足跡(寺社)189・蛇窪神社(上神明天祖神社)……2020.5.8 (original) (raw)

未訪問の荏原七福神を追いかけに出かけた2020年5月8日のこと……

立会道路と並行している三間通りの商店街「蛇窪共栄会」をちょいと曲がると、前方に白蛇の街灯照明が見える。

荏原七福神の幟があり、それが目的だったのだが悲しい結末が待っていようとは……

「蛇窪神社」(品川区二葉4-4-12)……令和元年(2019年)12月建立の真新しい大鳥居。コンクリートではなく、れっきとした檜材。
写真右の青い幟で隠れているが社号碑は「村社」になっている。そもそもの旧社名は「神明社」であり、村社に昇格して「天祖神社」に改名されたときの碑のようだ。昭和15年(1940年)奉納。別称だった「蛇窪神社」を通称表記に格上げしたのが令和元年5月1日。
※ タイトルを(上神明天祖神社)としたのは、二葉1丁目にも天祖神社があるため。

社号碑の脇に「御大典紀念」の碑……明治45年(1912年)7月30日、大正天皇が即位されたのを記念した碑。

参道になぜ敷物があるのか、この時点では理解していない私だった。

狛犬、手水舎から社殿へ……

「蛇窪神社社殿」……神明社の名の通り「神明造り」の社殿。鯉のぼりはこの時期だけ。
鎌倉末期の創建で、元享2年(1322年)にこの辺り一帯が大干ばつに見舞われた際、大森にある厳正寺(ごんしょうじ)第2世法密上人が、厳正寺北西にある龍神社で雨乞いの断食祈願をした。すると大雨が降り危機が救われた。これに感謝して神社を勧請したのが始まりとの事。社殿は昭和20年の空襲で焼けてしまったとのこと。古き姿を見てみたかった。
御祭神 主神 天照大御神
配祀 天児屋根命(あめのこやねのみこと)・応神天皇
(残念ながら厳正寺は未訪問の私。)

社殿右側にあったので行ってみたが……

「弁天社改修工事中」だった……白蛇さまの祠も撫で白蛇も拝見できませんと。昭和29年(1954年)に造られたという弁天池と厳島弁天社……七福神の弁財天も見られず、少し残念だった。

【附けたり】(2023年12月3日の写真)
辨天池に架かる「夢巳橋」の向こうに「白蛇弁財天社」が鎮座している。蛇が大の苦手という連れ合いも「撫で白蛇」をみて、「白蛇清水銭洗い」でお金を洗ってきた。
鎌倉時代、この辺に清水が湧き出る洗い場があり、白蛇が住んでいたと。時移り、いつのまにか洗い場がなくなり、白蛇はやむなく戸越公園の池に移り住む。あるとき、土地の旧家森谷友吉氏の夢枕に白蛇が現れ「早くもとの住みかに帰して」と懇願。この話を聞いた宮司は現在の駐車場に池と弁天社を建立し、石祠に白蛇を祠ったと。(同社HPより) 最終的に1954年から現在の社殿右後ろになったと。

社殿提灯も蛇窪……

仕方なく社殿左側に行ったら、左に消防団格納庫と神輿蔵が並んでいた。工事の為の車は、鎮座700年記念事業が行われているためだった。

社殿後方の本殿は平成10年(1998年)に建て替えたようだ。

下を見ると、弁天社改修のために避難してきたのであろう手水盤……

【附けたり】(2023年12月3日の写真)
上記写真の場所に「福活岩・親子岩」が置かれていた。悪運・悪縁・病気など不要なエネルギーを取り払うとされるが、左隅に「愚痴壺」を見つけた連れ合い。蓋を開けていたが愚痴は口にせず、ニコニコしていた。「こんな小さいのじゃ、私の愚痴は入りきらない」とでも思ったのかもしれない。ため込んでいるから、もっと聞いてあげなくちゃいけないな。それとも、大きな壺を買ってきて「愚痴壺」木札をぶらさげようか……なんて思った昨年12月だったが、今は特大の壺が必要かも知れない。

社殿左側から社務所方向……社殿前の二本の木は御神木なのだろう。

手水舎は平成10年(1998年)、社務所は平成15年(2003年)に平成の大改修の一環で建て替えられたと。おみくじはひかないので社務所には近づかなかったが、七福神のスタンプがあったようだ。
手水舎と御神木の間の由緒書きの足元に「土搗石(つづきいし)」ってのがあったみたいだ。竹箒とゴミ袋しか目に入らなかったが『江戸時代より武蔵国荏原郡上蛇窪村に伝わる石で、村内で住居や納屋などの普請がある度に村人が交替で手伝い歌を歌いながら敷地を固めた石で、別名オカメサンと呼ばれ大正7年頃まで使用したもの(同社HPより)』どのこと。

社殿前から参道、鳥居に向かって……鯉のぼりがユラユラ……

狛犬は大正5年(1916年)11月奉納だったが、戦禍を耐え抜いた。

車にカバーがかけられていたのは、弁天社以外にも改修工事があるからだろうと推察した。右に鳥居……

お行儀よく並んでいた。

「稲倉魂神(うかのみたまのかみ)」……稲倉魂命と称するのは日本書紀古事記では宇迦之御魂神。別名、稲荷大明神稲荷大神……つまらない事だが「こじき」と入力したら「乞食」が最初に出た。ほとんど死語なのになんでやねん。

京都伏見稲荷大社のご分霊をお祀りしてある。幟には稲荷大明神とだけあるが、こちらは「法蜜稲荷」と称する。稲荷大神様がお山に鎮座されたのは、奈良時代和銅4年(711年)2月初午の日と云われる。すでに1300年を越えた。

『神は人の敬によって威を増し 人は神の徳によりて運を添う』
「神はひとから敬われることによって霊験があらたかになって益々その威力を発揮する。また人は、神を敬うことによってより良い運を与えられる」……鎌倉幕府第3代執権の北条泰時が貞永(じょうえい)元年(1232年)に定めた武家法「御成敗式目」に記されていると。ちなみに、蛇窪地域の開拓を命じたのは北条泰時の弟・北条重時らしい。

なんとも個性的な神狐像……真鍋勝氏の建立だそうだが、会えなかった白蛇様も同氏の作らしい。

こんな愛らしいお狐様には初めてお会いした。

【附けたり】(2023年12月3日の写真)
「法密稲荷社」……御鎮座七百年を記念し、雨乞いが行われてから700年目に改修工事を行い、令和4年(2022年)11月1日午前零時に遷座祭を斎行して「法密稲荷」に改名したとのこと。

お辞儀をしてさようなら……

今日の「My First JUGEM」は……『ホイップあんぱん……』