ちょっとホラーでも見る? (original) (raw)

久しぶりの投稿です。

最近お仕事とプライベートがバタバタしていて、そもそも映画も見られず…

久しぶりの映画というスパイスも相まってか、めちゃよかったです。

題名を観た時、てっきりカニバリズム系の映画だと思っていました。

客人を様々に料理し、客人に食させる映画だと。

それならどれだけよかったか

個人的にはめちゃくちゃ響きました。というかめっちゃしんどい気持ち爽快な気持ちがないまぜになって、ええ感じでした。

あらすじ

孤島に佇むレストランを訪れた若いカップル(アニャ・テイラー=ジョイ、ニコラス・ホルト)。そこではシェフ(レイフ・ファインズ)が極上のメニューを用意している。しかし、レストランのゲストたちはこのディナーに衝撃的なサプライズが待ち受けていることに気づくのだった…。脚本 セス・レイスとウィル・トレイシー、監督 マーク・マイロッドが贈るダーク・コメディー。-amazon prime videoより

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※以下、所感のためネタバレを含みます。

所感

きっち~~~~~~!!!!でもざまぁぁぁぁぁみろぉぉぉぉ

これ、「奉仕する者」と「奉仕される者」の関係を、食事のフルコースと、そこに参加する人々で表現しているんですよね。めっちゃおしゃれなスリラーだ。

ちなみに観客が「奉仕される者」なのか「奉仕する者」なのか、どっちよりなのかで気持ちが変わるかと思いますが、映画を楽しむ層はきっと一般大衆寄りだと思うので、おそらく主人公のマーゴやシェフの気持ちには少なからずシンパシーを抱くのではないでしょうか。

どんだけ超一流の料理人として名声を得ても、食事を提供するという「奉仕する者」という立場は崩れないんですよね。シェフを称えるようなことを言っている客人も「奉仕される」ことには何ら疑問を持たないんですよ。

これ、たぶん飲食業とか、サービス業とか、医療職の人とか……

めちゃめちゃ見覚えありません????

もちろんお給料をもらっているから、仕事であることには変わらないんですけど、仕事の関係であるはずなのに、その場には「上下関係」が確かに存在するんですよね。

お客さん、患者さんがいなければこの仕事は成り立たないわけですが、その構造上「奉仕する者」にならざるを得ないわけです。

私も医療職なのでこの苦悩というか、確かに存在する格差につらくなったことがあります。

地面に落ちているゴミや患者さんの靴下を、患者さんの指示で拾わされた時や丁寧に説明しても「たかが〇〇に言われたくないんですけど」と言われた時に「大学院までいって勉強して、結果がこれか……」みたいなやるせない気持ちになりました。(まぁそれも、繰り返していくうちに、だんだん麻痺してきて慣れてきちゃうわけですが)

まずは主人公のマーゴ。アニャかわええええええ

私はこの女優さんをラストナイト・イン・ソーホーで知ったのですが、めちゃかわいいよね。力強い目元が特に好きで。

そんなマーゴが美食家の彼氏と超高級なレストランを訪れます。(どうにも彼氏じゃないっぽいことが後半判明)

そのレストランは孤島にポツンと立っているんですけど、食材はその地のものを使い、スタッフたちも皆がその島で寝起きしているという徹底ぶり。美食にうるさい人々はそんなストーリーも楽しんでいます。「奉仕する」ためにそこまで手を込めているわけですからね。

お客たちもスペシャルな方々です。明らかに富裕層っぽい人、成金ぽい金持ち、料理評論家、俳優とその愛人…など普段ではなかなかお目にかかれないような人たちが来ています。

また、この金持ちたちの雰囲気が鼻につくこと!(笑)彼氏もなんですけど、ひとつひとつの料理を色々と分析するんですよね。シェフの言葉に感涙したり。

パンのないパン皿ってなんやねん

とマーゴは思っていても、みんなその意図を考えだしたり。その突拍子のなさを楽しんだり。ここは完全にコメディーです。

(映画を見てどうこう言ってるおまえもやないかいっていうのはご愛敬で)

ただ、料理はどれも(明らかな激ヤバの一部を覗いて)盛り付けが美しくて、見ていて飽きさせません。おしゃれすぎて「どこ食べるんだ?これは飾りか?食べられるのか?」みたいな見た目なのも再現度が高い。

見た目だけで判断すれば、美しい>美味しそう…ではあるんですが。

また途中途中で挟み込まれる家庭料理のアンバランス加減も面白く、シェフの語りも興味深く惹きつけるものになってます。スタッフたちも一糸乱れぬ動き方で空間そのものが高尚な雰囲気をまとっているの特別感があって大変良き。

そんな雰囲気・演出もあわせて高級なコース料理、という感じです。

(後で見返してみると料理研究家「彼は階級による食の違いにいつもこだわっていたけど…」とこの映画の主題を持ち出していたりしますね。)

話が進んでいくにつれて、金持ちたちの正体が明かされていきます。

成金たちは不正にお金の横領をしていたり、料理評論家はけちょんけちょんに店をこき下ろして廃業に追い込んだり……「奉仕される側」として強者の権威を存分にふるっていたことが分かります。

あまりの不可解さにしびれを切らしたマーゴはシェフの料理に感涙する彼氏と口論になり化粧室へと向かいます。そんな中シェフが入ってくる。(激ヤバ)

ここで料理に手を付けないマーゴに「真剣に作った料理を残されると傷つく」ともっともらしいことを言います。完璧に見えるシェフのめちゃくちゃ人間らしいシーンです。

そして第一の衝撃なシーン。副料理長の自殺

めっちゃおどろいた~~~~

ここから混沌に落とされていきます。

そんな中マーゴに選択肢が。「与えるものとして死ぬか、奪うものとして死ぬか」

要は「奉仕される者」になるか「奉仕する者」になるか選択を迫られます。

また、この問答の途中でマーゴは性産業従事者として働いていたことがわかります。(しかも金持ちのうちの1人が客だったし、オーダーが結構キッツイ笑)

マーゴはシェフと同じく「奉仕する側」だったわけです。だから、本来主人公は「招かれざる客」だったということがはっきりします。だからこそこのシーンは同じ苦悩をともにする同業者としての共感関係が見られて、観ていて少しホッとするんだよな。

違和感と言えば、マーゴひとり、ペラッペラのびっくりするぐらい薄着のワンピースにブーツ、安っぽいアクセサリーという謎スタイルだったんですけど、わざと「そういう場に慣れていない」「そもそもTPOに適した洋服を準備できない」様を表したスタイリングだったんだなぁと。(スタイリングした人、天才か??)

スタイリングのみならず、確かにマーゴめちゃくちゃ浮いてるんですよ。もちろん言動もなんですけど、みんながやれ食材がどうの、どこどこではどうの、みたいな料理談義にうっとりしたり、謎な料理に高尚な解釈をしているのを「バカじゃないの?」って雰囲気で見ていたり。

そんなバカな空間に酔いしれる金持ちたちと、白ける主人公、プロとしてその空間を作り維持するスタッフたち。三者三様の有様が見ていて面白い。

ある種、シェフとマーゴは構造的に強制された「奉仕する者」同士なんですよね。

一時、シェフに樽を持ってくるように促され、抜け出したマーゴは島の中にあるシェフの自宅を探ります。そこでは彼がバーガー店の肉焼き係から料理人として確かに成り上がってきた過去が見つかります。今では金持ちたちがこぞって求める彼の高尚な料理も、原点は街中のバーガー屋なのです。

これ、めっちゃジーンときたよ…

そうだよな、どんな料理人だって、初めは大したことないはずだよな。

彼の地位ははじめからあったものではなく、彼の努力で積み上げられたもので、そんな彼の料理を高尚がって(味わうではなく)食べる金持ちたちは、とんでもなく滑稽ですよね。

「料理は本来、客の食べたいものを食べさせて腹を満たすものだ」という根本の目的からどんどんそれでしまっている成れの果てがこのレストランなわけです。

それを知っているのは「奉仕する者」である主人公のマーゴだけなのです。

そんなマーゴ、最後にチーズバーガーをオーダーします。

これがめっちゃ美味しそうなんだよな〜〜〜

はじめて、美しい<美味しそうな料理が出てきました。

またこれを手ずから作るシェフも、少し楽しそうな面持ちで、手元が鮮やかで美しいんですよ。本来の彼が映し出されているようです。

「お腹がすいている客の望むものを出し、お腹いっぱいにさせる」

それが料理人という「奉仕する者」の役目なわけです。ここで彼はマーゴの手によって原点に戻されます。

食べきれなかったチーズバーガーとお土産を受け取って彼女は脱出します。

その時のシェフの晴れやかな顔よ…結局彼は「奉仕する者」から脱することはないものの、その喜びを味わうのです。

最後のデザートは「スモア」

スタッフも客もみんな丸焼きになります。

スモアってところが良いよね。最後の最後で庶民の食べ物で締めです。

「奉仕する者」から「奉仕される者」への逆襲であり、罰で、火を使ったのはある種「浄罪」なんだろうと思います。

シェフをはじめ、スタッフたちも客たちに危害を加えることは罪である、と自覚しているからこそ火をもって自らを罰し、そして罪を洗っているのでしょう。

キリスト教的な考え方からするとやはり、火は浄罪の意味があるようです。宗教的な観点からレビューを書いている方がいらしゃいました。確かに、魔女狩りでも火あぶりだったもんね。)

ということは、あのレストランはいわば煉獄(地獄と天国の間)なのでしょう。だからこそ、地上から離された孤島にあるのかもしれません。

ひとり脱出した主人公はチーズバーガーをバクリ。最後にメニュー表で口を拭います。このシーンも良いよね……結局、料理は食べるために存在しているので、小洒落たメニュー表なんて不要なんですよね。うまいかどうか。このチーズバーガーは確かに美味しそうでした

一般庶民の皆様、特にサービス業や飲食、医療なんかに携わっている人には見てはちゃめちゃな気持ちになってほしいです。

一緒にはちゃめちゃになろうぜ。

見るからにおバカ映画です。

ラニア?サメ?クマ?……いいえ、ナマケモノです。

王道の動物スリラーが見たい方には向きません。

散々見きって、もう「王道のものは観たくない」「ちょっと変わったものを観てみたい」という方にはもってこいです。あとゲラゲラ笑いながら見たい方にも。

あとはもふもふな生き物が惨殺するさまを観たい方にも。

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あらすじ

大学の女子学生クラブ「シグマ・ラムダ・シータ」に所属するエミリーは、大学4年の最後の年になっても地味でハネない学生生活に焦りを感じていた。そんなある日、ショッピングモールでペット業者のオリヴァーと出会ったことから、物珍しいナマケモノを飼うことに。女子学生たちはたちまちキュートなナマケモノに夢中になり、エミリーは寮のマスコットにしようと提案。「アルファ」と名付けられた。だが、そのナマケモノは見た目の可愛らしさとは裏腹に、脅威の能力を持った殺人ナマケモノだったのだ。そして、ひとりまたひとりと美女たちを血祭りにあげ、寮は”殺戮の館”と化していくーーー公式サイトより

※以下、感想よりネタバレを含みます。

所感

おバカ映画っちゃあおバカ映画なんですけど、学びはある映画です。

現代らしく、主人公を含め周りの女の子達は皆SNSのフォロワー稼ぎに必死です。

フォロワーの多さがそのままパワーに直結する・・・めっちゃティーンの女の子っぽい。主人公エミリーもフォロワーを増やしたい普通のティーンの一人。フォロワーを増やして女子学生クラブの会長に当選することを夢見ています。しかし、ライバルはみんなの女王ブリアナ。もちろんフォロワーも多いし、判事の親を持つ人とは友達になるという抜け目のなさも持っています。ただ、そんな抜け目のない奴なのに投稿がどう考えても雑コラなんだよな…

主人公の友達も、全くフォロワー稼ぎに与しないスポーツマンタイプの女子、フォロワー稼ぎのために密猟したナマケモノを利用するのは良くないと諭す女子と良いやつが揃ってて見ていて楽しい。フォロワー稼ぎに必死になっているブリアナの取り巻きも「あ~いそう、こういう人…」というキャラの作り込みで色々出してくるから、登場人物の説明好きの私は観ていて結構楽しかった。

(自分だったらどんなキャラクター紹介になるんだろう、と妄想するのも好き)

そして今回のメインである、ナマケモノ

そのナマケモノ完全にぬいぐるみなんだよな。CGでもない。

出てきた瞬間「これで全編通すのか……?」と思ったけど、通した

大好きよ、ぬいぐるみを大真面目に動かして映画を撮る潔さ

あと普通にかわいい

かわいいだけじゃなくて、公式サイトにもあるように女子学生の殺し方も多種多様に富んでいて、殺戮者としてのIQが高い

サメ映画でもクマ映画でもエイリアン映画でも同じ殺し方は面白くないのをちゃんとわかってらっしゃる…

最後はちゃんと「野生動物を保護しましょう」という、ありきたりな教訓で落ちを付けているのも、おバカ映画っぽくて好印象。変に考えさせるようなよくわからない幕引きにするより、これぐらい単純な幕引きの方がすっきりするよね。

正直、題名とあらすじで大体の流れが分かってしまうので、レビューが「見なくても分かる」であふれかえっているのがもったいない。

動物パニック映画なんて大体流れがわかるやろ

その、わかりきった流れを見るのが面白いんだよ。

お酒を飲んで、スナックでもつまみながら、ゲラゲラ笑って映画を見たい。

そんな夜にお勧めする映画です。

namakemono-film.com

で、で、で、で出オチ~~~~~

予想ついてるかもしれませんがイカゲームのパロディ映画です。

大手インフルエンサーが引退に際し、フォロワーを譲る人を決めるためのデスゲームを開くという設定なのですが、とりあえずデスゲームがやらせたかった(イカゲームっぽいことをやらせたかった)んやろうなっっていう……

見るからにおバカ映画ですが、まぁおバカ映画です。

でも無性にこういう映画も見たくなるよね。

あらすじ

売れない歌手のキャリーは、インフルエンサーのジャックスプロが開催するゲーム大会に参加する。賞金は1億1500万人ものフォロワーがいるジャックスプロのSNS。キャリーの他にも参加者は起業家、ゲームストリーマー、芸人、自己啓発講師等、知名度とフォロワーがのどから手が出るほど欲しい者ばかり。用意された8つのゲームは、椅子取りゲームやかくれんぼ等、誰もが子供のころに親しんだ遊び。ルールは単純明快。勝負もはっきりつく。意気揚々と参加するキャリーたちだったが、敗者には“死”という罰ゲームが待ち受けていた。―アルバトロス・フィルムチャンネルより

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※以下ネタバレを含みます

所感

・・・・・・・・・・・・・誰?のオンパレード映画

映画の入り方はすごく良い。イカゲームよろしく8人まで参加者が絞られてデスゲームを展開していくんだけど、登場人物はみんな弱小インフルエンサー。(というより、インフルエンサーになりたい人々って言った方がいいぐらい)

主人公はシンガーソングライター。それ以外にもコメディアン、料理系youtyuber、ゲーム配信者、自己啓発系youtyuber……いそう、いそう、こういう人たち…と思える人物たち。ここの設定の仕方めっちゃうまいな??と思いました。

ゲームで仲間たちが死んでいくんだけど、途中で脱出のチャンスがあったり、仲間との友情があったり、味方につける・見捨てるといった駆け引きがあったり、めっちゃイカゲームっぽい。でも、「ぽい」だけなんだよな…笑

また、黒幕側が覆面を外したり、正体を明かす場面があるんですが……

いや、誰??????

のオンパレード。まさかの初登場

もったいぶって出すんだから主人公の関係者だと思うじゃん!!!

そもそもデスゲームが映画開始してすぐに始まるので、あんまり主人公やその周辺の情報がないままなんですよね。

でも、実際に手を下す狐(犬?)の着ぐるみは大手インフルエンサー自身(ゲームマスター)だと思うじゃん??わざとカメラも、場面も切り替えていたわけだし、なんでそうしなかったんや……まさか、ぽっと出の大手インフルエンサーの信奉者だとは思わないじゃん。「……誰?」ってなったよ!!!!

監視役の男も誰なんだよ!おそらく雰囲気から察するに主人公を陰から応援していたっぽいんだけど、だったらその場面を映せ!!!!失業で打ちひしがれてふらっと入った場末の飲み屋で、酔っぱらいのなかで美しく健気に歌う主人公に心打たれる場面とか作れ!!!!!

そんな感じで出てくる人、出てくる人…「誰?」になりがちだった。フォロワーを餌に弱小インフルエンサーを集めるとか、「理想の人物になるために太れない」みたいな大手インフルエンサーの苦悩とか、扱い方さえ変えれば面白くなりそうなのに、なぜかそこは触らない…笑

そもそもタコゲームっていう題名の時点で「wwwww」っておもいながら見る層ばかりだと思うので、その心は満たしてくれると思う。

おバカ映画というにはおバカすぎてツッコみながら笑えてくる、そんな映画が見たい方はぜひ……

でも、やっぱり謎に役者は味もあって、演技上手っていう…

なんでなんだ…

現代を舞台にした韓国ホラーです。

ちょくちょく話に聞くで気になってみてみました。

最近のモキュメンタリーものは、プロの取材班だけじゃなくて、収益を得ている大手のyoutyuberから、ここに出てくるような一般人に近い配信者まで、より観客に近い主人公が多くなってきましたね。

映像機材もドローンやハンディカメラ、定点カメラと様々な視点を用意することでよりカメラワークが面白くなってきました。

特に「コンジアム」は、「噂の廃墟を訪れる」というオカルト番組の大定番を、駆け出しの配信者たちが行うというもので、実際の視聴者の立場と、その裏側を知る配信者の両方の恐怖を味わうことができます。

あらすじ

YouTubeで恐怖動画を配信する人気チャンネル「ホラータイムズ」が一般からの参加者を募り、コンジアム精神病院への潜入を計画する。
主宰者ハジュンを隊長とする7人の男女は、いくつものカメラやドローン、電磁検出器といった機材を現地に持ち込み、深夜0時に検索を開始。

100万ページビューを目標に掲げるハジュンの演出も功を奏し、サイトへのアクセス数は順調に伸びていく。
しかし院長室、シャワー室と浴室、実験室、集団治療室を探索するうちに、ハジュンの想定を超えた原因不明の怪奇現象が続発。
やがて悪夢の迷宮と化した病院内を泣き叫んで逃げまどうはめになった隊員たちは、世にもおぞましい

映画『コンジアム』 の真実に触れることに…。ーーーーーー公式サイトより

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※以下よりネタバレを含みます

所感

個人的にはもっと背景を作りこんでほしかったな~~、もったいね~~~と。

精神病院、院長失踪の謎、精神病患者の集団自殺など要素はてんこ盛りなのに、それを全く取り扱うことなく終わってしまったのはもったいない。

冒頭のパリピ時間の10分、いや数分でもそっちに割いてくれたら…と思わざるを得ない。あの水遊びのシーンいるか?

ただ役者の演技はめちゃくちゃよかった。指示通りの動かない実行班にイライラする隊長とか、恐怖で呼吸が乱れるとか、単純に叫ぶだけでもめちゃくちゃリアルだった。韓国映画って泣くシーンをとっても顔が崩れることをいとわずに号泣するから、観客の心も打たれるよね……

なんだかんだ言いましたが。冒頭のパリピシーン。あれも本人たちがどういう人物かを表すのだと思えば必要なシーンではあるんですが。食べ物を使ってゲームをするとか、ヒエラルキーが低そうな人をいじるとか、普段のしょっぱい視聴者数とか……際立った能力はないけど目立ちたい、どこにでもいる若者を思う存分観客に見せていました。そういう普通の若者だったら持ち得る心理があったからこそ、怪奇現象が危険な域まで起こっても引くに引けなくなって。そして最後まで生放送を辞めなかったわけで。

そういう意味では必要なシーンですがちょっと冗長な感じがしてしまったのは私だけでしょうか?早くホラー展開になってくれ……と思ってしまいました笑

一行はいよいよ病院へ潜入。磁場の話をしたり、カメラの話をしたり…オカルトマニアあるあるというか、オカルト番組を見てきた人々には「あるある・・・」と思わせる説明がされます。なんとなく浮足立っている彼ら。冗談をいったり、はしゃいだり…なんとなく罰当たりな感じがすごい…

第一の怪奇現象。院長室のドアが大きな音を立てて勝手に締まります。

これ、普通に音でびっくりした。笑

ホラー番組でよくある「幽霊からの警告と思われる」シーンです。なぜ「思われる」にしたのかは、このあと後述します。その後、院長と患者たちの写真を見つけますが、この写真がちょっと嘘くさい……変に解像度が高すぎるんですよね笑

めっちゃ最近の写真をモノクロ加工したみたいな…

その後は人の髪が天井から流れ落ちてきたり。(これ、誰もツッコまなかったけど結構怖くない???)

視聴者数はどんどん増え、待機所で様子を観察しながら指示を出している隊長はガッツポーズ。きっと生配信している方も、こんな感じで回るカウンターに一喜一憂しながら配信しているんでしょうね。

そして第二の怪奇現象。彼らは降霊術を試みます。そうすると天井に張り巡らされている鈴付きのひもが一斉に揺れだします。一行パニック。

しかし、放送は続行宣言。おのおのほかの持ち場に向かう中、進行役と隊長だけになります。なんとここでとんでもない事実が。

今までの怪奇現象は「ヤラセ」だったのです。

視聴者数を稼ぐために仕掛けを施し、何も知らない参加者を驚かせ、心霊現象が起きていると思わせるようにしていました。また今後はリアクションの良い人物にわざと焦点をあててより盛り上げようという相談までします。

とんでもねぇ。でも、「ヤラセ」なんてこんなものかもしれません。

しかし、そんな相談中、鈴が一つだけ揺れますが彼らは気づきませんでした。

これが恐怖の始まりだったのです。

その後様々な怪奇現象に見舞われますが、どんどん仕込みではない怪奇現象が起き始めます。隊長のテントの電気がひとりでに消えたり、ガスコンロの火が付いたり。パソコンの画面が乱れたり。

どうにも降霊術は成功してしまったようです

潜入している彼らもだんだんパニックを起こします。

「これはヤラセなのか?」「それとも本当に怪奇現象なのか?」がだんだんわからなくなってきます。もうやめたい参加者、撮影を続けたい配信者で仲間割れを起こします。

「参加者の腕が箱に引っ張られ爪痕が残る」というヤラセじゃない怪奇現象が起きた時に、配信者側が呆然としているのがよかったです。予測できないことが起こると人ってフリーズするよね。

ここで一番「なるほど~!」と思ったのが、撮影トリックです。

登場人物以外が撮っているような映像が撮れていることに編集している隊長は気づきます。このシーンは主観映像の性質を上手に活用しているなと。私は隊長が確認するまでそれに気づいていませんでした。

参加者の一部はもう外に出ると外に出ます。こいつらは廃人になりながらも助かるのかな…と思っていました…(特大死亡フラグ

一方、潜入している配信者たちは辞めない隊長にイライラし始めますが、価格交渉を行って取り分を吊り上げ、続行することを決めます。

後半20分は驚異の怪異ボスラッシュ

人の形をした異形のものが出てくるところがめちゃくちゃ怖かったですね。

人っぽいのに、動き方は人っぽくない。映像が少し暗いのと、視点に合わせてカメラが動くので、わざと画面から切れたりするからより怖い。あの緊張感の作り方はめっちゃよかったです。

次々、一行は怪異に襲われ、病院の闇の中へ取り込まれていきました。

そしてエンディング直前。我々は最後の恐怖に落とされます。

生中継画面が映し出されますが、そのコメントに「生中継と聞いていたのに放送しないのか?」と書かれています…

なんと、初めからこの放送は行われていませんでした。

つまり、視聴者がどんどん増えていく様子も、次々映し出されていたコメントも、反応も全て怪異が見せていた幻だったのです。

この視聴者の増加も反応もなければ彼らの探索がエスカレートすることはなかったのに、それさえも怪異による幻であったと。最初から破滅に向かう結末が用意されていた、というのが怖いですね。

昔のオカルト番組をよく見ていたり、youtyuber企画の動画なんかを観ていた方は「あ~あるある…」みたいな場面が多い、そんな映画です。

意味を考える、というより画面の恐怖を体感することができる映画なので、そんなホラーが見たい方はぜひ…

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めちゃくちゃ面白かった~~~~

そもそも、こういった土着信仰や呪術、正体のわからない畏怖の物を取り扱っているホラーが大好物のわたしにはとっても面白かったです。

信仰を取り扱う映画って、キリスト教圏だと、当然のごとく神の存在が確証されているために、救う方法や救われる方法が描かれることが多いけど、「正体が分からない」という超自然的なものを信仰している場合ってそれを裏切るので結構湿度の高いホラーに仕上がるよね。

台湾の「呪詛」でも感じたけど、こういう湿度の高い「得体のしれないもの」を書かせるとアジアホラーって本当に魅力が出てくるなと個人的に思います。

そして、この映画は見返すからこそ真の魅力に気づく映画ですね。

あらすじ

タイ東北部の村で脈々と受け継がれてきた祈祷師一族
美しき後継者を襲う不可解な現象の数々…
小さな村で暮らす若く美しい女性ミンが、原因不明の体調不良に見舞われ、まるで人格が変わったように凶暴な言動を繰り返す。途方に暮れた母親は、祈祷師である妹のニムに助けを求める。もしやミンは一族の新たな後継者として選ばれて憑依され、その影響でもがき苦しんでいるのではないかー。やがてニムはミンを救うために祈祷を行うが、彼女に取り憑いている何者かの正体は、ニムの想像をはるかに超えるほど強大な存在だった……。ー公式サイトより

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※以下、ネタバレを含みます。

所感

「我々は何を信仰していたのか?」という、信仰の矛先は何なのか?

そして「信仰に救いはあるのか」というのを問いかけるような映画でしたね。

映画が始まって早々、彩度の低い画面で農村が映し出されます。この時点でぞわぞわしてくる~~~~

そしてニム(語り手)は実は重要なことを言っているんですよね。「精霊というのはあらゆるものに宿る」と。家や森、山にも宿るというあたり、アイヌのカムイの考え方に近いのかな。家という人工物にも宿るというあたり、人間が作った道具もカムイ(神)という考え方をするのと一緒だなと。だから我々が「神」や信仰の対象として設定していなくても、どんなものにも精霊は宿り、存在するわけです。

画面が切り替わって、ドキュメンタリーにあるように、今回の背景が言及されます。2018年、霊媒師であるニムを取材するというもの。このニムは女神バヤンの巫女と紹介されます。あわせて「精霊にはいい精霊と悪い精霊がいて、悪い精霊(悪霊)は人々を病気にする」と語ります。それに対して取材班は「あなたについている霊は?」と質問するんです。これ、後々めちゃくちゃ重要というか、この映画の主題にも帰っていく確信をついた質問だったんだな、と。私はブログにまとめるにあたり映画を見返して気づきました。そして、ニムは確かめるように「私は女神バヤンの巫女なのよ」と言います。このニムのシーン、実はニム自身にも言い聞かせていたんだなと後で知るわけです…

その後も、いかに地元の人々は大切にバヤンを崇めてきたか、自分たちは巫女の家系としてどれほどの役割を果たしてきたかを語ります。その系譜の中で姉であるノイが当初巫女に選ばれたが、拒んだために自分が「選ばれた」と語ります。ここ、特に取材班はツッコんでませんが、「どうやって選んだの?」「どうやって選ばれたってわかったの?」って思いませんでした????わたしは思いました笑

……結局、信仰の依り代は、家系の女性であるという説得力だけでよい、というずいぶん脆い根拠です。本人も巫女になるのは嫌だったと語っています。「体調不良が続いて、女神に身を委ねた」と。体調不良で藁にも縋る思いで祈ったところ、快方に向かったという、「偶然」ともいえる事象の重なりを「奇跡」「女神の意思」と思い込んだのかもしれません。

その後、ニムと取材班はウィロイ(ニムの姉、ノイの夫)の葬式に向かいます。このヤサンティア家の「男性」たちは皆不幸な死を遂げているようです。何となく、ニムが家族・兄弟の中でものけ者にされているというか…腫物のような扱いを受けているのがいたたまれません…(物語で後々、超自然的な力を信じ利用はするものの、その力自体は煙たがる、そんな二面的な見え方ができます)

またノイは義理の母のやっていた犬肉の店を継いだようです。(犬食は禁止されているようですが、犬肉のお店って経営できるの…?)

ニムはノイの娘ミンにお使いを頼まれますが、ミンから何かを感じたようです。ここから映画は不穏な空気をまとい始めます。どんどんおかしくなっていくミン。もしかしたら女神の継承の一部始終が見られるかもしれない…そうい考えた取材班はミン一家も撮影を始めます。ミンの周囲も、ミンが子供のようにふるまったり、乱暴になったり、全くの別人のようになる瞬間を目撃しているので、何かおかしいとは感じています。ミンは別人のような挙動を取りながら、時々正気を取り戻しているようなシーンがあります。だからこそ余計に、ミンが自分の行動のおかしさとそれによって周囲に被害が出ている様に傷ついているようで、その様子がいたたまれません。

その結果ミンは自殺未遂。ノイは背に腹は代えられないとニムに代替わりの儀式をするように頼みますがニムは断ります。「ミンについているのはバヤンではない」と…。ニムはミンと、ミンの兄のマックが近親相姦関係にあり、マックはその関係を苦にして自殺した。その自殺したマックがとりついているのではないかと推察します。

ミンは失踪。見つけるためにニムがマックの自殺場所で儀式を行います。ここの儀式がなんとも不気味で…黒いどろっとした、明らかにやばそうな卵が割れた時にぞくっとしました。このシーンは「ちゃんとニムには超自然的な力が備わっている」という証明のシーンであり、観客に「やっぱり女神バヤンはいるんだ」「ニムは巫女なんだ」と信仰に説得力を与えるシーンです。

ミンはヤサンティア家が所有していた工場跡で見つかります。しかし完全に狂人と化します。

犬を煮込むシーンが一番キました……

(と同時に、犬のサイズと鍋のサイズが合わないな?と思った)

ニムは自分の力だけではミンに取りついた悪霊は祓えないと判断し、同業者のサンティとともに儀式を執り行うため依頼に出かけます。そこではサンティが、いかにも~な儀式を行っていました。意味はないけれども、依頼者へのパフォーマンスとして「まやかしの儀式」を行って金銭を稼いでいました。そこで、呪いのもとはさまざまな霊と、ミンの父親ウィロイの先祖(ヤサンティア家)が斬首した人々の悪霊だと告げます。ミンの中にはとんでもなく多くの悪霊が入ってしまっていたのです。

ここ面白いんですが、サンティ(とサンティが取り扱う精霊)はニム(バヤン)的にはOKというところです。ミンが失踪する前、ノイがほかの霊媒師に除霊を依頼するシーンではニムが激怒しています。またサンティもノイに対して「誰に頼んだんだ」と非難めいたことを問いかけます。同じような霊媒といっても信仰や取り扱う精霊によって良い・悪いがあるんだな、とわからせるシーンです。ただ盲目的に超自然的な力を信仰しているだけではなく、そこにはルールや区別、信仰の対象の選定が含まています。

そして吉日に儀式を執り行う準備を進めていきますが、その前日にニムが急死。サンティとサンティの弟子たち、ミンの家族のみで儀式を行いますが失敗。マニやマニの妻、マニの息子、取材班も巻き込まれ全員が死亡。ヤサンティア家と書かれた釘まみれの藁人形がカメラに映り、ミンを呪っていたのは、ヤサンティア家を呪う人々だったとわかります。確かに冒頭、ヤサンティア家の祖父は労働者に石を投げられて死んだり、父は保険金目当てで件の工場に火を放った容疑で逮捕された後自殺したり、結構散々なことをやっています。だからミンだけが目的じゃないんですよ…「ヤサンティア家」なんですよね。「ヤサンティア家」を絶やすことなんです。だから、男性だけじゃなく、子どもを生す女性も範疇となります。ミンやノイが悪いことをしたわけではありません。「ヤサンティア家」に与してしまったことが今回の呪いの発端なのです。

ここはホラーの怖いところ目白押し!という感じでドキドキするシーンが多いです。

そして衝撃の、そして一番の肝となるシーン。ニムの死ぬ直前のインタビューの様子です。

死の直前にニムは「バヤンの女神がついているかわからない」と泣き崩れます。

あのシーンを見た観客は「我々は何を信じていたのか?」と一気に奈落の底へ突き落とされます。もしバヤンの女神がついていないとしたら我々は「まやかし」を信じていたわけです。散々、ニムが行っていた儀式はサンティがやっていた「商売のためのまやかしの儀式」と大差ないわけです。

これは確かに辻褄が合います。そもそも、もしバヤンの女神の加護があったとすれば、巫女であるニムが死ぬことはなかったし、祈りの場の石像が崩されることはなかったはずです。

一方で、恐ろしいことにニムは確かに超自然的な力が身についています。その超自然的な力によってミンの居場所を探し当てたわけですから。でも、それは本当に「バヤンの女神の力なのか?」は人間である我々には分かりません。

また、初めに巫女に選ばれたのはニムの姉のノイです。しかし、巫女になりたくなかった姉は女神の力を妹のニムに継承し、キリスト教に改宗します。しかし、そんな人間側の都合をバヤンは考慮するでしょうか?そして考慮する必要はあるでしょうか?そして、ノイの、また今回呪いの受け皿になってしまったミンの信じているキリストの神でさえ彼らを救ってくれることはありません。

ニムや、ノイたちが信じる神は彼らを救ってはくれませんが、人々のかけた呪いの力は子孫の消滅という大望を果たしてしまったわけです。

これ、めっちゃ怖くない?????

我々が信じて、拠り所としている神や信仰は我々を救ってはくれないけれども、怨恨を起点とした呪いは達成されるんですよ。「信仰したって救いがないやん!」……

しかし、これ、どっちが先に信仰に不安を持ち込んだんですかね?

「そもそもニムがバヤンを信じていなかった、だから信仰心が足りなかったために女神のバヤンは救済しなかった」なのか、「バヤンはそもそも存在せず、信仰したところで何も起こらない」なのか。または「バヤンは不確かな存在で、信仰したところでそもそも人間を救済する義理はない」のかもしれません。

超自然的なものが人間の理解の範疇にいると思うこと自体がおこがましいのかもしれませんね。

じっとりとしたアジアホラー、人間にとって不条理としか言いようがない超自然的なものの力になすすべがない様を観たい方にはお勧めです。

めっちゃ面白かった~

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久しぶりに邦画を観ましたが、お、おもてぇぇぇぇぇ……

でも、この重い感じが邦画の良いところかと思います。

日本て、そんなに日が燦燦と照り付けるような温かい気候ではないし、湿度は高いし、その風土をそのまま映し出したような画面作り。

このくらい明度の低い画面は陰鬱としたイメージを書きだすのにもってこいですよね。

重たいですけど、でもなんでかひきつけられて最後まで見てしまう。

そういった映画でした。

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あらすじ

また、真理子が居なくなった・・・

自閉症の妹のたびたびの失踪を心配し、探し回る兄の良夫だったが、今回は夜になっても帰ってはこない。
やっと帰ってきた妹だが、町の男に体を許し金銭を受け取っていたことを知り、妹をしかりつける。
しかし、罪の意識を持ちつつも互いの生活のため妹へ売春の斡旋をし始める兄。このような生活を続ける中、今まで理解のしようもなかった妹の本当の喜びや悲しみに触れ、戸惑う日々を送る。
そんな時、妹の心と身体にも変化が起き始めていた…。ふたりぼっちになった障碍を持つ兄妹が、犯罪に手を染めたことから人生が動きだす。

2019年、日本映画界に新たな衝撃、新たな伝説が生まれようとしている。

―公式サイトより

※以降ネタバレを含みます。

所感

弱者と弱者の食い合いをこんなに露骨に書いてしまってよいのか?という、ある種の偽善にまみれた正義感のようなものに苛まれました。

身体障碍者の兄と、自閉症の妹。

兄は造船所に働きに出ていたもののリストラにあってしまう。この時点でただでさえ社会的弱者であったにも関わらず、弱者であるがゆえに転げ落ちていってしまうわけですよ。そののち、自閉症の妹に売春させるわけですが、買春する客たちも社会的に言えば弱者なんですよね。身もふたもない話をすると「1時間1万円で女性を売るという手書きのチラシ」に電話をする人々なので、弱者に属する人々なわけです。少なくとも強者ではないんですよ

また、序盤のヤクザと売春させられているシーンを見るに、二人の母も、チーママをしながら売春して生計を立てていたのかも?と示唆するような映像が差し込まれます。そもそも性行為を見ていなければ、性行為のやり方を知らない、加えて妹の口から男性を喜ばせるためのセリフがでないと推測すると、きっとそうなんだろうな、と思わせます。

幼少期の妹と今の妹を重ねた、という画面だけの見方もあるのですが、唯一出てきた母のシーンであるということと、どうにも母がいなくなったからこそ兄は妹の元(おそらく地元)に戻ってきたような会話があるので、母も社会的弱者でありながらなんとか生きていたようです。

売春により得たお金で食事がとれるようになり、段ボールで目張りしていた窓から段ボールを取り除くシーン。「窓から光が入り込む」って基本的に良いことを決意したり、新たな門出を祝福するようなイメージがありますが、この映画では「地獄を歩む覚悟」をするシーンなんですよね。面白いのが、兄がはがしているのをみて、妹も真似して一緒にはがし始めるんですよね。こうして二人は同じ地獄の道を歩き始めます。

断っておくと、確実に兄妹での売春させられている妹は被害者ですし、売春させている兄は加害者なんですよ。でも、兄は兄で、経済的な困窮や妹の介護、今後の見通しの立たなさに苛まれていて「どうしたらよいのかわからない」という状態がありありと書かれています。兄も社会の被害者なんですよね。ちょくちょく、良夫自身も教育を受けられていないように見受けられる場面があって、今後の予想が立てられない、現実逃避してしまっているような場面が多いんです。

あと、役者の演技が上手すぎて、真理子が癇癪を起すシーンとか同じ言葉や行動を繰り返すシーンとか、それをなだめる兄のシーンとか「やめてくれ」ってぐらいしんどい気持ちにさせるんですよ。兄のイライラしたシーンなんかも、めちゃくちゃその心情の起こり方が「わかる」と思わせるんですよね。これ、実際に介護をしている人、身近に知的障害に人がいる人なんかは結構見ていてしんどい場面が多かったんじゃないでしょうか……わたしは、知的障害や精神障害のある人と多少かかわったことがある程度なのですが、自分の中の感情の起こり方、またその家族の接し方を思い出したりしましたね。

「お仕事」の中にはいじめられっ子の中学生(?)が真理子を呼ぶシーンがあるんですが、終わった後晴れやかな顔で「生きていたら良いこともあるんですね」っていうんですよ。これ、めちゃくちゃグロテスクなシーンだなと。「セックスできて、彼に生きる希望を与えられてよかった」というより「こいつ(弱者)も真理子(さらなる弱者)を結局食い物にしているだけ」なんですよ。弱者を食い物にして自分の生きる希望に結び付けるなんて、これほどグロテスクなことはないな、と思いました。

売春を続けていた真理子。予想通りと言いますか、妊娠してしまいます。もちろん相手は誰かわかりません。そして中絶費用が高額(7~8万)であることを知ります。

……これ、高額か?と思いますよね。このまま手術を受けなければ、もっと大変なことが起こるわけで、それを考慮すれば高額だろうと受けなければならないわけです。でも、彼らにとっては躊躇するぐらい高額なわけですよ。

悩んだ兄は常連の一人であるの低身長症の客に真理子が妊娠したこと、真理子と結婚してくれないかと迫るわけです。「真理子はあなたを気に入っているから」と。ここ、窓を開けて面と向かっているときは結構情に訴えかけているというか、真理子に愛情をもって必死に懇願しているように見えるんですけど、断られて窓を閉められて「俺だったら真理ちゃんと結婚すると思ったの?」と聞かれると、声色が変わるんですよね。

自閉症である)真理子でも、(低身長症の)この客なら結婚するのにちょうど良いだろう」がにじんでるんですよ。それに合わせて「(障碍者という弱者である)お前まで真理子を拒絶するのか」っていう悲痛な叫びも含まれているような気がします。でも、これだって結局兄は社会的弱者である客を食い物にしようとしているわけですよね。今まで健常者の客だっていたのに、それでもこの客を選んだというあたりに兄の薄汚い思惑が透けて見えるわけです。

どうしようもなく途方に暮れているところで、鉄工所の社長(親方)に出くわします。一人欠員がでたから戻ってくれないか、と。真理子は兄が斡旋した「お仕事」の客だと思うわけです。これ、めちゃくちゃしんどい……

彼らは弱者なので簡単に人生や運命を翻弄されてしまうし、それに抗う力(経済力だけでなく、知力や身体能力、人脈など全般の力)もないわけです。その流れ着いた結果が真理子の仕事・妊娠なのに、その発生元はまたも都合よく彼らを使おうとするわけです。それが良夫の「誰でもいいのかよ」につながります。

切羽詰まって良夫が寝ている真理子のお腹めがけてブロック塀の破片を落とそうとしますが、できません。ここに良夫の少し残った良心が見えました。そんな良夫を見て真理子は大事にしていた貯金箱を手渡します。ここの映像めっちゃよかったな~~。佇む良夫のシルエットの黒と真理子のお腹の白がすごく印象的なんですよね。

中絶手術を受けるわけですが、医師が手術中に「逃げないで」と声をかけるわけです。これは真理子自身に声をかけていると解釈すれば皮肉なもので、彼女は生きることからは逃げてないわけですよ。逃げてないから、こういう結果になってしまったわけです。もう一つは中絶をされている胎児に向けているという解釈ですが、胎児も生きるのに必死だから「逃げる」んですよね。ここで小人症の客との会話がフラッシュバックした人も多いはず。

人間の本能は「生きる」なのでどんな行動を起こしても生きようとするわけですが、成長していくと(特に弱者は)「なぜ生まれ落ちたのか(生まれない方が良かった)」という苦悩に直面します。真理子は自閉症ということもあり、その苦悩から解放されている。でもだからこそ「生きる」ために「売春・妊娠・中絶」という不幸せな目にはあってしまっているわけです。私は後者の解釈かなと思っています。(オペ中は真理子の意識がないので)

その後オープニングがループしたような映像が流れます。行方をくらませた真理子を良夫が見つけるシーン。吉野の問いかけに反応しない真理子ですが、コール音が鳴ると真理子は振り返ります。少しはにかむような、そんな顔を見せて。……解釈として「真理子も売春とはいえ、人を喜ばせられたことに喜びを感じていた」とか「低身長症の客からの電話であるという暗示」とかいろいろあると思うんですが、どれもそんな単純なものではないような気がして…わたしも答えが出ていない部分です。たぶん、観客それぞれに考えさせることができる、わざと答えが分からないようにしている良いラストなんじゃないかな~と。

現時点ですが、わたしは悲惨であればあるほど気持ちよくなるタイプなので、分岐点の表れと解釈しました。

電話はチラシを見た客からの電話で、「生活のために売春斡旋を再開する良夫」「客の依頼を断り、ギリギリの生活を選択する良夫」の分岐なのかな、と。

「さて、良夫はどちらを選択すると思いますか?」という観客への答えのない問いなんじゃないかと。

何度も見たくなる映画ではないけど、目が離せない。

見た後はしばらく引きずる映画ですが、必ず見た方が良いと思える、そんな映画です。

misaki-kyoudai.jp

はてなIDが何度やっても入れなくて、なぜ?と思いながらメールアドレスで入ってみるとすんなり入れる。

設定のところから自分のID見てみたら…

hokisyita

hokishita

NとHを打ち間違えておりました。

しかもこのID…変更不可とのこと。

このままHokishitaとして生きていきます。