「山県有朋 明治国家と権力」 (original) (raw)
小林道彦著「山県有朋 明治国家と権力」中公新書を読み終えた。
この本は2023年11月の刊行であり、著者が「あとがき」のなかで『今回小著を世に問うたのは数年前から開始した共同研究によって、当初の予想をはるかに超える点数の「山県有朋意見書」を確認できたからである』と書いているように、新資料を掘り起こし更に過去の研究の上に立って「明治日本の象徴」とも評される人物像をあらためて現代に提示しようとしたものである。
少しおこがましいが周知のように山県有朋は私と同じ長州人であり、若い頃から興味の対象のひとりとして評伝などを読んで来た気がするが、ここにきて最新の研究を踏まえた人物像に再び出会えて、何とも云えない懐かしさのようなものを感じている。
山県有朋の人物像を知って貰うため私なりにその経歴を圧縮して紹介すると、
・幕末長州藩の軽輩の出自で、槍術の使い手として頭角を表し吉田松蔭の松下村塾に入り尊皇攘夷運動に身を投じる。
・軍監として長州奇兵隊の実権を掌握、藩内戦や四境戦争、戊辰戦争を戦い抜き明治陸軍の重鎮として徴兵制を主導する。
・西南戦争の政府軍を指揮、更に日清戦争では第一軍司令官、日露戦争では参謀総長として陸軍を指揮した。
・陸軍卿、内相、首相、枢密院議長などを歴任し地方自治制の導入などに尽力し体制安定に寄与した。
・長州閥陸軍や官僚閥を背景に明治国家で圧倒的な政治権力を行使、最有力元老として日本の政治を動かした。
明治の元勲第一世代、西郷隆盛、大久保利通、木戸孝允、大村益次郎などが亡くなった後、明治天皇が指名した最高政治顧問・元老(げんろう)は次の8名で、政権交代の際に首相候補を天皇に推薦する責務を担った。
伊藤博文を筆頭に山県有朋・井上馨(長州)、黒田清隆・松方正義・西郷従道・大山巌(薩摩)、西園寺公望(公家)
この内最有力元老は長州出身の伊藤博文と山県有朋と思われるが、この両者のスタイルについて著者は以下のように書いている。
山県は慎重に自らの政治権力の布置・育成を図った。もっとも、派閥が一定の大きさを超えるとそれは自動的に膨張し始める。山県の与り知らないところで、山県の権威は独り歩きする。~~~
一方伊藤博文は派閥を形成することを好まなかった。人事や名誉欲を通じて自らの政治を権力を維持・拡大しようとする気もなかった。~~
自らの名利に恬淡(てんたん)としていたがゆえに、伊藤の理想主義はかえってその政治的威力を増大させ、やがてその影響力は児玉(源太郎)や桂(太郎)を通じて、山県系官僚閥の権力中枢を揺るがすようになる。
🔘山県有朋の大衆的人気は同郷の伊藤博文に比して決して高くなかったものの、確固たる信念のもと陸軍をベースに長期に渡る政治権力を握った。
その背景にあるのは幕末から明治にかけて、内外動乱の時代を陣頭に立って切り開き、そうして建てた国家を守り抜くという強烈な自負心が有ったのだと思われてならない。
🔘今日の一句
指先で河豚競り落とす南風泊(はえどまり)
河豚で有名な下関、南風泊市場の河豚競りを詠んだ。
🔘健康公園のジョウビタキ(尉鶲)
ジョウビタキという雀大の小鳥がいることを全く知らず、施設の入居者の方から写真で教えて頂いていた。
最近公園を歩く際、野鳥の鳴き声を聞くことが多いが、なかなかシャッターチャンスがないなか、先日のヒヨドリに続きワンチャンスに恵まれ撮ったのがその冬の渡り鳥・ジョウビタキだった。
写真はオスで頭が白くジョウ(尉)とは白髪や老人を意味している言葉でこの頭の色からきているらしい。
またビタキはヒタキ(鶲)の訛ったもので、鳴き声が火打ち石を打つ音に似ているので火焚きから転化したとある。
何れにせよ鳥の世界も色々深い。