押雄神社と御刀神社:豊国物部氏が南相馬市に祀った「武器の神様」 (original) (raw)
今回は、その豊国物部氏が相馬地方に創建した神社を紹介します。
今回紹介する神社は、「押雄(おしお)神社」と「御刀(みと)神社」です。
司東真雄さん著の『東北の古代探訪』によりますと、この二つの神社の神様は、上毛野国(群馬県)の物部氏系の武具製作の管理者となった職業団が祀る神様が由来だそうです。
つまり「武器の神様」です。
上毛野国ではその神は「貫前(ぬきさき)神」と「抜鉾(ぬきほこ)神」と呼ばれてました。
その神が相馬地方へ渡り、豊国物部氏が制圧したとき、「武器の神様」が「押雄神」と「御刀神」となりました。
押雄神社は、**南相馬市原町区の北新田**にあります。
押雄神社をネットで調べると、祀られている神様がわからないと書き込みがされていました。勧請されたのが今から1500年以上前ですし、物部氏の痕跡はのちの権力者に消されていますから仕方がないことです。
しかし、実際押雄神社を尋ねますと、立派な社殿に驚きます。
この神社には今でも「武神」が住んでいることがすぐにわかります。
御刀神社は、**南相馬市鹿島区**の海の近くにある神社です。
この神社は**東日本大震災の津波**で社殿が流されてしまい、現在は鳥居と祠だけが残っています。
現在でも、津波の爪痕が残っています。
御刀神社のご祭神は「経津主(ふつぬし)神」で、まさしく物部氏の神様です。
相馬地方では、蝦夷討伐のことはほとんど語られません。
しかし、神社を調べると、まだその痕跡は残っているのです。
この歴史を神社を通して語っていかなければなりません。
ちなみにこの「貫前神」と「抜鉾神」は、北上するごとに名前を変えていきます。
須賀川市では「桙衝(ほこつき)神」に。
石巻市では「小鋭(おとの)神」に。
栗原市では「雄鋭(おとの)神」と「表刀(うえと)神」に。
一関市では「も草神」に(「も」は「にんべん」に「舞」)。
東北の物部系の神社を辿ると、蝦夷討伐の進軍ルートが立体に見えてくると思います。
それでは、長々と遠回りをしてきましたが、この考察の発端は、
という疑問からでした。
↓次回はその考察をしていきたいと思います!
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ありがとうございました😄