文章練習① (original) (raw)

グウィン『文体の舵をとれ』の練習問題をやってみました。本当は執筆サークルや合評会みたいなものを作って互いに高め合うべきなのだけど、低劣なコミュニケーション能力しか持たないおれにはちょっとハードルが高いので、とりあえずここに掲示しておきます。もし講評してくれる人がいたらありがたいです。

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①文はうきうきと

問一「声に出して読むための語り」

さあさ、みなさんコートにお集まりください。そうそう、一列に並んで行儀よく。これから始まるは世にも奇妙なバスケットボール。マル秘のスポーツ。五人と五人で行儀よくチームプレイ、みんなで協力し合ってゴールを目指す……なんて、そんな綺麗な競技じゃない。そんなことできるタマじゃねえよな、お前たちは。そうだよ、それ、その眼だ。自分のことしか考えていない、相手を屈服させることだけを考えているそのギラついた貌がオレァタマラナイんだよ。だからテメェらみたいな爪弾き者の、チンピラの、どうしようもないクズどもをここに集めたんだ。こいつは最後の警告だ。勝たなきゃ終わり……ああ、そうかい。わかってんならいい。とっとと始めよう。お前ェらにもう一度浮かび上がるチャンスをやる。勝った一人だけが、たった一人だけが、もう一回だけ人間に戻れるんだ。

問二「動きのある出来事、もしくは強烈な感情」

スローイン。専用の機械によって打ち出されたボールは弧を描いてコートの中心からやや西よりの地点に落下した。すぐさま飛びついたのは佐藤と山中だ。先にボールを手中に収めたのは山中だったが、しかしスルリと忍び込ませた佐藤の手がボールをあっさりと弾いた。佐藤はボールを保持し、山中はいまにも唾を吐き捨てそうな表情で東側のコートへ歩み去った。他の三人……北沢、大井、村田はすでに東側でめいめい守備位置についている。佐藤はゆっくりとドリブルをしてセンターラインを越え……ポン、とシュートを放った。スリーポイントラインのはるか手前でまったく予備動作を見せずに。驚き、怒り、憎しみ、喜び、各人各様の表情をよそにボールは音もなくゴールをくぐった。実況の耳に障る叫び声を聞きながら、佐藤は無表情で西側のコートへ歩み去った。再び動き出した機械がボールを打ち出すべくランダムに狙いを定める。そして、再びスローイン

②句読点と文法

問一「句読点のない語り」

騒めく兵たちや嘶く軍馬が織り成す雑多な声のなか劉備はただ静かに時を眺めている既に簡雍が成都城に入ってからもうかなりの時間が経っているがまだ何の動きも見られない「やはり荷が重かったのでしょうか」孫乾が絞り出すような声で誰に語りかけるでもなく呟いたそれは説得に失敗した友が迎えるであろう必然の死を案じているのかそれとも決裂によって戦争が長引き経理が破綻することを心配しているのかいやその両方だろうと劉備は思った簡雍が降伏の説得に失敗することで発生するもう一つの問題には考えが及んでいないだろう本質が外交官の孫乾らしい思考だ状況的に簡雍が適任だったそれはこの場にいる全員の総意だ彼が最も劉璋と相性がいいはず彼ならできるやり遂げるだがこれほど時間が経っているのだからもう軍を動かすべきなのか張飛に攻撃を命ずるべきかいやまだ待つべきだ簡雍がやり遂げられないはずがない攻撃の機を逃すべきではないまだ時間はあるもう手遅れか「憲和に任せれば間違いない」劉備は逡巡に似たその感情を押し殺してそう言ったふと成都城へ視線を向けると劉備の心の動きを見計らったかのように着飾った数騎がゆっくりとこちらへ向かってくるのが見えた「よし」小さく漏れた一言を聞き逃さなかったのは同じ想いを抱いていたであろう諸葛亮だけだった孫乾は騎馬に気づかず眉間にしわを寄せたままだし麋竺は兵糧のことで部下と話し合っている諸葛亮だけが劉備をただ見つめながら鋭い眼で頷いたまったくこの男はと苦笑したい気分を押さえて劉備は頷き返すと進軍を命じたゆっくりと進め勝者とは堂々としているものだから

③長短どちらも

問一「十五文字程度の一文で作られた一段落」

しなやかな四肢がジャンプした。こげ茶色キジトラ柄が愛おしい。彼女の名前はミー。雑種の猫で五歳になる。痩せ型だが健康そのものだ。私はベッドに横たわった。彼女は下から見ても美しい。どこから見ても美しい。彼女は姿勢を変えた。私のもとへ飛び降りるつもりだ。さあ来い、と私は両手を広げる。ミーはグッと脚に力を込める。そして跳ねるように飛び降りた。「うっ」と呻き声が出てしまう。衝撃とともに柔らかな感触が伝わる。ミーは四肢を折りたたんだ。そして寝息を立て始める。ミーの咽喉が鳴る音が幸せだ。どうかこのまま健康にいてほしい。私はふわふわの体毛を撫でる。どうかこのまま幸せでいてほしい。

問二「七百字以上の一文で作られた一頁」

これはまったく他意のない質問で、いや君はこんな質問にはうんざりしているだろうけれど純粋に創作の糧のために聞きたいのだが、とりあえず公平を期するために私の専門分野でお答えしておくと、まったくもって役に立たないんだよ、歴史学ってのはまったく役たたず、どんな状況を念頭に置いたとしても私が心血を注いでる中世荘園の実態や武士階級の変遷の研究なんてのはもちろんのこと、学者としての基礎的な素養たる史料読解能力や批判検討能力だってクソの役にも立たないことは自明だろうから、おそらく私は野垂れ死にするか他人の慈悲にすがって生きていくほかない惨めな生涯が約束されてしまうし、もっと言えば私の兄貴が専門にしているマクロ経済学だっておそらくは役に立たないだろう、いや行動経済学的な知識や知見なんかは多少の役には立つかもしれないがそれはしょせん些末な事柄にすぎず大勢に影響を及ぼすほど即効性があるはずもなく、マクロ経済学の本質的なところが極限状況で役に立つとは到底思えないし、おそらくそれは文科系の学問領域、たとえば文学、社会学歴史学、経済学、教育学、法学等々ほとんどで同じことが言えるはずなのだからそういう状況でなにより役に立つのは理科系の人間でありそれ以外はカスも同然、とも言われて、私もまったくもって同意できるのだが、それを確かめようにも身近に理科系の学問領域を専門にした人間に心当たりがなく……いやはや我ながら交流の狭さに辟易としてくるよ……途方に暮れていた時に君という存在を思い出したというわけで質問なのだが、君の専門分野である天体物理学は核戦争後の荒廃した所謂ポストアポカリプスの世界でなにか生活の役に立つのだろうか。

④繰り返し表現

問一「名詞or動詞or形容詞を三回以上繰り返す一段落」

甘い珈琲を一口啜り、甘いミルクチョコレートを一口齧り、甘い台詞を一文綴る。もう夜も更けてきてあたりから人の気配が減りつつある。みんな仕事を終えて生活に戻っていくのだろう。ふと勤め人としてまっとうな社会生活を営んでいたころの記憶が頭によぎり、彼女は思わず苦笑を漏らして、頭のなかに広がったその鈍い苦みを打ち消すためにまたお菓子を手に取る。当然、こんな夜遅くに食べ物を、それも砂糖がたんまり入った文字通りのスイーツを口にしていいわけがない。そんなことは彼女もわかっている。しかし、と彼女はすっかり癖になった否定語を文頭に置いた。甘い恋物語を描くための栄養補給だ。倦み始めていた心を砂糖が綺麗に洗い流してくれる。

問二「構成上の反復」

目の前に光武帝がいる。どうして彼が光武帝であるとわかるのかというと、有名な肖像画そのものの容姿であり、自分でそう名乗ったからだ。「光武帝である」と。

疑問が次々に浮かんでくる。なぜ光武帝が、どうしてわたしの目の前に、どうやって日本語を話せているのか。

「なぜ、あなたなのです?」

「きっと君が好きだからだよ」

答えになっていない。それはわたしが光武帝を好きだから? それとも光武帝がわたしを好きだから?

私はアルコールを嗜まないし、もちろん薬物中毒でもない。睡眠もしっかりとっていてストレスも過大とはいえない。幻覚ではないはずだ。しかし、ならば、目の前のこの人は一体誰だ? いや、何だ?

「なぜ光武帝がわたしの前にいるのですか」

「それは君自身がよくわかっているはずだ」

「あなたが光武帝であるはずがない」

「君がそう思うのならそうなのだろう」

「本当に光武帝ならそうであることを証明してください」

「朕は後漢光武帝なり」

会話が成立しない。姿形は肖像画の通りなのに、表情だけは輝くような笑顔だ。まるで吸い込まれるような。

ふと気が付いた。劉秀が自ら光武帝と名乗るのはおかしい。光武帝とは諡号だ。諡号とは偉い人が死後に送られる称号のことだ。だから生前に自分の諡号を知ることはないし、ましてや名乗るなんてありえない。ということはいま目の前にいる光武帝は生者ではない。生きていない、ということは、それはつまり……。

「あなたは幽霊」

その男……いや、亡霊はいつの間にか消えていた。アパートの一室に現れたそれは分類としては地縛霊にあたるもので、「私は古代中国の名将馬援である」と主張していた。

「なぜ消えたのでしょう」

「幽霊という存在を認めたからだろうね」

相談者の若い男が不思議そうな、つまり納得しかねるといった顔でこちらを見つめる。オレは嵩張る衣装をたたみながらどう説明しようかと考える。

もちろん、オレは悪徳業者でも偽物の霊能力者でもない。れっきとした除霊協会所属の霊媒師だ。だから善良な依頼主には誠実な対応すべきであると理解はしている。しかし、どう説明しても、言葉だけでは納得できないだろう。

「つまり、さっきまでの貴方を本物の中国の皇帝と認めたから成仏したのですか」

「ちょっと違う。彼にとってオレが本当の皇帝であるかは問題じゃない。重要なのは死者が死者として具現化しえると彼が認識することだった」

「だとすると、この世に存在しえない者が存在すると、さっきの亡霊が認識することで、彼自身もそうであると無自覚に理解して、だから成仏するということですか」

「そうだ。実際、彼はなぜか馬援という古代中国人を名乗っていたが、こちらが馬援の上司だった皇帝を名乗った途端に武将であることをやめて元の性格に戻った。たぶん、死者という存在を認めることへの防衛本能だったのだろう」

「彼は現代日本人ですからね」

答える代わりにリーフレットを手渡した。今回の除霊に関する簡単な説明と、施術後に行うべきいくつかのお祓いの儀が記載されている。もっとも、お祓いといっても簡易なもので効果が見込めるものではなく、どちらかというと依頼者への気休めに近い。必要なものは塩と水と日本酒くらいに抑えて経済的負担への気配りも忘れない。依頼主はようやく安心したのか笑みをこぼした。生きている人間のほうが対応が難しいものだ。そういう意味で彼は御しやすくて助かった。というのも、やはり……。

「彼は幽霊だからな」

⑤簡潔性

問一「形容詞&副詞&会話文を使わない一段落から一頁」

音楽を聴きたい。ライブの熱気を味わいたい。彼女はヘッドフォンを装着してサムネイルをクリックした。十五秒のコマーシャルを挟んで、画面の向こう側の彼らが演奏を始める。

ドラムがシンバルを叩いて曲の始まりを告げる。ステージに吊るされたモチーフ……心臓の中心に瞳が鎮座する異形……が赤色になり雰囲気を一変させ、他の楽器たちも演奏を始める。客から歓声が上がり、満を持してボーカルが声を奏でる。

頭の中で音楽が爆ぜる。

歌詞の内容は彼女も体験したことのある感情、つまり慕情の喪失だ。自分の心の裡に潜り自分自身と対話をしているともとれる。間奏ではストリングスが観客の耳を振り回す。刻む言葉のリズム、寄り添うギターとベース、哀惜を唄うピアノとキーボード、異国へ誘うパーカッション。歌は続く。

ステージは色を変える。暖色のオレンジ。赤と青、それはパープルでもある。変貌するステージは感情の発露だ。

曲が進み、ボルテージが上がる。演者も観客もいまこの瞬間を楽しんでいる。時空を隔ててモニターの前にいる彼女もそうだ。指がリズムを刻み、唇がハミングを漏らす。曲は最終局面に至り、歌唱パートが終了するが、まだ終わりではない。ボーカルがフェイクを添えて、ギターが唄い始める。ボーカルとギターが響き合う。二人が響き合う。やがてギターが叫び声をあげて、ドラムがピリオドを打つ。ボーカルが感謝の言葉を述べて、観客の拍手、そしてフェイドアウト

動画が終わり、コマーシャルが始まる。

それは朱夏だった。

⑥老女

問一「一往復以上の場面挿入を用いた二種類の一頁」

Ⅰ「一人称(現在時制)」

散歩に出かけるにはいい天気だがどうも暑すぎる。駄目だ。日差しは健康の天敵だし、なによりチリチリと肌を焦がすあの感覚は不愉快だ。それにあの女……息子に嫁いできた、万事を取り仕切るつもりでいる傲慢な女……がまだ家にいる。

あたしはあの女が嫌いだ。がみがみと小煩く、そのくせ料理は繊細に欠ける。料理に限らず全てがガサツだ。初めて会ったときもそうだ。あの女はあたしが苦労して建てた家を不躾にじろじろと眺めまわした挙句、あろうことか評論し始めやがった。曰く「ドライフラワーは風水的によくない」だの「廊下に絵を飾ればもっと華やかになる」だの。まったく嫌な記憶だ。

くそっ、なんでこんなことばかり思い出すんだ。腹立たしい。落ち着け、苛立ちだって健康の敵だ。麦茶でも飲んで落ち着こう。小さな冷蔵庫からボトルを取り出して口をつけて、ついでに自家製のたくあんを一切れ摘む。そう、これこそ日本の味、本当の食べ物だ。思い返してみるとあれは碌な料理を作れない女だ。料理研究家だと。肉じゃがも作れないくせに。カレーすら鼻で笑って作ろうとはしない。見かねたあたしが作った豚の角煮を言うに事欠いて「味が薄い」とぬかしやがる。ラタトゥイユだと。馬鹿め。そんなの百年早いんだよ。

ふと時計を見るともう十時を過ぎている。あの女はそろそろ買い物にでかけているだろう。スマホで天気予報を見るともう少しで曇り空になるらしい。そろそろ出かけよう。鬼の居ぬ間に、というやつだ。

Ⅱ「三人称(過去時制)」

空は爽やかに澄んでいた。和子は久しぶりに散歩に出かけようかと思ったが、考え直してソファーに座りなおしてしまった。散歩日和の快晴だが、あまりに日差しが強く老人の外出には向いていない、と和子は判断したのだった。それに義理の娘である小百合がまだ在宅だという事情もあった。和子は苛立たしそうにソファーに身を沈めた。

あの女は嫌いだ、と和子はつぶやいた。細かいことを気にせず概算ですべてを決める和子と細かい所まで拘りをもつ小百合ではウマが合うはずもなく、加えて性格的に相性が悪いということに双方ともに自覚がないというのが致命的だった。

和子は連鎖的に小百合と初めて会った日のことを思い出した。和子は女手一つで息子を育て上げたことを誇りにしていて、それと同じくらいに自分の家も血のにじむような努力によって建てた神聖な城だと自負していた。だから小百合の言葉が我慢ならなかった。「ドライフラワーって風水的にはよくないらしいですね」「この辺に絵があるともっと華やかでいい雰囲気になると思うんですよ」小百合にしてみれば風水の豆知識を交えた他愛のない雑談のつもりだったらしいが、和子には驕慢な評論に聞こえた。

和子は自分が苛立ち始めているのに気づいて、部屋に備え付けられている小さな冷蔵こから冷えた麦茶を取り出して一気に飲み干した。ついでに自分で漬けたタクアンを一切れ摘まんで口にした。地味深い、塩辛い味が口の奥に溶けていった。

黄色いタクアンを縁に記憶が甦った。料理研究家、という小百合の職業も気に食わなかったのだ。料理は研究なんてするものではなく、生活のための術だというのが和子の認識だった。さらに悪いことに小百合は西欧系の料理が得意で、いわゆる日本の家庭の味が苦手で、執拗なほどにカレーや肉じゃがを作れと迫られて我慢の限界に達した小百合はつい「カレーなんて」と鼻で笑ってしまった。それが和子の逆鱗に触れ、関係性が悪化する決定打となった。

物思いから帰ってきた和子が時計を眺めると既に十時を過ぎていた。小百合は既に買い出しに出かけていた。和子はスマートフォンで天気予報をチェックし、これからさきの二時間程度は曇り空になることを確認すると帽子を手に取り玄関へ向かった。小百合の純粋な心配すら和子には耐え難かった。

⑦視点(POV)

問一「三人称限定視点」

①出来事の関係者で三人称限定視点

星は疲れていた。〈名前倒れの会〉の会場である居酒屋に向かいながらも、頭の中は来週から始まるコンペの準備でいっぱいになっていた。必須の作業と可能ならこなしたい作業、自分がやるべきこと、部下に振るべき仕事、上司に掛け合うべき事案。上司も部下も能力はあるのに熱意が足りず、自分自身の能力に不安もある。絶望感が胸の扉をノックしている。酒を飲んでいないのに景色が歪む。今日はこないほうが良かったのではないか、そう思いながら暖簾をくぐった。

喧騒と煙草の匂いが彼を出迎える。星は愛想を振りまく女将さんに一言添えていつもの座席へと急いだ。定例会合は一番奥の広い座敷席と決まっている。いつもの面子……小松、眉村、半村、平井、豊田……と名字だけなら名だたる面子に軽く挨拶を交わし自分の席についてビールを注文するまでの間、たった数分で自分の足取りが軽かったことに気づいた。やっぱり来てよかった。

席の両隣には筒井と石原がいる。ビールを一口飲むよりも彼らと軽口を交わすほうが心の滓を洗い流してくれる。楽しい。星は心の底からそう思った。ここは緩やかな連帯で繋がった同好の士となんでもない話をできる唯一の場だからだ。だから筒井の言葉が我慢ならなかった。

②もう一人の関係者で三人称限定視点

筒井は〈名前倒れの会〉にうんざりしていた。彼だけでなく、少なくとも平井と豊田は筒井と同じ感想を抱いていると既に確認している。そもそも筒井のようにありふれた苗字で〈名前倒れの会〉に参加できていること自体がおかしいのだ。筒井は煙草の煙と共に何十回と心の中で繰り返したその思いを呑み込んだ。が、胸の中で想いは渦巻き、再び口元に登っていく。

筒井はハイボールを呷り、自分は一度たりとも筒井康隆の親類ですかと問われたことはないからこんな会に参加したくはない、と隣の久野に愚痴をこぼした。ここに来るのはダメ人間ばかりで特に星は負け犬だ、とも。久野は相槌を打つだけ会話を打ち返さなかったが、筒井はそれでよかった。ただ話したいだけなのだ。既にしたたかに酔っていて理性は脆くも崩れ落ちていた。

星が腹立たしかった。彼は筒井と大学の同期だった。星は成績優秀で友達にも恵まれインカレのサークルで人脈も作り、それが功を奏して一流企業に就職した。しかも順調に出世しているらしい。筒井の現状とはまるで真逆だ。それなのに世界で一番不幸なのは自分だというような顔をしている。だから思わず星にその言葉を投げつけてしまった。

問二「遠隔操作型の語り手」

星が〈名前倒れの会〉の会場である居酒屋「ふくしま」に着いたのは午後九時を少し過ぎたころだった。会合はすでに始まっており、テーブルの料理も酒もそれなりに量を減らして、それぞれ三から四人ほどで個別の会話が弾んでいる。星は通り掛けに幾人かに簡単なあいさつを交わし、いつもの自分の席に向かった。

奥側から久野、筒井、空席、石原。星は空席を埋めるとビールを注文するとテーブルに残っていた枝豆とシーザーサラダを少しだけ食べて、まずは石原に話しかけた。星の家族のこと、仕事のこと、これからのこと。また、新婚の石原に人生の墓場に片足を突っ込んだ先達としてアドバイスを送るのも忘れない。料理と会話を酒の肴にする。久野はアルコールを受け付けない体質ゆえにソフトドリンクだけを飲んでいるが、星はビールを呷り続けている。久野との会話がひと段落付いた星は、同じく久野との会話がひと段落ついたらしく一人煙草を燻らせている筒井に近況を尋ねた。

唐突にその言葉は発せられた。

問三「傍観者の語り手」

宴会は開始から既に二時間程度が経っている。いつものようにややスロースタートな発進から徐々に盛り上がり、現在は複数のグループに分かれて笑い声と紫煙が混ざった楽しい空間となっている。対面の席の筒井さんはかなり出来上がっていて、いつものように久野さんに愚痴を垂れ流している。私の両隣の光瀬さんと神林さんもそれぞれ別の人との会話が弾んでいて、私はこの喧騒の中一人静かに珈琲を啜っていられる。星さんはまだ来ていないみたいだけど、もうじき到着するだろう。彼がこの会に参加しないなんてありえない。

私はこの空間が好きだ。この混然とした、名目ともいえないような名目で集まった男たちが他愛もない会話に興じて、深いような浅いような、中年によくある自説を開陳しては、たぶん明日には話したことさえ忘れている。本当に、この何でもない空間がたまらなく好きだ。

ガラっ、と襖が勢いよく開けられて、童顔の男が現れた。いつものように黒々とした隈が痛々しいが丸い瞳は輝いている。いつものように定位置へ座り、石原さんに話しかけている。きっとしばらくしたら親友の筒井さんと話し始めるだろう。

いつもの会合だった。楽しい、楽しい、いつもの寄り合い。だから彼ともっとも仲の良い筒井さんがそんな言葉を発するとは思っていなかった。

問四「潜入型の作者」

この〈名前倒れの会〉は苗字が有名SF作家と同じで、尚且つクリエイティブな職に就いていない者……これには趣味として創作を嗜む者も含まれる……に参加資格が与えられる。発起人は新井ということになっているが、これは星が頼み込んで彼に発起人になってもらっただけのことで、事実上の主催者は星ということになる。月に一度の定例会があり、会場である居酒屋「ふくしま」は星の幼馴染が経営している。そこで数千円程度の会費が徴収されるが、これはそのまま「ふくしま」での飲み食いの代金に充てられる。いや、この会費では「ふくしま」の代金は支払いきれない。だから星が不足分を支払っている。会計を務めるのが星であり、事情を知っている新井が黙認しているから成立していることでもある。すべては星が望んだことだった。

星は辛かった。たしかに、彼はいわゆるエリートコースを進んでいる。大阪や東京といった大きな都市部でのそれと違って広島のエリートコースはやや生ぬるいところがあるのは事実だが、それでもエリートであることには違いない。彼は表面上明るい人間だが、本質的には内向的でもっと穏やかに生きていくことを望んでいた。しかし、自分を鍛えなおそうと活動内容をよく理解せずに入ったサークルが名門のインカレサークルで、すぐに辞めれば良かったものを、持ち前の人の良さと意外な根性で乗り切り、いや、乗り切るどころか副リーダーの職まで任されるまでになり、また学業も優秀だったこともあって、広島では一二を争う有名企業に就職することができた。これも彼自身の意思というよりは彼を有名大学に入れてくれた両親への親孝行という意識の方が強かった。もちろん、ゼミの教授の強い推薦が重圧としてそこから逃げることを許さなかったというのもある。

星は孤独だった。大学の四年間で人畜無害で有益で親切丁寧な人間としてふるまうことに慣れすぎていた彼は、いまさら生き方を変えることはできなかった。同期はもちろん彼を信頼し、仕事の相談からプライベートのことまで相談してきたし、上司は有能で人格者の彼を可愛がってくれた。やがてできた部下たちも信頼できる上司であり人生の先輩でもある星を頼ってくれた。かなりの地位まで出世すると重役の娘との縁談が持ち上がり、断る術をもたない星はそれを受諾して家族が増えることになった。星は順調に出世し、順当に疲弊していった。心がくすんでいった。

筒井に再会したのは結婚式のときだった。憂鬱と呼ぶにはあまりにも軽薄で、希望と呼ぶにはあまりにも鈍重な気分でいた星は、何気なく通りかかった喫煙所でくたびれた礼服で所在なさげに煙草を吸っている筒井を発見した。筒井は変わらなかった。大学のころのままだ。人生は思うようにいっていないようだったが、星にとってそんなことは重要ではなく、筒井が大学の頃のままでいることが嬉しかった。式後そそくさと帰ろうとする筒井からなんとか連絡先を教えてもらった星の頭の中では既に一つの構想が出来上がっていた。

星は名目が欲しかった。家族や会社の人々を納得させて、月に一度だけ現実から逃げてありのままの自分でいられる空間が欲しかった。星は高校に唯一親しかった後輩である新井に事情を話し表向きの主宰となることを了承してもらい、会合作りに着手した。ネットで会員を募り、彼らの信頼を勝ち取り、会合のシステムを作り上げた。ほとんどすべての業務を星が担ったが苦ではなかった。

疲れた足を引きずるようにして星は「ふくしま」に向かっていた。頭の中は仕事のことでいっぱいだったが暖簾をくぐったとたんに押し寄せてきた居酒屋特有の熱気と喧騒と臭気がすべてを消し飛ばしてくれた。

星はいつものように女将さんに挨拶を済ませると一番奥にある大広間に向かった。総勢十五名の会員……菅と飛と草上は来ていないらしい……たちが既に笑い声をあげ、酒を飲み、煙草を燻らせ、議論を交わし、食べて、飲んで、楽しんでいる。

星は席に着くとウォーミングアップがてら石原と雑談を交わして、少しの料理と相当量のビールを楽しんだ。アルコールは彼を陽気だが内向的な一青年に戻してくれる。何でもない会話だ。しかし、それが何よりも心地よい。心が軽くなった星はメインディッシュに手を付けることにした。

筒井はどこか機嫌が悪そうな雰囲気があったが星は構わずにペラペラと語りかける。どうせ話しているうちに楽しくなるにきまっている。近況のこと、社会情勢のこと、趣味の映画のこと、昔話等々。筒井は初めそれなりに意志を感じられる返事をしたが、やがてそれは空に消えていきそうな相槌となり、やがて唸るような反応に、そしてそれすら聞こえなくなったころ、流石に筒井の変調に気づいた星は困ったような笑みを浮かべて謝罪の言葉を並べた。

なにかが切れる音がした。決定的な何かがプツリと綺麗に切断される音がした。張りつめていた何かが、切れた。

筒井の口から罵倒の言葉が発せられた。この会合を、救いがたいほど侮辱する短い言葉が星の耳朶を震わせた。

テーブルへの打撃音。破裂するような音。

星は激昂した。テーブルをひっくり返しそうな勢いで立ち上がり筒井に詰め寄った。場は静まり返った。全員が二人を唖然と見つめている。星の声とは思えないほどの激烈な詰問を筒井はなんでもないように躱して同じ言葉を繰り返した。

それは破綻への序曲だった。

⑧視点の切り替え

問一「三人称限定視点の素早い切り替え。明確な目印をつけること」

ひどく蒸し暑いビニールハウスの中、収穫の作業は続けられた。道明は薄暗くなり始めた空を見上げ、視線を戻した先にある生い茂った緑色が心臓を圧迫する。重く鈍った頭が作業速度を計算して、また同じ結果を返してくる。もうそれほど時間は残されていない。一縷の望みがあるとしたら、自分以外の全員が素晴らしい速度で収穫を終えて手伝ってくれることだけだ。

「おーい、どこまで進んだ」

怒鳴っているつもりはないのだろう、それは真由にも理解できる。農家の男は概して声が大きいが、それは遠くから指示や確認の声を飛ばす必要があるからであって、威圧のためのものではない。だが、わかっていても不快だった。普段は低い声でぼそぼそとしか話さないくせに作業中は甲高い声を張り上げるのが居丈高に思えてしまう。ビニールハウスは縦に八十メートルほどの長さがあり、いちいち電話で指示を出すわけにもいかないから仕方ないとは理解しているが、大きな声で話しかけられるということ自体がそれなりにストレスだと夫が理解していないことが苛立たしかった。

「私はいま三連の終わり。あとの二人はわからない」

土台、無理だったんだ。今日中に収穫を終えるなんて。勉はそう思いながらも両親のやり取りに耳を澄ませた。農業学校を出てからもう五年になるが家業を継ぐ、その見習い期間として低賃金での労働をこなしてきたが、この状況が続くならそれも考え直さなければならない。今日はもちろんのこと二、三日は家庭が荒れるだろう。父は無言のうちに、母は雄弁に己の不幸を語ることは目に見えている。うんざりだ。

「あっ、グエンさん、そこの一溝は飛ばしてください。俺がやりましたから」

はい、とキレのいい返事をして、グエン・クアン・ビンはスマートフォンから流れるラジオに意識を戻した。日本語講座は既に中級をかなりのレベルで把握できるようになってきた。グエンがこの職場を選んだのは作業中にラジオを聴くことが許されていたからだ。将来、通訳になりたいグエンにとってそれ以上の志望動機はありえず、よって作業の進展具合についても無関心だった。だから無心で手を動かしながらもラジオの指示通りに日本語を繰り返した。

「ソレはすれ違いデス」

もう、だめだ。道明は呟いた。どうにかなるかもしれないという希望は捨てよう。結婚記念日の食事会はしばらく先に延ばすことになる。サプライズで注文していた花束とケーキもキャンセルしなければならない。

「おーい、全員もうあがろう」

問二「薄氷:問一と同じか同種の物語を目印なしで視点を切り替える」

ひどく蒸し暑いビニールハウスの中で、暮れかかった空を見上げた道明は心臓の鼓動が極端に遅くなったような錯覚にとらわれた。妻と息子と実習生のなかで自分が最も手が遅く、だから収穫作業の遅れを他人のせいにすることはできないが、それでも焦燥感が近くで作業をしているはずの妻にむけて言葉となって発せられた。真由はその大きくて甲高い叫び声のような問いかけを無視してしまおうかという考えが一瞬頭をよぎったが、これ以上相手の機嫌を損ねるようなことすべきではないと思い簡潔に返事を返した。それほど遠くではないのにあの大きな声は気に障るが、これはもう農家の男性の宿痾と考えるべきで、事実、息子の勉も性格のわりにかなり声が大きい。彼は両親の短い言葉の往復を聞きながら、これからの生活でしばらくの間両親がどちらも不機嫌なまま過ごすことを思うと溜息がでた。農業高校を卒業してから家業を継ぐまでは、と窮屈な生活にも我慢を重ねてきたが、それでも嫌気がさしてきた。彼はベトナムから来た実習生のグエン・クアン・ビンに仕事上の指示を一つ伝えて自分の作業に戻った。グエンは快活に返事をして、スマートフォンから流れるラジオの日本語中級講座に耳を傾けつつ、無心で作業を続ける。グエンがこの職場を選んだのはひとえに作業中にラジオを聴くことが許されているからであり、将来的には日本語の通訳に就きたいグエンとしては雇い主の家族のいざこざなど知ったことではなく、自分に科せられたノルマをただこなすだけだ。

太陽がほとんど沈みかけている。収穫作業は色味の判断がつかなくなると続行不能になるが、それ以前に集荷センターの閉場時間に間に合うようにしなければならない。とすると、リミットはあと十数分といったところで、どう甘く見積もって作業は終わらない。観念した道明は全員に聞こえるように作業の終了を告げた。結婚記念日の食事会は延期にせざるを得ないし、サプライズで用意していた花束とケーキもキャンセルの連絡を入れなければならない。だからどうにか作業を終わらせたかったのに……陰鬱な影が道明の心を侵食しはじめていたが、それも他の三人の関知するところではなかった。

⑨直接言わない語り

問一「A&Bの会話文」

「次の信号右ね」

「つまり、食事というのは文化ということだね。祖先から代々受け継がれてきた遺伝的な要因は決して無視できる者じゃない。だから、最良の食事とは先祖が食べていたものを食べるということなんだ。人間というのは連綿と受け継がれてきた遺伝子の入れ物でもあるわけだからね」

「車線、左に入って。しばらくは道なり」

民法上の話になるけれど、胎児は母親の胎内にいる間はまだ人間じゃない。権利能力を有さないという意味ではね。けれど、まったく権利能力を持たないと認めてしまうと相続等に不合理が生じる。よって、胎内では権利能力を認めていないが、出生した瞬間にすでに生まれていたものとみなして胎児であった時点で発生した法的な有効とする。ヒトは生まれた瞬間に体内での権利を認めてもらえる」

「次、長島町で右折して、すぐに左折」

「命の値段という言葉に反射的な嫌悪を抱く人も少なくないだろうが、損害賠償という制度の本質は生命に値段をつけるということにある。また、この賠償請求権には相続が認められているが、個人に対する損害賠償に相続を認めるということ自体が封建社会的発想であり近代国家の在り様として正しいとは言えないという批判が……目的地に到着しました」

「はあ……疲れた。自動運転のナビも楽じゃないなあ。まあ、自分で運転するよりは楽で助けるけどさ。対話機能もバグって会話が成立しなくなっているし。あっ、車庫に入れといてね」

「はい」

「さて、とりあえず風呂入って、それからビールでも飲もうかな」

「お疲れさまでした」

「ほら、早く行って。ったく、早く行ってったら」

「はい」

「グズグズするな」

「また、明日」

問二「赤の他人になりきる:二名以上の活動で視点者は嫌いor理解不能or感覚が違う」

あのね、〈文学〉っていうのは〈カタルシス〉を拒否することなんだよね。わかるかな。人生ってそんなに劇的な終わり方をしたりしない。ドラマティックはドラマだから許されることなんだよね。けど、〈文学〉は違う。文学って言うのは人生の一片を切り取った一瞬を提示することだからスッキリするオチなんてもってのほかで、分かりやすい説明とか、張り巡らされた伏線とか、バーンと事件を解決して誰かが成長したり変化して終わりなんて、そんなの不自然だよ。君が好きな娯楽作品はそんなこと考えないでいいかもしれないよ。それは僕にはわからない。読んだことないからね。好きじゃないし。〈文学〉っていうのはそういう〈分かりやすさ〉を避けなくちゃいけない。リアリティが必要なんだよ。

そうそう、そういうこと。君の作品は特に〈型〉にこだわりすぎているからね。絶対にオチをつけなくちゃいけないことなんてない。もっとリアリティに肉薄しないと。安易な娯楽は絶対に避けなくちゃいけない。〈文学〉というのは芸術作品なんだよ。決して商品なんかじゃない。商業主義に堕落しちゃいけない。

そうか。いや、わかってもらえてうれしいよ。うんうん。それじゃあ、書き直したら……いや、ほぼ新作になるかな、それを書き終えたらまたもってきてよ。読んで講評してあげるからさ。

問三「ほのめかし」

①直接触れずに人物描写

自転車置き場は閑散としている。冬休みに登校する学生の数は少なく、在校者のほとんどが部活動生だ。教室からは管楽器の音が、体育館からはボールが弾かれる音が、聞こえる。突風が吹いて枯れ葉が浮き上がり、暗がりから明るく開けた空間へと流されていく。グランドは賑わっている。どうやらサッカー部が練習試合をしているらしい。指示の声、応援の声、叱咤の声から賞賛の声、入り乱れた雑多な声が一瞬の静寂を挟んで大きな歓声へと変わった。どうやら誰かがゴールを決めたらしい。再び突風が吹いて、自転車置き場に放置されていた薄汚れたボールがコロコロと転がった。

学校から自転車で十分ほど行くとコンビニがある。陳列されている商品は日常雑貨、弁当、飲料水、雑誌、そして花形は多種多様なお菓子たち。緻密に練り上げられた甘味と引き換えにもたらされる高いカロリーと糖質は、たとえ学生であっても、アスリートとして動いているならば頻繁に食べるべきではない。ついさっき補充されたチョコレート菓子が二袋ほど消えている。

コンビニから歩いて十五分ほど行くと住宅地が見えてくる。その中の、なんでもない一軒家の庭先で犬が吠えている。まるでいまこの時間帯に家にいるべきでない人間をとがめるように。玄関を開く。土間の片隅には、もう泥にまみれることもなくなったスパイクが無造作に放置されている。

②語らずに出来事描写

初冬の公園ではしゃぎまわる子供たち。砂場に水を流して川を作り、水で固めた砂の城を一気に崩して暴虐の神となる子供たち。ブランコを力いっぱいに漕いで大人を心配させる男児、滑り台で行儀よく順番を待つ女児。子供たちが寒さをものともせず遊びまわっている中、保護者達はそれぞれベンチに腰掛けて子供を眺めて居たり、三人ほどで固まって世間話をしたり、子供と一緒に遊んであげるなど、多種多様な過ごし方をしている。

大人と子供。成年者と幼児。保護者と被保護者。その中間に属する人間はまだいない。

公園の片隅に大きな樹がある。大きな銀杏の木だが緑豊かなその公園ではそれほど目立つ存在ではなく、銀杏の臭いが忌避されて子供はあまり寄り付かない。

近隣の高等学校で広まりつつある噂話はこの銀杏の木に関するものだ。他愛もない無害なうわさ話だが、内容が十代の学生たちの最大の関心事であるからか、広い層に流布している。

午後五時、夕暮れ時で陽が沈みかけている。まったく同じタイミングで反対側から公園に入ってきた二人は、まっすぐ銀杏の木へと向かう。二つの影がゆっくりと距離を縮める。示し合わせたかのように。あの日と同じように。

⑩酷い仕打ちでもやらねばならぬ

問一「これまでの文章を一つ選んで半分に削る」

この〈名前倒れの会〉は苗字が有名SF作家と同じで、尚且つクリエイティブな職に就いていない者に参加資格が与えられる。月に一度の定例会があり、そこで数千円程度の会費が徴収される。

星は辛かった。彼は所謂エリートだ。大学ではマーケティングサークルで副部長を任され学業も優秀。所属ゼミの教授のコネもあり広島では一二を争う有名企業に就職することができた。だが、それは本望ではなかった。

筒井に再会したのは結婚式のときだった。憂鬱と呼ぶにはあまりにも軽薄で、希望と呼ぶにはあまりにも鈍重な気分でいた星は、何気なく通りかかった喫煙所でくたびれた礼服で所在なさげに煙草を吸っている筒井を発見した。式後そそくさと帰ろうとする筒井からなんとか連絡先を教えてもらった星の頭の中では既に一つの構想が出来上がっていた。逃避の場所を作らなければならない。

彼は〈名前倒れの会〉を作り上げた。

星はいつものように女将さんに挨拶を済ませると一番奥にある大広間に向かった。総勢十五名の会員……菅と飛と草上は来ていないらしい……たちが既に笑い声をあげ、酒を飲み、煙草を燻らせ、議論を交わし、食べて、飲んで、楽しんでいる。

席に着くとまずは石原と雑談を交わして、少しの料理と相当量のビールを楽しんだ。やがて心が温まってきた星は筒井に水を向ける。

筒井は歪んだ眼をしていたが星は構わずに話し続けた。会話が筒井をも陽気にすると判断したからだ。初めは意志を感じられる返事をしたが、やがてそれは空に消えていきそうな相槌となり、やがて唸るような反応に、そしてそれすら聞こえなくなったころ、流石に筒井の変調に気づいた星は困ったような笑みを浮かべて謝罪の言葉を並べた。

筒井は口角を上げて歯を見せて嗤い、その言葉を口にした。

星は激昂した。場は静まり返った。全員が二人を唖然と見つめている。星の声とは思えないほどの激烈な詰問を筒井はなんでもないように躱して同じ言葉を繰り返した。

それは破綻への序曲だった。