『海峡』『春雷』『岬へ』海峡三部作 伊集院静|人間が生き抜くこと、信念を貫き通すこと (original) (raw)

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『海峡 海峡幼年篇』『春雷 海峡少年篇』『岬へ 海峡青春篇』伊集院静

新潮社[新潮文庫] 2024.09.21読了

伊集院静さん追悼の帯がかけられて重版されていた。表紙のタイトルの文字は伊集院さん自ら筆を取った字のようで、なんと達筆で多才な方よと思う。伊集院さんの作品は何冊か読んでいるが、実はこの作品のことはこれまで知らなかった。

『海峡 海峡幼年篇』

山口県、瀬戸内海の港町に住む英雄(ひでお)は、高木斉次郎の長男として産まれた。高木家は港を中心にして街の事業を経営する家であり、母屋とは別に従業員やその家族が住む長屋があり、総勢50人以上で大家族のように暮らす。父親は家にいることがほとんどなかったため、母の絹子と周りの優しい大人たちに支えられて育つ。

江州(ごうしゅう)は英雄にこう言う。「喧嘩は力のあるものが勝つものでもないんですよ。大事なことは向かって行けるかどうかです」最終章では、普段2人であまり話をしない父が「いいか、人は死んでしもうたらそれでおしまいじゃ。何が何でも生き抜くことじゃ」と悟す。この幼年篇で英雄はこれらの言葉を深く胸に刻む。

いつも一緒に遊んでいた親友真吾とは、最後このようになってしまうんじゃないかという予感があった。子供の頃にできた友達はかけがえのない存在。例え二度と会うことはなくとも、一生忘れ難き存在になることは間違いないだろう。

これが自伝的小説ということなら、伊集院さんはおそらく英雄で、このような家庭環境に育ったのだろうか。小さい頃の体験から感性が育まれ後の小説を生み出したのだろう。

『春雷 海峡少年篇』

ブログのタイトルに作品名を入れるとき、春雷のことを春蕾と勘違いしており、なんと読むのだろうと考えていたら春雷だった。しゅんらい、これも素敵だが勝手に思い違いしていた春蕾も良いなと思った。

英雄は中学生になっている。この多感な中学生時代がこの少年篇である。友達になった建将、ツネオ、隆、太郎、筧、そして大人っぽい都会育ちの美智子。みんな若々しく瑞々しくてエネルギーに満ち溢れており、生きているという実感が湧く。

こういうのを読むと、男に産まれたかったとつくづく思ってしまう。男同士の友情ってなんかいい。子供であれ大人であれ。もちろん女性は女性で良いところはあるんだろうし、隣の芝は青く見える的なものかもしれないが。

第二章「蝶の五線譜」では放浪者の「てふてふ」が登場する。周りに溶け込んでいないが人に見えていないものが見えているてふてふ。彼が言うには、人間にわかっているものは「死」だけであり、他のことはわかっていない。学校では教わらないことはこういうところから学ぶ。そういえば昔『学校では教えてくれないこと』というテレビ番組があり観ていた記憶がある。

『岬へ 海峡青春篇』

タイトルだけ見ると中上健次さんの作品を思い浮かべてしまうのは私だけではないだろう。高校時代のことには少しだけ触れられているが、この篇は上京した英雄の大学時代のことが書かれている。3年ぶりに会った隆、筧、ツネオ、そして美智子も登場する。

大学時代といってもキャンパスライフが書かれているわけではない。英雄は工事現場で働き、外で知り合った人達と酒を酌み交わし、恋愛をするなど街の中で成長していく。最大のシーンは父親との対峙であるが、それもお互いの気持ちが痛いほどわかるから苦しいし切ない。

真理とは何かと問う英雄に対しレイコの叔父・角永清治は言う。「いかなるものに対しても揺るぎないもの、それが真理だ」(249頁)

解説の北上次郎さんはこの三部作では幼年時代を扱った『海峡』と『春雷』を絶賛していたが、私としてはこの『岬へ』が一番良かった。自分自身が歳を重ねているから人生の深み、重みをより感じやすくなっているからか。全篇を通して「人間が生き抜くこと、信念を貫き通すこと」の重要さを説いている。

自伝的小説ということで、宮本輝さんの『流転の海』(これは父親がモデルとなっている)を思い出す。または五木寛之さんの『青春の門』も連想する(これは自伝ではなかったかな)。上巻の解説で北上さんが触れていた少年少女小説の名作として、井上靖著『しろばんば』から始まる自伝三部作を挙げていた。井上靖さんの作品、実はちゃんと読んでいない気がするから読んでみよう。

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