだが、一番印象に残ったこととして、70年間も難民でいるということは、いつまでもテントで暮らしているわけではないということ。その認識が、本書の中で感想を書いた学生さんと同様に、私にもなかった。
建物を建てて暮らしている「難民キャンプ」もある。けれど、建物が建ったから、それでいいとはならない。何よりも元いた土地に帰還したいというのもあるし、難民として暮らしている土地では、多くの場合国民同様の権利が保障されていないというのも大きい(もっと具体的危機として、虐殺等の危険にさらされる事例もたくさん語られる)。

女性はどうなってるのかという疑問に今のところ一番しっくりくるのがこの本かなと感じた。ただし注などで挙げられている作品に、日本語未訳らしいものが多い。
民族浄化」は、集団虐殺だけではなく、強制移住等の手段で排除することだと初めて認識した。
アラブエクスプレス展(森美術館 2012)の話題が出てくる。今、少しこうして色々読んだり見たりした後であれば、当時よりもう少しわかるだろうか。
「平和と繁栄の回廊」について、イスラエルによる占領を前提にした施策だと批判的に言及されていた。
パレスチナ救急医療協会(PMRS)」というのが出てくるけれど、映画で取材されていたあの救急隊かしら、と思った。

まだ何冊か読んでいて、読んでいる間は現在のリアルタイムの状況をあまり意識できなくなってしまうのだけど、改めて考えるたび、本の中で紹介されたあの人は、あの場所は、無事であってほしいと願うことしかできない。完全な停戦を求めます。

「燃えあがる女性記者たち」を見た。

youtu.be

インドで被差別民であるダリトの、それも女性が立ち上げた新聞社「カバル・ラハリヤ」のドキュメンタリー。インドのジャーナリストは上位カーストの男性が多い中、ダリトを中心に女性だけで、2002年にスタートした農村の開発や地方自治といった地域のニュースとフェミニズムを扱う地域新聞社が奮闘する。特に、映画が撮影されている2016年からは、youtubeを使った動画配信も始めて、草の根的に再生回数を伸ばす。動画が話題になることで、これまで放置されてきた道路の舗装や地域の医療が改善されていくという状況が描かれる。
冒頭から女性に対する性暴力の話が出てきたりとか、記者の家族関係は基本的に良好で信頼関係があるのがちゃんとわかるのに、記者たちが結婚後も仕事を続けることには決して賛成されなかったり、そのシステムの中で安全に、望むように生きるのがなんと難しいんだろうと思った。
中盤以降出てくる政治の話もなかなかのもので、選挙の候補者が女性への性暴力被害への対策を問われてはぼんやりとした政党の主義の話に終始したうえ「レイプのような精神的な問題は」と言ってみたり(精神的??)、ヒンドゥー至上主義の自警団のリーダーである若者が政策の話をされてうっとりと牛の話をしてみたり、ヒンドゥー至上主義については噂には聞いていたけど予想以上にひどいな、と思ってしまった。

私が見た回は、上映後に、インドの政治を研究しているというアジア経済研究所の湊一樹さん トークを聞くことができた。
今のインドは民主主義とは研究者には言えない、と言っていたのが印象的だった。モディ首相のもとでヒンドゥー至上主義は顕著になっているし、ウッタルプラデーシュ州首相がヒンドゥー僧なのも2期目になっていて、インドではジャーナリストが40人も殺害されていて、カバル・ラハリヤはそういうところで報道しているんだ、ということが実感された。本作に対してカバル・ラハリヤが2022年になってステートメントを出したのは、特定の政党を批判していると受け止められることに対する警戒ではとも指摘なさっていた。

ところでヒンドゥー至上主義の話で、あの人たちはお祭りを重視する、という話をされていてさ…。
最近みんぱく特別展「交感する神と人―ヒンドゥー神像の世界」を見た(面白かった!)。去年は古代オリエント博物館で「ヒンドゥーの神々の物語」もやっていたし、最近ヒンドゥーの展示多いなあ、自分も興味を持ってるから気付くのかな、RRRやインド映画その他の流行の影響で増えてんのかな…などと思ったんですけど、これひょっとするとインドの側の国策だったりするのかな。いや実際のところは、日本国内で研究者やコレクターの方々の成果を見せてもらっているのだろうし、展示自体はすごく良いものなんだけど、それでも、もしかしたらと思うと(思うだけで根拠はないです)少し考えさせられるな。

みんぱくの展示ではちょうどインドのお祭りの映像なども出ていて、夜に大きく火をたいてその周りをこの1年に生まれた子を抱きかかえて走って回るお祭りもあった。どんど焼きとかああいう感じの、多分世界中であるやつ。
映画にもお祭りの中で火をたいているところが出てきて、それは昼間に、等身大の案山子を焼いてたんですよね。多分案山子を焼くこと自体は、バーフバリでも似たようなことをやってたし、日本でもコモ焼きとかあるし…ああいう春のイメージなのかな…と思ったんですけど、映像の中のは緑の服を着た案山子で。イスラム教徒的なイメージなのかなと思った。皆オレンジのヒンドゥーのシンボルカラーを身に着けてて、その案山子は緑色の服を着ていて、周囲の人たちはまるで案山子を暴力的に扱っている、ように見えた(予告にも出てきます)。作中の記者の人たちが「対立をあおる」と言っていたし、多分、あの映像の中で焼かれていた案山子は異教徒のイメージなんだろうな。伝統文化と思われるものの中に、対立をあおるイメージを混ぜ込んでいくの怖いな。
あとは、みんぱくの展示でも感じたんだけどお祭りがだいぶ人でごった返した大騒ぎになってるからか、女性は2階の窓から見てるみたいな光景が結構あって、あっ地続きだ…と思いました。
当然ヒンドゥー教自体が全部よくないわけではないんだけど。神社自体はいけなくない筈なのに神社本庁があれなのと同じ感じで…複雑だ。

でもこういうことが実感としてわかってくると「バジュランギおじさんと、小さな迷子」もう1回見たいな。ダンスシーンの長い予告編だとだいぶアッパーに見えるけど、ヒンドゥー教の展示とか色々見た後だとハマヌーン!心臓!って思いますね。そしてこれもヒンドゥー至上主義の出てくるお話だし、素人目にも一歩間違うと女の子が非常に怖い目にあうのが明らかな場面があったし。日本語公式サイトが消滅していたけど…。

また急に「燃えあがる女性記者たち」に戻って、エンディングの打楽器の音楽よかったなあ。彼女たちの活躍は続く、という感じで終わってああいう打楽器の音楽でうきうきしてしまう。

とても全部の内容は書けないので私が感じたことと思い出したことをつぶやくだけのメモになってしまったけど、見ごたえあったし、パンフレットも解説、採録シナリオ共に充実しているのでおすすめです。

美術館行った記録等々も書きたい。今、ぐるっとパスを消化中なので。